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悪役令嬢の断罪 ~そんなに追放だと仰るのなら、証拠を出していただけます?~

 

「アスタリスク・コンウィ、貴様との婚約は破棄する!」


 王立学院の卒業パーティーで、婚約者である公爵令嬢アスタリスクに向かって第二王子フラットさまは、ビシッと指をさしてそう叫んだ。


 隣にはぴったりと、ストロベリーブロンドの髪を見事に巻いた男爵令嬢、フィーネさまを従えている。


 フラットさまはご自分の婚約者だったアスタリスクの驚き狼狽する姿を見るために彼女の方を見ていたから、フィーネさまが勝ち誇ったようにクスッとほくそ笑んだのは見えなかったようだ。


 誰もがアスタリスクを見ていた。


 卒業生を祝うために学院中の生徒が集まっているこの場で、そもそも卒業生として登場した第二王子がエスコートしているのが婚約者である公爵令嬢ではなく別の女性だったことが最初の驚きだっただろう。


 そして婚約者としての体面が丸つぶれになったアスタリスクのことを誰もが心配そうに、いや興味津々で見ている中でのことだった。


 アスタリスクはどこから見ても美しい完璧な淑女であり公爵令嬢ではあったけれど、最近は婚約者であるフラットさまにないがしろにされていたのは周知の事実である。

 そこにこの事態だ。


 しかしアスタリスクは答えた。


「承知いたしましたわ。わたくしには初耳ですけれど、そこまで堂々とおっしゃるということは、国王陛下や王妃陛下のご許可をすでにいただいているということでございましょう。それならば我がコンウィ家としても承諾するしかございませんわね」


 そして艶然と微笑んだのだった。

 そんなアスタリスクの様子にフラットさまは怒りが湧いたようだ。


「なっ……! なんて生意気なんだ! よくもそんな風に笑っていられるな! お前はこのフィーネに散々嫌がらせをしてきたくせに、そんなに堂々としていられるとは厚顔無恥も甚だしい。私が何も知らないと思うなよ! フィーネが全て話してくれたのだ!」


 フラットさまが真っ赤になって叫ぶ。

 フラットさまの言葉を聞いた人たちが、ざわざわと動揺していた。


「まあ……わたくしには全く身に覚えがありませんが、どういうことでしょう? わたくし、フィーネさまにはなにもした覚えはありませんが」


 アスタリスクは優雅に「あら困ったわ」という顔をして王子を見返した。

 すると、すがるように王子にくっついていたフィーネさまが可愛らしい声で言ったのだった。


「アスタリスクさま、そんな酷い……! アスタリスクさまがそう仰るなら私、勇気を出して言います……! アスタリスクさまは……アスタリスクさまは私のことを二人きりになるといつも『身分をわきまえて大人しくしていろ』とか、『フラット殿下はわたくしの婚約者だからなれなれしく近寄らないで』とか、『目が汚れるから私の視界に入らないで』とかいつもいつも……っ! 他に人がいない時ばかり……っ!」


 そうしてフラット王子にすがりついてすすり泣いているようだ。フィーネさまの取り巻きの貴族子息たちが慰めるように声をかけている。が。


「……? おかしいですわね、わたくし、全く記憶にございませんわ」


 アスタリスクは、小首をかしげて「はて?」といった顔をした。


 そんな様子を見てまたフラットさまが叫ぶ。


「白々しい! このように可憐で心優しいフィーネを、他の者が見ていない時ばかり狙ってネチネチと虐めるなど卑怯者のすることだ。貴族の風上にも置けぬ! そのような者を私の妃になど出来るわけがない! 私の妃は、このフィーネと決めた。お前はこのフィーネに跪いて今までの無礼を詫びろ!」


「詫びろといわれましても……。そのような言いがかりのためにわたくしが頭を下げることは出来ません」


「アスタリスク、お前はどこまで傲慢なんだ! 謝れば許すと言っているフィーネの優しい気持ちにさえ応えようとしないとは……なんという傲慢さだ!」


「フラットさま、私のためにそのような、ありがとうございますう……っ! でも……しかたがありませんわ、アスタリスクさまにもきっとプライドがおありでしょうから……でも私、せめて昨日のことは謝ってほしかった……まさか私を殺そうとまでは思っていらっしゃらなかったと信じたいですけど……それでも……!」


 そう言ってフィーネさまはそのつぶらな瞳に涙をためて、じっとりとアスタリスクを睨んだのだった。


「なんだ? フィーネ、昨日は何があったのだ?」


「実は……実は昨日、学院の大階段の上でアスタリスクさまとばったりとお会いして……その時に、ああいいえきっとたまたまだとは思うのですが、私、階段から落ちてしまったのですわ……後ろから誰かに突き飛ばされて。さすがに大事になると思ってフラットさまには黙っていたのですが、今のアスタリスクさまの全く悪いとは思っていないご様子が私、とてもショックで……」


 そう言って、目をうるうるとさせたまま、左手の袖をそっとめくったのだった。

 そこには痛々しい様子で包帯が巻かれていて。


「フィーネ……! なんということだ! 怪我をしたとは! 学院の大階段といえば相当な高さがあるじゃないか! 最悪死んでしまったかもしれない!」


「大丈夫ですわ、手首をひねっただけで、あとは打ち身ですみましたから……」


 よよよと泣くフィーネさまと、ああ僕のフィーネ可哀相に、と言ってひしと抱き合う二人を、アスタリスクはただ冷めた目で眺めていた。


 フラットさまは、くるりとアスタリスクの方を向いて言った。


「この、人殺しめ! お前のような奴がこの国の貴族としてのうのうと生きることは許さないぞ! お前は自分の行いを反省し、即刻この国から出て行け!!」


 さらに真っ赤になって叫んだフラットさまに、アスタリスクは悠然と言った。


「まあ、それは出来かねますわね。婚約破棄までは個人の事情とも言えますからある程度は仕方ないとしても、まさか裁判もなしにただ人の言葉を鵜呑みにして証拠もないのに我が国の貴族を断罪、その上国外追放とは、王子殿下でも権限を完全に越えていらっしゃいますわ」


