閑話
本筋と全く関係が無い無駄話
■閑話 とある筆職人の憂鬱
エステラード王国には様々な物が溢れている。毎日の食卓から棺桶まで。そんなキャッチフレーズを冗談で宣伝する商会まで存在する程だ。
さて、簡単なアイテムから紹介していこう。まずはペン。古くは魔物の骨を削った物から、毛筆まで様々だ。最近ではペンを魔導具化して、魔力さえあれば永久にインクが出て来る万年筆まで存在する。贈答用にされる程のお値段はするが。
庶民が使うのは主に毛筆だ。暖炉の廃墨を水で溶かし、それに筆を付けて木板に書く。これは紙が普及しても変わらない。毛筆は子供の散髪後にとれる毛で良いし、柄の木材はその辺で確保できる。墨は暖炉の燃えカスから黒くなった部分だけ削って溶かせばいい。
商人が使うのは骨筆が多い。これはインクが廉価で普及しており、製造元の錬金術師が多く、供給が容易い点で優秀だ。骨筆は半永久的に使えるし、インクは錬金術で木材を炭化させることで、薬剤を使った質のいい物が大量生産できる。但し、液体である事と消費量が少ない事から輸送してまで売り歩く者は多くない。
下級貴族は金属製のペンを使う物がとても多い。文字が細く、見栄えも良い事から人気が高い。更に使うインクも滲みにくい高級品を使うので、錬金術師の中には専業としている者も居るほどに需要が高い。
最上級の貴族や王族は万年筆と呼ばれる魔導具のペンを使う。一本で平民の年収が軽く吹っ飛ぶ値段がする。というのも、魔石を着脱出来たり、解析不能な魔法陣が刻まれていたり、家紋が刻まれていたりと、ペン一本に施されている内容はどこぞの名工が剣に揮う技と変わらない。噂によると所持者を固定化したり、ちょっとした護身具としての機能もあるらしい。最早ペンの領域を逸脱している気がする。
さて、紙媒体はどうなのかというと、意外と普及していない。価格帯が幅広いと言う事もあるが、紙を必要としない国民も多いからだ。年に一度しか文字を書かない者も居る社会では仕方がない。
庶民が使うのは紙ではなく木の板や樹皮だ。古くは動物の皮を使っていたが、庶民にとってはそれすらも高級品だ。自前で用意できる木板や樹皮に毛筆で書き込み、それを壁に貼りつければ用は足りる。
商人は場合によって木板だったり、羊皮紙だったり、分厚い繊維の編み込み布だったりする。これは取引の内容を記して相手に渡す場面に多く使う。当然ながら相手により変わるので、役人には羊皮紙を、大衆客には木板を、内部の記録用紙には編み込み布を、それぞれの目的に沿って使い分ける。判れば良い場合と、形式が優先される場合に依るのだ。
下級貴族は紙の出費に頭を悩ませる。貴族同士の遣り取りというのは当然ながら見栄を張る必要も出て来る訳で、質のいい紙に匂いを付けて恋文を送るなんて場面もあるのだ。当然ながらお値段の方も素晴らしく、見栄の高さに比例する。
最上級の貴族や王族は基本的に一種類の紙しか使わない。魔法紙と呼ばれる純白で定格サイズな紙だ。元々はマジックスクロールに使われていた物だが、頑丈さと美しさを兼ね備えたそれを、ユリアブランなる大商会が量産販売した事で、魔術師たちの専横を破壊した結果、身分が雲の上な方々の手にも行き渡った訳だ。尚、お値段はA4サイズ一枚でコッペパン百個分である。とある侯爵家の年間消費量は二万枚程だったと云われる。ちょっとした軍費である。
文房具一つとってもどれだけの市場規模になっているのか、それを調べるのが市場調査員という役人の仕事でもある。調べた内容は上司に提出され、それらを基に景気の動向を調べ、国策を決める一助となる。そんな仕事をして居る宮廷貴族は割と多い。
溜息をついて居る彼もそんな一人だ。
「これで一通り出揃ったな。皆ご苦労だった、確認させてもらう」
「はっ、よろしくお願いします」
数人の部下が自らの仕事部屋から出ていくと、再び重い溜息を吐く。判っているのだ、これが無駄になるであろうことは。予想通りに部下たちは不満そうな顔をしているが、それが自分たちの仕事だと自覚しているからこそ何も言わずに業務に忠実であってくれている。
此処は王城の財務部、民間財政官調査課の部屋だ。財政官調査課は金と物の動きを調べ尽くし、主に税金に関わる内容を調査し、財務大臣に報告する義務がある。だが、それにしてもだ、調べた内容を見ても税金を払っている商会の名前が違っていてもだ。ほぼ全ての商会の元締めがユリアブランというのは如何なものだろうか。とどのつまり、この国の税金の殆どを王妃が支払っているという事に他ならない。ここに異常さ極まれり、と声を大にして叫びたいと彼は調査書類を持つ手が震えていた。
「親商会の親商会の親商会が、そうか、これもユリアブランなのか。これも、これも、これも、これも。……冗談だろう」
