幼馴染という呪縛から俺を解放してくれたのは、同じクラスの黒髪美女だった
「遅い!どれだけ待ったと思ってるの?」
「すまん、教室を掃くのが長引いて……」
「またそれ?早く済ませないからこうなるのよ。いい加減、このあたしを苛つかせないでよね」
「申し訳ないです……」
放課後、掃除を終えた俺を待っていたのは、不機嫌な感情を一切隠さず露にする、別のクラスにいる幼馴染の赤星優子だった。
そのまま、続けざまに彼女は俺の小テストの点についても小言のように指摘を投げかけた。以前のテストよりも悪くなったという噂をどこからか聞きつけ、俺に注意をしてきたのだ。
「全く、ずっと一緒にいる身として恥ずかしいったらありゃしない。もっと努力しなさいよ」
「は、はい……」
そう言いながら睨みつけてくる赤星の様子から見るに、恐らく彼女は今回の小テストの得点を把握していないようだった。
50点満点の小テストのうち、俺が獲得したのは46点。
確かにこの前の48点より僅かながら下がったけれど、それでも個人的には結構高得点を取れたと自負していたし、クラスの中でも高得点だと先生も喜んでいた。
それなのに、彼女は決して俺を褒める事無く、逆に厳しく叱ったのだ。
これが、昔から続く俺の日常だった。
この高校に入学するずっと前から、この俺、美濃秀太郎に対して幼馴染である赤星は厳しい態度ばかり取り続けていた。
他の人とは普通に話すのに、どう言う訳か俺に対してはほとんど褒めたり笑ったりせず、いつも不機嫌な表情を見せては怒ったり文句を言ってばかり。
何かある度に俺を呼び寄せては、罵詈雑言を投げつけていたのである。
でも、どれだけ悪口を言われようとも、俺はこの赤星という存在から離れるという選択肢を取れずにいた。
厳しい内容ばかりだけど、そのほとんどは正論。掃除を長引かせて彼女を待たせたのは俺の責任だし、テストの得点が悪かったのも事実。
もっと努力して、赤星に褒められるようにならないと――俺は毎回そう考え、彼女の言葉をじっと我慢していたのである。
それに、俺は昔から友達を作るのが苦手で、彼女と話すとき以外は独りぼっちでいる事が多かった。
しかも、入学したこの高校は家から離れた場所にあるため、顔馴染みの相手は彼女しかいない。
そのせいで、ますます赤星と絡む機会が増えてしまったのだ。
それでも、俺は幼馴染である赤星からの言葉に耐え、彼女を満足させる男になれるよう努力しながら、何とか毎日を過ごし続けていた。
だけど、そんな日々は唐突に終わりを迎えた。
「えっ……誕生日プレゼント……気に入らなかったのか……?」
「当たり前よ!あんなの渡されて喜ぶとでも思ったの!?」
赤星の誕生日から数日後、いつものように呼び出され、指定された場所に向かった俺を待っていたのは、今まで以上に苛立ちや怒りを隠せない様子の彼女だった。
せめて誕生日こそはいつも怒ってばかりの彼女に笑顔になって欲しい、という思いで真剣に選び、当日に頭を下げながら渡した俺のプレゼントを、赤星は全く気に入らないとばっさり言ってのけたのである。
そして、そこから彼女は次々に俺に対して罵詈雑言の数々を投げかけた。
あんなキモいプレゼントを女子高生にあげるとかどうかしている。
誰かの気持ちも理解できないあんたは最低の人間。
そもそもあんたのセンスは最悪過ぎて吐き気が出そう。
こんな不気味なもの、プレゼントだなんて呼びたくもない。
「ごめん……本当にごめんなさい……許してください……」
俺に出来るのは、懸命に彼女に謝ることだった。
もしここで許してくれなかったら、本当に俺はこの学校で一人ぼっちになってしまう。
誰とも話さないまま孤独な日々を過ごす事に、俺は若干の恐怖心を覚えていたのだ。