「口答えするな! これは私の正式な命令だ! 逆らうことは許さん!」


 フラットさまは、今にも卒倒してしまいそうな様子である。

 しかし。

 アスタリスクの方は完全に冷静だった。


「では証拠を。いくら王子殿下といえども、まさか証拠も無しに感情だけで人を裁くことは本意ではありますまい。わたくしがフィーネさまを突き飛ばしたという証拠があれば従いましょう。証拠はおありなのですか?」


「フィーネがそう証言している」


「被害者の証言だけでは証拠になりません。それとも、もしもわたくしがフィーネさまからその前の日に同じように階段から突き落とされたと証言したら、殿下は信じてくださるのですか?」


「信じるわけがなかろう! 悪質な言いがかりだ!」


「同じ言葉、同じ内容ですよ。わたくしの言葉を信じないのでしたら、フィーネさまの言葉も同じように信じてはなりません。さあ、証拠を」


「……誰か、見た者はいないか? 昨日の大階段で二人がいるところを。またはフィーネがこの女に突き飛ばされた場面を!」


 フラットさまは見回した。

 だけれど誰も手を上げる者はいなかった。


「……私とアスタリスクさまの二人きりでしたから……」


 フィーネさまが弱々しく、悲しげに言った。


「証拠が残らないように巧妙に仕掛けるなど、なんていう性悪なんだ……!」


「ですが証拠はないようですわね」


「でも……っ。でも! 一昨日は教室で私のことを……! 私のことをフラットさまから離れないからと平手打ちに……っ!」


 そう言ってフィーネさまが思い出したように片頬を押さえて俯いた。細かく震える肩が、悲しそうな風情を醸し出している。


「なんと! フィーネ、そんな事もあったのなら、ちゃんと私に言わないと! そうしたら私があの性悪な女に罰を与えてやったのに! いや、今からでも遅くはない。アスタリスク、やはりお前は性悪の罪人だ! 貴族の令嬢のくせに暴力など! なんて乱暴なんだ! やはりお前は国外へ追放だ! 即刻去らねば死罪にするぞ!」


「ですから証拠を、と申しておりますのよ。もしそれで証拠が出てきても、わたくしには身に覚えがないので驚きますけれど」


 アスタリスクは、まるで退屈だと言わんばかりの態度で言うのだった。

 隣に控えるように立っていた男とやれやれ困ったわね、という顔で頷き合っている。


 それを見てますます激昂するフラットさま。

 その陰で、こっそりと憎々しい目をアスタリスクに向けるフィーネさま。



 ……ほんと、よくお似合いだこと。


 アスタリスクは密かにそう思うのだった。

 どちらも自分に都合の良い話がお得意なところが。 


 アスタリスクが自分は「悪役令嬢」だと知ったのは、もう何年も前のことだった。

 最初はもちろん信じなかったけれど、それでもこの数年で、さすがに信じる以外にはないと理解したのだ。


 なぜなら、この隣に立つ男が全てを言い当てていったのだから。


 ギャレット・ブレイス、この国最大のブレイス商会の息子。

 庶民という立場なのに金を積んでこの大半が貴族の学院に入学してきていた同級生。身分がないせいで、他の貴族たちから常に軽んじられてきた男。


 しかし身分はないが途方もない大金持ちの彼は、突然アスタリスクの前に現れてこの先に起ることを全て言い当てていった。


 そうしたら信じるしかないではないか。

 この男は未来を知っていると。


 だから側に置いた。

 公爵令嬢という立場ならば周りを高位貴族の令嬢で固めるのが普通なのかもしれないが、アスタリスクは図々しくも近寄ってきた商人の息子を取り巻きの中に入れたのだ。


 取り巻きの令嬢の中には庶民の男が取り巻きの一人と認められたことに不満を持ち、離れていった人もいる。

 だけれどアスタリスクはこのギャレットを手放さなかった。


 その理由は唯一、この男が「私はあなたを悪役令嬢の悲惨な運命から救いたい」と真剣な目で言ったから。


 この男が語るアスタリスクの未来は真っ暗だった。

 このまま行ったら良くて国外追放、最悪は死。

 どうあがいても無事に公爵令嬢として生き残る道はないと言う。


 しかし最初の数年で、この男の言う事がことごとく実現していくのを見てしまったら、その未来は確実にやってくると思えた。


 となると、もう完璧な公爵令嬢としての体裁を心配している場合ではない。


 たとえ顔が良い庶民の男をアクセサリーのように侍らせているとか、あの商人の男に山ほど貢がせているのだとか、庶民だからと奴隷のようにこき使っているとか噂されても、どうせ公爵令嬢としての素敵な未来なんてないのだったらどうでも良かった。


 もしも本当に王家との婚約を一方的に破棄されてしまったら、それがそのまま悪評となり、どうせまともな結婚は出来なくなる。たとえ結婚の話があったとしても相手が他に結婚相手がいないほどの最悪な人かアスタリスクの持参金目当てになるだろう。


 しかしギャレットはアスタリスクの婚約破棄は避けられないだろうと言った。

 それは一番大切な「いべんと」だからと。


 この男によると、「いべんと」は避けるのが難しいらしい。


 だからアスタリスクは考えた。

 もう婚約破棄はいい。だからせめて出来るだけ穏便な「えんでぃんぐ」というものになんとしてでも持って行きたい。

 最低でも死罪をなんとか避けて、もう結婚とかも諦めていいから、せめてひっそりとでも穏やかな人生を送りたい。


 それは自分の未来を悟ったアスタリスクのささやかな、しかし切実な願いだった。

 なんとか暖かいお部屋で、お腹いっぱい食べられて、寒くない程度には着るものに困らない生活を確保する。


 それにはこの未来を知る男を絶対に手放すことは出来なかった。


 それに話してみるとこの男は庶民のわりに、アスタリスクが公爵令嬢だからといって必要以上にへりくだることもなければ偉そうでもなく。

 いつも丁寧で控えめな態度と的確な指摘、そして「いべんと」への対策を一緒に考えてくれる親切で有能な人だったから、しだいにアスタリスクもギャレットのことを信頼するようになっていった。


