その断罪劇に私を巻き込まないで!【コミカライズ】
「貴族の地位を笠に着てアンナ嬢を虐めていた事、私が知らないとでも思ったか?このような貴様の所業、許せん!私、マシュー・ルースターは貴様との婚約を破棄する!」
私の隣にいる男が、目の前に立つ金髪縦巻きロールに碧眼を持つ少女に向かって言い放った。
「何で、平民の女なんかの肩を持つのよ!平民のくせに図々しくも私の婚約者を誘惑しておいて被害者面するんじゃないわよ!!」
婚約破棄を言い渡された金髪縦巻きロールの少女は叫び声を上げて、憎々し気に私を睨みつけている。
いやいや、あんたが睨むべき相手は隣の男でしょうが。そもそもこの状況はあんたの自業自得な部分が大いにある。私を睨むのはお門違いでしょうに。
そう言う私は目の前で繰り広げられているその“断罪”を冷めた目で眺めている。
婚約破棄を宣言した男がしきりに私の腰に手を回そうとしてくるけれど、断固としてブロックよ。
あまりにしつこいので身を捩って数歩離れた。
ねえ、私に切なそうな視線を送らないでよ。私はあなたの恋人でも何でもないんだからね。
▲▽▲▽▲▽
私、シャルロッテ・シャップルは男爵家の一人娘として生まれたわ。
両親は不仲だったけど、それなりに幸せな幼少期だったと思う。
そして6歳で婚約者ができたの。お相手は伯爵家の長男で1歳年上よ。お名前はマシュー・ルースター様とおっしゃると聞いたわ。
お母さまからは「家格が上の貴族家の跡取りと婚約できたなんて幸せな事よ!」と言い聞かされていたので、初めて婚約者を紹介されたとき、私は完全に舞い上がっていたの。
それからは1ヶ月に1回、定期的に交流会を持つ事になったわ。
両家の家族が揃っていた最初の顔合わせの時にはそれなりに会話もしていたマシュー様は、けれど2人だけの交流会では1~2言話せば良い方で、ほぼ無言で何やら難しそうな本を只管読んでいるだけだった。
最初のうちは、私から頑張って話しかけたわ。
「マシュー様はどのようなご本をお読みになっているのですか?」
「マシュー様はお花がお好きですか?ルースター家のお庭は色とりどりのお花が咲き誇っていて素晴らしいですわね」
「マシュー様、食べ物の好き嫌いなどはお有りですか?」
だけど、どんなに話しかけても生返事を返されるばかりで、最後には「五月蠅い女は嫌いだ。黙っていてくれ」とまで言われてしまったの。
私は悲しくて悲しくて、マシュー様の前で涙を零してしまったわ。
だけど彼は、そんな私にちらりとも視線を寄越す事無く読書に没頭していた。
その夜、私は夢を見たの。
42歳まで生きて死んだひとりの女の人生を。
彼女は日本と言う国に生まれ、あまり幸せではない家庭で育ったの。
高校を卒業して直ぐに息の詰まる実家を出て就職したわ。
働きながら勉強を続けて、自力で大学にも進学した苦労人よ。
一度は結婚したのだけれど、“性格の不一致”で直ぐに離婚して、それからは独り身で自由に生きていたわ。
夫に縋る事無く独りで生きていく決断をした彼女は、自立した女性でとても恰好良く見えたわ。
彼女の記憶によると、この夢は“前世の記憶”で、私は“異世界転生”と言うものをしたと言う事だった。
この時はまだ前世の全てを思い出した訳ではなかったの。人生の全体を薄らとだけ。
そして私が今一番心を痛めている事について、その時々でアドバイスを与えてくれる様になったの。
最初に貰ったアドバイスは、“マシュー様との交流会の過ごし方”についてよ。
《自分に関心の無い相手に何かを期待するのは全くの無駄》
《相手が読書して過ごしているなら、そして静かにしている事を要求しているのなら、私も読書をして過ごせば良い》
なるほど。
そこで私は、5歳の頃から付いている家庭教師に、これからの学習要綱の一覧を作ってもらったわ。
