9、竜帝様の魅了
作戦通り、会場中の視線は竜帝に注がれていた。
こんなところにいるはずもない人物。しかも、すべてが謎に包まれている『氷の竜帝』が目の前に男と連れだって現れたのだ。気にならない方が難しい。
光を反射してキラキラと輝く銀の髪。涼やかな青い瞳。すらりと背が高く、しかしほどよく筋肉のついた美しい体躯。それに加えSSランク傭兵騎士としての確かな実力が参加者たちの興味をそそる。
傭兵騎士はコネクションさえあれば個別に仕事を依頼する事が出来る。
殆どの者はそういった依頼を受けているのだが、竜帝はまずコネクションを取る方法から不明。今ここでお近づきにならなければ今後チャンスは回ってこないだろう。
彼に依頼したい者は多い。
見目の美しさだけでなく、そういった希少性から彼の周りには一瞬にして人だかりが出来た。
「初めまして、竜帝様! お噂はかねがね」
「お隣の方とは一体どのようなご関係で?」
四方八方から声をかけられるが、すべてに完璧な対応をして受け流す。この程度、造作でもない。ベル・プペーと持てはやされ、毎度注目の的となっていた経験が活きた。
竜帝と話がしたいばかりに人ごみをかき分け突進してくる者や、ジルベールに妬いて引き剥そうと画策している者もいたが、まるでダンスを踊るかのようにするすると空きスペースを作り害が及ばぬようエスコートする。
さすがは竜帝――と、気付いたギャラリーから「おお」と小さな歓声が上がるほど見事な手際であった。もちろん、愛しの旦那様に危害を加えようなどという輩に優しくしてやる義理はないとばかりに一睨みのオプション付きである。
そんな底冷えする視線に「すみませんでした!」と泣きながら輪を去る者数名。それ以後、無謀な行いをする者はいなくなった。
「……なんだか手慣れてないかい?」
拗ねたような声色で耳打ちしてくるジルベール。
「慣れているわけではないよ。戦闘時によくやる手法を応用しただけだ。周囲の視線や身体の動きを把握し、手の動きや目の動きで誘導、希望通りの行動を取らせて優位をとる。一般人相手ならば尚の事容易いさ」
「なんだいそれ……。もう、嫉妬する隙すら与えないなんてずるいぞ」
「ふふ、なんだ? 嫉妬したいのか?」
「そ、そんなわけ――」
その瞬間、ジルベールの台詞をかき消すように「確保――!!」の声が上がった。同時にレオンの部下らしき人物数名が事情を説明しに走り寄ってくる。
「申し訳ございませんが、この場に留まっていては危険です。どうか退避をお願いいたします」
「君たち何者だ! ここは趣味の集い。何人たりとも我々を断罪し、捜査対象とする事は許されない! 所属を言いたまえ!」
「責任者の方、でしょうか? あの、お耳を拝借しても?」
「なに?」
竜帝の動きを遠巻きから観察していた壮齢の男が、彼らの胸ぐらを掴まんばかりの剣幕でまくしたてる。男の怒りも尤もであるが、しかし彼らは一切動じることなく男へ耳打ちした。
恐らくは魔石流出の件を話しているのだろう。
伯爵ですら口を挟ませなかったこの仮面舞踏会の責任者。有力貴族で間違いないはずだ。本来ならば軽々しく捜査内容を口にすべきではないが、彼を味方につけておくと後々有利に働くこと間違いない。
しばらくは眉間に皺を寄せていた男だが、話が進むにつれてだんだんと顔が青ざめていくのが分かった。最終的には額に手を置いて「最悪だな」とため息交じりに言い放つ。
「この場にいる方々を同類などとは思っておりません。どのような顔を見たとしても、すぐさま忘れるようにと通達が来ております。我々は皆さまの意向を存分に尊重するつもりです。ご安心くださいませ。どうか、ご協力を」
「……はぁ、まったくなんて事だ。分かった。そういうことならばこちらも協力は惜しまない。この場にいる者を逃がすだけで良いのか? 紛れ込まれる心配は?」
「その点は問題ないと」
「なるほど。ならばあれも仕込みか。しかしそれだけでどうにかなる問題でも……」
男は竜帝へと視線を移し、そして傍に侍っているジルベールを確認するなり「あ」と声を上げた。
「待て。君たちはレオン側の――まさか! ……くそ。やられたやられた! まさかこの集会すら駒として使うか! ああ分かった、いいだろう! 後は全てお前たちに任せる。私は私のやるべきことをしよう!」
パンパンと手を叩いて自身に注目を集めると、説明を交えつつ慣れた手際で参加者たちを退避させていく。
ぞろぞろと出口へ向かう者たちの波と同化してレティシアたちの傍にやってきた男は、竜帝――ではなくジルベールの耳元に顔を近づけると「やってくれましたね」と声をかけた。
「竜帝殿はその髪からオルレシアン家所縁の者だとの噂もある。奥方からの伝手でしょうが、まさかここまでやるとは思いませんでしたよ。この借りは必ず」
「恩義の方だろうな?」
「ハハ、それはもちろん。あんな取引を見過ごしたとあれば大問題だ。また、ご挨拶にお伺いいたしますよ。後のことはどうか」
「ああ、任された。まぁなに、レオン殿に我が竜帝様もいるのだ。万が一にも失敗はない。明日の報告を楽しみに待っているといいさ」
「……我が竜帝様?」
男は怪訝そうに眉をひそめたが、これ以上ここへ留まっているのは得策ではないと判断したのだろう。軽い会釈を残して去って行った。
「さて、では竜帝様。あの男と向こうの男、留め置いてくれ」
「うん? あれだな。了解した」
ジルベールの指示通り、少し肩肘を強張らせていた男二人に氷竜を飛ばして壁に磔にする。手に持っていた紙袋が滑り落ち、プレゼントらしき箱が中から飛び出てきた。ただし、プレゼントにしてはなんとも重量感のある落下音である。
中身はきっと魔石だろう。
なるほど。確かに随分と臆病な黒幕らしい。二人ほど先遣隊をやって、張り込みがいないことを確認してから本命の大取引に移行する。通常の捜査であったならば引っかかっていたかもしれないが、残念だ。
ジルベールの頭脳が、それしきのこと見破れぬはずもない。
「やはり目星は付けていたのだな。さすがはジルだ」
「俺たちが捕まえちゃあ意味ないだろう?」
「オルレシアン家のレオンの手柄になるからこそ意味がある、か。ありがとう」
「……それは違う。これは俺の罪滅ぼしの一つだから」
レティシアと巡りあわせてくれたアドルフへの感謝、そしてジルベールを呪いの皇子として排除したがっている者たちのせいでオルレシアン家にまでその手が伸びたことへの罪悪感。ジルベールの中には色々な感情が渦巻いていた事だろう。
失脚騒動が虚偽によるものだと大半が納得した今、オルレシアン家の醜聞などすぐに回復できる。現当主アドルフの手腕は歴代の中でも上位だ。――それでも、分かっていながら責任を感じてしまうのがジルベールなのだろう。
「つくづく惚れた方が負けという言葉を思い知るな」
「ん? じゃあ俺の大敗かい?」
「……はぁ、あなたには私の愛がどれほど深いかもっと知ってもらわねばな」
「え?」
ここまでお膳立てをしておけば竜帝の仕事は終わりのはずだ。さっさとレティシアの姿に戻って溶けるまでジルベールを甘やかしてやりたい。そう思って彼の腰に手を置いた。
――しかし、その甘い考えは部屋全体を震わせる轟音と「隊長!」というレオンの部下たちの声にかき消された。