でも、そんな俺に投げかけられたのは、ますます苛立ちを募らせた幼馴染からの言葉――『死刑宣告』のような内容だった。
「……もういいわ、これからあんたとは会わないし、話しかけられても無視するから」
「……えっ……」
「あんたの謝罪には誠意が感じられない。たっぷり反省して、何が悪かったのか考えなさい」
事実上の『絶交』を言い渡した彼女の厳しい眼差しを前に、俺は何も言い返す事ができなかった。
そして去り際、赤星は俺の心を抉るように俺があげたプレゼントの顛末について語った。
ネットオークションに出品し、それなりの金額で売れた、と。
「私に感謝する事ね。あんな最悪なプレゼントでも、少しは役に立ったんだから」
夕陽に照らされた彼女の後姿は、背筋が凍りそうなほど冷たく、そして恐ろしく感じた。
~~~~~~~~~~~
「……はぁ……」
心をえぐるような言葉を受けた俺は、教室の中で1人落ち込み続けた。
自分の席に座ったまま動くこともできず、あの時俺の身に降りかかった事を思い返してはただテンションを下げ続ける事しか出来なかった。
いつも俺のことを乱暴に扱い、こき使い、時には悪口も平気で言う。挙句の果てに、俺が懸命に探し求めた誕生日プレゼントを気に入らないという一言でこき下ろし、ネットオークションで売りさばく。
そして、しばらくの間『無視』をする――事実上の絶交に近い扱いをする事を、一切の躊躇もなく断言する。
ようやく俺は、自分自身が長年置かれていた環境のおかしさ、幼馴染の常識を逸する横暴ぶりに気づき始めた。
俺がどれだけ注意された事を改善しても、相手は全くその誠意を受け取ってくれず、それどころかますます横暴がエスカレートしていく事にも。
だけど、そんな幼馴染と一緒にいる日々を選んでしまったのは俺自身だし、今の有様は自業自得のようなものだ――心の中に浮かぶのは、そんな後ろ向きな思いばかりだった。
「結局、俺が馬鹿だったって話なんだよな、全部……」
なんで俺はこんな情けない男になってしまったんだ、悪いのは全部俺じゃないか。
自分を責める言葉を次々と浮かべ、ますます自己嫌悪に走り続けていた、その時だった。
「……あ、あの……美濃君?」
「……えっ……えっ!?!?」
誰かが自分の名前を呼んでいると言う事がしばらく理解できず、ゆっくりとその方向を見た俺は、心臓が飛び出る程驚いた。
当然だろう、そこにいたのはこのクラスで一、二を争う美しさと皆が噂する、長い黒髪をたなびかせる女子生徒、月浦美奈さんその人だったからだ。
今まで事務的な内容以外で話しかけられた事すらない存在に突然名前を呼ばれた俺は、驚きを隠せないまま何故そこにいるのか尋ねた。
「ごめん、驚かせちゃったかな……?ちょっと忘れ物をしちゃって……」
「そ……そうか……ごめん……」
苦笑いをする月浦さんに俺が謝り返した後、教室の中にはしばしの沈黙が流れた。
何を言うべきか、そもそもこの状況で何をするべきか全く分からず、すっかり困惑しきった俺とは対照的に、月浦さんは俺の傍から離れず、じっと見つめ続けていた。
そして、夕日に照らされた静かな時間を終わらせたのは、彼女の言葉であった。
一体どうして、そんなに悲しそうな顔をしていたのか――それは、俺の心の内をはっきり見抜いているような質問だった。
「……な、何でもない……」
俺のあまりの落ち込みぶりを心配してくれる事は分かっていたし、嬉しかった。
だけど、俺にはその理由を打ち明ける事を躊躇していた。
例えこのクラスで一番の美人が知りたがっていたとしても、俺の中にある臆病な心を露わにする事は恐怖そのものだったのだ。
だけど、そんな情けない俺の耳に聞こえたのは、そっと背中を押してくれるような月浦さんの優しい言葉だった。