貴族の子弟は13歳になったら王立学院に通う事と言う決まりがあるの。
先王陛下の時代にできた決まりよ。
何でも幼少の頃から貴族の子弟同士が交流を持つ事で国の結束力を強め、
知識の底上げをする事で優秀な人材を国の要職に確保するのが目的だそうだわ。
優秀な人材確保の目的のため、難関試験を突破した庶民の入学枠もあるらしい。
貴族の子弟は、王立学院に入学してから落ちこぼれない様に、5~6歳ごろから家庭教師を付けて、基礎学習や貴族のマナーなどを習うの。
私は12歳までに学習する範囲を予習する事にしたのよ。
それからの交流会へは、男爵家の書庫から関連する書籍を持って行き、読むことにしたわ。
6歳の私には難しい内容だったけれど、“前世の私”が代わりに理解して、私に教えてくれるからスラスラ読み進む事ができたわ。
“前世の私”は魔術が使える事にたいそう興奮して、魔導書もかなり真剣に読み込んだわ。
自室では魔術の訓練も密にやったわ。魔術は子供だけで使うのは危ないからと禁止されていたのにね。
そんな生活が4年ほど続いた頃、お母さまが流行病であっけなく儚くなってしまった。
すると、お父さまはお母さまの喪が明けぬうちに、妾を屋敷に連れ込んだの!
しかも!父さまと妾との間には私と同じ年の娘までいたのよ!
私はお母さまに似て、くすんだ金色の髪に茶色の瞳だけど、異母姉妹はお父さまに似て、輝く様な金髪に碧眼だった。
そして、お父さまは私に向かってこう言い放ったのよ。
「今日から男爵家の一人娘のシャルロッテはこの子だ。お前がシャルロッテを名乗る事は禁ずる!」
一瞬、お父さまの仰った内容が理解できなかった私は、反応が遅れた。
「お前はこの男爵家とは縁も所縁もない、ただの下働きだ。部屋もドレスも宝飾品も全て、このシャルロッテの物だ」
「え?ど、どう言う事で「やかましい!下働きが男爵家当主に話しかけるなど許されると思うな!」
私の言葉は途中でお父さまの怒鳴り声にかき消され、皆が見ている目の前で身に着けていたドレスを脱がされてしまい、下着姿で使用人の空間へと引きずられる様に連れて行かれたわ。
《我が国の貴族には子弟を養育する義務があり、育児を放棄した事が王家に知られるとそれなりのペナルティーを科されるらしいよ。家庭教師に教わったよ?さては聞いてなかったね?・・・まぁ良いわ。だから単純にあなたをこの屋敷から追い出す訳には行かないの。この“娘の入れ替え”は、男爵家の一人娘のシャルロッテは令嬢としてちゃんと育っていますよと言う事にするための方便なんだと思うよ。糞虫親父だね!》
と“前世の私”が教えてくれたわ。
それからは辛い日々だった。
毎日涙を流したわ。
掃除、洗濯、水汲み・・・日が昇る前から陽が沈んだ後まで、馬車馬のように働かされたのよ。
“前世の私”に家事の経験があったからある程度は助かったの。
それでも、《前世では便利な機械や道具のおかげで家事が楽にできていたけれど、この世界はそれが無いから辛い》って、“前世の私”も嘆いていたわ。
下働き仲間は主家の人たちの顔なんて見た事なんか無いから、私が男爵家の娘で本物のシャルロッテだなんて知らないし、私の顔を知る侍女や侍従達と家令は見て見ぬふりをしていたわ。
いえ、見て見ぬふりができなかった者は解雇になったんだと思う。「大量解雇で人手不足になって忙しい」と廊下で侍女たちが愚痴を零しているのを偶々聞いたのよ。
この時、この屋敷には私に味方してくれる人間は誰一人居ないのだと悟ったわ。
最後の頼みの綱は、マシュー様が私の現状に気が付いて助けに来てくれる事だけど、そんな様子も全くなかった。
マシュー様も私よりもシャルロッテ(仮)の方が好みだったのかも知れないわね。
いえ、そもそも関心なんて無くて、シャルロッテと名乗っていれば、中身が誰でも構わないのかも知れない。
