003
ポワポワした気分のまま料理の際に沸かしたお湯で体を拭かれると、恐るべき事実に身を震わせた。
無い。無いのだ。
息子が何処にも無い。
この感想が出てくるあたり、以前の私は男性だったという事で確定であり、今の私は幼女という事で確定した。辛ぇ……。想像以上にダメージが大きい……。
この瞬間から自分の中で何かが切り替わったように思う。以前の自分との決別。そして自分自身の感覚の変化。性格の変化。価値観の変化。様々な物が、今の自分で上書きされていくように感じた。
「はい!キレイになった~。アルト、服を着せてあげて」
「おう」
「ヴッ」
パーパ! 片手で持たないで! いや、私の腰回りとか片手で掴めるくらいの大きな手だけどさ! 愛娘をもっと大事に! 泣くぞ! いいのか!? 全力で泣くぞ!
大怪獣ユリアとなった私の泣き声に焦ったアルトパパは、ブランママに叱られつつ丁寧に私に服を着せてくれた。そう、それで良いのだよ。ありがとうパパ。
農家の夜は早く、やはり日暮れと共に就寝となった。だって部屋を照らす灯が皆無なんだもの。ランプも無ければ囲炉裏も無いので、部屋を照らしたければ松明が必要。そんなスローライフも家族三人そろえば賑やかな物で、私が大怪獣にならなくとも二人は明るい性格で貧しい暮らしを乗り切っているようだった。
翌朝、陽光が窓の隙間から差す頃にアルトが目を覚まし、次にママが目を覚まし、昨夜散々繰り返したキスをしてパパだけが畑仕事に出かけていった。
この二人はいつまでも新婚なのか、昨夜は暫く子作りしていた。こっちは意識が目覚めてしまっているので、二人の行為が夜闇の中で隠されて声だけが明確に聞こえてくる。
まだまだ性欲が湧かないので眠れるが、これがあと十年続いたら個室を作ってもらおう。そして二人にはそこで寝てもらいたい。流石に13歳になっても親の情事を寝ている横で繰り広げられるとキツイ。二人ともまだまだ若いから良いけどさ……。
「まぁま」
内心で寝不足の苦情を吐露しつつブランにおはようのサインを送ると、「おはよう」の一言と目線だけ貰った。まだ寝て居ろって事かな。
起き上がった上半身を藁の上に倒しつつ、自分の手を「真実の瞳」で見るとステータスが表示された。どうやら自分の体の一部さえ見られれば問題ないようだ。
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ユリアネージュ(3歳)
種族:素人
レベル:1
HP:4
MP:1
状態:通常
スキル:真実の瞳、フリキア言語LV2
称号:-
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うん……言語レベルが上がっている。昨日の会話を聞いているだけで上がったのか。君、結構簡単に上がるんだね。称号に覗き魔とかついてなくて良かったと安心しつつ、ステータスを閉じた。
これってつまり、鍛えたら鍛えただけ成長できるって事なのだろうか。LV10になったら言外の意を察知できたりしないだろうか。サトリサトラレ。コミュニケーションマスターになれそう。いや無理か? ……デメリットの方が多そうだ。
ブランが開けた窓から薄明かりが差し込んできた。まだ日が昇り切ってないようだ。ハイハイは既に卒業できているので、ゆっくりと立ち上がった私は、玄関のドアを開けたブランの後を追って外に出てみた。
「はぅふ……」
若干冷えた空気を感じつつ、背の高い草が家の外に広がっているのを視界に入れた。背の低い私から見たら壁が何処までも続いているように見える。風で揺れる草花を見て初夏のような感覚を覚えつつ、空を見上げると箒雲のようにざぁっと横に拡がる雲と赤い光が目に入った。
「赤い……?」
赤すぎないか? それに空の色が東側は青いが、西側が赤い……? そう不審に思って反対側の空を見ると、もう一つ、黄色の太陽光があった。なんだ、あれ。え? 天動説? もしかしてこの星を中心に二つの太陽が廻っているの?
早朝だというのに、月のように時期によっては昼間も観測できる衛星も見当たらない。地球の常識で測るのは止めた方が良さそうだ。
感動と恐怖と困惑で混乱していると、ブランが巨大な水がめを肩の棒にぶら下げて帰って来た。棒の両端に長さ1メートルくらいの大きな甕だ。重くないのだろうか。
「こらー、お外は危ないから一人で出ちゃダメー」
わしわしと頭を撫でられ、開いている手で私を胸に抱かれブランに攫われてしまった。あぁ、もうちょっとだけ見たかった……。
にしても、お外は危ないって事は魔物でも出るのかな。魔物が溢れたとか言ってたし。そんな事を考えつつ朝食をモグモグしていると、ブランにナデナデされまくった。今度はご飯をこぼさなかったから、お褒めの言葉を頂けたようであります!
しかし、母親の手っていうのは不思議だな。あのデカい胸に抱かれながら頭を撫でられると強烈な安心感で包まれる。温かいんだよな。温かくて安心するんだ。
そのまま寝かしつけられた私は、起きてからブランママの寝かしつけ術であった事に気付いた。保育マスターだぜ、ブランネージュ……。
しつこく眠気を纏う頭を無理矢理起こし、家の中を見渡す。誰も居ない。その代わり、入り口近くにあった剣、具足一式、手甲が無くなっていた。私はその意味を考えた。
誰が使うものかは明白だ。では何しに何処へ持ち出したのだろうか。平原にポツンとあると言って良いこの村は、野生環境に小屋が幾つかあるだけだと思う。そんな所に住む人間が武装して出かける用事といえば?