この国の商会は少なくない。過去のユリアブラン商会の急成長により、複数の商会が飲み込まれはしたが、それでも、元々の商会の数は大して変動していない。その理由は、飲み込まれた商会の悉くが大商会だったからだ。合併などという生易しい事ではなく、完全なる吸収により各商会はユリアブランへと名を変えていった。
困るのはそれらを親商会としていた商人達である。気付いたら親会社の名前が変わっており、半年間もそのままだったという事例のなんと多い事か。年末に行われる税の申告で大混乱が起きた事がある。因みに、当時まだ王妃では無かったユリアブラン会長は「へぇ、そうなんだ?」とコメントしていた。いい迷惑である。尚、親商会を誤って申告しても違法ではない。それで税金を納められなくなるので焦るだけである。結果として税を納めなかった商人に警告が飛ぶのだが、追徴金通告書が来たりはしない。代わりに縄を持った騎士が来るから。
「また、今年も間違い探しだろうな。判ってるけどさ」
そんな訳でユリアブラン商会の納税申告書は、傘下に居ない商会を抜かした内容ではあるが、その内容が全体の調査結果と大して変わらないという結果になる。財政官は毎年のように、この「間違い探し」をするのだ。徒労に感じるのも無理はない。
◇◇
毎年の間違い探しをクリアした彼は、部下たちを自宅に招待して宴席を用意する。宮廷貴族のたしなみという奴だ。部下の中にも当然、貴族の子弟は居る。だが、その殆どが民間採用の平民なのだ。給料の良い王城勤めのサラリーマンは、平民の中でも特に優秀な者が就ける、云わば花形である。王都の貴校と平校。貴族かそうで無いかで区分されているが、実は履修内容に大して差が無い。貴校の方が妙な柵や政治関係の科目が多いだけである。それが一番大変なのだが。平民の中でそれを理解した上で貴族と共に働こうという者は少ない。それが一番大変だからだ。
「課長、西部の一大商業地帯の件、ご存じですか」
「ああ、第一王女殿下の商会だろう。アレもユリアブラン傘下だってな」
「それなんですが、王女殿下が商会を分化して、ユリアブラン傘下から抜け出したがっているらしいですよ」
部下の一人がそんな事を言い出すと、俺も俺もと同じような事を言い出してきた。
「再開発が上手くいったから、独立採算で始めようって事でしょう」
「それにしたって分化とは。散々、お世話してもらった親商会から抜けるって事でしょう。幾ら義理の姉妹とは言え、本気なんですかね」
「銀の聖女様が何もしないのなら黙認しているって事だろう。私は関わりたくないですけどね」
「ああ、我が一族も極力関わらないようにしている。処刑されたくないのでな」
「おいっ」
処刑、というワードを発した貴族の部下がバツが悪そうに黙った。かの王妃様に関する禁句なのだろう。魔術師に関係がある人間には有名な言葉だ。
かつて、この国には魔術師ギルドという組織があった。最終的に国家に反逆したために抹殺されたのだが、そのやり方が黑かった。王妃になる前の王太子妃が直々に潰しに向かったのだ。
北部から始まった魔術師ギルドと王太子妃の戦争は、西部の反乱で大多数が磨り潰された。その際、多数の魔術師が南部を含めて逃げ出し、そのまま東部の魔術師ギルドにて決起したのだ。
これを時の王太子妃ユリアネージュ=バエス=エステラードが鎮圧に向かったのだが、当時の状況を知る人間曰く「処刑人のようだった」と噂される程に徹底していたという。
魔術師ギルドに所属はしていたが、当時既にギルドを抜けていた人間からすれば恐怖の対象となった。黒い鎧を着たゴーレムが道を練り歩き、王太子妃を先頭に魔術師狩りが行われた。その光景を家の窓から見ていた野良の魔術師は、仙人級魔導師の恐ろしさをその目に刻んだらしい。
ただ、どうして、そこまで苛烈に魔術師ギルドを潰そうとしていたのかは、明らかになっていない。王家が反乱の先兵として王太子妃を送り込んだという記録も、公式には残っていない事になっている。今は商人達や、当時を知る魔術師たちの悪夢として語られているばかりだ。
「滅多な事を言うものではない。アレは全面的に反乱を起こした側が悪いのだからな」
「申し訳ありません…」
そんな王妃が旗頭として世の中を席巻する大商会を率いている。まぁ、面白く思わない者も、それなりには居るだろう。だが、あの王妃は実力行使に出たものを許さないし、計画した段階で潰されるという話は枚挙に暇がない。
王城では暗部が動いているのではと噂されているが、その真実を知る者は殆ど居ない。高位大臣クラスですら不気味に思っているのだから、最悪は国王ですら知らないのだろうと彼は青い顔で宴席のグラスを傾けた。
◇◇
会議は開かれる前に終わっている。それが最上である。相談をする場では無いのだから、予定調和で確認し合う場だ。そうでなければ休憩時間と大差はない。調査課の彼は上司である財務部の下級大臣と数人の同僚と共に穏やかな時間を過ごしていた。
「まぁ、今年も想定通りだな」
「はい。毎年の事ながら恐ろしい金額の税金ですね」