 だからこのギャレットが味方でいてくれる限り、アスタリスクの周りでなぜかどんどん彼の言う「悪役令嬢」に相応しい評判が立とうとも、全く気にもしなかった。


 やれ高飛車だの、我が儘だの、どんどん悪評が積もって人が離れていくのが本当になぜかはわからなかったが、そんな評判を挽回したところで最後はフラット王子による公開婚約破棄と断罪で全てを失うのなら、些細なことだ。


 アスタリスクは腹心となったギャレットの協力で、ただひたすら今日この時まで必死にできる限りの「いべんと」を穏便にやり過ごし、今日への対抗策を考えて来た。


 そして今。


 フラット王子の婚約破棄の台詞もその後の展開も、ほぼギャレットが予告したとおりの流れになっている。


 なので、結果はどうやら国外追放ルートのようだ。一応ギャレットの知る未来の中では一番穏便なルートではある。


 しかし、このままでは命は助かっても国外追放。なんて理不尽なんでしょう。


「……証拠などっ……! ならばお前がこの心優しいフィーネの言うことが嘘だとそれこそ証拠を出せ! フィーネが嘘をつくはずがないのだから、どうせ証拠は出せないだろうがな!」


 激昂したフラットさまを困った目で見たアスタリスクが、はあ、とため息をついた。

 恋は盲目とは言いますが、さすがに王家の者がそれでいいのでしょうか。


 アスタリスクはちらりとギャレットを見た。

 するとギャレットが、かすかにアスタリスクを見て頷いた。


 おまかせ下さい、彼はそう言っている。

 アスタリスクとギャレットは、今やそんな目での会話ができるほどに理解しあっていたし、この学院の誰よりも固い友情で結ばれていた。


 だからそのギャレットに、この先の自分の運命を預ける。



「ではフラットさま。証拠をお出ししましょう」


 アスタリスクがそう言うと、それを合図にギャレットがすっと前に出て言った。


「それではあちらをご覧ください。今回特別に私の実家から学院に寄付させていただいた巨大スクリーンでございます」


 すくりーん、というものが何なのかはよくわからないが、演出はギャレットに全て任せたのでそのまま見守るアスタリスク。

 ギャレットは国外との交易も多いブレイス商会の経営に、学生でありながらもう関わっていた。だからアスタリスクの知らないものをたくさん知っているのだ。


 会場の上部に巨大な一枚の白い紙のようなものが浮かび上がった。


「なんだ、あれは……? 新手の魔法か?」


 フラットさまも驚いてそのすくりーんというものに目が釘付けのようだ。


「さて今から映し出すのは昨日の監視カメラの映像でございます」


「かんしかめ……? なんと言った?」


 フラット王子もフィーネさまも、ぽかんとした顔でギャレットを見る。


 今まで身分のない庶民、アスタリスクにつきまとう卑しい商人と馬鹿にして、おそらくまともに彼の顔を見たこともなかっただろう二人が、ここで初めてギャレットを見るのね、とアスタリスクは思った。


 ちなみにアスタリスクもその「かんしなんとか」は知らない。


「監視カメラという、本日のために東方の異国から取り寄せました魔道具でございます。フィーネさまのおっしゃった、昨日の学院の大階段を一日中撮影しておりました。左下に日時の記録が一緒に記録されていますので、この映像に切れがないこともご確認いただけるかと思います」


 映し出された映像は時間の経過が早いようで、左下の時間がどんどん進んでいた。そして映像の方も、学院の生徒がせわしなく現れては消え、現れては消えていく。日が昇り、そして傾いていったのが映像に映る光と影の動きでわかった。


 そして左下の時間が夕方のとある時間にさしかかったとき、その映像は止まったのだった。


 ギャレットが言った。


「ここまでの中に、フィーネさまのおっしゃったような事件はなかったことをご確認いただけたと思います。さて問題はここからの映像でございます。アスタリスクさまとフィーネさまが登場なさいます」


 そうしてゆっくりと、今度は普通の早さで映像が流れ始めたのだった。


 アスタリスクが一人で大階段を降りてきた。授業を終えて、寮の部屋に帰ろうとしているところだ。アスタリスクはいつも規則正しい生活を送っている。

 最近は悪評のせいでギャレット以外の取り巻きもいなくなったので、一人で行動することが多かった。


 そしてその時階段の下からは、フィーネさまが上ってきたようだ。後ろ姿でもわかる綺麗なストロベリーブロンドの髪が揺れていた。


 ――アスタリスクさま、ごきげんよう。明日は卒業パーティーですわね。私、とっても楽しみにしているんです。アスタリスクさまのエスコートは誰がなさいますの?


 それはフィーネさまの声だった。


 ――エスコートは特には決めておりません。でもフィーネさま、さほど親しくもない者に、いきなりそのような個人的なことをお聞きになるのはどうかと思いますよ。


 ――まあ、私、悪気があったわけでは……私、アスタリスクさまのことを心配してつい聞いてしまっただけなんです……。


 ――わたくしは今回は卒業生を祝う立場ですから、特にパートナーはいらないかと思っております。


 ――そうなんですね。実はアスタリスクさまの弟君のセディユさまが、明日もフィーネさまと一緒にいてもいいですか、なんておっしゃるものですから、もしもアスタリスクさまにパートナーが必要でしたら私からセディユさまにお姉様のパートナーになってくださるようにお願いしようかなあって思ったんですが。


 ――それには及びません。セディユにはセディユの希望もあるでしょうから、好きにすればいいと思います。


 ――わかりましたわ。でも私、他に好きな人がいるのです。なのでセディユさまのお気持ちには応えられないのが申し訳なくて……。


 ――それはセディユの問題ですから、私が干渉するつもりはありませんの。ではそろそろよろしいかしら?


 ――あ、そうですね! もちろんです! すみませんお時間をいただいてしまって!