ところで、私はシャルロッテと名乗る事を禁じられてしまったので、新しい名前が必要なの。
でも自分で自分の名前を決めるなんてできないでいると、“前世の私”がアンナと付けてくれた。“前世の私”の名前に因んでいるとか。
《シャルロッテって名はいかにも悪役令嬢風で嫌いだったのよね。アンナの方が数倍可愛くて似合う》
って言ってくれたわ。
1年も経つと、それなりに慣れてきて、仕事を早く終わらせる工夫ができる様になったし、気持ちにもゆとりが生まれたわ。
そこで、「このまま下働きの人生で良いの?」と考える様になったの。
“前世の私”は王立学院への入学を勧めてくれた。
《王立学院には寮があるから、男爵家を出奔しても食住には困らないよ》
《王立学院を首席で合格すれば授業料や寮費が免除される。そして首席で卒業すればホワイトカラーへの就職も安泰!》
《王立学院は平民からの入学枠がある。試験を受けてパスする必要はあるけど、“マシュー様との交流会”と言う名の自習の時間で予習はほぼ終わっている》
《試験と言う物に受かるにはコツがある。試験に受かりやすい勉強法を知っているかいないかで結果は大きく変わるよ》
《13歳までにはあと2年あるし》
《だけど、13歳まで待って学院に入学するとシャルロッテ(仮)と同級生になってしまうから、1歳サバを読んで、12歳で試験を受けた方が良いかもね》
《大丈夫、私の知識があればきっと受かる》
“前世の私”のアドバイスに励まされて、1年かけて試験の準備をする事にしたわ。
必要な書籍は夜中に書斎に忍び込んで拝借したわ。
『隠密』や『収納』の魔術を修得していて良かった。
他にも『治癒』で手荒れや霜焼けを瞬時に治せるのも、下働き生活には大切な技術なのよね。
兎に角、持てる知識と力を全て使って全力で取り組んだ結果、私は晴れて王立学院への入学を果たしたわ。
私は屋敷の備品を少しだけ拝借して、街の質屋で換金して入学に必要な物を整えて、髪を栗色に染めた。
男爵がいなくなった”下働きの少女”を探すかどうかは分からないけど、念のためよ。
王立学院の門を潜った私は学院長室に呼び出され、今年の首席は私だと教えられたわ。
よし!これで授業料も寮費も免除よ!
入学式典で首席は新入生を代表して檀上で挨拶をする風習があるのだけど、平民が貴族たちを抑えて首席を勝ち取った事が分かると色々煩い連中がいるから、次席の生徒に挨拶をさせる事にすると言われたわ。
悪目立ちしたくなかった私は二つ返事で了承したわ。
挨拶のために壇上に上がった新入生代表はなんとマシュー様だった。
記憶にあるよりも幾分成長したマシュー様は堂々としていて、それなりにイケメンだったわ。
惚れないけどね。
学院では6つのクラスに組み分けされていて、1~5組までを貴族の子弟たちが成績順で振り分けられ、6組は平民のクラス。
私は当然6組よ。
学院の授業は楽しかったわ。マシュー様は1組だし、普通に学院で生活している分には一切の関る事はなく、日々は穏やかに流れて行った。
この頃になると、“前世の私”の記憶は私とかなり融合していて、自我もかなりそちらに引っ張られていた。
つまり、人生を達観して見られるようになったってわけ。私はアンナであり、男爵令嬢でもなければシャルロッテでもない。ましてやマシュー様の婚約者でもないし、貴族の生活に戻る気もない。いえ、仮に「戻れ」と言われても「嫌だ」と答える。
私は何物にも縛られず、自分の才能を使って自由に生きるのよ。
学院では1年に3回、実力を測るための試験があるんだよね。
私は学費と寮費の為に首席を守り通す必要がある。
勿論、首席はキープし続けたよ。
3回目の実力試験の結果発表の後、6組の教室にマシュー様が突然押しかけて来た。
「アンナと言う生徒はどこにいる!? 出てこい!アンナと言う者は誰か?」
な、何しに来たんだろう?私に気づいたとか?
