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42.世継ぎ問題はきな臭いものです(1)

 正式に外出許可を得たアリーセは、侍女のミアだけをともなって王都内のルットマン伯爵邸へ向かった。

 大きな屋敷の敷地内に入ったところで馬車から降りると、真っ先にダークブロンドの少女が駆け寄ってきた。

 くるぶしの見える丈のドレスを翻しながら、腰のあたりに勢いよく飛び込んでくる。小さな七歳児の体を、アリーセは笑って抱き留めた。


「アリーセ! こんにちは!」

「こんにちは、コリンナ。ひさしぶりね」


 父親によく似たダークブロンドの巻き毛に、父親とは似ても似つかない大きな青眼を爛々と輝かせて見上げてくる。

 すぐさま「コリンナ!」と控えめな叱責の声が飛んできた。

 困り顔のルットマン伯爵が夫人を連れて近づいてくる。


「ダメじゃないか、コリンナ。これからは妃殿下とお呼びしなさいとあれほど……」

「構いませんわ」

「ですが、さすがにお名前を呼び捨てにさせておくわけには」

「いいんです。名前で呼ばれる方が親しみを感じられますもの」


 恐縮する夫人にそう言ってとりなし、あらためて挨拶を交わす。

 それからはしゃぐコリンナと手を繋いで屋敷内へ移動した。

 彼女はお茶を飲みながらの歓談の間もずっとアリーセにべったりだった。

 自身に向けられる純粋な好意と笑顔に、昨夜のいざこざですっかりすさみかけていた心が癒やされるようだ。


(子どもってなんでこんなに可愛いのかしら)


 ルットマン伯爵が溺愛するわけだ。

 あと数カ月ほどで生まれるマヌエラの子どももきっととても可愛いだろう。クラーラの子どもは存在しない可能性が出てきたが。

 コリンナに童話の読み聞かせをせがまれて、アリーセは彼女と並んで長椅子に腰掛ける。

 またも恐縮する夫人を「大丈夫ですから」と取りなし、童話集を受け取った。

 その見覚えのある装丁に、ゴルヴァーナ城砦の手記のことをふと思い出す。


(ファビアンの手紙、結局見つからなかったわね)


 彼には例の手記について新しいことがわかったら早めに教えるよう伝えてあった。

「新しいことは何も見つかっていない」という内容の返事ならば構わないのだが、妙な胸騒ぎがしてならない。


「『人魚の国には人間と言葉を交わしてはいけない決まりがありましたが、彼女はどうしても王子様を見捨てることができませんでした』――あら」


 長椅子の隣で童話集の挿絵をのぞき込んでいたコリンナが、こくり、こくりと船をこぎはじめていることに気づき、アリーセは目を丸くした。


「読み聞かせのはずが、寝かしつけになってしまいましたわね」

「まあ! もう、この子ったら」


 夫人が慌てた様子でやってきたので、アリーセはコリンナを任せて席を立った。

 我が子の扱いをどうするか迷った挙げ句、夫人は執事と相談してそのまま長椅子で寝かせることにしたらしい。

 こうやって子どもに翻弄される姿すら幸せそうに見えるのはなぜだろう。


(私には縁のないことだから、かしらね……)


 アリーセが大好きな人の子を授かる未来は決して訪れない。

 きゅっと胸の奥が締めつけられる感覚をおぼえたが、錯覚だと思うことにした。


「――少々よろしいですかな?」


 ルットマン伯爵がもったいつけるように話しかけてきたのは、そんなコリンナのあどけない寝顔を眺めているときだった。

 彼が何かアリーセに大事な話をしたがっていることは、昨夜舞踏会で誘われたときから察していた。それを聞くために訪問したところもある。


「構いませんわ。でも侍女も一緒でよろしいでしょうか。夫から、新婚の身で異性と二人きりになるのは避けるよう言いつけられておりますの」


 するとルットマンは片方の眉を跳ね上げて驚きつつも、にっこりと微笑んだ。


「もちろんです。私も、妻にはひとりで異性の家には出入りしないよう申しつけておりますゆえ」


 いけしゃあしゃあと言うものだから、アリーセは苦笑いするしかなかった。

 自分という異性の屋敷にアリーセを呼んでおいて、よく言えたものだ。


「……私のことは招待しておいて、奥様にはそんなことを?」

「うちはよいのです。ご覧ください、男女比を。男性の方が圧倒的に少ないではありませんか。特に私は武術の心得がないゆえ、ご婦人方に束になって襲いかかられたら手も足も出ないでしょう」