 ――ではごきげんよう。


 ――はい、アスタリスクさま、ごきげんよう。


 そうして、アスタリスクは大階段を降りきって映像から姿を消したのだった。


 チラリと見たら、話題に出てきたアスタリスクの弟のセディユが、フィーネさまの近くで顔を真っ赤にしていた。

 セディユは最近、フィーネさまの取り巻きとしてフィーネさまの周りに群がっている男たちの中の一人になっていた。


「アスタリスクさま、昨日のこの場面、覚えていらっしゃいますか」


 ギャレットが聞いた。


「覚えているわ。フィーネさまがわざわざ今日のパートナーのことをお聞きになったのは、フィーネさまがフラットさまのパートナーを務めるとおっしゃりたかったのですね。私としたことが察せなくて申し訳なかったですわ」


 アスタリスクはとても残念そうに首を振った。

 フィーネさまはといえば、青い顔をして、


「うそ……うそよ。酷い、こんなのおかしいわ。誰か止めて? お願い、こんなもの見たくないわ! うそばっかり! ねえ、フラットさま……?」


 と言っていた。


 しかし映像は止まらなかった。

 フラットさまはこの初めて見る映像に釘付けになっているようで、フィーネさまの言葉が聞こえていないようだった。


 映像の中の大階段に残ったのはフィーネさま一人となっていた。


 そしてフィーネさまは周りをゆっくりと見回して自分しかいないと確認したあと、階段の半分くらいまで上って振り向いた。


 そして嬉しそうに微笑んだ、その時。


「きゃあああああ!!」


 フィーネさまがふらついたと思ったら、一人で悲鳴を上げながら階段を転げ落ちていったのだった。


 会場の誰もが驚愕したその瞬間に、映像を止めてギャレットが言った。


「実はこの時の場面は他のカメラからも撮影しております。今の画面が1カメ、そしてこちらが2カメ」


 場面が切り替わり、フィーネさまの後ろから映したものになった。もちろん押したというアスタリスクはいない。


「こちらが3カメ」


 場面がまた変わり、今度は横から映したものになる。フィーネさまがしっかりと両手を胸の前に組んで、受ける衝撃を出来るだけ軽くするようにして落ちていくのが見えた。


 全ての映像がことさらゆっくりと再生されて、その様子が余すところなく会場にいる人々に理解されるように出来ていた。 


 会場中が唖然としている。


「ご覧のとおり、フィーネさまが階段から落ちたときは、アスタリスクさまはいらっしゃいませんでした。フィーネさまがお一人で勝手に階段から落ちられたのです」


 ギャレットが言った。

 そして映像が再開する。


 ――大丈夫ですか!? 一体どうしたのですか!?


 フィーネさまが階段を落ちていく時の悲鳴と音に驚いたらしい学院の生徒たちが、何人か集まってきたのだ。


 ――あ……ありがとうございます……大丈夫ですわ……。あの、私……今階段の上でアスタリスクさまとお話ししていて……そうしたら、突然アスタリスクさまが……っ! アスタリスクさまが後ろから突然……!」


 そしてフィーネさまは助けに駆けつけた男子生徒の一人にしなだれかかって怯えたように泣いたのだった。


 ――なんだって! アスタリスクさま、なんて乱暴な! こんな高いところから落ちたら大変なことになるのに! 僕、アスタリスクさまに抗議してきます! いや、その前に学院に報告した方が……!


 ――まあ、いいえ。そんなことをしたら私、またアスタリスクさまに虐められてしまいます……。そうでなくてもいつも私のことを……。こんなことを訴えたら、アスタリスクさまは公爵家の方ですもの、私の家はきっと潰されてしまいます。仕方ありません。貴族の家柄は絶対ですから……。


 ――でもだからといって人を怪我させていいわけがないわ!


 駆けつけた女子生徒も憤慨していた。

 しかしフィーネさまは頑なに言った。


 ――いいえ、いいえ。どうかお願いですから、私のためを思ってみなさまも、ここだけのことと胸にしまってくださいませ……。


 そうしてその映像は、そこからまた時間の流れが速くなって、とうとう誰もいない深夜になったところで終わったのだった。


「あらまあ、わたくし、いつのまにか極悪人になっていましたわね」


 アスタリスクが呆れたように言った。


「ご覧のとおりでございます。これがアスタリスクさまが嘘を言っていない証拠でございます。この映像の中でアスタリスクさまのお名前が騙られたようでしたので、今朝のうちにアスタリスクさまのご実家コンウィ公爵家、あと危険防止策要請のため王宮内の学院の管轄部署にも同じものをお届けしております」


 ギャレットが言った。


「うそよ! こんなのうそ! ああフラットさま、フラットさまなら私を信じてくださいますよね?」


 フィーネさまがフラット王子に縋った。

 しかしその時、ギャレットが笑顔で言った。


「あああと、今日のこの会場には、あなたの魅了の魔法に対抗する魔力を乗せた魔道具が各所に配置されていますので、あなたのいつもの魅了魔法は効きませんよ。ですからきっと殿下も冷静な判断をされることでしょう」


「魔法ですって!? そんなもの使ってないわ! 魔法だというのなら、きっと今のも何か怪しげな魔法を使ってねつ造したのでしょう! 酷いわ、私を陥れようだなんて!」


「あの……」


 その時、映像の最後にフィーネさまを助け起していた生徒が進み出たのだった。


「ああ、あなたは先ほど映像の中に登場された」


 ギャレットがにっこりと微笑みかけて先を促した。


「あの、僕、覚えています。全くあの通りでした。どうやってかはわかりませんが、あの映像は昨日の出来事を正しく再現していました」


「僕も覚えています。本当にあの通りでした」

「私もです……驚きましたけれど、本当に私はあの通り……」


 階段の下で倒れたフィーネさまに駆け寄っていた生徒たちが、次々と証言したのだった。


「そんな! 酷い! みんななんて酷いの!!」


 フィーネさまは叫んだけれど、その場の空気を変えることはできなかった。


 そんな時、アスタリスクの弟セディユが、取り巻きの男たちの中から進み出て言った。


「僕からも報告します。僕はこの一年間、フィーネさまの近くで僕の姉アスタリスクに対するあなたの虚言について調べていました。その結果、先ほどの場面と同じような言いがかりが、僕が気がついただけでも数十ありました。本日その全てをまとめた報告書と録音を、その日時と場所の記録とともに我がコンウィ公爵家の両親、そして学院長にも今朝お送りしました」