「……大丈夫。何があったか、私は誰にも言わないよ」
「……本当……?」
「うん、約束する。それに、何て言うか……美濃君が落ち込んでいると、私も凄い寂しくなっちゃう……っていうか……ううん、それよりも……」
例え美濃君がどんな事を言ったとしも、私はすべて受け止める――若干言葉を濁しながらも、彼女は俺を励ましてくれた。
覚悟を決めたかのように頷くその頼もしさを見て、俺はこの教室の中で一人落ち込んでいた要因、そこに至るまでの日々を全て語明かす決意を固める事ができた。
そして、誰も教室や廊下にいない事を改めて確認した上で、俺は月浦さんへ全てを明かした。
別のクラスにいる『幼馴染』の赤星優子に、長年言葉の暴力のようなものを受け続けていた事。
例えテストで高得点を取っても、赤星は批判しかしなかった事。
そんな彼女から離れられないまま、ずっと付き合い続けていた事。
そして、つい先程起きた、誕生日プレゼントにまつわる一件。
「……えっと……とりあえず……こんな感じ……」
赤星から長年受け続けた仕打ちをはっきりと誰かに語るのは、これが初めてだった。
だけど、今まで抱え込んできた思いを言葉に乗せた事で、俺の心の中で積もりに積もった重荷が取れ、どこかすっきりしたような感覚を覚えた。
聞いてくれてありがとう、と感謝の言葉を述べようとした俺の瞳に映ったのは、誰にでも優しく接する温和な人と言う普段の様子とは真逆の、月浦さんの怒りに満ちた表情だった。
「……美濃君……そんな酷い事されてたなんて……」
そして、机を思いっきり叩いた彼女は大声で叫んだ。絶対に赤星さんを許さない、と。
その勢いのまま、月浦さんは俺以上の憤りを露わにした。
「絶対に美濃君は悪くない!悪いのは幼馴染とか言って付きまとっていた赤星さんだよ!美濃君が良い人なのを悪用して好き放題するなんて、酷いにもほどがある!こんな事、許されちゃたまんないよ!それに……あっ……」
つい唖然とした表情を見せてしまった俺の様子に、月浦さんは慌てた様子で興奮しすぎた事を謝罪した。
だけど、俺は決して悪い気分はしなかった。俺の心にたまり続けた鬱憤、怒り、恨み辛みを、月浦さんが代弁してくれたように思えたからである。
だからこそ、俺は月浦さんへ素直に感謝の思いを伝えた。こんな俺のことを想ってくれて、本当にありがとう、と。
そして、そっと席を立ち、家に帰ろうと教室から出ようとしたその時だった。
俺の背後から、予想外の言葉が飛んできたのは。
「ねえ……美濃君……一緒に、帰ってもいいかな……?」
「……えっ……!?」
家から遠く離れたこの高校に入学するという選択をしたのは、俺や幼馴染ばかりではなかった。
黒髪美人の月浦さんもまた、駅から電車に乗ってここに通う学生だったのである。
それに、以前俺が1人で駅まで帰っているのを見たことがある、と彼女は語った。
ちょうど自分も同じルートを通学路にしている、という情報を付け加えながら。
当然、そのような事を唐突に言われた俺は驚いてしまった。
だけど、このままとぼとぼ家に帰るのも寂しく虚しいだけ。誰かと一緒に歩けば、荒んだ心も落ち着くかもしれない。
そう考えなおした俺は、逆に自分の方からお願いした。こちらこそ、一緒に帰ってくれないか、と。
「……うん、うん!いいよ!凄くいいよ!やったぁ!」
俺に戻ってきたのは、これまた穏やかそうなイメージと異なる月浦さんのはしゃぐ声、そして喜びを露にする仕草だった。
こうして、俺は幼馴染以外の相手と一緒に帰る機会を得る事となった。
見慣れた景色も、初めて共に歩く相手と共に進むとどこか新鮮に見える、なんて考えながら家路を歩く俺の隣で、月浦さんは学校からずっと楽しげな笑顔のままだった。
