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33.奈落の夫妻は歓迎されています(1)

 バルトル公爵邸を出立して二日、アリーセたちを乗せた馬車はヒルヴィス王国王都シュナイツェンに到着した。大きな城門をくぐるところを窓から眺めながら、アリーセは同乗者に語りかける。


「王都はおひさしぶりなのではありませんか?」

「ええ。半年ぶりくらいでしょうか」


 そう応えたのは向かいの席に座るイグナーツだ。

 一つ前の宿場町から、彼は馬を降りて馬車に乗り込んできた。代わりに侍女のミアは後続の馬車に乗り換えている。

 馬上を好んでいた彼がなぜ馬を降りたのか、その答えは城門をくぐった先にあった。


「イグナーツ殿下!」

「聖剣の主、イグナーツ殿下に栄光あれ!」

「栄光あれ!」


 城下町の目抜き通りの沿道に民衆が押し寄せていたのだ。

 人々はみな色とりどりの小さな旗を振っている。ヒルヴィスでは歓迎の意味を表すものだ。

 馬車の窓を震わすほどの大歓声に、ところどころ口笛や拍手も聞こえてくる。トランペットを吹いている者もいるようだが、こちらは楽士によるものではないらしく、音量が大きいだけでお世辞にも上手とは言えなかった。

 アリーセは窓の外を眺めて思わずあっけにとられる。


(忘れていたわけではないけれど、殿下は国を守って戦う英雄だものね)


 もしかしたら彼にすべてを押しつけている引け目のある王侯貴族よりも、平民の方がなんの憚りもないぶん、聖剣の王子に対する心の距離が近いのかもしれない。

 何より民衆は英雄譚を好むものだ。この大歓迎ぶりもうなずける。

 あらためて、ものすごい人の妻になったのだと実感させられた。


「殿下、すごい歓迎ぶりですわね」


 と話しかけながら振り向いて気がついた。

 イグナーツはさきほどからずっとしかめ面をして両腕を組んでおり、窓の外を見ようともしない。

 とはいえ目に見えない存在と会話をしているふうでもなさそうだった。

 あの現場を目撃したときから、アリーセは彼の挙動、特に視線や意識の向き先が気になってしかたがない。


「みなさんに応えて差し上げないのですか?」

「……あまり気が進みません。よろしければ、あなただけでも手を振ってあげてくれませんか?」

「え、ええ……構いませんが」


 はたして自分などの反応で喜んでもらえるのだろうか。

 不安に思いながらも、アリーセは社交用の笑顔を作って窓越しに手を振ってみせた。

 すると、沿道の人垣の前方にいる人々がひときわ大きな声をあげた。


「アリーセ妃殿下!」

「妃殿下! ご結婚おめでとうございます!」

「妃殿下に栄光あれ!」


「……わあ」


 思わぬ歓迎ぶりに、アリーセの鼓動が速くなる。

 妃殿下呼びにも栄光あれにも慣れなくて、緊張と高揚が一緒に押し寄せてくる。なんとも言えない気分になって、作り笑顔が引きつりそうだ。


(とても私だけでは受け止めきれないわ)


 そもそも彼らが一目見たがっているのは自分ではない。自分はおまけなのだ。

 夏の日差しの下、汗の粒を浮かべながら旗を振る人々の顔を眺めていたら、ついいたずら心が芽生えてしまった。


「殿下、失礼します」


 いちおう宣言だけはして身を乗り出し、イグナーツの腕を掴む。

 彼が驚いた目を向けてくるのを尻目に、アリーセは思い切り強く窓側に引き寄せた。


「なっ!?」


 完全に油断していたのだろう。イグナーツは悲鳴とも抗議ともつかない声をあげ、アリーセの膝上に乗り出すような格好になった。

 アリーセが窓側に寄っていたのもあって、沿道の人々からもイグナーツの姿が見えたに違いない。


「イグナーツ殿下だ!」

「殿下! 殿下!」


 大歓声とともに、民衆が盛り上がる。色とりどりの旗が激しく振られる。


「…………」


 イグナーツは困った顔をしつつも、窓の外へ軽く手を振り、すぐにアリーセの手をすり抜けて元の席に戻った。コホンと一つ咳払い。


「心臓に悪いことをしないでください」

「申し訳ありません。でも、王都のみなさんに殿下のお姿をご覧に入れたかったんです。この熱い中、集まってくださっているわけですし」

「それはまあ、確かに……そうですが」


 だからといって、と言葉が続きそうだったが、イグナーツは呑み込むことにしたようだ。夫のふてくされたような態度に、アリーセは笑いをこらえきれなかった。



 国王への謁見をすませて部屋へ戻った頃には、荷物の運び込みは完了していた。

 アリーセたちには《蒼の宮》と呼ばれる宮殿が丸々一つ貸し与えられた。

 イグナーツが言うには王宮で一番小さい城館だそうだが、充分な広さだ。

 二階建てで部屋数もそこそこあり、日当たりも良好。

 ただ王宮の中央からは少し離れているので、夏の日差しの下をそれなりの時間をかけて歩かなければならなかった。


 昼には国王と第一王妃マグダレーナを交えた昼餐に招かれた。

 マグダレーナは黒髪に灰色の瞳をした、四十代後半の女性だ。

 かつてはヒルヴィスの黒真珠と呼ばれた美女だが、少々まなじりがきつく、アリーセを常に値踏みするような視線を向けてくるので少々まいった。

 母親だけあって、息子のオスヴァルトそっくりだ。

 アリーセはひどく緊張して食事の味もわからなくなるほどだったが、幸いにしてその妃の子、オスヴァルトと二人の王子妃は不参加だった。

 イグナーツの子種を巡る牽制合戦がはじまるのではないかとヒヤヒヤしていたので助かった。


(ヘルガ妃殿下がいらっしゃらないのが、ちょっと気になるけれど)


 第二王妃のヘルガはイグナーツの実母だ。

 病気がちだとは聞いていたが、昼餐会にも出られないほど弱っているのだろうか。それとも第一王妃との仲を考慮したのか。

 隣席のイグナーツを見ても、母妃の不在を気にした様子もなく、肉をバクバクと食べていたので、もしかしたらこれが王家でのいつもの光景なのかもしれない。


「そうだ、イグナーツ。夕方からはおまえたちを歓迎する舞踏会を予定している」

「急ですね」


 父王の言葉に、イグナーツは肉を飲み下してから短く答えた。

 素っ気なく、興味もなさそうな返答には少々棘がある。


「おまえたちの到着が一日遅れたのが悪い。本来は昨日歓迎の晩餐会、翌日の今日が舞踏会の予定だったのだ」

「……ひどい暑さだったので、体調面を考慮しただけですが」


 嘘だ。アリーセの要望でバルトル公爵邸に一泊したせいで旅程が遅れたのだ。

 だが、イグナーツは一切の弁明をしなかった。さりげなくかばってくれたのだと悟って、アリーセの胸はいっぱいになった。

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