「え……? セディユさま……?」


 セディユが淡々と報告する間、フィーネさまは唖然としたまま固まっていた。きっとセディユのことを、愚かな取り巻きの一人だと侮っていたのだろう。

 セディユは続けた。


「最初に姉さまから話を聞いたときには、正直なところ父上も僕も信じられなかった。しかし姉さまは家族を騙すような人ではない。だから、僕は姉さまに協力をすることにしました。真実を知ろうと。フィーネさま、僕が一年前に貴女に贈ったそのブローチを愛用してくれてありがとう。おかげで君の本性がよくわかったよ」


「よくも……!」


 フィーネさまは今までよく身につけていた、大きな大きなルビーがついたブローチをその場で引きちぎるようにして外してセディユに投げつけた。


 それはフィーネさまの持つ宝飾品の中で一番高価なものだったから、フィーネさまはよくそれをつけて見せびらかしてはもっと素敵なプレゼントが欲しいと暗にアピールしていたという話だ。

 でももう、いらなくなったらしい。


 セディユはそのブローチを拾うと、そのままギャレットに渡して言った。


「はい、ギャレット。用は済んだから君に返すよ。貴重な録音宝石を貸してくれてありがとう。もし傷がついていたりして価値が落ちていたら、その分は父上が払う。遠慮なく請求してほしい。姉上の名誉に比べたらそれでもはるかに安いのだから」


「いえ、とんでもありません。これがお役にたてたようで私も大変嬉しいですよ」


 そう言ってギャレットは、セディユに向かって優雅にお辞儀をしたのだった。




 その後フィーネの実家であるスラー男爵家は今回の騒動の責任を問われ、今までの領地を取り上げられて辺境の貧しい土地に鞍替えとなった。

 もちろんアスタリスクの実家コンウィ公爵家の逆鱗に触れた結果だということは誰の目にも明らかだった。


 スラー男爵家が取り潰されなかったのは、周りの第二王子派の人たちが出来るだけ早急かつ穏便にこの件を葬ろうと奔走した結果のようだ。

 それでも今回の件で第二王子を次期国王にしようとしていた派閥の勢いが随分削がれたという話である。


 そして事の顛末に怒ったスラー男爵は、もう顔も見たくないとフィーネが家に帰るのを拒否しているそうで、その結果逃げ帰ることも出来なくなったフィーネさまは、学院での寮生活を続けている。


 フラット殿下はフィーネさまが操っていたらしい魅了が解けてもなぜかフィーネさまを手放そうとはしなかったが、フラット殿下もさすがにこのような悪評がたった男爵令嬢を正妃として迎えるのは諦めたようだ。今では愛妾がせいぜいだろうと誰もが思っている。


 フラットさまは後に、


「アスタリスク、私は君を誤解していたようだ。父上からも勝手なことはするなと烈火のごとく怒られてしまったよ。だからあの婚約破棄の宣言は撤回しようと思う」


 と言ってきた。

 しかしアスタリスクは、


「まあ殿下、殿下のお言葉はそんなに簡単に撤回できるような軽いものではないはずです。殿下はご自分のお言葉にもっと責任を持たなければ。殿下が言い出したことですのに」


 そう言って断ったのだった。

 アスタリスクはもうフラットと婚約、いや結婚する気はなかった。義務でも嫌だ。


 今回の騒動で、父であるコンウィ公爵も認めてくれた。

 娘をここまでコケにするような奴に娘はやれぬと、それはそれはお怒りだったのだ。


 国の宰相を敵に回すなんて、なんて馬鹿な人なの。


 アスタリスクは今ではもう、このまま出来るなら独身を貫きたいと思い始めていた。

 あの騒動の後に誤解していたと謝罪してきた人たちに囲まれて、このままちやほやされて生きていくことにもあまり魅力を感じなくなってしまった。

 なんてつまらない生活でしょう。


 最近のアスタリスクは、もうギャレットが今までのように側にいてくれればそれでいいと思うようになっていた。

 家族の他にはギャレットだけが、心からアスタリスクを心配してアスタリスクのために奮闘してくれて、いつもアスタリスクを励まし、勇気づけ、常に味方になってくれていた。


 未来を知って心細かったアスタリスクは、ギャレットの笑顔と言葉にずっと救われていたのだ。

 そのことを、全てが終わって一息ついた時に気がついた。


 そして同時に、いつの間にか芽生えていたギャレットへの恋心にも気づいてしまって。

 そのことに驚いてしばらくは認められなかったけれど。

 でもギャレットは、いつの間にかアスタリスクにとって一番素敵で魅力的で、唯一顔を見ると幸せな気分になってドキドキしてしまう人になっていたのだ。


 なのにこの五年間、陰に陽にアスタリスクを助けてくれたギャレットは、あの騒動からしばらくしたら、


「シナリオからの脱却、おめでとう。僕も君が悲惨な運命に殉じることを防げてとても嬉しいよ。これからも君はコンウィ公爵家自慢のご令嬢だ。このまま君の未来がずっと幸せなものになるように願っているよ」


 そんなことを言って離れていこうとした。心配事もなくなったから、そろそろこの学院を辞めて家業に専念すると言い出したのだ。


 そんな彼の言葉にショックを受けたアスタリスクは、反射的にそれは嫌だと思い、ついギャレットを引き留めてしまった。


「まあ。せっかくこの学院に入学したのでしょう。あと一年くらいともに学んで、ちゃんとわたくしたちと一緒に卒業したほうがよろしいのではなくて? それにわたくし、来年の卒業パーティーではあなたにパートナーを務めていただこうと思っていたのに」