明日の授業や小テストといった、若干事務的で他愛もない会話を交わす間も、彼女は今にもとろけそうな表情を保ち続けた。
どうしてそんなに嬉しいのか、とさり気なくその理由を尋ねてみると、彼女はどこか恥ずかしそうに顔を隠し、慌てた様子を見せた。
「すまん……変なこと聞いたかな……?」
「う、ううん、全然平気だよ。それに、こっちこそ気を遣わせちゃって……」
「お、俺も平気だよ……」
とはいえ、悪い気は決して起こらなかった。普段あまり見る事ができない月浦さんの姿をたっぷり目と心に焼き付ける事が出来たからだ。
そして、彼女につられて俺もまた自然と口元が緩んでいった。
互いに安心できる時間を過ごす事ができた月浦さんと俺は、また明日も教室で会おうと声を交わし、別の電車に乗るため駅で別れた。
そんな雰囲気を悪い方向へと変換する存在、『幼馴染』の赤星と遭遇する事が無かったのは幸運だったのかもしれない――そんな考えを電車の中で浮かべながらも、俺の頭の中を占める領域は彼女よりも様々な表情や感情を見せてくれた月浦さんの方が大きかった。
また明日も、一緒に帰りたい。更に沢山の言葉を交わしたい。
そんな俺の思いは、次の日の朝、すぐさま叶うこととなった。
「あ、美濃君、おはよう!」
「お、おはよう……」
教室に入った俺を待っていたのは、満面の笑みで挨拶をする月浦さんの姿だったのだ。
そしてこの日以降、月浦さんは俺へ積極的に話しかけるようになった。
次の授業が行われる教室や必要な道具の確認といった事務的な会話だけではなく、その授業で分からない事を尋ねてきたり、小テストの内容を教えあったり、より踏み込んだ内容を語ってきたのである。
そんな彼女に対して、俺も授業で学んだ内容を改めて教えたり、次の小テストの範囲になるであろう場所を伝えたり、彼女の力になれるよう出来る限りの事を尽くした。
その度に返ってくるのは、月浦さんからの感謝の言葉だった。
「ありがとう!流石美濃君、とっても分かりやすいよ」
「え、いや……俺はただ、月浦さんのためになればなって……」
「ううん、美濃君は私より小テストの点も高いし、授業も真面目に聞いてるし、頭が良くて凄いな……」
「そ、そうか……こちらこそありがとう……」
何かにつけて不平不満、文句ばかりだった『幼馴染』からは決して聞けない、べた褒めする言葉につい顔を真っ赤にして照れてしまいながらも、俺は決して悪い気はしなかった。
誰かのために動く結果、感謝という心が返ってくるという当たり前の事への嬉しさを、改めて感じることが出来たからかもしれない。
やがて、俺たちの会話の内容は学校以外の内容に広がっていった。
昨日の夕食、最近流行の本、ネットで話題の動画――授業の合間の休憩中も、共に家路を辿る間も、俺と月浦さんは様々な言葉を交わすようになった。
今まで幼馴染の赤星以外と事務的なことを除いてほとんど会話をしなかった俺でも、月浦さんと一緒にいると不思議と饒舌になり、一緒の時間を盛り上げる事が出来た。
「へぇ、美濃君の昨日の夕ご飯はカレーか……美味しかったんだろうなぁ……」
「月浦さんのハンバーグも良いな……確か大好きな料理……で合ってるか?」
「うん、お母さんが作ってくれたハンバーグだからね……えへへ……」
そして、もっと話題を共有する、と言う願いを叶えるため、俺たちは学校の売店へ共に出掛けて文房具を買ったり、学食で同じメニューを選んだり、同じ時間を過ごす機会を増やしていった。
流石に互いの好物である親の手作りメニューには敵わないけれど、月浦さんと食べた学食には特別な風味が感じられた。
もっと話をしたい、もっと同じ時間を過ごしたい――そんな思いを互いに深めるかのように、俺と彼女の距離は日を追うごとにどんどん縮まっていった。
