有能な彼らの不器用な恋事情
ミレーユとレイノルズは、折り合いが悪い。
「へえ、屋台が出てる。君、食べたいだろ?」
「え、でも」
「いいから。あとで買ってくるよ、何がいい?」
「……やっぱり、結構よ。買い食いなんてはしたないもの」
「つまらないこと言うなよ。食べたいって顔に書いてあるぞ」
「つまらないとは何よ、そんなこと書いてないわ。あなたって本当に失礼」
「……でも本当は食べたいくせに」
「しつこい男は嫌われるわよ」
「はいはいはいはい、やめろやめろ、顔を合わせるたびに喧嘩すんな。仲良くしろ、な?なーかーよーくー」
上官が仲裁に入ってしまえば、それ以上続ける訳にもいかない。子供の喧嘩を諭すように仲良しを強調され、二人は互いにふんと鼻を鳴らしそっぽを向いた。
(ああもう!どうして素直になれないの。食べたかったわよ。レイノルズは買ってくるって言ってくれただけなのに、私、あんな言い方しなくてよかったのに)
(また余計なこと言ったかな……でもミレーユは実際食べたそうだった。恥じらいながらニコニコ物を食うところが可愛いんだから食べればいいのに。でも言い方が悪かったか……)
二人はそれぞれ、精霊教の中級神官ミレーユと、国軍の下士官レイノルズという立場で、その優秀さを買われてここにいる。
最近街に不審な精霊の動きがあるという、その調査という名目でそれぞれ軍と神殿から指令を受けたのだ。
「じゃあ説明はこれだけだから。あとは頼んだぞ。仲良くしろよ、仲良く」
「はい、必要に迫られればそうします。仕事ですから」
「……嫌な言い方するなあ、失礼はどっちだ」
「本当のことを言っただけよ。仲良くするためにここにいる訳じゃないのはあなただってそうでしょ」
「本当のことならなんでも口に出さなきゃいけないとでも思ってるのか?沈黙は金なりとの言葉を知らないのか」
「知ってるわよ。あなたに「ご教授」いただくまでもないわ。偉そうに言わないで」
「こらこらこらこらあ、仲良く!仲良く!」
いい加減にしろよ、と呆れながら上官が去っていくと、残されたのは二人だけ。
「……行きましょ」
「そうだな」
二人きりになると突然、思い出したような気まずさがそれぞれを襲った。ミレーユとレイノルズはつい先日顔を合わせ、盛大な勘違い劇を繰り広げたところだったから。
その事と次第は、そこに居合わせた第三者たちがよく知っている。
ーーー
【レイノルズの同僚、アレンが見るには】
アレンはレイノルズという男を同僚としてだけでなく、友人としても好きだ。
彼は竹で割ったようにあっけらかんとした性格でありながら、情に厚い。他人をひょいと飛び越して、けれどこちらを置いては行かず、後ろを振り返って手を差し伸べてくれる、そういう男だと思う。
「レイ、なんだそれ」
「ああ、なんか知らない子からもらった。入れるところがなかったから」
なんでもなさそうに言うレイノルズの胸元のポケットに、繊細な刺繍の入った、絹らしきハンカチが雑に押し込まれている。刺繍にちらっと覗くのはレイノルズのイニシャルだろうか。どう考えても恋心を込めたプレゼントである。
「いや、その扱いはちょっと、ない。お前そんなんだから、処女殺しのレイとか呼ばれるんだよ」
「やめてくれ、その二つ名は聞こえが悪すぎる」
俺が何したっていうんだよ、とぼやくレイノルズだが、アレンはどうして彼にそんな異名がつけられたのか、その理由をよく知っている。
レイノルズは、優しい。その上かなり気安く人に親切にするから、特に男性経験の少ない女子たちはころっと「落ちる」。本人にそうしている自覚はないままに。
レイノルズの榛色の髪や瞳もそれに一役買っているのだろう。蓋を開ければ男集団に馴染みよい適度に下品な「野郎」なのだが、見た目だけはどこかの貴族と言われてもそう見えなくないところがある。
どことなく品がある、というのだろうか。
そんなレイノルズが、話したこともない自分に気さくに声をかけ、笑顔を向け、親切にしてくれる。それですっかりこの男に恋に落ちるのだが、それからの結末は大概同じだ。
恋敗れて、泣いて去るのだ。
「……返してこようかな」
「やめろ、さすがにかわいそうすぎる」
「そっか……」
この男には、女心というものがよくわからないらしい。意外なことだがそれとは無縁に生きてきたという風だ。
アレンはわざとらしくため息をついて、教えてやることにした。
