第97話 王都の夕闇⑥「彼の契約精霊」
「……ガリオ様」
その時、サーっと部屋の中に柔らかい風が吹き込んできた。
びっくりしたティフォーネは、あふれる涙をそのままに窓のほうに顔を向けると、少しだけ開いた大きな窓のところに、ここにいるはずのない人影を見つけた。
「え……」
「───呼んだか?」
◇◆◇◆◇◆◇◆
紅く大きな瞳を真ん丸にして、呆然とするティフォーネ。
そこには、全身に泥や葉っぱなどがくっついて、髪の毛もクシャクシャになったガリオが苦笑いをして立っていた。
「え、え、え?」
状況が掴めず、オロオロするティフォーネの顔を見て、ガリオがハッと何かに気付いた。
そして、彼は音を立てずに部屋の中に滑り込むように入ってくると、静かに大きな窓を閉める。
「……ティフォーネ、泣いていたのか?」
少し怒ったような表情で近づいてくるガリオに、慌ててティフォーネは両手に嵌っていた白い手袋で、目元をゴシゴシと擦った。
顔を上げた彼女の瞳から涙は消えたものの、目元と鼻の先っぽに赤い跡が少し残っている。
「こ、これは違うんです。さっきまで寝てたからですよ」
「……」
ガリオには、ティフォーネが無理に笑顔を浮かべているように見えたが、彼はそのことをそれ以上追及しようとしなかった。
ただ、彼の顔がほんのわずかに歪んだのだった。
ティフォーネもその変化に気付いたが、シーツを両手でギュッと握り締めて、思わず口から出ようとした言葉をなんとか飲み込む。
ティフォーネのベッドの脇まで歩いてきたガリオは、唐突に頭を深々と下げた。
「すまなかった」
「え、え?」
再び驚くティフォーネ。彼が何故自分に頭を下げているのか、その理由が思い付かず、彼女は言葉を失っていた。
そんな戸惑っている様子のティフォーネをそのままに、ガリオは言葉を続ける。
「俺は……俺は、君を助けると言っておきながら、自分の力不足を言い訳にして、君を見捨ててこの王都から去ろうとしてしまった。ティフォーネは……君は、あんなに何度も何度も俺を助けようとしてくれたのに……」
「ガリオ様……」
ガリオは下を向いたまま、ギリッと音が鳴るほど歯を食いしばり、両手で思い切り握りこぶしを作る。
彼は悔しくて、怒っていて、そして、泣きたかった。
「俺は、本当にこんな自分が許せない。許せないんだ。だから……だから、今度こそ俺は、ティフォーネを守る。死んでも守りたい。もう二度と君に会えなくなるのが、嫌なんだ」
「い、いえ、ガリオ様、違うんです。違うんですよ───」
ティフォーネがガリオの謝罪を止めようと、震える右手を彼の肩に伸ばそうとする。
その手が届くよりも早く、ガリオが顔を上げた。
彼の真剣な眼差しが、ティフォーネの紅い瞳を射貫く。
「ティフォーネ。生きていてくれて、本当にありがとう」
「───ッ!」
ティフォーネは、全身が雷に打たれたかのようにビクッと一瞬大きく跳ね上がった。
そして、ぽろぽろと涙が自然をあふれてくる。
(感謝、されている……私が生きていることに……ここにあったんだ。私の生まれた……生きてきた意味が……)
彼女はガリオを見つめるばかりで、その涙を拭こうともしなかった。
今度は、ガリオがオロオロする番である。
「て、ティフォーネ?」
「が、ガリオ様」
「あ、ああ」
「私は……私はずっと怖かったんです」
「……」
「本当に怖かったんですよ?」
「そうか」
「ずっと、ずっと、ナイステイトの王族たちが無理やり迫って来て」
「ああ」
「でも私は目を閉じて、逃げることしか出来なくて」
「ああ」
「今度はいきなり自分が人間になって」
「そうか」
「ガリオ様が笑い者になっているのが嫌で」
「ああ」
「私が守らなきゃって思って」
「ああ」
「どんどん魔力が無くなっていっちゃって」
「ああ」
「アルちゃんも助けたいし」
「そうか」
「ケイル王子に会うのが嫌で」
「そうか」
「だけど、ガリオ様が死んじゃうのが一番嫌で」
「……」
「でも、でも……」
「……」
ふと沈黙が二人の間によぎる。
ティフォーネは何かを一生懸命伝えようとしている。ガリオに必死に何かを訴えようとしている。
しかし───彼女の中にある最後の何かが、それを押し止めていた。
ガリオは、何度も口を開いては閉じるを繰り返しているティフォーネの頭に、恐る恐る手を伸ばした。
『───私は……怖いんです』
『怖い?』
『はい……人間というものが』
銀色のサラサラした長い髪に、自分の指先が触れようとした瞬間、彼は躊躇して動きを止める。
だが、ガリオは勇気を振り絞って、そのまま彼女の頭の上に右手を乗せた。
(ガリオ様……)
ゴツゴツとした石のように固い感触と、それと同時に相手を労わる彼の優しい温かさが、その大きな手の平から伝わってくる。
「ティフォーネ、もういいんだぞ。もう大丈夫……我慢しなくて大丈夫なんだ。だから、君の本当の気持ちを俺に教えてくれ」
「……た……た」
ガリオはもう何も言わずに、ティフォーネの言葉をジッと待ち続けた。
何かを言おうとしている彼女の顔が、突然───クシャッと歪む。
「たすけて……」
その言葉を聞いた瞬間、ガリオの体がブルブルと震えた。
彼は、自分の心の奥底から怒りにも似た激しく熱い感情が、マグマのように湧き上がってくるのを感じる。
目の前で女の子が泣いている。自分に助けを求めている。
彼女は元精霊で、人間になったばかりで、宝石のように純粋で、実はとても怖がりで、今にも折れてしまうほど儚くて、そして───
「俺に任せろ。契約精霊ティフォーネよ」
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