苦笑いをしているのは報告を受ける側の下級財務大臣。彼の上司であり、財務部長である。その部長の上司は侯爵級の上級大臣なのだが、大臣同士の会議には下っ端な調査課の彼は参加できないのだ。課長会議、部長会議、社長会議と会話のレベルが違うのは円滑な組織運営を行う上で自然な事と言える。
「閣下、こちらが、ここ五十年の変遷図です」
「うむ……はっは、凄いな。王妃様が十歳の時には税率を下げたのにも関わらず税収が数倍になり、輿入れの時には既にユリアブラン商会が出来る前の五十倍か。そして現在は凡そ数百倍と」
「来年度の予想数値はこちらです」
「あぁ、他と比べて桁が違うな」
「はい」
折れ線グラフが鯉の滝登りかという勢いで上がり、その勢いが全く衰えていない。得られた税収は公共機関の工事や、様々な雇用創出策に割り振られている。まぁ、それを指示しているのも、どこぞの王妃なのだが。
「次に、こちらは暗部から頂いた資料です」
「む……なるほど」
明るい雰囲気が一気に凍り付いた。城内で働く者に限らず、貴族であれば暗部には関わらないのが幸せなのだから当然である。
「年々、財源を不正に懐に入れようとするものが増えていくな」
「その逮捕者数が、そのまま労働者数の増加に繋がっているのも、また面白い所ですが」
「そうだな」
会議に参加していた民間財政官調査課の彼は、同僚と上司の会話に首を傾げた。
「わからんか?」
「はぁ、随分と多いようですが、これがどうして労働者数の増加に?」
「刑務だよ」
「けいむ、ですか? それは一体どういったものでしょう」
「監獄に職場を用意して、逮捕者を収容し、宛がった仕事を熟させる。しかも仕事の出来栄えに応じて、刑務期間を短縮すると約束してだ」
「なるほど。餌をぶら下げて走らされる馬ですな」
「そういうことだ。中々えげつない事を考えなさるが、治安維持と景気向上に役立っている上に、刑務所の設営で一般労働者も仕事にありつける。おまけに不穏な事を考える派閥も規模縮小と、良い事尽くめらしいぞ」
大きなお腹を見せて笑う上司に、民間財政官の彼もドン引きである。これまでに無かったシステムを導入したのも、もちろん王妃だ。そして恐らく、其処に入る者達を捕えたのも王妃だろう。
「逮捕者がまるで…ゴーレムのような扱い方ですが、良いのでしょうかね」
「良いのではないか?僕は正当な取引だと思うぞ。刑期短縮と仕事の成果。互いに得るモノがある正しい取引だ。問題あるまい」
「そう、なのでしょうね」
「そうだ。間違いない」
民間財政官調査課の彼の疑問も間違ってはいないと、彼の同僚も僅かに頷いた。
◇◇
商売とは利害得失の思慮を重ねるものではあるが、必ずしもそうして成功を重ねて来た者ばかりではない。度重なる幸運と、周囲の善意で成り立ってきている人間も居るのだ。そんな人間が正道且つ理不尽な力で負かされると、自分の力を否定されたかのように意固地になってしまうパターンもある。
「だから、何度も言ってるだろう。申し訳ないけれどさ、安くて良いものを早く手に入れられるなら、商売人としちゃ選ぶべきものを選ぶってもんだよ。質だけに拘って商機を逃すわけにはいかないんだって」
「だからって、これまでずっと卸してきた俺たちはどうなるってんだ。あんな奴隷が作った物の方が売れるってのかよ」
王都バンドラールから離れた町工房にて、白髪交じりの商人と、皺だらけの小太りな職人が睨みあっていた。二人は親の代から続く取引関係を続けているが、職人が手に持った毛筆を巡って交渉をしている。
「買い取らないとは言って無いだろう。数は減らさせてもらうけど、これまで通りの単価で引き受けるって言ってるじゃないか」
「あんな十分の一だけじゃ少なすぎて、やってけねぇよ!」
「ダウチさん、これも時代の流れってやつだよ。馬屋みたいに、大人しく転職先を紹介してもらった方が良いんじゃないか。相手が悪すぎるよ。それじゃ、時間無いから。この辺で!」
「まってくれ、弟子を見捨てろってのか。おい!」
流行りの魔導車に乗って去っていく商人の姿は、整った街道を滑るように走り出して素早く遠ざけて行った。筆職人ダウチの若い頃には無かったものだ。
「なんだってんだよ、ちくしょう。なんだってんだよ……」
ダウチの足元に落ちる影が、去っていった車を追いかけそうになるほど、ダウチの背中は煤けて見えた。
世界最大企業ユリアブラン。かの聖女王妃が一代で作り上げた大商会の影響は、数々の並居る商会や職人の横っ面を張り倒していった。次々と世に出される新商品、飲み込まれる商会、鞍替えしていく知人の職人たち、衣食住全てにおいて、かの大商会のロゴマークが目に付く。
馬屋は馬の放牧を止め、服屋は次々と屋号を変えて頬に傷のある女のマークを取り付ける。いつの間にか大工たちは鍛冶ギルドごとユリアブランの傘下に入り、刃物だけではなく家屋の建材を溶鉱炉から取り出すようになった。大河で漁をしていた男たちは、こぞって聖女像を船首に付けた船に乗り、大海原で豊漁に笑みを浮かべる毎日。軒を連ねた食品市場は巨大スーパーに姿を変えて、契約農場で働く旧貧民街の農夫たちが品を納める。日々の幸福度は確実に上がっている。それはダウチも実感していた。