私は恐々と手を上げて名乗り出た。
「は、はい。私がアンナです」
するとマシュー様は私の前までつかつかと歩いてきて、ビシッと私の顔を指さして言い放った。
「貴様がアンナか?来年の実力試験では負けないからな!必ず首席の座は返してもらう!」
そう宣言して、踵を返して去って行った。
「な、何なん?」
あいつ、入学試験の首席は自分だって思い込んでるんだね。
「返してもらう」なんて、最初っからあんたの物じゃないのよ!ばーか。
しかもあいつ、ほんの数年前まで婚約者だった私の事、気づいてなかったよ。
いくら髪色を変えていたって、顔や瞳の色はそのままなのに。
婚約者の中身が変わっても“気にしなかった”のではなく、“気が付かなかった”の方が正解かな。
毎月顔を合わせていた人が別人に入れ替わっているのに気が付かないなんて、そんな事、あり得る?って不思議に思うけど、あの頃のマシュー様は私の顔をまともに見ていなかったし、会話なんて一切無かったから、あり得ちゃったんだね。
それからのマシュー様は試験の度に私に勝てなかったと文句を言いに来て、
図書室で自習していれば様子を窺いに来て、とやたらと絡んでくる様になった。
はっきり言ってちょ~~鬱陶しい。
マシュー様と一緒に来るアーロン様と言う方がフォローを入れてくるんだけど、それがあまりフォローになってない。
アーロン様曰く、
「マシューは悪い奴じゃないんだけどね、対人が苦手で令嬢に対する礼儀も全く身に付いてないんだ。勉強漬けの日々を過ごしてきた弊害だね。ご両親が兎に角厳しい方々でね。僕に免じて大目に見てやってよ」
「アーロン、黙れ。何故君が言い訳の様な事を言うのだ。君には関係ない事だ」
「そうだ!マシュー、アンナ嬢と一緒に勉強会をすれば良いじゃないか。分からない所を教えて貰いなよ」
「断る!良い事思いついた、みたいな提案するんじゃない!何で私が庶民の女に教えを請わないといけないんだ!私が劣っていると言いたいのか!?」
「しーっ!マシュー、ここ、図書館だから声を落としてっ」
「!!・・・失礼。しかし、私にも貴族の矜持がある」
「じゃあ、マシューは帰りなよ。僕はアンナちゃんと勉強するから」
「なっ!・・・ふんっ勝手にしろ」
マシュー様はぷりぷりしながら踵を返して去ってしまった。その背に手を振ったアーロン様は私に笑顔を向けてきた。
「また明日なー。さて、アンナちゃん勉強会を始めようか?」
「・・・あの、私、勉強会なんて了承しておりませんが?それに、ちゃん付けなんて馴れ馴れしく呼ばれたくありませんわ」
「そんな硬い事言わずに!僕、次の試験で順位落としたら2組にクラス替えさせられそうなんだよね。僕を助けてよ~」
少し垂れ目のアーロン様に毒気の無い優しい笑顔でお願いされると断りにくい。
(ああ、こう言うの、誑しって言うんだよね。心を許したら駄目ね。喰われて捨てられるだけだから)
実際、アーロン様は6組の私の耳にも聞こえてくるくらい、女生徒に人気らしい。さらに若い教師がアーロン様に言い寄って、学院を解雇されたとかされてないとかって噂まである。真偽のほどは分からないけど。
喰われて捨てられるのはゴメンなので、一定の距離を確保する様にしよう。
しぶしぶアーロン様と2人で勉強をしていると、マシュー様が戻ってきた。
また嫌味を言いに来たのかと思っていたら、なんと無言でアーロン様の隣の席に座って勉強し始めた。
一瞬、私とアーロン様は視線を合わせてしまったけど、お互いに声をかけることなく、それぞれの勉強に戻った。
時折、アーロン様が分からない部分を私に質問する以外、静かな勉強会だった。
次の日から、何故かマシュー様とアーロン様は6組の教室まで迎えに来るようになり、3人で図書室へ移動し勉強会をする流れが出来上がってしまった。