 そう言って、ついつい熱心に引き留めた結果、ギャレットをなんとか説得することが出来て彼もあと一年、同じ学院の同級生として過ごせるようになったのだった。


 そう、アスタリスクは、せめてあと一年は一緒にいたかった。

 どうせ学院を卒業したら、その先の人生は分かれ道なのだから。


 彼は実業の道へ。

 アスタリスクは貴族の令嬢として、いつかは誰か貴族の妻としての道が待っている。


 さすがに公爵令嬢が恋愛感情だけで貴族でもない男と結婚することは許されない。

 そして公爵令嬢が父から命令された政略結婚を拒否することも出来ないのだ。


 アスタリスクにギャレットと歩む未来はない。


 だから。


「ではあと一年。あなたのために」


 そう言ってくれたギャレットが将来継ぐであろう商会を、公爵令嬢としての身分と資金で贔屓にするのが一番いい私たちの関係だろう。

 パトロンと御用聞き。


 たとえそれが、貴族との縁を掴むために蔑まされることを承知でこの学院に入学してくる庶民の子弟たちのありきたりな目的そのものだったとしても。


 まんまとアスタリスクをその手中に収めたと彼や他の人たちが笑うかもしれなくても。

 それでもアスタリスクは少しでも長くギャレットの側にいたかった。


 気づいてしまったこの気持ちは隠して、友人として。


「よろしくね、ギャレット。あなたは頼りになるわ」


 だからあと一年、私と一緒にいてほしい。そして私に微笑んでほしいと願ってしまったのだ。




 そして一年後、二人は仲良く学園生活を過ごし、卒業を間近に控えていた。

 この一年は本当に楽しかったとアスタリスクは満足していた。


 フィーネ嬢はあともう一年学園生活を送ることになっている。だけれどもう彼女の言うことを信用する人は誰もいなかった。

 そうしたらアスタリスクの悪評もいつの間にかに消えていて、とても快適な学園生活を謳歌することが出来た。


 そしてギャレットとの思い出もたくさん作ることができたのが嬉しい。


 ギャレットも貴族にへつらう残念な庶民というそれまでの評判をあの事件で見事に覆し、周りの人たちにも有能な男だと認識されたようだ。


 なのでもともと顔の良かったギャレットは、他の女子たちからさらにモテるようになっていた。


 なのにこの一年、なぜか彼はアスタリスクといつも共にいて、前にも増して常にアスタリスクに付き従い、なにかとアスタリスクの世話を焼くようになったので、今ではとうとうアスタリスクの「専属執事」というあだ名がついてしまっていた。


 もちろんアスタリスクが頼んだわけではないのだが。でも、


「ギャレットさまはいつもアスタリスクさまばかりを見つめておられて、本当に羨ましいですわ」


 などと言われると、アスタリスクも「あらそうなの?」なんて言いながらも密かに喜んだものだ。


 表向きは公爵令嬢としての威厳も保たなければならないから、同級生といえども身分が違いすぎるギャレットとはなれなれしくすることは出来なかったが、それでもあれからさらに当たり前のような顔をして常に近くにいるようになった彼のことを、アスタリスクはいつも意識していた。


 一緒にいるということだけで、こんなに幸せでいいのかしら。


 ついそんな事を思いながら頬を染めてしまうアスタリスク。

 本当に幸せな一年だった。


 アスタリスクは彼のために、卒業パーティーでは最高の衣装を作ろうと思っていた。

 彼の髪か瞳の色から色をもらおう。そして彼には、私の瞳と同じサファイアを贈るのだ。


「今までの献身に感謝して」


 そう、そういう大義名分なら、プレゼントしてもいいだろう。


 商人でもある彼は、きっと「コンウィ公爵令嬢から賜った」という付加価値のあるものをないがしろにはしない。だから、たまにはそれを見て、私のことを思い出してほしい。

 そんなささやかな願いも込めて。


 大きな大きな、最高級のサファイヤの指輪を。


 その指輪を見たギャレットが、とても驚いたあとにそれはそれは嬉しそうな笑顔になったのがアスタリスクには嬉しかった。


「ありがとう。君からの初めての贈り物だ。大切にするよ」


 そんな言葉さえも嬉しくて、アスタリスクはまるで告白した女の子のように頬を染めた。

 答えはもらえない、密かな告白。だけれど、私が彼をとても大切に思っていたことが、少しでも彼に伝わったのならそれでいい……。



 しかし卒業パーティーももうすぐというある日、彼はとても申し訳なさそうな顔をして言ったのだった。


「アスタリスクさま、申し訳ありません。僕は、あなたと一緒に卒業パーティーに出ることが出来なくなりました」


「え……? どうして? 他の人のパートナーを務めることになったの?」


 必死でショックを隠して聞くアスタリスク。

 密かにとても楽しみにしていたので、彼と一緒にパーティーに出られないという事実を受け止めるのに少し時間がかかってしまった。


「いえ、そうではありません。ただ、仕事が入ってしまったのです。父の命令で仕事を優先するようにと」


 ギャレットもとても残念そうに言ってくれたことが、それでも救いだった。

 ギャレットの瞳をのぞき見たら彼も辛い思いをしていることがわかったので、アスタリスクも我慢しなければと思う。


「そう……。残念だけれど、お仕事なら仕方がないのでしょうね。せっかくのパーティーに出られないなんて本当に残念だけれど」


「私はあなたのパートナーとして卒業パーティーに出るのをとても楽しみにしていました。しかしこのようなことになってしまって本当に残念です。だからこれは私の我が儘なのですが、あなたを今更他の男のパートナーにするのも嫌です。あなたのパートナーはぜひ、弟君のセディユさまにお願いしてはいただけないでしょうか」


「セディユ? そうね、そうするわ。私も今更他の誰かにお願いする気もないですし」


 仕方ない。セディユにお願いして、もう卒業パーティーは形だけやり過ごそう。

 アスタリスクは卒業パーティーに対して急速に興味を失っていった。



 身分のないギャレットが、そんなことをアスタリスクにお願いできるほどに、二人は仲を深めていた。

 それは誰の目にも明らかで、だから卒業パーティーの当日にアスタリスクがギャレットを伴わずに弟をパートナーにして登場したことにたくさんの人が驚いたのだった。


 弟のセディユは妙に上機嫌だったが、アスタリスクはそれほど嬉しいわけでもなく。

 隣にギャレットがいないだけで、こんなにパーティーってつまらないものだったのね、と思っていた。


 ただ、会場を見渡していると、今日はなぜかいつもの年よりも落ち着かない雰囲気が漂っているようだ。


「……おい、今日は第一王子が来るらしいぞ」

「え? それって奇行で廃嫡の危機とかいう、あの忘れられた王子?」

「だけど去年第二王子があれだったから、最近は第一王子にも注目されるようになったんじゃなかったか?」


 そんな会話があちこちでささやかれていた。


 この学院は王立学院なので、卒業式や入学式に王族が列席することは珍しくなかった。

 でも内輪の卒業パーティーに?