「でもよぉ。諦めきれねえよ。良いもん作って何が悪いってんだよ…」
夕日を頭に肩を落とすと、ダウチはトボトボと弟子たちの待つ工房へと足を引き摺って行った。
ダウチの筆工房では五人の弟子を抱えている。毛筆を買う客は多いし、毎日のように使っていれば自然と消耗品として認識される。素人が自宅で作る筆よりも遥かに使いやすく、長持ちすると評判なのだ。墨も暖炉の灰から作るような質の悪いものではなく、色濃く見栄えも良い逸品だ。
ではなぜ売れないのか。ダウチが商人から受け取った筆と墨は、かの大商会が奴隷に造らせている物だと言う。(正確には刑務所の受刑者)
「こんなものの、何が良いってんだ」
墨を硯で擦り、水に溶けていくソレを見ながら呟く。商人から受け取った見栄えの悪い毛筆の先端を墨汁で濡らすと、庶民が紙代わりに使う樹皮に滑らせた。艶、悪い。濃さ、まぁまぁ。墨の持ち、短い、直ぐに書けなくなる。
だが安い。ダウチの所で売っている品の、三割以下の値段で買える。値段相応の質で、そこそこの使用に耐えうる。ギリギリのラインを攻めて来た売れる最低品質の製品だ。
「貴族にも筆を使う奴は居る。典礼なんかじゃ、必須だからな。そういった注文も受けている。だが、それだけで食っていける程、頻繁に受けてねぇ」
「親方」
ダウチが頭を抱えて呻っていると、弟子の一人が作業机の傍に立っていた。今日の作業分が終わり、既に全員が帰宅の用意をしていた。
「どうした」
「その筆の事は俺たちも聞いています。それで、その…」
「なんだ、ハッキリ言え」
「ユリアブランって商会から引き抜きの誘いが来ているんです」
引き抜き、とは何だと一瞬の混乱を経て、ダウチは弟子が机の上に差し出してきた書状をひったくった。ガサバサと破り捨ててしまわないか弟子が心配に思う勢いで拡げると、ダウチは一心不乱に内容を確かめる。吐息が震えるのも構わずに読み進めた。
「……この工房を辞めて、あの商会に移って、工房を建てるってのか」
「はい。あ、いえ、工房はそのまま、それで、親方もどうかと」
「なぁめぇぇぇやがってえええええ!」
「おわっ」
勢いよく立ち上がったダウチは両手に持った書状を引き裂くように拡げると、そのまま二つになった書状を両手でこねくり回してしまう。ぐしゃぐしゃの丸いボールになったそれを目の前の弟子に投げつけると、赤鬼の形相で叫んだ。
「どこへなりとも行っちまえ!てめぇらは破門だ!!」
「ちょ、親方!」
「待ってください親方!」
「うるせぇ!出ていけ!二度と此処には来るんじゃねぇ!」
「親方!」
弟子たちが尻を蹴り上げられながら追い出されると、頑丈な工房の扉が勢いよく閉まる。直後に再び開かれると、弟子たちの荷物袋が怒鳴り声と共に飛び出て来た。
「俺は負けん!最高の筆を作って国王に献上してやらぁ!てめぇらは奴隷と一緒にクソったれな筆でも作りやがれ!」
再び頑丈な扉が勢いよく閉まると、五人の弟子たちは夕日に染められながら呆然と扉を眺めるだけだった。
◇◇
財政官の下級大臣が集まる会議場は王城の財務部にて行われる。ここで取りまとめた内容が上級大臣や国王が顔を出す御前会議で報告される事となるのだが、例年の事なので内容に大きな問題はない。ただ、財務卿ともよばれる財務大臣の長が出席しているせいか、彼らの顔には余裕が無い。
「侯爵閣下、こちらが今年度の税務報告結果になります」
「確認させてもらった。まぁ、毎年の如くだが、用途に頭を悩ませるな」
「例年の公共事業拡大は、今年も続くのでしょうか」
「王権代行でもある王妃様の手腕に乞うご期待だよ。メルトラは大分手が入ったようだが、まだまだエステラードの様にはいかない。正しく、悪事を抑えつつ、国家事業を展開していく事のなんと難しい事か。それを奇跡の手腕で熟されてしまう。なんとも仕え甲斐の無いお方でな、はっはっは」
「然様で御座いますか…」
財務卿は侯爵位を戴いているが、かの五大侯爵家のような絶大な力がある訳ではない。エステラード王国建国時から、王城で政務を補佐してきている真面目で実直な性格が血筋に現れているお陰か、数代前に侯爵家に上がったばかりだ。とはいえ、高位貴族には違いない上に、直接王妃と仕事の遣り取りをする数少ない人物という事で、貴族の間では畏敬の念を抱かれてもいる。あの処刑人の相手を良く勤められるな、という意味で。
「南部はインフラ整備が行き届いております故、以降は緩やかな事業展開となるでしょうが、北部と西部は加速度的に仕事が増えていくでしょう。それらを複数の予算規模で数パターンご用意いたしましたが、如何でしょうか」