「逆で考えてみろよ。お前が好きな子に、気に入って欲しいなと思って何か装飾品を用意して、それで受け取ってちょっとしてから「やっぱり返す」って言われたら」
「……それはちょっと、落ち込む」
「そういうことだって」
なるほどなあ、ととぼけた顔で呟くレイノルズは、同世代の中で一番早く下士官に昇進した。先の国境線戦での活躍が認められたのだ。
アレンはいつかこの男が自分の司令官になったとして、悔しいとは思わないだろう。その素質がある人間だと思うし、彼が上官ならば必ず可能な限り多くの兵が生き残れる道を選ぶだろうとわかるからだ。
将来有望で見目もよく、(ちょっと無神経だが)性格も悪くない。
そんな男が、けれど自分の恋愛ごととなると途端にぽんこつになる様を、アレンは興味深く見ている。
「そういえば、ミレーユ嬢が来てるらしい」
アレンはわざと、どうでもいいことのように軽く告げる。レイノルズがパッとアレンを振り返ったのがわかった。
「ミレーユが兵舎に?なんで」
「知らないけど、もう一人、下級神官の女の子と一緒だったって」
「……どこ?」
「門のとこ。さっき通りすがった奴らが噂してて……」
アレンが言い終わるよりも早く、レイノルズは「あのバカ」と小さくこぼし、踵を返して足早に歩き出す。慌ててアレンもその後を追いかけた。
行き先は当然、彼女のいる場所だろう。
「レイ、何か知ってるのか?」
「聞いてないのか?うちの兵卒が最近揉め事を起こしてる。神殿の女神官ばかり狙って「落としてる」とな」
「……正気か?先人たちがそれをやってどうなったか知らないのか」
「さあ、本当に知らないのか、どうしようもない阿呆かどちらかだろうな」
吐き捨てるレイノルズの歩みは早い。半分走るような形で兵舎を通り抜け、正門へと向かう。
「それで、ミレーユ嬢がきたのってもしかして……」
「抗議だろう、十中八九」
ミレーユという名の中級神官とアレンは何度か話したことがある。いつも栗色の髪を綺麗に編み上げ、折り目正しく神官服を着る、きっちりした女性だ。礼儀正しく愛想も良い彼女だが、軍の上官相手にも物怖じせずに意見する意志の強さがある。
アレンの恋人もまた神官だが、彼女はもはやミレーユを崇拝しているのではと感じることすらある。頼りになるお姉さんって感じ、と本人は言っていたが。
そんな信望の厚い神官ミレーユだが、相手がレイノルズになると急に子供っぽくなる、とアレンは思う。
それはレイノルズであってもそうだ。どちらかといえばいつも物事を俯瞰して見るところがあるこの友人が、ミレーユと話すときはすぐムキになる。
それが何故なのか、理由を知らないのは本人たちばかりだ。
「……レイ、お前ってさあ」
「なに」
「いや、いい」
ーーー
【ミレーユの後輩、ロレッタが思うには】
「だから、俺は別にそんなつもりはなかったんですって。ただ彼女たちそれぞれと、自然と惹かれあって恋が芽生えた、それを精霊王だって否定しないでしょう?愛ですよ、愛」
「精霊王の名を持ち出すなど、あなたには恥の概念すらないようね。私は他人の恋愛に口を出す気はありません。ですが、さながら発情期のオスのように手当たり次第に飾り羽根を広げる行為をやめなさいと言っているのです」
ロレッタは半分ミレーユの影に隠れるようにして聞きながら、妙な例えだなと思った。
つまりあちこちで腰を振って回るなということなのだが、品の良いミレーユらしい言い回しだ。
「飾り羽根って……俺は鳥じゃないですよ、神官さま」
「理性をもたない動物という意味では変わりないでしょう。わきまえなさい」
辛辣だ。
ロレッタは目の前にたつ軟派な男と直接関係を持った一人ではない。だがロレッタの友人兼同僚の下級神官があまりにも毎日さめざめと泣きながらこの男の恨み言をいうもので、堪え兼ねてミレーユに相談したのは自分だ。
だから、一人で行くというミレーユに、流石にそれは危険ではないかと責任を感じてついてきたのである。兵舎には自分の恋人もいるので、何かあれば助けてくれるかもしれない。
この街の神殿に勤める下級神官であれば、「ミレーユ神官に相談しよう」は最初に得る知見だ。品行方正で面倒見がよく、厳しくも優しいミレーユは、上官でありながら同時に皆の「お姉さん」なのである。
「もう行っていいですか?嫌味はわかりました。でも神官さまに俺が叱られる理由はわかりませんね。そっちの女の子たちに言ってくださいよ。俺は別に無理強いはしてませんから」
男は大きくため息をついてそんなことを言う。どの口が、とロレッタは苛立った。
