070
緑婆こと大魔女リリーヴェール覗き見事件から半年が過ぎた。依然として彼女は姿を消したままだし、北と西の守り人も誰なのか不明なままだ。そうこうしている内に西のメルトラ公国が属国化の是非に対して回答を示してきた。
答えは是。エステラードの統治下となり、これまで複数の公爵家が国家元首を執り行ってきた連合国家は解体され、国家だった土地は各領地として再配分される事となる。国のトップとして民を想い舵取りを行ってきた者は領土を拡げ、逆に暴虐の限りを尽くしてきた者は地位を剥奪されてお父様の足元に連れてこられた。
公国は名を変えてエステラード王国西部メルトラ地域となり、各地に私のトンボゴーレムを胸に付けた監察官が派遣されて、彼らはお父様から直接指示を受けながら仕事をする事となった。これで現地の様子を見たいときに確認できるし、指示も冷めたピザの様なマズくて遅い話は無い。
「これは素晴らしいな! 世界樹の根の向こうにある土地とこうして会話が出来るというだけでも凄まじい事だというのに、各地の様子を監察官を通して知ることが出来る。百聞は一見に如かずだったか? まさにその通りだ」
お父様も喜んでいるようだし、暇な時間も減ってアルの教育に口出しする事も減るだろう。良かった良かった。
「ん? 何だその黒い笑いは」
「何でもございませんことヨ。オホホホホホ・・・・・」
監察官はお父様からの指示しか受け付けないと約束させているので、お父様は部下に任せて遊ぶ時間は無い。便利になった分、仕事をする時間が増えるという本末転倒な問題を味わうのは、どの時代も偉い人からなのだよ。
◇◇
幾分かの気晴らしを謁見の間で済ましつつ、公国から遅れて帰って来たレオンを労う。これから三人のパパになるというのに私の旦那も忙しい。少し膨らんだお腹を庇いながら、広いリビングに敷かれたフカフカカーペットの上でフランと遊んだ。アルはレオンの話を聞くのに夢中だ。旅行とか好きなのかな。もうすぐ五歳となるアルを見ながら話を聞いていた。
「―――それで結局、フーバル公は過去の悪事を白日の下に晒されてどうにもならなくなり、首都で公開処刑となった。罪状を読み上げるだけで一時間も掛かったんだぞ。調べることが出来ただけでそれなんだ、一体どれだけの悪事を重ねてきたのか・・・全く、世の中には想像以上の存在というのが多いな」
「父様、そのフーバル公という人は悪い事を隠す能力があったのですか」
「というより、誰もその事を口にできなかっただけだな。彼本人は、言い方は悪いがボンクラだった。大して能力も無いが、先祖たちが作り上げた仕組みの上で胡坐をかいていたのだろう。政務も手を着けたことが無いらしく、その全てを家宰が取り仕切っていた。家宰は王国が雇う事になったよ。給料が上がったと喜んでいたぞ。ハハハ」
「では民が迷うような事はもうなさそうですね」
「そうだな。それだけが救いだ。と、言っても家宰は優秀な政治家だったらしくてな。公の領民はみな幸せに過ごしていたよ」
「一部を除いて、ですか」
「そうだな」
しんみりとした二人になったが、レオンが「だが」と言葉を続けてアルの頭を撫でた。
「もう心配ない。監察官たちを通して、父上や私が動く。それにユリアも居る。メルトラの地は不幸から遠い場所になるだろう」
「不幸から遠い場所・・・本当にそうなのですか? 魔物の氾濫が続く限り、どこかで酷い事が起きてしまうのではありませんか?」
「それを防ぐための属国化だ。いずれ評議国とも話さねばならない」
「そうですね。そうなのですね。北部魔導議会も母様が不在だったら、不幸な事になっていたとお聞きしました。それでも私は怖いのです。天変地異に等しい事が起きてしまうのに、ヒトが何処まで対抗できるのか。怖いのです」
アルの言う事も一理ある。化け物めいた力を手にしたとはいえ、私にもできる事と出来ない事はある。それでも出来る事はやらなければならない。じゃないと、何かが起きた時に思ってた以上の被害が出てしまう。
「怖くとも抗いなさい。私やユリアはその為に力を尽くしているのだから、お前もそうするといい」
「・・・生きる為、ですか」
私が教えた強くなるための理由だ。
「そうだ。生きる為だ。生き延びる為でもある。人類は魔物に抗いながら生きて来た。だから守る力を身に着け、恐怖を克服するしかない。誰もがそうやって恐怖に抗っているのだ」
「・・・はい」