「そういう問題かしら」


 そんな話をしながら、恭しくうながされて別室へ移動する。

 もちろん侍女のミアも一緒だ。彼女は伯爵邸に足を踏み入れてからは気配を消し、よそ行きの顔で空気のように付き従っている。


「それで、話というのは? ここでなければ話せないことなのでしょう?」

「ええ。ご足労いただき感謝いたします。さすがにダンスをしながら楽しくお話できることではありませんでしたので」


 ルットマン伯爵は談話室の扉を後ろ手に閉めながら神妙な顔を作った。


「《ボーグの藻屑の会》の名誉会員として、妃殿下の身に災いが降りかかる可能性があるならばお伝えせねばならぬと思いまして」

「もったいつけすぎですわ。でも、そんなに大事なお話ですの?」

「でなければご足労いただいておりません――オスヴァルト殿下に関することです」


 どきりとしたが、かろうじて顔には出さずにすんだ。

 昨夜、アリーセとオスヴァルトの間で起きたことは知られていないはずだ。王家が立太子式前に起きたいざこざに箝口令をしかないはずがない。


「最近、オスヴァルト殿下が魔女のもとに通っているようなのです」


 ルットマン伯爵が切り出してきた話題に、アリーセは半分安堵し、半分不審に思った。

 昨夜の件でなかったのはよかったが、魔女とは穏やかではない。

 魔女は、国家の認めていない薬物や医療行為を行う薬師や医師のことだ。

 普通の医師では治せない病気や怪我、体質などの治療を望む者は、一縷の望みをたくすように魔女のもとを訪れるのだ。

 魔女は効能や副作用が不明な薬物や医療行為を違法に取り扱うため、森の奥などでひっそりと営業している。また、少々ややこしいのだが、魔女は必ずしも女性であるわけでもないそうだ。


「『ようなのです』ということは、ご自身がお見かけになったわけではないのですね?」

「私の叔父が持病の腰痛を治したくて魔女を頼ったそうなのです。そのときに彼の従者を見かけたそうで。彼が付き添っていた人物はフードを被っていたそうですが、背格好と声音からして殿下に間違いなかったと」

「……ですが、オスヴァルト殿下がなぜ魔女などに? 人目につくような危険を冒さずとも、王宮にはいくらでも優秀な医師はいるでしょうに」

「その優秀な医師たちでも治せず、違法な手法を必要とされたのでしょう。あれは後継者にとってそれほど厄介なものですからな」


 あれとは、不妊のことだろう。

 子を成せないのは王太子として致命的だ。イグナーツを毛嫌いしている様子から、異母弟の子を養子に迎えるのは自尊心が許さないのだろう。

 当のイグナーツに子孫を残す意志がないとはいえ、焦る気持ちはわからなくはない。イグナーツは死期が近いのだ。


「不妊を治すために魔女の力を頼られただけでしたら、それほど目くじらを立てることでもないのではありませんか?」

「そうですね。それだけならば」


 含みのある言い方だった。

 それで察した。ここからが本題なのだと。


「オスヴァルト殿下が魔女のもとを訪れはじめたのと、ちょうど同じ頃なのです。殿下が人前で王笏(おうしゃく)を出されるようになったのも、フロレンツィア様の墓が荒らされ、ご遺体が盗まれたのも」

「えっ」


 アリーセの背筋をぞくりと悪寒が駆け上がっていった。

(イグナーツ殿下の妹君のお墓が……?)


 脳裏にふと、娘に似せた人形を腕に微笑むヘルガ王妃の顔が浮かんだ。

 失った愛しい我が子の墓が荒らされたことを、彼女は知っているのだろうか。あるいは、知らされているのだろうか。

 そしてこれはなんとなくだが、イグナーツは知っていそうな気がした。

 ルットマン伯爵は眉根を寄せた厳しい表情で続ける。


「これまでオスヴァルト殿下は王笏を継承したと公言しつつも、頑なに王笏を人前でお出しすることはありませんでした。なのに、叔父が魔女の家で殿下を見かけた少し後、急に王笏を見せつけてくるようになったのです」


 正確な順番で言うと、ルットマンの叔父がオスヴァルトを魔女の家で見かけた二日後にフロレンツィアの墓が荒らされ、その五日後あたりにオスヴァルトがはじめて公の場で王笏を掲げて見せたという。


「ただの偶然にしても時期が重なりすぎて、違和感が拭えないのですよ。それで妃殿下にもお伝えしたいと思いまして、こうしてお呼び立てしてしまいました」

「いえ、お気遣いなく。むしろ教えてくださって感謝しますわ。ゴルヴァーナに閉じこもっていては知り得ない情報ですもの」


 王笏については最近見つけた手記で奇妙な記述を読んだばかりだ。

 さらに言えば、バルトル公爵邸でイグナーツが王笏についてのひとりごと、あるいは透明な友人との会話で語っているのを耳にしたばかりでもあった。

 こうも立て続けに目や耳に入ってくると、とたんに気になりだしてしまう。


「その魔女の家……ご存じなんですよね?」

「ええ、もちろんです」


 ルットマン伯爵は穏やかに答えながらも、その碧眼は期待をはらんでいる。


「ぜひ会って話してみたいわ。紹介していただけるかしら?」

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