「美濃君?」
「ん、どうした……?」
「……ふふ、呼んでみただけだよ」
「そっか……」
そんなある日、いつもの通り教室で話の花を咲かせていた俺たちは、クラスの面々から一斉に視線を向けられている事に気が付いた。
最初、てっきり俺と月浦さんの仲に対して嫉妬や憎悪の感情を抱いているのではないかと感じた俺たちは、共に困惑交じりの怯えた表情を見せてしまったけれど、すぐにそれは否定された。
まさか美濃がクラス屈指の美人である月浦さんと仲良くなるなんて羨ましいし悔しい、と最初こそ思っていたけれど、2人の初々しい仲を見ているうちにむしろ応援したくなった、このまま見守ったほうが良いだろうと感じた――俺たちに返ってきたのは、クラスの面々の意外な、そして予想以上に暖かな声だった。
『幼馴染』と名乗っていつも俺を連れまわすあの女子と一緒じゃないのが意外、と言う本音と共に。
「え、そ、それは……まあ、その……何というか……」
「う、うーん……」
どう説明すべきか、しどろもどろになる俺たちを尻目に、クラスの面々は一斉に様々な質問を投げかけてきた。
どんなきっかけで仲良くなったのか、デートはしたのか、もう告白は済ませたのか、などなど。
矢継ぎ早に飛んでくる大量の言葉に対応できず、全身が真っ赤になってしまう俺は、隣で見守っていた月浦さんが一瞬だけ覚悟を決めたような表情になったのに気が付いた。
その時はクラスの皆への応対に精いっぱいで理由を聞きそびれてしまった俺だけど、最終的にその必要はなかった。
普段誰も使わない屋上へ続く階段の踊り場に来てほしい――そう頼まれた俺が向かった先にいたのは、普段の明るく優しく、そして笑顔が眩しい姿に、凛々しさ、艶やかさ、そして美しさを際立たせたような月浦さんの姿だった。
そして、彼女ははっきりとした口調で語った。
「……美濃君、私は今、思いを伝えます。ずっと貴方に『恋』をしていました」
「……!」
美濃君は私よりも勉強が得意で、体力も私より上。身だしなみもしっかりしている。
おまけに、いつも教室で誰とも話さず、一人静かに佇むクールで格好良いところもある。
美濃君を司るあらゆる要素が、同じクラスになってずっと私にとって憧れそのものだった。
『クール』なのではなく単に話すのが苦手だったり、体力はそこまで自信が無かったり、色々と突っ込みたい所は多かったけれど、自分や幼馴染以外の人物から見た素直な評価に、俺は次第に心を揺れ動かされていた。
そんな風に、良い方向に見てくれている人がいる事への嬉しさや愛おしさが、俺の中に溢れ始めていた。
「……本当は、こうやって告白するのは卑怯なのは知ってる……」
「えっ……そ、そうか……?」
「だって、今の美濃君は『幼馴染』とかいう赤星さんと絶交状態なんでしょ?そんな時に親睦を深めていった私って、凄くずるいかもしれない……」
それでも、私は自分の心の中に抱え続けていた想いをどうしても伝えたい。
今ここではっきり言わないと、きっと後悔してしまうから――。
「……私を気にせず、美濃君自身で答えを決めて。どんな結果でも、私は構いません」
――真剣な表情でじっと見つめる彼女の姿を見て、俺も決意を固めた。
ずっと思い続けていた言葉を、勇気を出して伝えてくれたその覚悟に応えなければ、俺もきっと後悔してしまうはずだから。
「……確かに、赤星は俺の幼馴染だし、付き合いは長い」
「……うん……」
「でも、あいつはあくまで『幼馴染』。『恋人』とかじゃない」
「……!」
彼女本人がどう思っているのかは知らないけれど、少なくとも俺にとって赤星は長年振り回され続け、散々文句や暴言を言われ続けていた、友達かどうかも分からない間柄。