このやり取りは既に何度も目にしている。それでもアルは必要以上に剣を振る事は無かった。今も鍛錬で型稽古を繰り返しているが、それだけだ。気力制御も鍛えているが、私とブランママとで行っている約束稽古をやっていないせいか成長が遅い。このままだとフランの方が先に闘気を覚えそうだ。
それに、強制した所で身に着くモノじゃない。それはハイネさんで実証済みである。あの人は戦意に溢れている人だけれど、未だに闘気が身につかない。あっという間に並列制御と魔力制御をマスターしたのに、未だに気力制御レベルはマスターできていない。毎日やってるわよ!と本人は言うのだが、ギリギリの接近戦をやらないと闘気に辿り着くのは無理だろうな。それでも片手で一トンの荷運びが出来るくらいの力は発揮できるから、一般人目線で見たら十分怪物だ。
「別に無理強いはしないわよ。鍛錬というのは執着や熱意のような物がないと身にならないものね。私は冬を越せるか不安だったから、魔物に殺されたくなかったから、餓死するのが怖かったから、重いスプーンを持ちたくなかったから強くなった」
アルは私の話の半分も理解できないという顔をしている。そりゃそうだ。平原の掘立小屋に生まれて、すぐそこに魔物が居て、トイレも風呂も無くて、それでも愛すべき家族が居たというだけの事だけれど、体験した事の無いアルには理解できない世界だ。
「だから、貴方も失いたくない大切な物や人、そして抗いたい壁を明確にしなさい。そして必要な手段が何なのかを考えれば、自然と強くなりたいと考えられるから。そしてどこまでも強くなりなさい。私もレオンも、貴方を気持ち悪がったりしないし、恐れたりしない。それが親という物だからね」
次期王太子として生まれ、英才教育を受ける天才児であっても、見聞もしない世界は理解できないだろう。だから自分で見つけるしかない。そう考えると私は恵まれていた。戦う理由がそこかしこに転がっていたのだから。
私の言葉を飲み込んだアルは、暫くすると涙を流した。レオンは何やら慌てていたが、笑顔で泣くアルを見て、私は何だか嬉しくなった。良かった、この子は心無い人間じゃない。この涙は愛情を注がれて溢れた涙だ。ああ、やはり私の両親は偉大だ。あの二人から受けた言葉が、今、私の息子の心を打ち響かせている。あの時のように私も泣いてしまいそうだ。
◇◇
何がどうなったのか知らないけれど、アルはレオンと一緒にメルトラ(旧公国)に向かう事になった。おい! なんでだよ! まだまだ可愛い時期なのに! 可愛い盛りをママと一緒に過ごすんじゃないのかよ!
「ねぇ、私も一緒に」
「ユリア、それじゃフランを置いて行ってしまうし、何より君は身重だろう。何年もかかる訳じゃないし、年に何度も帰る事になるから心配する事は無い」
もう何度目か分からない遣り取りをベッドで繰り返す。ぐぬぬ。
あれからアルは頻繁に私と約束稽古を繰り返すようになった。それを見てレオンも相手をするようになったのだが、どうやら身重の母親が動くと目立つらしく、片手であしらっていても傍目には心配されてしまうらしい。という訳でレオンと過ごす時間が増えたアルは、メルトラの話を繰り返す内に政務研修も兼ねて旅に出る事となった。
「ハイネさん達は同行するのに・・・同行するのにぃ・・・」
「まだ授業が終わってないだろう」
「うぅ・・・」
お腹を庇いつつレオンの胸の頭を擦りつけると、一晩撫でまわされた。恥ずかしい。
◇◇
五歳の誕生日パーティを済ませるとアルセウス一行は旅立っていった。出発前に私がアルを離さないで居たらレオンに叱られた。理不尽である。仕方ないのでブランママを招いて寝室でお話し相手になって貰っている。お母様とアナ姫も一緒だ。母親になってもアナ姫は姫である。この母子は出産しても体型が変わらないようにしているらしい。出産後の骨盤矯正って意外と一般的なんだと思った。
「というわけでアルが旅立ったの。悔しいからエンバーとコールを同行させました!」
「ああ、だから部屋の空気がいつもと違うのか」
「言われてみれば居ませんね」
「そういえば・・・」
悪魔な二人は私と契約しているせいか、暗黒魔法を通じて周囲の状況をリンクして伝えてもらうことが出来るらしい。コッソリ使うからバレにくいのだけれど、魔法に関しては天才の域を飛び越えているアルセウス君。その感知能力であっという間にバレた。