「そうですね、一理あります」
ミレーユは落ち着き払った様子で肯定すると、懐に抱えていた書類の束に手をかけ、男に見せつけた。
「そこで、ここにこうして彼女たちから聞いた話を証言書としてまとめて参りました」
「え」
「これを軍に提出し、あなたのことはあなたの場所で、私たちのことは私たちの場所で収めることとしましょう」
「ちょ」
この男と直接恋仲になった女性たちそれぞれが個別に軍に言いつけるわけにはいかない。だがミレーユの立場ならば神殿のこととしてそれを取りまとめ、直接彼の上官に訴えることはできる。
(ミレーユ神官、さすが。これが提出されたら、この男に昇進の道はなくなる)
この国は精霊教との関係が良い。だが精霊教は国ではなく、精霊教の聖都に属しているから、兵士と神官は全く別々の組織にある存在だ。
神殿を敵に回すことは聖都を敵に回すこと。宗教組織として強大な力をもつ精霊教相手に、国としてはそれを避けたい。
(だから兵士たちは神殿との揉め事を避ける。それを起こしてしまえば、軍にとっても厄介者になってしまうから)
「……くそっ、なんの権利があってそんなこと!」
「神殿で下級神官を取りまとめる者としての権利です。元々、あなたと直接お話をする必要はなかったのですが、興味があったもので」
「なんだと!?」
そこでミレーユは途方もなく冷たい笑みを浮かべ、ロレッタはそれを恐々としながら眺めた。
「男の底辺がどんなみっともない顔をしているのか見たかったのよ」
(うわああミレーユ神官、煽っちゃだめえええ)
下級神官から話を聞いている時も終始冷静だったこの上官は、実のところかなり頭にきていたらしい。
「……っこのクソ女、それを渡せ!」
案の定挑発にやすやすと乗った男が大股でこちらに近づいてくる。ロレッタは慌ててとっさにミレーユの神官服の裾を握る。相手は今にも殴りかからんばかりの勢いだ。ロレッタにこの状況を打開する術はない。
次に何が起こるかをみるのも恐ろしく、目をつぶりかけた、その時、
「いっ……てえ、何しやがる!」
「女性に手をあげようだなんて正気か?もう引っ込め」
すぐそばまで近づいていた男とミレーユの間に、割って入った榛色の髪の男、
「レイノルズ、余計なことしないで」
「何が余計だ、黙ってろミレーユ」
男、レイノルズはどうやらミレーユに近づこうとした男に蹴りを食らわせたらしい。尻餅をつくようにして後ろに倒れた男は、腹のあたりを押さえている。
騒ぎを聞きつけた周辺の兵たちが集まってきた。ロレッタは多くの目に囲まれる状況に青ざめたが、レイノルズとミレーユはそんなことを意にも解さない様子だ。
レイノルズは振り返るとさっさとミレーユの手から資料の束を取り上げ、それを横にいた別の兵に渡す。そしてミレーユを背後にかばったまま、自分が蹴り倒した男を睨めつけた。
「ミレーユ神官の言った通りだ、沙汰は軍が下す。お前は処分が決まるまで謹慎。兵舎に戻れ」
「く……聞いてください!俺は別に何も悪いことは」
「それを判断するのはお前じゃない。しつこいぞ」
冷たく言い置いて、そしてレイノルズはぐるりとミレーユに向き直った。憤懣やるかたないと言った表情だ。
「ミレーユ、バカなのか」
「なんですって?」
「なんで神官、それも女二人でくるんだ。それに君、わざと煽ったな?自分を殴らせようとしただろう」
そうだったのかとロレッタは慌ててミレーユの顔をみた。当の本人はすまし顔だ。
「だったらなんだって言うの?殴ってくれたらより重い罪を被せられたのに、あなたが邪魔するから」
「信じられない。君はバカだな、本当にバカだ」
「バカバカ繰り返さないでくれる?だいたい元はと言えばそちらの管理不行でしょう。こちらに当たらないで」
「俺はそんな話をしているんじゃない」
「じゃあなんの話だって言うのよ」
(始まってしまった)
ロレッタが知る限り、この二人は顔を合わせるとは言い争いをしている。けれどその内容は大概、互いを心配してだったり、気遣おうとしてだったりと、側から聞いていれば痴話喧嘩にしか思えない。
(二人して素直じゃないからこうなるのでは……)
ロレッタは思ったが、賢明にも口には出さなかった。
「レイ、渡してきたよ」
「アレンさん、こんにちは。資料を渡してくださったのね?どうもありがとう」
駆け寄ってきた兵士の一人が、二人の会話の隙をつくように言う。ミレーユはこれ幸いとそちらに顔を向け、先ほどまでとはうって変わって柔らかな笑みで返す。