「うん、要望通りだね。それに私の指示外のパターンも作ってくれたのか。ありがとう、助かるよ。正直なところ、王妃様の突飛な発想でどうなるか分からない所は有るが、既存踏襲の事業であればこのまま通るだろうね」
「それは宜しゅうございました」
提案した下級大臣がホッとするが、王妃の突飛な発想という部分で体が固まった。かの王妃は工事用魔導具等と言いつつ、度々新型魔動機を作って現場に送り出す為、想定した金額よりも安くつく場合が多い。そうなるとダブった税金の使い道を考え直さなければならなくなる。それが億単位の金額で発生する事も多い為、金額計算をしなければならない彼らからすれば戦々恐々となるのも当然だろう。提案、算定、認可、数週間の無駄……考えたくもないと下級大臣の数人が僅かに頭を振る。
「東の評議会は未だ落ち着かず、だねぇ」
「まともに商売も出来ないと民からの不満も相次いでおりますからな」
「幾つかの部族は南部に脱出しているとか?」
「そうだねぇ。獣人の武力派閥と、エルフやドワーフ、素人を主とした獣人の知識派閥に二分して紛争が絶えない。未だに我が国の一員であると言う自覚が無いらしいよ」
「王太子殿下が奔走されていると聞きましたが」
「本来、獣人の代表である鳥人族が不在である以上、あそこは誰であろうと纏まらないだろうね。王妃様が怒り出す前に、落ち着いて欲しい所だけど、ねぇ」
「「「………」」」
東部の処刑人、断罪の聖女、討魔の竜人。他にも様々な噂話が貴族の間に流れている。それらは実しやかな話ではあるが、事実が元になっているだけに王妃も払拭しようとはしないらしい。その話を思い出して彼らも冷たい汗を流す。
「今回もありがとう、これで御前会議に報告するとしよう。また、すぐ動くかもしれないからね。体制は整えておいてくれたまえ」
「「「はっ」」」
「それでは解散としよう」
「お時間を頂きまして有難う御座いました」
「それではね」
財務卿が立ち上がり、数名の部下と共に会議室を退室していくと残った下級大臣たちが一斉に長い溜息を吐く。息ぴったりである。
「君の所、何人動かせる?僕は余裕ないけど」
「うちは三人分しか余裕が無いな」
「一人倒れた。良いのが居ないか父上に相談してくるところだ」
「僕もだ」
「微妙に作業内容が異なるとはいえ、いい加減、部署統合しないと耐えられん」
「ホントだよ。派閥が三人とも違うから無理だけどね」
「それを言うなよ」
同い年で派閥違いの家に生まれた三人の下級大臣は、同級生で幼馴染であったが故の悲哀を感じさせる会話だ。揃って立ち上がると、余所行き用の表情に戻しながら一人ずつ、会議室の扉を開けて行ったのであった。
◇◇
年度末の税務処理戦争が終わって数週間すると、めずらしく市場調査員の彼が所属する課に下級大臣が入室してきた。しかも、暗い顔で。普段は調査課の課長に人伝に連絡をしてくるだけのお偉い人なのだが、と怪訝な顔を周囲がしていると、課長に耳打ちした後で数回の拍手。傾聴という事か。
「ちょっと僕の話を聞いてくれ。先ほど、御前会議で王妃様より提案があった。産業振興と文化振興を目的とした、評論大会を開くことになった。ついては、君たち調査課の広い目を期待して、質のいい商品を提供できる者を探し出してもらいたい」
「しょ、承知いたしました。一つ質問が御座います。それは職人を表彰する場を提供すると言う事なのでしょうか?」
「まぁ、僕も財務卿から聞いた話だから、最初から詳細を詰めている訳じゃないみたいだが…、どうやらこっちの裁量である程度用意してしまって良いいというお言葉を戴いた。どんなものが出て来るのか、国王夫妻が楽しみにしている、という事だけ認識した上で、開催に臨んで欲しい。というのが僕の上司の勅令だ」
「な、なるほど。基準などは御座いますか」
「そうだね、一応大雑把なルールはあるのだが…」
課長と下級大臣の遣り取りを見つつ、全員が起立してこれからの予定を頭の中でこねくり回していた。あの予定はキャンセルして、あの人に当たりを付けて、いやいやあっちの人を連れて来た方が良いか。想いを巡らせている間に二人の折衝は完了したらしい。
「それでは出揃ったら報告をくれよ」
「はっ、しかと承りました。変更等ございましたらご連絡ください」
「あぁ、頼んだよ」
「宜しくお願い致します」
課長が貴族式の礼をすると、それに倣って調査課の面々も礼をする。平民であろうと、優秀な人材なら貴族式の礼を出来て当たり前なのだ。扉が閉まる音が響くと、一斉に動き出した。
「製品別に一覧を作れ!」
「受賞した場合に備えて職人の性格でもふるいを掛けろ!」
「部門別に何人まで用意できるかを勘案しろ!」
「課長!こっち手が足りません!」
「バイトを雇え!民間に広く広告を出すんだから、人集めでバレたってかまわん!」
「審査は誰がするんですか!」
「五大侯爵家の方々と王妃様だ!公爵家も来るぞ!」
「そんな面子でどこでやるつもりですか!」
「会場ごと新設だ!」