私の派遣した二人は特殊な魔法が使えるという内容をレオンから説明してもらい、何とか信用してもらえた。いや、あぶねー。悪魔で執事ですとか言ったらダジャレ扱いで許してもらえるだろうか。いや、アルも怖がりだからダメだろうな。やめとこ。
「あの二人はとっても強いので大丈夫です。少なくともお母さんが警戒するくらいには強いですからね」
「それは知っていますけれど、ユリアさんの警護は問題無いのかしら? 守り人とやらに狙われているのでしょう?」
お母様が言う点も問題無い、と思う。多分。残り三人の守り人が襲ってきたら危ないかもしれないけれど、手元に常にシージとディーネを待機させている。もちろん決戦用ゴーレムと一緒だ。
あのゴーレムを扱うのはシャルルが一番うまいかと思ったのだけれど、本当に巧いのはシージの方だった。彼女は搭乗しなくても決戦用を操縦することが出来た。というのも、ゴーレム内部に種を発芽させた木製人形で決戦用ゴーレムを操作するという離れ業をやってのけたのだ。
それによって本体は後方支援、決戦用は接近戦、周囲には木製人形という一人小隊を編成するに至った。ちなみに私も同じことを試したのだけれど、どう頑張っても意識の分割というか、決戦用ゴーレムを操作するのに意識が集中してしまい、後方支援役は出来なかった。重なった視界が同時に現れて操作する世界を想像して欲しい。無理でしょ。
魔法の並列制御はあくまで脳内の魔法陣を複数想像するだけに留まる。普通のゴーレムも並列制御している際には、トップダウンで指示をして後は勝手に動いているだけに過ぎない。しかし決戦用は違う。一から十まで全てを自分で動かさないといけないんだ。それを後方支援しながらやるとか混乱するわ。
シージに聞いてみると「フォレストドラゴンは複数の樹木に意識を分ける事が出来ますので・・・」という答えが返って来た。そもそもの種族特性だったらしい。それならばと決戦用ゴーレムを増やしてあげた。結果、外道さんは不要になった。ごめんね。
「・・・少なくとも、エンバーとコールが泣いて逃げ出す程度の戦力は配置していますので、問題無いですね」
「なにをした?」
呆れ顔のブランママが睨んでくる。
「いやそれが、さぁ。シージが思いのほか凄くて。後で鍛錬場に行ってみて。見ればわかるよ」
「何となく嫌な予感がするけど見とくよ」
「お願いね。知っておくのと知らないのとでは随分違うから」
お母様とアナ姫も何やら悟ったのか、能面のような顔で静かに紅茶を飲んでいた。別に悪いこと何もしてないじゃないか! 内心で反論しつつブランママに微笑みながら、シージの様子を見るように言った。
「そう言えば、そろそろ穴掘りが終わるのでしたか?」
「西部でも話題になっているわ」
お母様とアナ姫が言うように大陸地下トンネルは掘削済みである。世界樹を囲うようにひし形の大陸の地下を円形に掘り、その中で巨大魔列車を走らせる予定だ。地下とのアクセスは、地下駅と地上駅の間で魔導エレベータを採用した。このエレベータ、世界樹内に突入した他の三人がみたら驚くだろう。だって、あれとほぼ同じ技術を使ってるから見た目そっくりなんだ。
天上にあるアォーヴの玉水で手に入れた情報の中には、世界樹と軌道エレベータの情報が含まれている。それらの情報から機動部だけを私のゴーレムで作り、それらを現地作業員に組み立てさせれば完成である。
地下の穴掘りも、地球で使われていたような円形に掘り進める大型機械を参考にさせてもらっている。核エネルギーかな?と思うくらいの魔力を必要とする魔導機械にしたため、凄まじい速度で掘り進められたが、他人には稼働できないオーパーツになってしまった。掘り終わったら砂に戻して破壊済みだ。あんなものは世に残してはいけない。誰かが起動した瞬間に魔力を食い尽くされて常人は塵になってしまう。
「今は魔列車を走らせる軌道を敷いている所ですね。どういう物なのかは魔導院で試験していますので、お時間がある時に見学に行かれては如何ですか」
そう言ってマジックバッグ内臓ブレスレットから通行証を発行すると二人に渡した。
「あたしには?」
「お母さんはもう見たでしょ」
魔導院を作る時も、魔導院の作業場で私が魔列車を作る時も、ブランママは護衛として目の前に居た。アレ作ってるときって集中し過ぎて、数時間は周囲に対する意識がシャットアウトするんだよ。流石に初対面の所長や宮廷魔導士達を前にして、そんな状態で居られない。