私の方が授業が早く終わった場合は、先に図書室へ行って勉強していると、お2人で後から来て勉強会が始まるのだった。
最初の頃はアーロン様だけが質問をしていたのだけど、そのうち、マシュー様まで私に分からない部分を聞いて来るようになった。
私も貴族的な事とか“前世の私”が苦手な部分をアーロン様に質問したりするようになった。アーロン様に質問しているのに、何故かお答えになるのはマシュー様の方だったりする不思議。
1年近くも経つと流石に、私とマシュー様は勉強以外の会話もそれなりにできる関係になった。
マシュー様のご両親は非常に厳しい方々らしく、愛情をかけて貰えていなかったらしい。
幼少の頃から勉強漬けで、ちょっとでも出来が悪いと、酷く詰られて、親戚から優秀な子供を養子に入れるぞと脅されるのだそうだ。「出来の悪いお前の代わりなどいくらでもいるのだ」と。
あの月1回の交流会をしていた頃のマシュー様の態度には理由があったと。交流会の時間も惜しんで必死で勉強してんだね。
彼の生い立ちには同情はするけど・・・だからと言って、婚約者に「五月蠅い女は嫌いだ。黙っていてくれ」って言うのは無いわー。
マシュー様は本当に“婚約者の入れ替わり”に気づいていないのかと不思議に思って、ある日、アーロン様とマシュー様に婚約者は居るのか?と聞いてみたら、アーロン様が前のめりでお答えた。
「何々?僕に婚約者がいるかどうか、気になってるの?大丈夫だよ、僕の心はアンナ嬢だけの物だよ」(ウィンク♪)
「はいはい、マシュー様は?」
そんなアーロン様の事は軽くスルーして、マシュー様にも話を向けると、
「両親に決められた婚約者が幼少の頃から居る。煩く喋りかけて来るだけの知性も品性も無い女だ」
吐き捨てる様にそう言って、興味なさそうに教科書に目を落としてしまった。
これ、やっぱり気づいてないよね?
しかも、「知性も品性も無い」なんて、婚約者に対する評価が酷すぎない?
その評価が私ではなく、シャルロッテ(仮)の事である事を願うばかりだけど。
藪蛇になっても困るので、その後は婚約者の話を蒸し返す事はしなかった。
2学年に上がって、新入生が入って来た。
そして、3人の勉強会にシャルロッテ(仮)がくっついて来るようになった。
シャルロッテ(仮)は“庶民の私”を全く無視して、アーロン様とマシュー様の3人だけで居るかの様に振舞う。
そう、シャルロッテ(仮)も私が本物のシャルロッテとは気づかなかったのよ。
まぁ、私とシャルロッテ(仮)は初対面の一瞬しか顔を合わせていない。当時、私たちはまだ幼くて、私に何の興味も無かったであろうシャルロッテ(仮)が私の顔を覚えていなくても何ら不思議ではない。髪の色も変えているし。
だけど、私は違う。私の家族を居場所を名前を、全てを奪われた私は彼女の顔を忘れるなんてできなかった。
初めて会った当時の彼女は手入れの悪い金髪を無造作に1本で結っているだけだったけれど、3年経った今は丁寧に手入れされて輝くような金髪をフワフワとした縦巻きロールにしている。肌艶も貴族令嬢のそれになっていた。
「ねぇ、マシュー様ぁ。わたくしにお勉強を教えて下さいませぇ。シャルはぁ、ここがよく分からないのですぅ~」
鼻にかかった独特の甘えた声色でマシューにしな垂れかかるシャルロッテ(仮)。
娼婦なの?母親仕込みなの?
たいていの若い男なら鼻の下を伸ばしてデレそうなアプローチだけど、マシュー様は嬉しくなさそう。いえ、ハッキリと迷惑そうだ。シャルロッテ(仮)に掴まれた左腕を強引に引き剝がしてる。
アーロン様も苦笑いで遠巻きにしているし。
私は彼らの一切を視界から排除して、自分の勉強に集中する事にした。
「あぁ~んっ♪マシュー様ったら、意地悪ぅ~」
いえ、集中できないわ!
