7、怒りのレティシア
「貴殿の振る舞いは目に余るものがある。相応の処罰は覚悟してもらおうか」
「おお怖い怖い。……それで、誰がどう処罰するのです? 皇子様。見たところ護衛の一人もいないようですけど?」
嘲るように言い周囲を見渡す。
もし護衛がいたのならば男がジルベールに触れた時点で飛んできたはずだ。護衛など窮屈なだけだと思っていたが、この場限りはオルレシアン家の者を連れてくれば良かったと心の中で舌打ちをする。
しかし後悔先に立たずだ。
やはり自ら前に出て護衛代わりになるしかあるまい――レティシアは立ち上がりジルベールの前に出ようとする。だが、腕で押し戻されぺたりとソファに逆戻りした。
何をするのだジルベール様はと唇を尖らせて仰ぎ見ると、彼はじっとしていろと言わんばかりに首を横に振った。
「良い判断だ皇子様。俺は男女平等でね」
「ふん。たまたま護衛を連れていないから何だと言うのだ。俺がロスマン帝国第二皇子、ジルベールであることに変わりはない。それを分かって触れているのかと聞いている」
「ふはっ! 勿論。分かっておりますとも。あなたが来てから店はどんどん変わり、俺たちは近づく事も出来なくなった。大変、迷惑しております。ええ、ですから、ここらであなたの権威を貶めておけば、俺たちもまた出入りしやすくなるだろう?」
男はジルベールの紅色の瞳を覗き込むかのように近づき、彼の頬を片手で掴んだ。
なんという不遜。ギリ、とレティシアの爪がソファの生地を引っ掻いた。見据えるは男の顔ただ一つ。ベル・プペーの演技など半ば忘れかけていた。近くにいたアリーシャの肩がびくりと震えるが、気にしている余裕はない。
(ここまでされて後ろに控えていろと言うのか。今すぐ氷漬けにしてやりたい気分だ。腹立たしい!)
しかし当のジルベールは表情の一つも変えず、ただ一度瞬きをしただけであった。
「どうなるか、覚悟の上だろうな」
「そうですねぇ、皇子様に手を出せば大変な事になるでしょう。――ま、あんたが本当に皇族として必要とされているのなら、なぁ?」
男はジルベールの頬を掴んだまま腕を大きく振る。
低ランクとは言え腐っても傭兵騎士。余分なほど筋肉のついた男たちと比べれば随分と華奢な身体をしているジルベールは、いとも簡単に壁に叩きつけられた。
「あぐ!」
「――ッ! ジルベール様!」
さすがにじっとはしていられない。
レティシアは彼の状態を確認すべく、慌ててジルベールのもとへ駆けよった。血は出ていない。受け身を取ったのか頭を打ち付けた形跡はないので少しだけほっとする。しかし、背中を強くぶつけたのか痛みに身体を丸めていた。
少しでも痛みが和らぐよう、ジルベールの背をさする。けれど不要とばかりに振り払われた。
巻き添えを食うから離れていろと言いたいのだろう。
素直ではない彼の本心など、もはや手に取るように分かる。だからこそレティシアは絶対に傍から離れようとはしなかった。むしろ巻き込むのなら巻き込んでくれた方がやりやすい。オルレシアン家の力を使って精神的に追い詰めてやるか、氷漬けにして物理的に罰してやるか。
(まぁ、どちらにせよ、許してやる気は毛頭ないがな)
「おいおい、随分愛らしい新人が入ったものだな。俺に教えてくれてもいいじゃねぇか。なぁ、アリーシャ?」
「やめなさい! その方はオルレシアン家のレティシア様ですよ!」
「レティシア? まさかベル・プペー? ははは! さすがにそんな嘘には騙されねぇよ。オルレシアン家の人形姫様がこんな店にいるはずねぇだろ。つくならもっとましな嘘をつけよ。なぁ、綺麗なお嬢さん? どうだい、俺と遊ばないか?」
男の手が伸び、レティシアの顎に添えられる。
人間性は下劣の極み。見るに堪えない顔の造形。自分より力の弱いものを庇護するではなく威圧する圧倒的小物臭。どうして自信満々に「遊ばないか」と声をかけられるのか不思議でならない。
さて、どう仕置きしてやろうか――レティシアの瞳がすぅと細まったその瞬間、ふいに男の手が振りほどかれた。そして二人の間に割って入ってきたのは他でもない、ジルベールだ。
どうして、と声が漏れる。
「俺の後ろに隠れていろ。そして、隙を見て逃げだせ」
「そのようなこと!」
「この俺に婚約者など見つからんと思っていたが、まさか人形姫様が嫌がらないとは思わなかったよ。どうせ、親の言いつけだろうけれど」
ぱんぱんと服に付いた埃を払いながら、ジルベールは諦めたように立ち上がった。
「不要だと処理されるならそれでいい。もう疲れた。だが、キミを巻き込むつもりは毛頭ない。城に戻ったら正式に婚約を破棄させてもらおう。無事に戻れるかどうかはわからないけれど。……悪かったな。怖い思いをさせて」
どこかでそんな予感はしていた。
どうして男たちが第二皇子であるジルベールを恐れないのか。触れるだけならまだしも、怪我をさせたとなっては極刑も免れない。しかもレティシアと違って『皇子がこんな場にいるはずもない、彼は偽物』と認識していたのではなく『正真正銘本物のジルベール皇子』だと分かってこの不遜な行為に及んでいる。
となれば、答えは一つだ。
この襲撃は国から秘密裏に依頼されたもの。そして狙いはアリーシャではなくジルベールだ。
本日は建国記念式典のパーティー当日で、護衛をつけられなかった理由として非難されにくい好条件。そこへ偶然たまたま暴漢に襲われた――これは不慮の事故。
反吐が出る筋書きだ。
レティシアはギリ、と奥歯を食いしばった。
「それじゃあ、俺たちと遊ぼうぜ、皇子様」
「好きにするといい。その代り、店には迷惑をかけたくない。外にしてくれ」
伸ばされた腕を掴み、男たちがジルベールの周りを取り囲む。
「……手を離せ」
一種優雅さを感じさせる所作で立ち上がったレティシアは、しかし地獄の底から響くような声色で低く唸った。