ブランママが不満げな顔をしているので、代わりに決戦用ゴーレムからヒントを得た、改良型ドラゴンアーマーをあげた。アーマーと言いつつ見た目はジャケットである。
「これが防具なのかい?」
「うん。多層線維魔導装甲服って名付けた。糸の一本一本に使用者の魔力を通せる空間魔法が通してあって、それが血管代わりになってるの。魔力も気力も血管を通して全身を巡っているから、お母さんの闘気鎧が疑似的な仙気鎧に変化する訳ね。しかも使っている素材がドラゴンだから、素材になっている元の竜機人の仙気と共鳴し合う。つまり―――」
「誰の素材を使ったんだ?」
「シージだよ」
ブランママの理解力ヤバすぎ。一瞬で利点を理解して、シージの仙気と共鳴する事による戦闘への影響度合いを把握しているようだった。そもそもブランママの魔力は色合いがシージの魔力に近い。ハイネさんはシャルルの色合いに近い。外道の魔力に近い人は居ないけれど、同様のドラゴンジャケットを作れば仙気が共鳴できるだろう。
その効果は言わずもがな、だ。私が良い例で、仙気を操れれば攻撃力にも変換できる。操れなくとも、闘気鎧を超える防具になる。私は気付いていなかったけれど、老神官曰く仙気を扱っている最中はHPとMPが勝手に回復していくらしい。仙気を扱う前からスキルでそれを行っていた私には実感できなかっただけだった。
「・・・良いんじゃないか?」
「でしょ」
獰猛な笑みを見せたブランママは美しい。ただ、そのジャケットを着て仙気を出すのは止めて欲しい。お母さんとアナ姫が失神してしまう。
「お母さん、抑えて」
「あっと、悪い」
冷や汗をかいた二人と平然としてる私達。因みに部屋の端で立っていたメイドは既に逃げた。目線を合図したら脱兎のごとくである。慣れって凄いね。私が王城に住むようになって、気配察知スキルを覚えた子も居るらしい。どういう事かな?
「んんっ! ともかく、地下走路は問題なく進んでいるという事でしょうね」
アナ姫が汗を拭きながらそう言った。彼女にしても放置できる話ではない。アナ姫は西部再開発担当なので、カントリー子爵家のように支流となる地下トンネルがあればと考えている筈だ。
「そうですね。でも西部には地下を走らせる予定はありませんよ。東部と西部を真っすぐに繋ぐ地上走行型の魔列車を考えていますからね」
「やはりお姉様、そうなのですね!?」
やはりって何だ。前に言ったじゃない。あと背筋が寒くなるからお姉様呼びはヤメテ。
「十年後くらいですかね」
「あら、それでも思ってたより近いのですね。アナもそれなら準備がしやすいのではなくて?」
「はい、お母様」
「十年かぁ」
ブランママにとっては遠い未来、だが長期計画を考えて都市開発を進めている王族からすれば近い未来だ。何処とは言わないが、小さな貴族家になると五十年や百年先を見据えて、数代に渡る壮大な開発計画を立てているし、それが一般的な考え方だ。私のように百年単位で作業をしなければならない仕事を数年で終わらせること自体が異常なんだ。
そこでベビーベッドに寝ていたフランが目を覚まし、ブランママに抱っこされてテーブルにやって来た。因みにアナ姫の息子はさっきから熟睡である。アナ姫も私の造ったポンチョを着ているので、授乳期にはサッと飲ませてサッとおしめ交換である。慣れたものだ。自分で育てると言い出したのは私の影響だそうで。
「ユーリも三人目か。楽しみだね」
自慢の双丘にフランをダイブさせてブランママもご満悦。フランもご満悦である。アルが不在なので二人とも少し寂しそうだったけれど、これで一安心だ。
「目指せ六人だね」
「ほぉ、ならあたしも負けてられないね。六人目も考えとかないと」
この世界でも三十過ぎたら高齢扱いなのだけれど、ブランママなら問題無いだろう。実際、街中の二〇過ぎの女性より見た目若いし、なにより体力が違う。
「妹が良いなぁ」
「それでユーリの子供と一緒に育てるのかい?」
「アリだね!」
これは四人で笑っていたけれど、実際にそんな事をすればブランママの子供は外に出せなくなってしまう。大きくなれば王城の内情を知り過ぎた人間として迂闊に動かせなくなってしまうし、現に侍女や執事がそうだ。王族に近すぎる人間には金銭的な幸福を得ると同時に、大きな枷が嵌められてしまう。
そうなれば妹として生まれてきても私の侍女から外せなくなってしまうし、ブランママもそんな事は望まないだろう。あ、でも本人の意思を尊重するとか言いそうだな。大いにあり得るから心配だ。その時は説得しよう。まだブランママが妊娠すらしていないけど。