私は荷物を纏めて寮に帰るべく、席を立った。
「アンナ嬢、どこへ行く?授業内容の事で質問があるのだが?」
「お3人方で楽しくお過ごし下さいませ。私はお邪魔な様なので失礼いたしますわ」
「いや、邪魔なんかじゃない」
マシュー様が私を引き留めようとしてくるけど、その声を無視してさっさと帰路についた。
少し乱暴な去り方だったかな。シャルロッテ(仮)に嫌味に聞こえるような発言までしてしまって。
マシュー様の事は自分の婚約者だなんて1ミリも思っていないし、恋心なんて全くない。
だからシャルロッテ(仮)とどれだけ仲良さげにしようが私には関係ないと思っていたけれど、思いのほかイライラしている自分に気が付いて苦く自嘲した。
その後も、シャルロッテ(仮)とは関りあいたくないのに、何故かマシュー様が私に絡んでくるから、セットで付いて来る。
そんなセットは要らないのに。
やんわりと勉強会は終わりにしましょうと告げても拒否されるし。
勉強会の成果が出て、アーロン様もマシュー様も成績が上がっているからでしょうね。
それでも、私が首席の座を譲る事はなかったけどね。
そのうち、シャルロッテ(仮)を筆頭にした貴族たちからの嫌がらせが始まった。
教科書が無くなって探していると、ゴミ箱に捨てられていたり、池に落ちていたり。
食堂で昼食を食べていたら、私の食事の上に水を零されたり、校庭を校舎の壁沿いに歩いていたら、上から泥水が降ってきたり。
割と幼稚なやつ。
私は、持ち物は『収納』に入れて持ち歩く様にし、教室や寮の部屋にも大事な物を置かない様にした。
『索敵』『障壁』で危険な事からは避ける様にもした。
ただし、あまりにも防御が完璧だと嫌がらせの内容がエスカレートしそうだったし、他の平民生徒たちにまで害が及ぶと不味いから、最小限の被害の範囲内で受けたりもした。
マシュー様やアーロン様は勿論、教師にもこの“嫌がらせ”については言わなかった。
言えば大抵の場合、「告げ口をした」とか言って、苛めがエスカレートするのが相場だからね。
教師たちも貴族たちと真正面から事を構える気は無いだろうし、軽い注意で済まされてしまうのが関の山ってところね。
3学年になると、魔術の授業で野外実習が始まった。
その授業では、“2人組で森の探索をする”と言う実技試験がある。
試験会場は王都郊外にある森よ。
王都周囲は魔獣討伐が頻繁に行われているので、比較的低レベルの魔獣しかいないらしい。
学生の実習に使うのに問題ない程度だと。
試験はこの森の中に設けられている複数のチェックポイントを経由しながら、指定された魔獣を討伐し、薬草を採取して、時間内にスタート地点に戻って来ると言う内容だって。
毎年、全てのミッションをコンプリートして時間内に戻って来れるのは70%程度らしい。
なかなかの難関ね。
組む相手は同クラス内に限定されていない。
他のクラスの方と組んでも良いのよ。
通常、騎士を目指す物理戦闘が得意な者と魔術が得意な者で組む事が多い。
その方が成功率が上がるからね。
私は魔術の方が得意だし物理戦闘向きの相手と組む必要がある。
と、何を思ったのかマシュー様が私に組んで欲しいと言って来た。
「マシュー様も私も物理戦闘向きではありません。そんな2人で組むのはお勧めできません」
やんわりと断ってみるが、マシュー様はそんなこと全く気にしない様子で。
「僕達2人ならやれる」
「その根拠のない自信はどこから?私は首席を取らなければいけませんので、そんな不確かな賭けにはでられません。丁重にお断りさせて頂きますわ」
「僕が頑張るからアンナ嬢は付いて来るだけで大丈夫だ」
「・・・もしかして高価な魔道具などを使ってズルしようとしていません?それこそ、お断りです」
私は頑としてマシュー様を拒否した。
そして以前から目を付けていた男爵家の三男で騎士を目指しているハーキュリーズ様と言う方に組んで欲しいと依頼しにいった。