それに、月浦さんも言った通り今の俺は彼女に事実上の絶交を言い渡され、話しかけないでと言われた身。
だから決して気にする必要なんてない、と俺ははっきりとした言葉で語り、月浦さんを励ました。
そして、ありがとう、と言葉を返してくれた彼女に、俺もまた今までの感謝と共に、湧き出る想いを言葉に乗せて伝えた。
今までずっと『幼馴染』しか隣にいなかった俺は、誰かと共に他愛もない時を一緒に過ごす事がこれほどまでに明るく楽しく、そして愛おしいものだと言う事に全然気づかなかった。
自分の強みや弱みを敢えて曝け出すのは決して苦痛ではなく、互いを分かり合うための大切な行為であった。
そんな様々な事を教えてくれたのは、月浦美奈さんその人だ。
「もっと月浦さんと一緒の時間を過ごしたい。もっともっと、月浦さんの事を知りたい……」
そして、俺はじっと彼女の瞳を見つめながら、はっきりと言った。
「……俺の方こそ……一緒に付き合ってくれませんか……?」
返ってきたのは、次第に潤み始めた瞳と、それが嬉し涙である事を示す満面の笑みだった。
やがて俺も、自分の目から水が溢れ始めていることに気が付いた。
きっと俺自身も、月浦さんのようにずっと心の奥底でこの時を待ちわびていたのかもしれない――そんなことを考えながら、俺と月浦さんは互いに泣きながら笑い続けた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これでめでたしめでたしになれば良かったけれど、残念ながらそれを認めない者がいた。
クラスの皆も暖かく祝福し、他のクラスでも月浦さんに恋人ができたらしい、と噂になり始めた結果、絶交していたはずの幼馴染――いや、この際はっきり言おう、元・幼馴染の赤星優子に一連の事態が知れてしまった。
そして、晴れて恋人同士となった俺と月浦さんが一緒に帰ろうとした所を、彼女は怒りに満ちた顔で立ち塞がり、早口でまくしたて始めたのだ。
「どういうつもりよ!!なんであたしに黙って他人と恋人同士になんかなってるのよ!!」
「……はぁ?」
「はぁ?じゃないわよ!そもそもあんたの相手なんてあたししかいないはずでしょ!それなのに生意気に赤の他人と恋人同士だなんて……!!」
昔の俺なら、赤星の言葉に対してすっかり怯んでしまい、四字熟語の『低頭平身』という言葉通りひたすら謝っていただろう。
だけど、月浦さんと出会い、恋心で結ばれた俺は彼女が何を言っているのか全く理解できず、ただ唖然とする他なかった。
なんで恋人ができたと言う事を津々浦々幼馴染に伝える必要があるのだろうか。何を言っても文句ばかりの相手に、俺のプロフィールの津々浦々を語って何のメリットがあるのか。
そもそも、今の俺は赤星から絶交を言い渡され、口も聞かないと宣言された状態。
それなのに、何故赤星は自分のほうからその約束を破り、俺のほうにつっかかって来るのだろうか。
疑問が頭の中に駆け巡る中、赤星の口から出たのは思いもよらぬ言葉だった。
「……あんた、隣の奴と別れなさい」
「……は?……いや、えっ……?」
「あんたにはこんな不細工、ふさわしくないわ。美濃の隣にいるのはあたしが一番良いの。昔から決まってることよ」
こんな不気味な和風人形のような長い黒髪を伸ばす相手と一緒にいたら、あんたのほうが呪われる。
こいつの呪縛から救い出せるのは私しかいない。今まで通り、私の言うことを聞いていたらあんたはきっと救われる。
流石の俺も、赤星の言葉の内容が無茶苦茶極まりない事ははっきりと理解できた。
今までずっと俺を蔑んできたのと同じように、月浦さんの事を貶し始めて居た事も。
そして、赤星の怒りの矛先は月浦さん本人へ向けられ始めた。