そういえば、親友のアルエットと頻繁に手紙のやり取りを行っているけれど、彼女も治癒魔法を覚えたらしい。若くして治癒魔法を覚えた天才児として王都内にある教会の本部で筆頭治癒士として活躍している。異常なまでに成長が速いのは、私が教えた通り属性魔法も鍛えているからだろう。既に宮廷魔導士の面目が無くなる程の魔法使いになっていた。数か月前に会った時は水魔法で妖精を作っていたので、あれが治癒魔法で出来るようになったら大化けするだろう。治癒士界の期待の星である。新たに子供も生まれたと言っていたから会いに行ったのだが、母親に似てクリクリの丸顔だった。可愛い。
地元で錬金術師をしているジュリーことジュリアンヌ(24歳)も四人目を産んだと手紙が来た。何か謎の錬金術レシピも同封されていたけれど、怖いのでまだ試していない。ジュリーはハイネさん達が手に入れた大森林深層の素材を幾つも手に入れているのだけれど、未発見の植物や昆虫も多く含まれる。中には化学薬品かと思う程に精製されたかのような液体素材もあり、工業用品として大変優秀な素材が発見されたりするのだ。ただ、危険極まりない毒物もあるので、それを使ったレシピを送ってきたりした場合には取扱注意である。一応は工業向けなのだけれど、用途を間違えれば王都が壊滅しかねない薬品をサラッと送ってこないで欲しい。
「はぁ・・・わたくしは幸せ者ですね。且つて、これほどまでに温かい家族に囲まれた王妃は居ませんでした」
「・・・」
アナ姫がぐずる息子にお乳を与えつつ母親を見た。私も安楽椅子に体を任せつつ言葉を聞く。ブランママは少し寂しげな顔をしながらフランを見て頭を撫でている。
王妃様は嬉しそうに言葉を続けた。
「王を支える王妃。それはモノ同然の扱いをされた方も多いと聞きます。事実、私の祖母もそのような人でした。私は元々王家の人間ではありませんが、夫がお父様とお母様を説得して有り様を変えさせたのですよ」
「何をされたのですか?」
母親から視線を外して授乳に集中しているアナ姫を横目に私が聞いてみた。どこかで聞いた事があるのかもしれない。
「私は侯爵家から来た人間ですが、祖母も同じ家から来た女です。お義母様もそう。夫の母親になるべく伯爵家から来たそうですが、扱いは碌な物では無かったと聞いています。私は夫の妻となる前にその事を聞き、僅かながら絶望しましたよ。その手の話は貴族家の女たちの中では有名でしたからね。過去には一生を寝室で過ごした王妃も居たそうです」
「なんだいそれは・・・」
僅かに零れた殺気に、ビクッと反応したフランがブランママの胸から顔をあげて見上げた。気力制御をあげると気配に敏感になる。それに気付いたブランママがフランの頭を撫でて宥めた。
「事実ですよ。それを知ったのは王家に入ってからでしたけどね。そんな王家ですから、外から来た王妃の扱いはぞんざいである事が多く、祖母が亡くなった時も葬式が執り行われないところでした」
「王家の葬儀を執り行わない・・・」
それはつまり王族と見做されていないという事では・・・。
「えぇ、ユリアさん。今でこそ、貴方のように強い人が現れ、王太子妃として発言力も強く保っていますが、昔の王家は酷いものでしたよ。発言などしようものなら監禁されていたそうですからね。だからみな無言で日々を過ごしていた。沈黙の王妃として代々の王に仕える。それがエステラードの王妃でした」
ああ、だからか。だから、九歳のとき、魔導士認定試験の会場で、お母様は表情一つ動かすことなく座っていたのか。周囲の貴族から見られているから。石の人形のように。つまり、あの時点では問題は片付いていなかったという事か。
「夫も私も同じ血を引く、同じ祖母を持つ者同士。私の悲しみと、夫の怒りは計り知れない物となって吹き荒れました。その時の彼は王位継承権なんて捨てて自分が新しい国を作ってやる!と叫んでいましたよ。ふふふ」
詳しく聞いてみると、お父様はお婆ちゃん子だったらしい。大好きな祖母が蔑ろにされて許せなかったんだと思う。冒険者として鍛えた腕を使い、近衛騎士団と戦ったのだそうだ。因みに現在のお父様のレベルは98である。A級最上位か特A級冒険者なので、現在の近衛騎士団でも抑えられない。お母様はレベル110を超えている。あれ? これ、お母様も実は一緒に暴れた話かな?