「ミレーユ、まだ話は終わってない」
レイノルズはミレーユの腕を掴んで自分に向きなおさせた。
「何よ、もう話すことなんてないわ。あなたって本当にしつこい」
「しつこくない。君は自分が非力な女性だという自覚がなさすぎる。後輩想いもいいが少しは自分を省みることを覚えたらどうだ」
「まあ、さすが、輝かしい二つ名をもつ人は違うわ。そうやって誰彼とかまわずにお優しいことを言っているから、周りに女の子が絶えないのね」
ミレーユの嫌味が刺さったらしい。レイノルズは渋い顔で黙ったが、掴んだ腕を離そうとはしない。
「……君だって兵士たちの間で噂になってるぞ。お堅い女神官は軍人に恋をしているらしい、とな」
「なんですって?」
「それでわざわざ来たんじゃないのか?意中の彼に会いに」
「逆でしょう?私も聞いたわよ、気鋭の下士官は神官女に夢中、だったかしら?」
「なんだそれは」
「知らないわよ」
ロレッタは二人の会話に様々なつっこみどころを見つけたが、口を挟むのは憚られた。
だが周囲で遠巻きにこちらを眺めている兵士たちと自分が、同じことを考えているだろうことはわかる。
「……アレンなんだろう」
「「えっ」」
ロレッタとアレンの声が重なった。二人は急な状況の変化に、互いに顔を見合わせ混乱を共有し合う。
真剣な目で断言するレイノルズに、ミレーユは心底呆れたという顔で返す。
「あなたこそ、ここにいるロレッタに夢中なんでしょう?」
「「えっっ」」
ロレッタとアレンは再び互いの顔を見合わせた。突然の指名に思考が追いつかない。
「あの、ミレーユ神官」
「レイ、お前……」
ロレッタはミレーユに、アレンはレイノルズに向かって恐る恐ると言った風に話しかける。
「私とアレン、付き合ってるんです」
「ロレッタは俺の彼女だから」
「「え」」
今度はミレーユとレイノルズの声が重なった。
ーーー
それから数日。それぞれに指令を受け呼び出された二人は、あれ以来初めて顔を合わせることとなった。心持ち言葉少なく、舗装された街並みを歩く。
「……不審な精霊の動き、って」
「誰か異国から来た人が陣を張ってるんじゃないかって神殿は疑ってるみたい。でも今日は下見だけだから、何か見つけても飛びかからないでよ」
「飛びかかるとしたら俺じゃなくて君だろ」
言われて、ミレーユはムッとする。
「どうして私が飛びかかるのよ」
「君は意外と考えなしだから」
返された言葉は到底納得がいかないものだった。ミレーユは半眼になって言い返す。
「それはそっちでしょう。私がアレンさんを好きだなんて」
その言葉にレイノルズもカチンと来たようだ。
「そっちこそ、俺がロレッタに夢中だなんて、見当違いにもほどがある」
「だってあなた、ロレッタのことをよく見てたでしょう?それにロレッタはどうしてる、なんて私に聞いたくせに」
「あれは、別に、そういうのじゃない!君だってアレンには優しく笑いかけてたじゃないか」
「他意はないわよ。私は誰にだって基本的に愛想よくしてるもの」
「でも俺にはそうじゃない」
「あなただって私にばかり意地悪でしょう」
「意地悪ってわけじゃ……とにかく、ロレッタじゃない」
「じゃあ誰なの」
レイノルズは足を止めた。振り返れば、まっすぐな目で男を見つめるミレーユがいる。
「あなたが夢中になってる神官って、だれ?」
ミレーユの表情は、今にも切れそうな糸を張りつめたようだった。その瞳に恐怖と期待を見つけて、レイノルズも息をつめる。
「……君が恋している軍人が誰かを話すなら、教えてもいい」
「そんなのずるいわ」
「君だってずるい」
どうやら自分たちはどうしても言葉では素直になれないらしいと悟り、レイノルズはため息をついた。
それからミレーユに歩み寄り、何気ない様子でその手をとる。ミレーユは心臓が飛び出るかと思った。ドキドキしたままレイノルズを見上げると、気恥ずかしげな男の顔がある。
「やっぱりさっきの屋台、行こう」
「え、今!?任務は」
「急ぎじゃないって言ってただろ?昼休憩ももらってなかったし、ちょうどいい」
行こう、そういってレイノルズはミレーユの手を引いて歩き出す。
ミレーユは少し俯きながら、けれど今度は拒否せず、レイノルズの後をついていった。
おわり。
ケンカップルといえばときメモGS2のテルりんとかスーパーチャージャー最高!が良いですよね。本作は一応連載の方と同じ世界観で書きました。ご拝読ありがとうございました。