ハーキュリーズ様は他の貴族の子弟達の様に平民を馬鹿にしたりなさらないし、私がシャルロッテ(仮)達に虐められていた時には、声をかけて彼女たちを追い払って下さった事もある。
5組の生徒で成績はパッとしないかも知れないけれど、早朝から黙々と鍛錬を積んでいる姿をよく見かけてたし、身体強化を用いた物理戦闘を得意としていると聞いたから。
自己研鑽を怠らない実直な性格がポイント高いね。
いくら成績が良くてもバディとの連携が取れない様な相手とでは、試験は上手く行くわけがない。
その点ハーキュリーズ様は理想的ね。
実際、ハーキュリーズ様の戦闘能力はピカ一で、そして私の指示によく従ってくれて、森の探索は非常にスムーズだったよ。
勿論、私たちはトップで帰還したし、所要時間は過去最短だったらしい。
1年間に3回行われたこの実技試験の全てで私はハーキュリーズ様と組んで、毎回首位を取ったよ。
そうやって、3年間の学院生活も終わりを迎え、明日が卒業パーティーだと言う夕方、私が寮で寛いでいると、ハーキュリーズ様が訪ねていらした。
そして告白してくれたのよ。人生のパートナーとして一緒に居て欲しいと。
私は、自分が平民である事を心配したのだけれど、ハーキュリーズ様は三男であり、お兄様が家督を継いでしまえば、自分も平民になるのだから、何ら問題ないと言って下さった。
私もハーキュリーズ様の実直さに惹かれていたので、了承して、将来を誓い合う仲になったの。
翌日の卒業式の後、ハーキュリーズ様のご両親にご挨拶に行く事を約束した。
そして迎えた卒業式当日。
午前中に学院の講堂で卒業式典を行い、午後はダンスホールに場所を移動してパーティが行われる。
私はお金に余裕がなくドレスを仕立てられないので、最初はこのパーティには出ないつもりだった。
だけど、昨日の告白の時にハーキュリーズ様がドレスを贈ってくれたので出席できることになったんだ。
「既製品だけど・・・」と申し訳なさそうにしていたけど、とんでもない!
準備して頂けただけで僥倖と言うものでしょ。
そして、パーティに出席したところで、冒頭に戻る。
私とハーキュリーズ様が会場に足を踏み入れた時、もう8割くらいの生徒が集まっていた。
私達は見知った顔を探して、壁際を移動して行った。
そして6組の生徒が集まっている場所を見つけて、私はそちらへ向い、ハーキュリーズ様は5組の集まっている所へ行った。
しばらく歓談しているとマシュー様とアーロン様が私を見つけて声をかけてきた。
「もうこの3人で勉強会をすることもなくなるのかと思うと寂しいね」
アーロン様が奇麗なお顔で微笑むから困るわ。
周囲の女生徒から射殺さんばかりの視線が刺さる刺さる。
私は顔を引きつらせながらなんとか笑顔を保ったわ。
「私たちはこれからも会えるよ」
今度はマシュー様が優しい目つきと甘い声色で声をかけてくる。
私はもう彼らに関わるのはご免なので、曖昧に笑うだけで同意は控えた。
と、そこに甲高い声が上がった。
その方に視線を向けると、シャルロッテ(仮)が目を吊り上げて仁王立ちに立っていた。
「そこの平民!私の婚約者に色目を使うのは止めなさいよ!!」
私は思わずため息をついて、反論するために口を開けかけたけど、それよりも早くマシュー様が叫んだ。
「貴族の地位を笠に着てアンナ嬢を虐めていた事、私が知らないとでも思ったか?このような貴様の所業、許せん!私、マシュー・ルースターは貴様との婚約を破棄する!」
私が苛めを受けていた事は、マシュー様にも教師にも黙っていたのに、気づかれていたらしい。
マシュー様の言葉を聞いてシャルロッテ(仮)は更に肩を怒らせてさらに甲高い声で叫ぶ。
「何で、平民の女なんかの肩を持つのよ!平民のくせに図々しくも私の婚約者を誘惑しておいて被害者面するんじゃないわよ!!」