「そうして彼は私の夫となり、お母様が無くなる時も葬儀をされて立派な王となりましたね。そう考えると、私達の世代は旧体制との戦いだったとも言えますね」
アナ姫がポンチョを直しつつ息子を抱いて椅子に戻って来た。隣の部屋のトイレで息子のおしめを変えてきたらしい。お母様の言葉を聞いて思うところがあったのか、私を見て発言してきた。
「そのお陰で、私もお兄さまも自由に育つことが出来ました。お兄さまがお姉様に惚れこんだ時、一番喜んだのはお母様なんですよ」
つまり、王太子になる人間は妻となる女を選べなかったという事か。これまた詳しく聞くと、旧体制では五侯爵家の力がとても強く、これまでの弱い王家では彼らを押さえつける事に限界だったらしい。王妃虐めもそれが一因だったようだ。五侯爵の言いなりになる王家。そう言う形で百年以上も国家を維持できたように見えても、歪んだ政治体制で無理をしてきたのだろう。王家に力が無いと言われているのも同じだ。お父様が正そうとしたのも納得できる話だ。いずれ五侯爵が分裂して内乱に発展し、公国と同じような姿になっていたかもしれない。事は王妃の扱いだけの問題では無かったわけだ。
「そしてユリアさんがその新体制を盤石の物とした。あの人は何をとは言わないかもしれないけれど、やたらとユリアさんに感謝しているのはそういう背景があるからなのですよ」
事実、私が行動する事で旧体制派の口を封じている事になっている。陛下の暗部が動いている事も知っているけれど、それ以上に国家の発展や戦争の件で結果を見せているからこそ、彼らは何も言えない。
「もしかして、五大侯爵家でも最後の抵抗をしていたのが」
「私の実家、アーバント侯爵家ですね」
「わぁ・・・」
レオンに婚約者を押し付けていた家の最有力候補である。尚、婚約前に刺客を仕向けて来た家とは異なる。あれはどこかの伯爵家だった筈だ。もう名前も忘れたけど。
「アルセウスが産まれてくるまでは、結構激しく抵抗したのですよ。あの人からも強く言い聞かせていたのですけれど、彼らからすれば反体制派が主流となった中心人物。その夫から旧体制の根っこを支えてきた家の当主が言う事を聞かないのも当然。少しだけ強引な手を使って、今は代替わりしていますね」
王妃様はウフフ笑いをしながら紅茶のカップを口に運ぶ。何人か死んだのかな。
「その戦いはもう終わったのかい?」
暴れるフランを上手く動かしながら座り直させ、大きな双丘にフランの後頭部を挟み込ませたブランママが言う。
「ん~!ばぁば!」
フランがブランママに文句を言っている。我が娘ながら・・・勇気あるな。
「ふふふ、貴族の戦いに終わりなど在りませんよ。どちらかの家が滅ぶか、当事者が消えるかしない限りは続くのでしょうね」
お母様はフランの手を取って笑顔でありつつも、その口からは覚悟を思わせる力強い声を響かせた。どうやらお母様たちの戦いは自然と私にも引き継がれるらしい。そう匂わせる言葉だった。
お母様の場合は特にそうだったのだろう。お父様と結婚する前から見えていた茨の道。だからこそ、これほどまでに強くなろうとしたのかもしれない。お父様も同様だろう。王国の腐った根を断ち切ろうと剣を振るい続けた。話を聞く限りでは、先代国王を倒したらしいので、お父様は自分で父親を弑したのかもしれない。
裏付けとして、二代前の王妃と先代の国王の葬儀は同時期に執り行われている。その数年後、先代の王妃も葬儀が執り行われていると記録にあった。お母様の話した内容は事実なのだろう。ただ王殺しの王太子の事実は歴史から抹消されていた。外聞が悪いというか、初代陛下の名に泥を塗るようなものだと本人が隠したのかもしれない。その件に関して、それ以上を調べようとは思わなかった。




