このまま何もしないで過ごすと二ヶ月後にお金持ちになる恐れがあります。
カタカタ……カタカタ……。
キーボードの音が、静かな自室に響く。
そろそろウェブ会議の時間だと思い、招待メールをタップした。
ぴろりろりん♪
ピシッとしたスーツ姿の、営業マンのような男性が画面に表示される。
「こんにちは。」
「こんにちは。タナカさん、タナカさんですね? 落ち着いて聞いてください。あなたは、このまま、何もしないで過ごしますと、二ヶ月後にお金持ちになる恐れがあります。」
「……は?」
「このまま、何もせずにいますと、お金持ちになるんです!」
……参加メールを間違えたようだ。
「すみません、開くメールを間違えたようです。このお話は、ここまでで……。」
「いえいえ、合ってます、合ってますよ! 予約しましたよね? ファイナルファイナンシャルファイティング相談に!」
FFF…。
無料の人生設計とお金の相談か……してた。
「いいですか、タナカさん。今まで、二ヶ月後にお金持ちになった、沢山の方々を見てきました。そういった方々は、突然の大金に戸惑い、気付いたら大量の親戚、大量の寄付団体、大量の宗教勧誘に囲まれて、逃げられなくなります。終いには、信じて喫茶店で待ち合わせた幼馴染から、謎の壺を買わされ、連帯保証人にされるのです……!」
どうにも臨場感のある、迫真の話術だ。
「まだあります。貴方、そして貴方の会社への誹謗中傷の電話が鳴り止まず、妬み、嫉み、僻みのSNSコメントに対応しきれず、ついには職場を無くし、信頼も失い、せっかく得たはずのお金も消え失せるのです!」
「ど、どうしたらよいのですか?」
「サクセスです。サクセスストーリーの主人公になるんです。苦労を重ね、会社を興し、ようやく手にしたお金。汗水流して働き、知恵を絞って大きくした会社。経営が軌道に乗り、融資で手に入れたお金。そう、事業資金に回すのです!」
「いやいや、私には会社なんて、興せませんよ!」
「では、荒れてしまったシンデレラです、シンデレラストーリーです!」
「あ、荒れるんですか?」
「小さな頃から両親を失い、引き取られた親戚には辛く当たられ、慣れぬ雑巾絞りで手はヒビ割れ、カサカサと荒れる日々を過ごす貴方。」
「荒れるって、肌荒れのことなんですね?」
「もう尿素のクリームでも、この荒れは癒せない……。そしてそのまま社会人となった時に、初めてのお給料で買った、なけなしのお金で買った、一枚の宝くじ!」
「社会人になっても、親戚のお世話になってるんですね?」
「そうです! 引き取られた先でこき使われて、これは現代のシンデレラなんですよ!」
「私は男なのですが……。」
「いいですか、タナカさん! このままですと、指数関数的に増えます! 爆発的な勢いで、預金が増えるんですよ!」
「いったい、どうして預金が増えるんですか?」
「……覚えていらっしゃいませんか? FFF予約申し込みを完了する画面にあった、金の蟹を」
「あの、金ピカの蟹ですか?」
「あれを押すと、暗号通貨購入画面に移動します。」
「はじめて買った人に、金の蟹が当たる、キャンペーン実施中の……」
「はい、それです! アレを買われた方は、例外なく、二ヶ月後にお金持ちになります! そして、例外なく、身を滅ぼすのです!」
「そんな、まさか……。」
「さあ、タナカさん! 二ヶ月後まで残り、三日しかありません!」
「え。待ってください、なんでそんな少ないんですか!?」
「タナカさんの他にも、順番に、たくさんの方々を回ってきました。タナカさん、キャンセルに次ぐキャンセルで、日程を変更されましたよね?」
「……。」
「今日繋がって、本当に良かったんですよ! 今なら、まだ、間に合いますから!」
「金の蟹、キャンセルできるんですか?」
「出来ません! 出来ませんが、うちの会社だって、まさかこんなことが立て続けに起こるなんて、困るんですよ! タナカさん、二か月後にお金持ちになって破滅する運命を、回避したいとは、思いませんか?」
「……お話はわかりました。これも、運命か……。」
私は会社用の端末を取り出して、電話をかけた。
「……もしもし。タナカです。例のお話、お受けします。はい、今後とも、よろしくお願いします。」
電話を切る指が、震えているのがわかった。
「ふう。これで、お金持ちでも、大丈夫です。」
「……どういうことでしょう? 会社の方にかけたように見えましたが……。」
「結婚を、申し込まれてたんですよ。社長のご令嬢から。しがない平社員の私には、もったいない、そう、お断りし続けました。早くに両親を亡くし、遠くの親戚に引き取られ、毎日家中雑巾掛けをして、引き締まった健康な体には自信がありましたが、会社経営とは別のお話です。もっと、相応しい方がいらっしゃる、そうお断りしてきました。」
「ぞ、雑巾掛け、してたんですか!?」
「高校を卒業して、すぐ、親戚の家を出ました。そして、今の会社へアルバイトで入り、そのまま社員になったのです。誇れることと言えば、無遅刻無欠勤、丈夫な体だけ。それでも、少しずつ貯金が出来ました。今後の人生を少しでも良くしたい、そう思って、FFFに申し込みました。」
「ご親戚には、頼らずに……。」
「はい。両親が亡くなった時に、保険金が支払われました。そのお金で、私を育ててくれましたが、同時に、ほとんどが使われていました。学費と生活費を支払っても、かなりの額が残るはずでした。」
「そう、だったのですか……。」
「親戚の事は、恨んでいません。今思えば、あちらの家の介護問題や、謎の壺を買わされたり、家の老朽化など、かなり大変な時にご厄介になりましたから。」
「タナカさん。貴方は、お金は、もう……。」
「はい。お金のことは、こりごりだったんです。ですが、遺産ではなく、自分が稼いだお金を、人生でどう使えばいいのか、知りたかった。そんな時に、ご令嬢から求婚されたのです。彼女は、アルバイト時代から、気さくな方で、よく話しかけてくれました。困ってることはないか、辛いことはないか。年下の女の子にそんな心配をかけるなんて、私は余程、ダメな男に見えたのでしょう。とにかく成果を出そう、そんな気持ちで、仕事に打ち込んできました。まさか、求婚されるなんて。」
「……迷った気持ちが、無料相談の日程を、キャンセルさせてたのですね?」
「わかりますか。一度はこのまま、会社を辞めて去ろうかと思いました。ですが、諦めたくなかったのです。次の仕事を終えたなら。自信がついたなら。まさか、もう一度、大金を手にすることになるとは。……私は決めました。さっき、決めたんです。このお金を、事業資金に回すって。」
「なんですって?」
「もちろん、彼女との結婚や、新生活にも使います。ですが、もっと経営を学び、彼女と釣り合うようになりたいんです。」
「……タナカさん。」
「あと三日で、大金が手に入るのですよね? ……天国の両親が、もう一度遺産を用意してくれた、なんてね。そう、思うことにします。」
「ああ、タナカさん、これで我が社も安心です。一人でも例外が出ればいいんです! 現代のシンデレラじゃないですか! 結婚式には、金の蟹を飾ってくださいね!」
「金の蟹、飾りますよ。さて、無料相談、ありがとうございました。では。」
ビデオ画面がぷつんと切れた。
「新手の詐欺か……。全く、化かし合いじゃないか。」
少し前に届いた緊急メール。
"金の蟹キャンペーン詐欺に、注意されたし。以下内容ーー。"