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30.新婚旅行どころではありません(1)

 王都に向けて出立してから早三日。アリーセたちを乗せた馬車はバルトル公爵領へ入っていった。

 年中曇天のゴルヴァーナから離れるほど日差しは強くなり、公爵領まで来ると暑さで汗が噴き出るほどだった。

 途中の街で購入した氷入りの革袋を膝に抱え、向かいの席に座ったミアが扇であおいでくれるおかげで、アリーセはなんとか耐えられた。


(殿下が旅中の体調を心配なさる理由がよくわかったわ)


 夏でも比較的涼しいゴルヴァーナとの落差で目眩がしそうだ。

 アリーセはちらりと窓の外へ目を向けた。

 馬車と併走するかたちで、イグナーツが馬に跨がっている。彼の方は夏の日差しを浴びても平然としたものだ。

 彼いわく、風を切れるぶん馬上の方が涼しいらしい。


 アリーセも馬上に誘われたが丁重に断った。

 少しでも近くにいて新婚旅行気分を味わいたいという気持ちはある。しかしだからといって、日焼けして真っ赤になった肌で国王陛下に謁見したくはない。

 今回の王都への旅は第一王子オスヴァルトの立太子式と鎮竜(ちんりゅう)の儀への参加が目的だが、結婚したからには多少の挨拶回りはしなければならないだろう。

 妹のクラーラほどの美貌はないとはいえ、できるかぎりきれいに見えるよう努力するつもりだ。イグナーツがみすぼらしい妻を娶ったなどと思われてはいけない。


(私が妃としてふさわしくないと見られたら、余計に新しい妃を薦められることになりそうだしね)


 アリーセが今回の旅に同行したのは、イグナーツの二番目、三番目の妃の座を狙う者たちを牽制するためだ。

 夏の太陽よりも熱い決意を燃え上がらせていると、ミアが扇をあおぎながらアリーセの膝の横に置かれたものに目を向けてきた。


「本、旅にまでお持ちになるなんて珍しいですね。そんなに面白かったんですか?」

「ああ、これね。ある意味、面白いかもしれないけれど」


 アリーセは苦笑して、書物の表紙を撫でた。

 これはゴルヴァーナ城砦の図書室にあった、童話集に偽装された手記の写本だ。


「好みがわかれる内容ってことですか?」

「それもあるけれど、とんでもない悪筆の悪文だから読んでいて頭が痛くなるの」

「うっ、ミアには難しそうなのでやめておきますね」


 ミアはすぐに興味を失ったようで、自分とアリーセを交互にあおぎ出した。

 料理本を探しに図書室へ行ったあの日。

 アリーセはマヌエラたちに手紙の返事を書いた後、あらためて手記が気になって図書室へ引き返した。そして数日かけて手記を読み込んだ。

 蔵書の管理をする担当者がおらず、さらに手記をときどき書棚から取り出している者がいることも察せられたので、勝手に持ち出すのが憚られたからだ。


 手記の内容は悪筆で他人が読むことを想定した文章で書かれていないのでひどく読みにくかった。

 さらに執筆者は一人だけではないらしく、誰かの文章にまた別の誰かによる指摘や注釈がつけられており、まとまりがなかった。

 頭が痛くなるほどの難読ぶりだったが、何度も読んでいるうちに執筆者たちが何を研究しているのか、アリーセにも伝わってきた。


 一、神に呪われた原因について。古代の魔法使いはどんな禁忌を犯したのか。

 二、呪いの構造について。聖剣と王笏(おうしゃく)、《奈落》と魔物はどういう関係性なのか。

 三、呪いを解く方法があると仮定しての推論。


 そのうちの三番目について、アリーセは強く興味をそそられた。

 執筆者はこう語っている。


『神々の呪いが本当に〝呪い〟なのだとしたら、解く方法が必ずあるはずである』

『なのに数百年にわたって呪いが継続されているのは、どこかに呪いを解きたくない者が存在しているからかもしれない』


 そんなこと、考えたこともなかった。

 アリーセはもっと読みたかったが、手記は結論まで書かれてはいなかった。ページが足りなくなってしまったようだった。

 それでイグナーツの夫人としての権限を用いて、ファビアンを掃除係から司書に配置換えした。

 仕事内容はおもに図書室と蔵書の管理と手記の写本作り、手記の続きの捜索だ。

 図書室の管理にはもちろん掃除も含まれている。

 単純な掃除係よりも矜持が守れるらしく、ファビアンは喜んで引き受けてくれた。

 彼は意外と仕事が早く、手記の写本を作ってくれた。続きに関しては見つからないとのことで、後日第一城砦の図書室も調べてみると言っていた。


(ゴルヴァーナに帰る頃には見つかっているといいのだけれど)