あんたが一緒にいると美濃が汚れる、あんたみたいな不細工でキモい奴が隣にいるだけで鬱陶しい、私はあんたのために言っている、さっさと美濃から離れて幸せになれ、早く、さあ早く――。
「……いい加減に……いい加減にしろ!!」
「……!?」
――まさにその時だった。俺の口から、自分でも驚くほどの大声が飛び出したのは。
そして、敢えて怒りに任せながら、俺はそのまま元・幼馴染の赤星へ向けて、ずっと溜めに溜めていた思いをぶちまけた。
「俺に文句を言うのは百歩譲って許す!だけど月浦さんを馬鹿にするのは絶対に許さない!だいたいお前に月浦さんの悪口を言う資格なんてある訳ない!」
「はぁ!?あたしはあんたの『幼馴染』でしょ!?文句言って当然でしょ!?」
「お前、絶交宣言したよな?もう口なんて聞かないって言ったよな?なんで自分からその約束破ってんだよ!ふざけんな!」
「は、あんたが?ふざけんな?あたし『絶交』なんて言ってないけどー?」
あたしは単に『もう会わない』『話しかけない』と言っただけ、それにあんたに反省を促したに過ぎないし、反省どころか勝手に恋人まで作ったあんたの方が悪質。
売り言葉に買い言葉という言葉通り、俺の言葉に対して赤星は一歩も引かないどころか、まるで勝ち誇ったような笑みすら見せた。
それに対して更に怒りを募らせた俺が更に文句を言おうとした直前、言葉を発したのは――。
「反省するのは貴方だよ、赤星さん」
「……!」
――まるで冷たい氷の柱が具現化したかのような声色と共に彼女を睨み付け、俺に加勢をしてくれた月浦さんだった。
そして、赤星に反撃する隙を与えないかのように、月浦さんは次々に彼女に言葉を投げつけた。
貴方の今までの誹謗中傷や言葉の暴力の数々で、どれだけ美濃君が困っているのか分かっているのか。
貴方は親切のつもりでやっていたのかもしれないが、それは単にあなたの自己満足にすぎない。
それに、誕生日プレゼントをすぐさまオークションに出すなんて、人として絶対にやっちゃいけない最低で下劣で卑怯な行為。
もう美濃君は、貴方に付き従う奴隷なんかじゃない。美濃君は、私の大切な恋人だ。
そう言いながら、月浦さんは俺の腕をぎゅっと抱きしめてきた。
正論をぶつけられた挙句、その光景をまざまざと見せつけられた赤星から、先程までの余裕や威勢が失われているのが俺からもはっきりと分かった。
「……あんた……よくもこのあたしをさんざん侮辱してくれたわね……!」
「何言ってるの?それが貴方が今まで美濃君にやってきた行為そのものだよ」
「黙ってろ!!あんたはもう消え去れ!!さっさと私の目の前から消えろ!!あんたは関係ない!!」
「関係ある!!月浦さんは、俺の恋人だ!!」
「……!!」
赤星の顔――間近で見ることになるのは最後になるであろう顔をじっと目に焼き付けた後、俺は言葉を続けた。
今まで我慢してきたが、もう限界だ。
この場を持って俺はあんたと絶交し、二度と口を聞かない。
だから、さっさとこの場を去ってくれ。
「……うそ……嘘でしょ……?」
返ってきたのは、売り言葉でも買い言葉でもなく、浴びせられた言葉が理解できないかの如く茫然と立ちすくむ赤星の姿だった。
だけど、俺達には一切同情心が湧かなかった。
当然だろう、今まで受けた言葉の乱暴、精神的な虐待、侮辱、誹謗中傷、そして大切な存在を貶した行為、それらを許す訳にはいかなかったからだ。
そして、腰が抜けてその場にへたり込んだ赤星の様子を見届けた俺と月浦さんは、互いの腕を絡ませながらその場を後にした。
「ちょっと……私を置いていかないでよ……!あたしを一人にしないで!私を見捨てないで!!」