 と少々驚く。

 しかも第一王子である。


 たしか幼少の頃に酷い奇行や虚言があったという噂で、もう長い間表舞台に出てきていない。

 たしかアスタリスクよりも二歳くらい年上で、そんな年齢になっても全く姿を見せないので、去年までは国王は第二王子のフラットさまを立太子するだろうと言われていた。


 しかしフラットさまは去年の卒業パーティーでやらかしたせいで少々評判を落とし、今の国王の跡継ぎ問題はほぼ白紙と言われている。


 他に王子がいないことはないがまだ年齢が低いので、その王子の成長を待ってこのままあと数年は様子見だろうというのが一般的な見方となっていた。


 なのに第一王子が来る?

 なんだろう、公式行事に出る練習かしら?


「花嫁を探しているらしいぞ。父上に妹を着飾らせろって言われた」


 そんな憶測まで飛び出して、卒業パーティーは開場早々落ち着かない雰囲気になっていた。


 まあ、どうでもいいけれど。


 アスタリスクは一人のんびりと弟と一緒に飲み物をいただきながら、会場の隅で退屈な挨拶が始まるのを待っていた。


 たとえ公爵令嬢という身分ではあっても去年あれだけ大立ち回りしたのだから、いまさら他の王族の花嫁になる可能性はない。

 一緒に過ごしたかった人もいない。


 卒業生の義務としてこのパーティーを無難に過ごすことが今日のアスタリスクの目的だった。


 そんな彼女に、


「今日はあの専属執事は連れていないのですか?」


 そう声をかけてきたのは、同級生のランドルフ侯爵家の子息だった。なかなかの美男子で評判も良い。卒業後のことを考えたら仲良くしておきたい相手だ。


「そうですわね。ごきげんよう、ランドルフさま。楽しんでいらっしゃる?」


 そう返すアスタリスク。少々義務的な返事だけれど礼儀としての微笑みとともに。

 しかしそんなアスタリスクにランドルフ侯爵子息は少し緊張気味に言った。


「それは貴女次第でしょうか。もしよろしければ、このパーティーの最後のワルツのお相手を僕に務めさせていただきたいのですが」


「ワルツ……? ああそういえばありましたわね。ええ――」


「申し訳ありません、姉の相手はもう決まっておりますので」


 そこに突然セディユが割り込んだのだった。


 きょとんとするアスタリスク。さっぱり覚えがない。


 最後のワルツは特別なものだから、本当はギャレットと踊りたいと思っていた。だけれど彼がいないので、ならもう別に踊らなくてもいいかと思っていたのだ。

 だから誘われたなら受けても良かったのだけれど。


 しかしセディユがきっぱりと断ってしまったせいで、ランドルフ侯爵子息は諦めて去って行ってしまった。


「なんであなたが勝手に断わるの。せっかく誘ってくださったのに失礼じゃ――」


 ちょうどその時、物々しい雰囲気がして、どうやら第一王子が学院長と共に登場したようだった。


 会場中が一斉に前方に注目する。あまりに人が多いのでアスタリスクの方からはよく見えなかったが、前の方がざわついている。


 学院長が挨拶を始めたようだ。


「あー! 静粛に! 本日は大変光栄なことにこの学院の卒業パーティーに、第一王子サーカム殿下をお迎えすることができました。あー! みなさん! 殿下の御前です。学生のみなさんは失礼のないように、常に紳士・淑女でなければなりません。今日の卒業パーティーは決して身内だけのものではないのです。将来の紳士・淑女として恥ずかしくない振る舞いを私は望んでいます!」


 この学院は六年制なので、まだ子供といえる年齢の子もいる。学院長はきっと内心ハラハラしているだろう。

 貴族だろうとやんちゃな子はいるものだ。


「それではサーカム殿下、お言葉をいただきたく存じます。生徒のみなさんは! 静粛に!」


 学院長が必死に場を落ち着かせようとしているのが伝わってきたが、それでも前方はざわざわと騒がしいようだった。


 なんだろう?

 第一王子という人は、よほど奇天烈な容姿でもしているのだろうか。

 ちょっと興味が湧いて目を凝らす。


 どうやら第一王子が挨拶を始めたようだけれど、声が小さい上にその周りが騒がしいので全然聞こえない。


 すぐにつまらなくなってぼんやりしていたら、先ほどのランドルフ侯爵子息がまたやって来て言うのだった。


「コンウィ公爵令嬢、僕は何人もの人間に確認したのですが、今日のあなたのワルツのお相手が誰なのかさっぱりわかりません。どなたか教えてはいただけないでしょうか? 僕はあなたとぜひワルツを踊りたいのです。そしてお伝えしたいことがあります。もしお相手を教えていただけたなら、僕はその人に譲ってもらえるようにお願いしようと思っています」


 と、なぜだか妙に熱心に言われたのだった。


 はて。卒業を前にして、突然コンウィ公爵家ともう少し懇意にしておこうとでも思ったのかしら。宰相を務めるコンウィ公爵家と仲良くなりたいお家はたくさんあるのだから。でもそれならそんなに張り切ってワルツでなくてもいいのでは。

 と、思って。


「まあ、ありがたいお話をありがとうございます。でもワルツはパーティーの締めくくりの大切な曲。ワルツ以外にも曲はありましてよ。わたくし他の曲でも喜んでお相手を務めさせていただきますわ」


「いえ、私はぜひワルツをお願いしたいのです」


「ランドルフどの!」


 そこにまた、セディユが割り込んだのだった。

 なんだろう、実はセディユはランドルフ侯爵子息が嫌いなのかしら?