「一年間は作品を展示って凄いな!」
「こりゃ職人も釣れるぜ!」
「正しく名誉の大会だ!」
バサバサと紙が飛び交い、壁に要旨を書き込んだメモが張り出されていく。部下が記入し課長に渡し、アレでもないコレでもないと壁のメモがとっかえひっかえされていくと、次第に情報が洗練されていくのだ。調査課数十人の集合知が壁一面に整理されていくと、半日もせずに出場を打診する職人が出そろった。
「明日は外回りだ。評論大会の名誉を訴えて、出場者をかき集めてこい!」
「サー、イエッ、サー!」
こうして、新しい風が吹き始めたのだった。
◇◇
市場調査員の彼は王都から一つ離れた街に到着すると、調べ上げた工房へを足を運んだ。街内でも人気の筆職人らしく単純な売上高でも良い数字を叩き出している。職人工房としては大きい方で、門構えも立派だ。大きな扉の前に立った彼は大きなドアノッカーを掴むと三度、音を鳴らした。
「出ない。人が居ないって事は無いと思うが」
曲がりなりにも人気の工房なのだから、他所と同様に弟子はとっているだろう。そうで無ければ、筆職人でこれほど大きい工房である理由が無い。そんな事を考えつつ不審に思っていると、何度目かの音で扉が飛来、いや開いた。
「なんだ!煩いぞさっきから!」
「お、お休みでしたか?」
扉から大声と共に現れたのはダウチだ。どう見ても寝ぼけてはいないが、市場調査員の彼は一応、就寝中だったのかと聞いてみた。そんな彼をジロリと見たダウチは貴族然とした身なりに不審な眼を向けている。
「どちらさんかな」
「ああ、んん。私は王城勤務の財務部職員で市場調査員の者なのですが、本日は別件でお伺いしました。こちらをお届けに上がったのです」
「これは」
差し出された封筒をダウチが見て首を傾げる。彼が見たものは王印が押された手紙の封筒だ。まぁ、解らないのは当たり前だ。
「王家からのお手紙です」
「はぁ?」
「筆職人のダウチさん、あなたは王都で行われる作品評論大会に出場して頂きたい。もちろんご自慢の毛筆と一緒に」
「いや、しかし、王家、はぁ?」
平民として生きて、職人として生きて、早五十年は経とうかという男に、今更王家から何の用かという思いと、単純に王家からの手紙を受け取る自分を誇りに思う部分がダウチの中で螺旋の如く混ざり合い、混乱の極地へと至らせた。
「えーと、評論?大会?に出てどうするんだ。筆だぞ?毛筆だぞ?」
「はい。あなたの筆が最も販売量が多い事から、選ばれました。あとは二番手三番手なんかも招待しますが、それらのなかで最良と選ばれたら、貴方の毛筆は名実ともに国一番として有名になりますよ」
「そりゃ、自信が無い訳じゃねえが、いや、しかし、ダメだ。どうせ皆、奴隷が作った筆を買いやがる。数多く駄作を作って、沢山売れる奴が一番なんだろう。それなら俺が行ったって選ばれやしねえよ」
「あれは品質を落としたものであると判った上で買われているんですよ。あなたの筆が高品質だと言うのであれば、質で勝負をする場所に出て行かないでいつ出ていくと言うのです!今でしょ!」
「今ではねえだろう。とにかく、その、なんだ、評論大会とやらに出て、認められて来いって事なのか?それがなんだってんだ。あと、いつやる話なんだそれは」
無駄にテンションの上がった調査員にダウチが溜息を吐きつつ冷静に突っ込む。他人が熱くなってると冷静になれるパターンである。
「三か月後、王都の博覧館で開催されます。国王陛下を始めとして最上級の賓客が評定に参加されますので、文句なしの国内最高峰の品評会になるでしょう。ここで参加しないのは、職人として問題ではありませんか」
「ちっ、しょうがねえ。期待はしてねえがキッチリ仕事はしてやる。俺が行かないとアンタも困る立場なんだろう」
「仰る通りです」
調査員が去った後も、ダウチはジッと手の中の手紙を見詰めていた。誰も求めていないだろう自分の毛筆が、一体どれだけの評価を下されるのか。それを見極めてから終わるのも一興か、と。
◇◇
骨を彫る。木を彫る。銀を打つ。毛を薬液に付ける。揃った毛を彫った骨で纏める。その上に彫りこんだ木の柄で挟み込み、銀の輪で終端を留める。束ねた毛を整えて、専用のケースに嵌めこむ。桐と絹で整えた美しいケースだ。
「ふぅ、こんなもんだろう。評論大会とかいうのなら、一つの箱に全てのサイズが入った物で見栄えを整える。あとは書き心地だ。墨も最高のを用意した。水もだ、文句なんか付けさせねぇ」
筆職人ダウチは工房で一人、呟くように言うと静かに桐箱に蓋をした。銀糸を底板の淵に開けた穴に通し、それを上面に持ってくると十字に結ぶ。紐を切り揃えて蝶結びになるように整えて完成だ。
「行くか」
工房の大扉を開いて踏み出すと朝露が靴を濡らす。向かうは新設されたという博覧館だ。貴校と平校の間に造られたという王都の北にある館には、国中から職人たちが集まると聞かされた。自分もその一人に選ばれたのだと言う自負がダウチの足を急がせる。街と街を結ぶ魔導車に乗り込み、高い金を払って王都に揺られつつ筆職人は景色を眺める。朝一だからだろうか、ニ十席以上もある座席にはダウチを含めて三人しか座っていない。