背後から懸命に訴え続ける赤星の言葉に、この俺――美濃秀太郎への謝罪は最後まで無いままだった。
だけど、俺たちはそんな声に耳を傾ける暇はなかった。
隣にいる大切な人と、互いに協力して赤星に対処出来た事への感謝の思いを伝える方が大切だったからだ。
「『誰にも言わない』っていう約束、破っちゃったね、私」
「いいさ、相手は俺にあんな事を言った張本人だから」
「……ありがとう、美濃君……ううん、秀太郎君」
「……こ、こちらこそ……美奈さん……!」
こうして、俺は完全に『赤星優子』という存在と縁を切り、今度こそ何の障壁もなく大切な人――月浦美奈さんと恋人同士になる事が出来た。
その後、赤星は友人にこの一連のやり取りを愚痴ったところ正論で諭され、それに対して見苦しいほどの逆ギレをしでかした。
その結果、友人も完全に呆れ果て、彼女は見捨てられてしまったらしい。
更にこの逆ギレの一件があっという間に噂として広まった結果、誰からも話しかけられなくなり、学校内で完全に孤立してしまったという。
だけど、俺にとって最早『赤星』とかいう女子は全く関係ない赤の他人。
あの話も小耳に挟んだだけであって、その後彼女がどうなったかなんて分かる訳がない。
今の俺にとっては、そんな誰とも知らない人の話題よりも、大切な人との時間の方が大切なのだ。
そして何よりも、今日は――。
「み、美奈さん……」
「なあに、秀太郎君?」
――愛する彼女、月浦美奈さんの誕生日だから。
俺の手の上に乗るのは、この日のために真剣に悩み、考え、そして選んだ、少し高級なプレゼント。
誕生日おめでとう、と言う言葉と共に、俺はそっと彼女に奇麗な包装に包まれた小箱を渡した。
この場で開いて良いか、という彼女の問いに、了承の頷きを返した俺だけど、その心臓は不安で鼓動を速めていた。
当然だろう、いくら縁を切ったとはいえ、『誕生日プレゼント』に関してはあの嫌な思い出がどうしても脳裏をよぎってしまうのだから。
本当に喜んでくれるのか、残念そうな顔になりやしないだろうか、この選択肢は正しかったのか――そんな後ろ向きな言葉が頭に浮かんでしまう俺の瞳に映ったのは、小箱の中に入っていたプレゼントを見て大喜びする美奈さんの姿だった。
「ありがとう、秀太郎君!一生大事にするよ!」
「ど、どうも……良かった、気に入ってくれて……」
「勿論だよ!プレゼント自体も嬉しいけれど、秀太郎君がプレゼントを渡してくれたって事が凄い嬉しいんだ!」
その言葉には、緊張しきった俺を解きほぐし、忌まわしき記憶を除去してくれるのに十分すぎる効果があった。
そして、そのまま笑顔を見せ、長い黒髪をたなびかせながら、美奈さんはある提案をした。
この嬉しいプレゼントが映えるのは、きっと学校よりも普段着で過ごす日常の方だろう。
だから、折角なのでもう1つ、誕生日プレゼントをお願いしたい、と。
「今度の土曜日……普段着で一緒に街に出歩いてみない?」
それは、生まれて初めてのデートの誘いだった。
勿論、断る理由なんて俺には一切無かった。
「……喜んで!」
「やったぁ!」
早速土曜日が楽しみになってきたよ、と表情豊かに語りかけてくれる美奈さんの可愛さを見て、俺も口元が緩んだ。
今の俺は、悩みや苦しみに押し潰されそうになっていた昔の俺じゃない。
俺を長い絶望から解放してくれた、月浦美奈という何よりも素晴らしい存在が、いつも傍らにいるからだ。
そして、これからはそんな彼女をずっとずっと、大事にしていきたい。
いや、俺と美奈さん、二人三脚で共に歩んでいきたい、と言った方が正しいだろう――。
「……これからもよろしくね、秀太郎君!」
「こちらこそ、美奈さん……!」
――助け合い、励ましあい、そして高めあい、共に同じ道を進む仲なのだから……。