婚約破棄を言い渡されたシャルロッテ(仮)は叫び声を上げて、憎々し気に私を睨みつけている。
いやいや、あんたが睨むべき相手は隣の男でしょうが。そもそもこの状況はシャルロッテ(仮)の自業自得な部分が大いにあると思うわよ。私を睨むのはお門違いでしょうに。
そう言う私は目の前で繰り広げられているその“断罪劇”を冷めた目で眺めている。
婚約破棄を宣言したマシュー様がしきりに私の腰に手を回そうとしてくるけれど、断固としてブロックよ。
あまりにしつこいので身を捩って、数歩離れた。
ねえ、私に切なそうな視線を送らないでよ。私はあなたの恋人でも何でもないからね。
そこにハーキュリーズが現れて、私を守る様に抱き締めてくれた。
「大丈夫?」
「ええ、ありがとうございます、ハーキュリーズ様」
私たちの親密な様子に、マシュー様が訝しむような視線を向けてくるので、言ってやった。
「私たち、将来を誓い合いましたの」
マシュー様は目を見開いて、口まで大きく開いて、フリーズしてしまった。
「マシュー様もシャルロッテさんも何か勘違いしておられますが、私、マシュー様の事はちっとも、これっぽっちも心惹かれておりませんの。そして、実直で誠実なハーキュリーズ様とこれからの人生の伴侶として寄り添っていくつもりです。
おふたりの婚約云々はおふたりでよくご相談なさって下さいませ。私は全く関わり合いになれませんので、悪しからず」
「な、な、な、なぜ?何故私では駄目なのだ!? 」
漸く我に返ったマシュー様が情けない声で問いかけてくる。
「マシュー様・・・マシュー様の婚約者は幼少からずっと同じ人間ですか?」
「??・・・どう言う意味だ?」
「10歳ごろ、あなたの婚約者は別人に代わった筈です」
「何を言っている?私の婚約者はずっとシャルロッテ・シャップルだ。変わったりしていない」
「シャルロッテ・シャップルと言うのは変わっていませんが、中身は変わっている筈です」
私とマシュー様とのやり取りを遮るように、シャルロッテ(仮)が叫び声を上げた。
「何よ、その言いがかりは!!! 私が偽者だと言いたいの!? 私はシャルロッテ・シャップルよ!」
私はシャルロッテ(仮)を無視して、マシュー様に問いかける。
「あなたはちゃんと婚約者の顔を見て、目を見て、話をしてきましたか?全く違う人間に代わっていたら必ず気づけると、自信を持って言えますか?」
「いや、それは・・・」
「蔑ろにされた婚約者が、マシュー様が心惹かれている女性に嫉妬したりするのは、婚約者の側に問題があるのですか?あなたには何の瑕疵もないのですか?」
「・・・」
無言になって考え込み始めたマシュー様を放置して、私はハーキュリーズ様のエスコートで会場を後にした。
マシュー様は追いかけて来なかった。
「大丈夫かい?」
会場から十分離れたところで、労りの声をかけてくれるハーキュリーズ様。
彼には私の生い立ちの秘密を話していた。
シャップル家には関わり合いになりたくないので、黙っていてくれる様にお願いしている。
「ええ!言いたいことが言えて、すっきりしたわ!もう過去とは決別して、未来だけを見て生きていくわ!」
3年間首席を維持した私は文官として王宮勤めすることが決まっているの。
数年働いてから、ハーキュリーズ様と結婚するつもり。
ハーキュリーズ様は私がしたいようにすれば良いと受け入れてくれている。
私を真直ぐに見つめてくれる彼となら幸せな結婚生活が送れると確信している。
独りよがりな断罪劇
ブシロードワークスさんから5作品のアンソロジーとして出版が決まりました。
6月5日出版だそうです。
『異世界に転生したからには、2度目の人生たくましく生きてやろうじゃない!』
https://x.com/comic_growl/status/1919588787535151565