 アリーセは元婚約者の奮闘にこっそりと応援を送った。



 それから半日ほどで、草原の先に大きなバルトル公爵邸が見えてきた。

 離宮と見まがうような白亜の大豪邸だ。

 今夜はここで一泊させてもらう予定になっている。

 大きな鋼鉄製の門をくぐり、広々とした庭園を縦断して玄関アプローチで馬車を降りると、大勢の使用人を従えたバルトル公爵夫妻に出迎えられた。


「アリーセ!」


 軽やかな声を響かせ、小柄な公爵夫人マヌエラが抱きついてきた。

〝宮廷のカナリア〟とも呼ばれる彼女は一見すると波打つ金髪の美少女だが、年齢はアリーセより二つ上の二十歳だ。

 少女のように腰にしがみついた格好で、榛色の双眸を輝かせてこちらを見上げてくる。


「お元気にしてらした? あっ、これからは妃殿下とお呼びしなくちゃね」

「もう、からかわないでください。いままでどおりアリーセと」


 笑って応えながら、思う。

(私の周りにいる二十歳は可愛らしい方が多いわね)


 もう一人の可愛い二十歳、イグナーツの方を横目でうかがう。

 彼はバルトル公爵と挨拶の握手をかわしていた。

 どうやら顔なじみのようだ。バルトル公爵がイグナーツに向ける眼差しはやわらかだ。


「また少したくましくなられましたな。背も伸びたのでは?」

「そうかな。自分ではよくわからない」

「男子は二十歳を過ぎても伸びる者は伸びますからな。いやはやうらやましい」


 男同士の穏やかな会話が聞こえてくる。

 バルトル公爵は中肉中背の貴公子だ。

 後ろに撫でつけた亜麻色の髪に、きれいに切りそろえた口ひげのせいで老けてみられがちだが、実際はまだ三十代半ば。先妻を病気で失っており、マヌエラは後妻だ。

 年の差カップルだが仲は良好のようで、マヌエラの着ている妊婦用のドレスはお腹のあたりが少し膨らんでいる。


「そういえば、体調はもうよろしいんですか?」

「つわりのこと? そんなもの、とっくに落ち着いたわ。それより、あなたの方はどうなの?」

 とマヌエラがいたずらっぽく耳打ちしてくる。


「え?」

「もう、とぼけないで。殿下とは上手くいっていて?」

「……悪い関係ではないですよ。大切にしていただいています」

「なんだか含みのある言い方ね? 今夜たっぷり問い詰めなければならなそうだわ」


 アリーセは苦笑する。いったいどこまで白状させられるのだろう。

 夫婦のいとなみが一切ないことだけはなるべくならば話したくはない。

 イグナーツがマヌエラに睨まれたら大変だ。ただでさえ、怒れるミアが一服盛ろうとしないかハラハラしているというのに。

 なによりマヌエラは第一王子オスヴァルトの妃がイグナーツに鞍替えしようとしていると察し、アリーセのために情報を流してくれているのだ。

 さらには、妃が早まった真似を起こしにくくなるよう、お得意の社交術で牽制してくれているという。宮廷のカナリアには頭が下がる一方だ。


(でも、本当に。殿下の心を他の女性に奪われるのは、絶対に嫌……)


 いつから自分はこんなに欲張りになったのだろう。

 恋した人に愛せないと言われ、それでも大切にされるだけでじゅうぶんだったはずなのに。

 横目でもう一度イグナーツの方を見ると、彼はいつのまにか少し離れたところでバルトル公爵と話し込んでいた。

 何やら声をひそめて話しながら二人で庭園の方へ繰り出していく。畜肉の取引の話だろうか。この暑さならば畜産業にも影響が出そうなものだが。

 と、マヌエラに袖を引かれた。


「殿方には殿方のお話あるものよ。わたくしたちは中へ入りましょう。日焼けしてしまうわ」

「そうですね。一晩、お世話になります」

「構わなくてよ。絶対に寄っていくようにお願いしたのはわたくしだもの。さあ、入って。すぐに冷たい飲み物を用意させるわ」


 そう言って、艶やかに笑ってみせる。彼女の黄色みの強い髪色とも相まって、ひまわりのような笑顔だった。

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