「運命の日ってやつか…」
整えられた街道を魔導車が走り、窓枠の景色は信じられないスピードで流れていく。ダウチは魔導車に乗るのも初めての事だった。
「すげぇもんだな」
良いものは良い。そう言えるのも職人の性だろうか。アレだけ嫌っていた大商会の作った物であろうとも、ダウチは魔導車の事をすぐに認めたらしい。尻の位置を直して前を向くと、同じように景色を食い入るように見る人間が二人。御同輩かと苦笑いしつつ、ダウチは手元の桐箱が入った袋を持ち直した。
◇◇
ダウチは巨大な屋敷のような博覧館に到着すると、ロの字に造られた館の中心地である広大な中庭に案内された。館の戸が幾つも見え、作業をする人間が出たり入ったりと忙しない。
「ああ、ダウチさんですね。評論会に出品する品の置き場所にご案内します」
「う、うむ。よろしく頼む」
身なりの整った貴族然とした係員に声を掛けられると、他の職人連中と同様にキョロキョロしながら案内されていく。こればかりは都会に慣れていないのと、キッチリした格好に触れ慣れていないという経験の無さが態度に出てしまうのだろう。緊張した面持ちでテーブルクロスが敷かれた長机の上に作品が置かれた。
「ダウチさんは机の向かいに立って、作品の口頭説明をお願いします」
「そ、そうじゃな。ん? ワシだけが立つのか」
「それぞれの作品の前には各職人さんが立ちますので、喧嘩しないようにお気をつけください。国王陛下も居らっしゃいますからね」
「こ、こ、こ、国王陛下もまみまえられらるのか!」
「落ち着いて下さい、大丈夫です、しっかり作品に対する想いを語っていただければ十分です」
「そ、そうか。うん、すまんな。取り乱した」
「いえいえ、それでは間もなく来賓の方が入られますので、椅子に座ってお待ちください」
「わ、わかった」
どもり、舌が廻っていないが、ダウチは何とか平静さを保つように努力した。目の前を大物貴族と思しき者達が通り過ぎるまでは。
「す、凄いな。あの布は何じゃ。輝いておる…」
司会の声でアピアミア侯爵と紹介された美人は、見た事も無い美しい白銀の衣を纏っていた。胸にはハート形の赤い宝石が輝いている。まるでハートの女王だ。
続いて教皇、笑顔が怖い外務卿、騎士団長、宮廷魔導士長と続く。ダウチですら聞いた事のある五大侯爵家の面々だ。一人一人が王のような迫力を感じて、起立したダウチは腰が抜けそうになっていた。
「続いて公爵家より王弟殿下ご夫妻をご紹介させていただきます」
王の一族、ただし現王とは従弟に当たる公爵が妻と共に歩いて来る。目の下に隈があり顔色が悪い。しかしガッシリとした体つきで、熟練の剣士だと云われても頷ける。先の五人とは違う意味で迫力がある。
「国王陛下のご入場です」
その場の全員が起立姿勢から一斉に跪いた。ダウチも一瞬呆けたが、他の職人たちと同様に視線を動かさずに跪く。若い。若いが、先の公爵よりも遥かに迫力がある。銀糸を纏わせた明るい青の服に、白銀のマントを羽織った大柄な男。口元に整った髭、後ろに纏めた金髪、優しくも力強い眼差し、何よりも全身が薄っすらと金色に輝いている。
「(目の錯覚か?)」
薄く闘気鎧を纏っているのだが、これは王妃の入れ知恵である。騎士団長がニヤリと笑っている事にダウチは気付いていない。そして、国王の後ろに気配を消すように追随する王妃にも気付いていない。
この王妃、紛れもなく本人なのだが、魔力を完全に制御しているせいで、自然と一体化して自身の気配を消すという、暗部が聞いたら泣きそうな事をこんな場面で使っている。全ては夫を目立たせるためだ。
ただでさえ名の売れた自分が近くに居れば、国王よりも王妃に目が行ってしまう。国主としてそれは良くないと、このような真似をしているらしいが、やはりダウチは気付いていない。
一段高い場所に国王と王妃が座り、その右手に五大侯爵が、左手に公爵家が座ると博覧館の中から盛大なオーケストラが響き渡り始めた。どうやらこれからが本番らしいと、ダウチは気合を入れ直した。
司会の簡素な商会と共に評論家となる数々の貴族が動き出す。それぞれ名のある貴族で、当然ながら珍品良品には目が無い。彼らに鑑定スキル持ちが付き添い、貴族が品を、鑑定で職人を見定めるというやり方だ。
ガチガチに固まった職人たちは僅かな説明をすると、後は目の前の貴族が勝手に解説を始めるという、不思議な状況がそこかしこで始まった。場慣れしていない職人は当然のように喋れない。当たり前である。そうこうしているうちにダウチの前にも貴族が現れた。
「これは何かな?」
「も、毛筆です。それぞれの太さに合わせて、仔馬の毛や、仔狼の毛など、若い動物の毛を使う事で、文字だけでなく、絵に使う事も…」
