5、素直ではないところが
テーブルの上にほかほかと湯気が立ち上るお皿が置かれた。
オムレツだ。
いっそ几帳面なほどに一切の乱れなく綺麗に整えられた半月型。焦げ目などあるはずもない美しい黄金色に真っ赤なケチャップが彩りを添えている。完璧だ。鑑賞物として耐えられるほどのフォルム。だが、食欲をそそる匂いが「美味いぞ!」と胃に訴えかける。
奥に引っ込んだのはシェフにこれを頼むためだったのか。ずるいぞ。私も食べたい――と、レティシアは顔を上げてジルベールを見た。
そして目を見開く。
彼の手にはもう一皿、オムレツがあった。
まさか――。
「あ、それってベル様用にご用意されたんですか?」
「ち、違う! 別に誰のものでもない! ……なんとなく、用意しただけだ」
ジルベールはアリーシャとレティシアの間に割って入ると、もう一つのオムレツもテーブルの上に並べた。こんな美味しそうなものを目の前に置かれてお預けなど、生殺しにもほどがある。
レティシアはじっとオムレツを見つめた。美味しそう。こんなことならパーティー会場で食べておくのだった。と、後悔したところで後の祭りである。
誰のものでもないのなら強請ってもいいだろうか。だが菓子や果物ならばまだしも、ベル・プペーのイメージを損なわずご飯をおねだりする方法が思いつかない。
オムレツから視線を逸らさずじっと見つめ続けるレティシア。
「そんなにお腹が空いているのか?」
「……え、ええ」
「ふーん。そうか」
そっと、オムレツの皿をレティシアの前に置くジルベール。ついでにスプーンも付けてくれた。これはもしかして食べてもいいと言うことなのだろうか。
尋ねるように彼の表情をうかがい見る。
「キミ、俺の観察に必死で、向こうでは何も口にしていなかっただろう。そんなだから小さくて細いんだ。……ちゃんと、食べるべきだ」
「ありがとう、ございます」
レティシアの方を一度も振り向かずに淡々と言葉を紡ぐ。
(気遣いの鬼か?)
この言い方。オムレツは誰のものでもないと言っていたが、最初からレティシアのために用意したのだと分かった。
ジルベールの好意に感謝しつつ、意気揚々とオムレツに手を伸ばす。するとレティシアが皿を手に取る前にラウラが持ち上げた。
「それでは私があーんを!」
「甘やかすな。彼女だって一人で食べられるはずだ。そうだろう?」
「でも私の仕事……」
幻覚で垂れた尻尾が見える。しゅんとしたラウラには申し訳ないが、さすがに食事まで一から十までお世話されるのはむず痒い。「ラウラ様もお寛ぎなさって」声をかけてからお皿を受け取って食べ始める。
(な、なんという美味……!?)
ふわふわの卵が舌の上を滑ると同時に、お肉の甘みがじわりと広がっていく。そこにケチャップの酸味が良いアクセントとなって、いくらでも食べられそうだ。
オルレシアン家のシェフにも引けを取らない――いや、レティシアの好みを加味すれば、こちらのオムレツの方が美味しいと言えるかもしれない。
良いシェフを雇っている。
レティシアは脇目もふらず、夢中でスプーンを口に運んだ。もちろん、ベル・プペーの演技が崩れない程度にではあるが。
「……さすがは人形姫。綺麗な所作だな」
ボソリと、レティシアにしか聞こえない程度の声で呟く。素直じゃない。そういうところも可愛らしいと思ってしまった。
(しかし本当に美味しいな、このオムレツ。シェフにご挨拶したいものだ)
「美味しいですよねぇ、ジルベール様の手料理!」
「――ッ、ンンッ」
飲み込もうとしていたものが気管支に入りそうになり、慌てて咳払いを零す。
今、ラウラは何と言った。ジルベールの手料理、と聞こえたのだが。――信じられないものを見るようにジルベールの横顔を見つめる。
「……別に、必要にかられてだ。口に合わないのなら置いておけ」
「いえ。とても美味しい、です」
「そ、そうか。……それならいい」
何でもない風を装いながらオムレツを口に運ぶジルベール。けれど耳が赤くなっていた。可愛すぎか。可愛い男は大好物だ。うっかり力を籠めすぎてスプーンがL字に曲がってしまった。誰にも気づかれぬよう自然な素振りで真直に戻しつつ、そういえばと思い出したことがある。
第二皇子毒殺未遂事件。つまりはジルベール毒殺未遂事件だ。
誰が企てたかは未だ不明。しかし数々の証拠を残しながら逃げおおせられるほど帝国の捜査体制も穴だらけではない。そこから導き出せる答えは一つ。
この件を揉み消せるだけの権力を持った者が犯人。
想定通りならば身内だ。
ロスマンの名を冠する皇帝一族の誰かが、国の行く末を案じて事に及んだ。
(それほどまでに赤い瞳が恐ろしいか)
その日を境に、皇子は自分以外が作ったものを食べられなくなったと父から聞いていた。今思えばパーティ会場でもグラスに口をつけている姿は目撃していない。こんなにも重要な事案が頭から抜け落ちているとは、婚約者が決まり随分浮かれていたようだ――と、レティシアは反省した。
必要にかられての意味は呆れるほどに重い。
ジルベールとレティシアの間に存在する距離。
それを少しでも埋めようと触れ合わない程度に席を詰める。ジルベールは驚いたのか一瞬肩を震わせたが、その後は特に気にしたそぶりも見せず淡々と食事を続けていた。
庇護欲をそそられるというか、どうにも目が離せぬ男だ。そんなことを考えながら、レティシアは食べ終わった皿をテーブルに置いた。
「そういえば、ベル様はオルレシアン家の方、なのですよね?」
ラウラの問いに、こくりと頷く。
「氷の竜帝様のことをご存じでしょうか?」
「こおりの……」
――氷の竜帝。
知っている。SSランクの傭兵騎士の中にそう呼ばれている男がいる。
月夜に映える銀の髪。凍えるようなサファイヤブルーの瞳。男女問わずに見惚れてしまう美しい外見もさることながら、そのあだ名の示す通り氷で形作られた竜を自在に操り、SSランクに相応しい戦力を有する美青年。
突如、彗星のごとく現れた期待の新星であったが、本名も所属も何もかもが不明。謎に満ちた人物でもある。
(まぁ、私のことなのだがね)
レティシアは何も知らないと首を傾げた後、にっこりと微笑んだ。