狩りだろうか。もしくは野盗でも現れたか。いずれにせよ、ブランネージュに何かがあるとは思えない。あのステータスをどこまで信じれば良いのか分からないが、母親の背中を見る限り、そう心配しなくても済みそうだと予想していた。
家に一人、何もする事が無い。頭の中は子供じゃないのだから寂しくて泣きたくなったりはしない。それでも、微かに胸に残る悲しさは、母親を求める子供心が体に残っているせいか。
僅かな寂しさを紛らわせるために、何か出来る事は無いかと探し始めた。家の中で最も種類豊富な物が食材だろうか。恐らく冒険者だった母親が集めているんだと思われるハーブ類、干し肉、山菜が天井から吊るされている。
ハーブの中には薬用と思われる種類も数多い。本当、この手の知識がないと冒険者は生きていけないらしい。この場に居ない母親を尊敬しつつ、地面に置かれた壺を開けると粉状の穀物があった。
真実の瞳で確認すると、デンプン粉だった。他にも小麦粉らしき説明文が載っている粉もある。この辺は外から購入しているんだろうか。売り手が此処まで来るのかな。だとしたら、この辺りは一応人が往来できる程度の危険度ということになる。正直、何が生息しているのか不安でしか無いんだけど。
私の目標は今のところ二つ。
この最低ではないけれど貧しい生活を改善する。それと、魔物とやらに遭遇しても生きていける力を手に入れる。これらを最優先でクリアしないと、転生・ジ・エンドだ。
でも、どうすればいい?どうやってクリアするか、その手段を知らないとどうにもならない。目の前の薬草類を使って、薬品の調合でも出来れば良いのだろうけれど、成分もわからないし、そもそも私に受け継がれた知識にそんなものはない。平凡であったことに若干の恨みがましい気持ちが湧いてくる。
知っている料理法を試したくても、目の前にある料理器具は鍋と木で出来た蒸し器だけ。鉄製品は鍋だけだ。しかも小さい。一般的なダッチオーブンと同程度だろうか。フライパンもオーブンも炊飯釜も無い。凡そ私が一般家庭に想像する料理器具は存在しない。
薪も炭じゃない、その辺で獲ってきて乾かした枝だろう。窯から壁にそって土の塊が続き煙突になっているようだけれど、これって多分、手作りだ。粘土質の土を持ってきて固めただけの簡素な窯だ。
食器は全て木製。殆ど手作りだろうか?台所の横に造りかけの木の棒と、小さな小刀のようなナイフが置いてある。家事と農耕と子育てと狩り。夫婦で分担して仕事を熟して、やっと今の生活がある。今ある小さな小屋の世界から、そう言った二人の苦心が見て取れる。
「なにか…私にも何か出来ないかな」
木を削って食器を削れるか?無理だ。あのナイフも私の手には大きすぎる。
薬草や薪を拾って外を歩くか?無理だ。家の周りに生えている雑草は、私にとって森林に等しい。直ぐに迷子になって、魔物とやらに食われて終わりだろう。
料理を手伝うか? 台所は狭く、母親が一人立って仕事をすれば私の居場所は無い。そもそも窯の横にある木のテーブル(多分、食材を切ったりするのだろう)も高すぎて何が載っているのか判らない。
手が出せない。もどかしい。
こうなってくると生活環境の改善において私の出る幕が無い。大目標の一つはいきなり頓挫した。となればもう一つ、自分を鍛える事を考えてみよう。
私のステータスはHP4とMP1でレベル1の最弱キャラだ。DQやFFでいうところの村人Aだろう。何の力もない無力な……いや、あるだろ。真実の瞳がある。ハクスラARPG(※)のボスキャラが持っているような特異な能力があるじゃないか。
※ハクスラ:ハックアンドスラッシュ(敵を倒し、宝箱や敵が落とした装備品等を次々と更新しつつ強化して進むゲーム)
※ARPG(アクションロールプレイングゲーム。自キャラを激しく動かしながら、物語の主人公を操って成りきり、ストーリーを進めるゲーム)
真実の瞳をどう使うか。それが問題だ。この眼のお陰なのか、母親は父親と違って全身から靄のような、オーラとでも呼ぶべきものが見えた。多分あれが気力制御スキルに関わっているんだと思う。
私にも出来ないだろうか? 気を扱うなんて、漫画的な事だけれど、母親は実際に使っているからこそスキルを持っているのだと思う。やってやれない事は無い筈だ。強くなるために必要な道筋を、こうやって一つ一つ見つけていこう。
家の中にある、唯一の扉を見つめながら私は自分自身にそう誓った。生き残る為に。生きて行くために。
不思議な事に私はこの現実を受け入れられているし、更に不思議な事に恨みにも思っていない。目に見えない誰かに怒りをぶつけたいとも思っていないし、そいつに蜘蛛の糸を垂らしてほしいとも考えた事が無い。
転生して自我を取り戻して、まだ二日目の事だけれども、これが私の性格なんだと思う。塞ぎ込んで恨み辛みを宣う人間でなかった事を前世の自分に感謝した。そうじゃないと、多分……やっていけないから。
決意を胸にしていると大きな扉が開き、何かを肩にぶら下げた母親が入って来た。日の光が逆光になって眩しい。そのせいか、母親の笑顔がやたらと眩しく見えた。
「ママ、おかえり」
「おぅ!ただいま!」
武骨な男のようにそう言った母親は、運んできた動物を台所のテーブルに乗せると捌き始める。私はそれを見たいと強請った。
「それじゃ、肩車しよっか!」
「うん!」
まぁ、普通の母親はここで叱るんだろうけれど、我が家はこれで良いんだろうと思う。案外、いや思った以上に今世は幸せな予感がした。




