受賞記念SS 前編 「昔話」
彼女の担当をしろと命じられ、初めてお会いした時の感想は、噂通り「美しい人形」だった――とレティシア専属のメイド、リゼット・ブルームは語る。
口数は少なく、何が起きても動じず、ただ天使のように儚げな微笑みを零すのみ。ここまで感情が表に出ない人間も珍しい。
透ける銀の髪。海底に光が差したようなキラキラと輝く深い青の瞳。陶器にも似た白い肌。まさしく人形姫だと、初めて前に立った時は挨拶も忘れて見惚れたものだ。
ジルベールも、この神秘さすら覚える美しさを前に陥落したのだろう。
「そう思っていた頃もありました」
「あ、これ昔話始まるやつ?」
ここはレティシア専属の密偵、フォコンが普段過ごす小さな部屋だ。表立って動けない彼のため、レティシアの読書用という題目でジルベールが用意した。
中は簡易的なベッドと小さなテーブル、椅子が二脚あるのみ。
彼の操る特殊魔法は壁抜けも容易だ。
そのため常に鍵がかけられており、こうしてリゼットが訪れない限り扉が開くことはない。うっかり鍵を閉め忘れ、人が住んでいる形跡を見つけられる心配はないというわけだ。
リゼットは持参したティーセットに紅茶をなみなみと注いで彼の前に置いた。
「最後まで聞いてください。せっかくいい茶葉をくすねてきたのですから」
「優秀と名高いリゼット嬢のお言葉とは思えないねぇ」
「失礼ですね。これはジルベール様公認。ほら、お手製のお菓子も持たせてもらいましたし」
山盛りのクッキーをどんとテーブルに置いて準備完了である。
フォコンの目が光り輝く。
そうだとも。ジルベール特製のお菓子は本当に美味しい。
元々、誰もが嫌がるジルベールの世話係を率先して担当し、メイドの中でも特別優秀と名高かったリゼット。器量よし、愛想よし、彼女の穏やかな雰囲気が緊張を緩ませ、自然と心を開いてしまうと有名だった彼女に、レティシア専属の話が舞い込んでくるのは、ある意味当然の流れであった。
リゼットも、かのベル・プペーの担当になれたことが嬉しく、メイドとして完璧な対応をと意気込んでいた。
――しかし、である。
深窓の御令嬢だと思っていたレティシアは、その実大抵のことは何でも一人でこなせる自立した少女であった。しかも、どれだけ心を尽くしても彼女との間には分厚い一枚の壁が立ちふさがり、一向に心を開いてもらえる気配はなかった。
殆どメイドの手を借りず、部屋で一人過ごすベル・プペー。
「馬鹿馬鹿しい事に、私はあの時、とある噂を真に受けそうになっていました」
「とある噂?」
「あのジルベール様とベル・プぺー様の婚約、早すぎる婚礼、……そして竜帝様がオルレシアン家に深く関わっているとまことしやかに囁かれている事」
「それ、もしかして本当に馬鹿馬鹿しいやつ?」
「ええ、その通りです。オルレシアン家の人形姫と竜帝様は陰でこっそり心を通じ合わせており、その隠れ蓑としてジルベール様を使った、という噂です」
「あっはっは! 面白すぎるぅ! どうしてそんな奇怪な事に!」
フォコンは腹を抱えて笑った。
すべてを知った今思えば、本当に馬鹿馬鹿しい噂である。しかし当時のリゼットはその噂を真実味のあるものとして捉えていたのだ。残念な事に。
「それで? もっと面白い事あったんでしょ? 教え教えて」
「聞く気、出てきました?」
「うんうん! めちゃくちゃ出てきた!」
満面の笑みで頷くフォコンに、現金な人と呆れながらも、話を聞いてくれる事実が有難くて「それでは」とリゼットは咳払いを零した。
それは、ある日の昼下がり。
ワゴンの上に白のテーブルクロスを敷き、ジルベールからレティシアにと渡されたお菓子を乗せて部屋まで運ぶ。紅茶は最近出したものの中で、一番反応が良かったものを厳選した。
今日こそ喋り相手になれると嬉しい。そんな意気込みを抱いて扉をノックする。
しかし返事はなかった。
おかしい。彼女は今部屋にいるはず。扉に耳を近づけると、かすかに人の気配がした。
何かがあっては遅い。リゼットはお叱りを受ける覚悟で扉を押した。
「……失礼いたします」
ワゴンで壁を作りながら、そろりと部屋の中へ入った。
「レティシア様?」
白い、レースのカーテンが揺れる。
ふわりと舞ったその隙間から、長身の男性がこちらを見た。日の光を浴びて輝く銀の髪。海を写し取ったかのような青い瞳。
なんて美しい。
動かなければ彫刻と見間違えてしまいそうな美丈夫は、リゼットを視界に捉えると眉をひそめた。
彼は何故か全身濡れ鼠で、髪からぽたぽたと雫を零している。
服を着替える途中だったのか、胸元は大きくはだけており、鍛え抜かれた筋肉が露わになっていた。
水も滴るいい男、なんて表現すら生ぬるい程の色気である。
いや。いいや、そうではない。
彼は一体誰なのだ。