「ふむ、そうか。毛筆は使った事が無くてな。お、そっちはミスリルのペン先を使っているのか。良いね、インク壺も見事だ」
「ありがとうございます。これはですね…」
それもそうだ。ダウチの持ってきた毛筆は、基本的に貴族が生涯に渡って使わないものだから。毛筆は平民の使うもの、それも貧民に該当する者達が使うものだ。高貴なる者達は使う機会が無い。
ダウチが悔しさに歯噛みしていると、やはり貴族はチラ見してスルーしてしまう。商品価値が判らない者が殆どだから。判っていたとしても、ペンの代わりに使う程のものでもない。絵画が趣味の貴族でもない限り、毛筆など手に取らない。当たり前のことと自覚していたが、此処でそれを再認識させられたダウチは打ちのめされてしまった。
「………これじゃ、なんの為に。なんの為にっ」
と、俯いていたダウチの前に誰かが足を止めた。とても綺麗な白銀の衣で、まるで気配の薄い、居るか居ないか判らないくらいの何者かだった。
「毛筆か。良いわね、コレ。ねぇ、レオン。あっちに紙の職人さんが居たわよね。あと、硯と墨が欲しいわね」
「ユリア、買い物じゃなくて評論をしに来たんだが」
「使ってみないと判らないじゃない」
「それなら持ってこさせるか?」
「是非!」
その綺麗な白銀の隣に目をやると、明るい青い服が白銀のマントの間から覗かせて王妃と語らう国王が居た。顔を上げたダウチはそのままフリーズした。
「ねぇ職人さん。硯と墨は持ってないかしら」
「あ、あります」
「ちょっと貸して下さらない」
「ど、どぞう」
わたわたと回らない舌で回答しつつ作品の横に硯と墨を置く。王妃が硯の上に指先を伸ばすと僅かに水が零れ、その細い指で墨が擦られる。ジャッ!と信じられない音を出して王妃の指がブレると、一瞬で黒くなった墨汁が出来上がった。
「紙をお持ちしました」
「あら、ありがとう。全種類持ってきてくれたのね、助かるわ」
「お安い御用で御座います」
斜め向かいにある、紙を作る職人グループから数人の職人がやってきて、様々な種類の紙を持ってきた。王妃はそれを長机の上に置き、一枚一枚を並べていく。最後に紙の上辺へ指先を置くと、石が一つ一つ置かれていった。あまりの不自然さにダウチは目を擦った。
「石が現れおった……」
当たり前のように魔法を使った王妃だが、魔法を使えるのは未だ全国民の三割に満たないと言う事を此処に宣言しておく。貴族は大体使えるが、平民の魔法使いは希少だ。
次に王妃は細い筆を手に取り、硯を片手に持ち歩く。それぞれの紙の前に立ち、紙に龍の絵を書き始めた。
「これは……ブラウか?」
「そうっ!正解!流石レオンね」
「上手いな」
「えっへん」
等と言いつつ、王妃は書き連ねていく。
「これはシャルル。これはシージ。これはディーネ。これはナルア。これはネーサ。躍動感出てるでしょう」
「この周りに風のように線が描かれているのが良いな」
「シャルルとネーサは特に空中戦が得意だからね」
「ブラウとシージは寝ている姿なんだな」
「かわいく描いてみました」
「上手だ。見せたら、きっと喜ぶぞ」
「でしょう」
途端にいちゃつく国王夫妻の近くには人が集まりつつあった。既に王妃の隠蔽術はどっかいった。そのせいだろう、目を丸くしている人が殆どだ。騎士団長と魔導士長は苦笑いである。
「さて、筆職人さん。良い腕ね。これだけの筆はなかなか手に入らないわ。知り合いの画家を紹介するから、用立てて貰って良いかしら。私が書いたような水墨画を描いて欲しいのよね」
「は、ははーっ!よろこんでーっ!」
「あ、正式に私の商会で取引させてもらうから、後日発注させてもらうわね。あなたも水墨画に挑戦してみてね。画家が求めるものが何かを見極めるには必要でしょうから」
「は、ははっ!!是非とも挑戦させていただきます!」
ダウチは両手が震えている。思わず自分の両掌を眼前に持ち上げてしまう。歓喜の震えで気絶してしまいそうな勢いである。腕を認められた事、新たな可能性を見せてくれたこと、王妃のあまりの美しさ、その剛毅さ、全てがダウチの職人の手を震わせる。
「うん、うん。頑張ってくださいね」
「ありがとうごだいまふっ!」
最期に、震えるダウチの手を王妃が手に取り握手をすると、国王と共に他の職人の作品を閲覧にしていく。ダウチは握手をする手を差し出した姿勢のまま暫く動けなかったという。
◇◇
死後、ダウチは水墨画家として名を馳せるが、彼が筆職人である事はあまり知られていない。代表作として『女神の書生』があるが、これは彼の死後発見された作品であり、それまでは筆を売って細々と生活していたという。
彼の使っていた筆は死後、ダウチモデルとしてユリアブランで発表されるが描いた絵が動き出す魔導筆として気味悪がられた。ただ、女神が使っていた筆だと印象操作を行う事で、『女神の書生』と共に有名になっていったという。
ユリアネージュ「邪ッ!!」