 しかし今回はランドルフ侯爵子息も譲らないつもりのようだった。


「ならばアスタリスクさまのお相手を教えてください。相手の方に了承をいただきに行きます。それならば問題はないはずです」


「了承は! 得られません! 姉の! ワルツのお相手は! 決まっております!!」


 なぜか必要以上に大声のセディユ。

 先ほど学院長が紳士であれと言ったはずなのに、公爵家嫡男がその言いつけを率先して破るのはいかがなものかと思ったアスタリスクだった。


「ならば教えてください! それは誰ですか!」


 セディユの大声に対抗するように声を張るランドルフ侯爵子息。

 きっと今頃は学院長が頭を抱えているに違いない。

 と、その時。


「ランドルフ、抜け駆けはよくないな。コンウィ公爵令嬢から離れたまえ。君は少々距離が近い」


 それは、ギャレットの声だった。


 同時にざっと人が割れて、その中央をギャレットが進んでくる。


 その姿を見て、アスタリスクはおおよそのことを悟ったのだった。


 ギャレットがアスタリスクの前に来たとき、アスタリスクは言った。


「……お父様のお仕事は終わったのかしら?」


「……今まさに、仕事の最中だな。それを中断させたのは君だ」


「あら、私、何もしていませんわ。ただここに立っていただけ」


「そしてランドルフにしつこくされていた?」


「最後のワルツに誘われていただけですわ。セディユに邪魔されましたけれど。だからわたくしの記憶では、今はまだワルツの相手は決まっていませんの」


「それではそのお相手を、ぜひ私に務めさせていただきたいのですが」


「まあ、よろしくてよ。光栄ですわ、えーと、サーカム殿下?」


「サーカムでもギャレットでもどちらでも。どちらも私の名前です。私には名前が他に九つもある。どれでもあなたのお好きな名前で呼んでください」


 そう言って微笑む顔はいつものギャレットで。


「ではサーカム殿下。ワルツの時間を楽しみにしておりますわね。ところで殿下、わたくしの『専属執事』が突然いなくなってしまいましたの。とっても気に入っていたのに、残念ですわ」


 アスタリスクはギャレット、いやサーカム第一王子に恨み言を言った。


 いつも私に付き従っていた、あのギャレットはいなくなってしまった。

 卒業までのあと数日、最後まで一緒にいたかったのに。

 一緒に卒業したかったのに。

 お別れも言えないまま、別人になってしまうなんて。


 しかし目の前の男は、そんなアスタリスクの言葉を聞いて嬉しそうに笑った。


「ならば、この先は私があなたの『専属執事』を務めましょう。ずっと、あなたがその人生を閉じるその日まで。私は今日、あなたを攫うためにここに来たのですから」


「まあ攫われてしまうのですか? こんなに大勢の人の前で?」


「そうです。去年、あなたはここでフラットに悲しい思いをさせられた。だから同じ日の今日ここで、私があなたを攫うのです。アスタリスク、私と結婚してほしい。フラットではなく、この私と」


 そう言って、第一王子はその場で跪いてアスタリスクに手を差し出した。


「まあ、こんな悪評のあるわたくしでよろしいのですか? でも、あなたは全部ご存じね。それでもいいとおっしゃるのなら、ええ、もちろん喜んで」


 そうしてアスタリスクは差し出された王子の手を取ったのだった。


 その後、豪華な王子としての衣装をまとったサーカム殿下は来賓としての義務をさっさと片付けて、その後は今までと何ら変わりなくアスタリスクの近くに居座り続けて、相変わらずの「専属執事」ぶりを発揮していた。


 パーティー最後のワルツを踊りながら、そろそろ呆れたアスタリスクは言った。


「王子なのにずっと執事のようなことをしていていいの?」


 しかし王子は涼しい顔で答える。


「最初はあのランドルフみたいなやつを君に寄せ付けさせないために始めたんだが、やってみたら気に入ってしまってね。どうせすでに奇行の王子だと言われているし、むしろまともになったと思われているかもしれないよ」


「何が奇行なの。あなた、とてもまともじゃないの」


「僕は前世の記憶があるからね。昔はよく前世の話をしたり再現しようとしたりしていたんだ。そうしたら頭がおかしいと思われた」


「それは周りの人に同情するわね」


「だけれど僕が何もしなかったら、僕はこの学院に入学する前にフラットを王にしたい派閥の手で暗殺されていたはずだったんだ。だからこっそり父上にお願いして、王宮から離れて身を隠すことにした。頭がおかしくなったから、療養しているということにしてもらってね。そして僕は悪役令嬢の君のことも救いたいと思っていたから、ブレイス商会に世話になって知識を身につけた」


「商会の方はさぞかし驚いたでしょうね。王子が転がり込んできて」


「もちろん、見返りがあるから歓迎されたよ。今では本当の家族のように仲もいいんだ。そして僕は君を救うために、年齢を偽って君の同級生として入学した。あとは君の知っているとおり」


 そう言ってサーカム・ギャレット第一王子はにっこりと笑い、ワルツの最後を熱い口づけで締めたのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました。


もしよかったら、ご感想がわりに下の方にあるポイント評価をしていただけましたら全私が泣いて大喜びをして天に感謝の祈りを捧げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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「予言された悪役令嬢は小鳥と謳う ~未来を知る専属執事に「君を救う」と言われました~」

(リンク先では あらすじ等が見れますよ!)
予言された悪役令嬢は小鳥と謳う 表紙

11万字超の加筆で新しいエピソードがもりもり!
ギャレットとアスタリスクの甘いひとときや、弟セディユの涙ぐましい努力の日々(振り回されっぷりとも)、ランドルフの全く報われない、でもひたすら真っ直ぐに頑張る理想の男っぷりやアスタリスクの絶体絶命な危機などなど……
楽しさも切なさも、全部パワーアップしたお話に楽しいお話になっています!
ぜひお手にとっていただけたら嬉しいです!
どうぞよろしくお願いします!
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