第96話 王都の夕闇⑤「優しい風」
「───んッ!」
足がもつれ、急速に目の前が暗くなる。そして地面がどんどん迫ってくる中、彼女の脳裏に、ガリオが最後に自分の名前を叫んだ時の光景を思い出した。
(ガリオ様……たすけ……て)
ティフォーネは大勢の人が見ている前で、地面に倒れて動かなくなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
私は何のために───
『ジャンナ。好きだ。愛している』
私は何のために───
『ジャンナ。ずっと人間界にいてほしい。余と一緒に暮らそう』
私は何のために───
『ジャンナ。どうしてこの気持ちを分かってくれないんだッ!』
私は何のために───
『ジャンナ。お前が人間にならないのなら、私は今ここで死ぬ』
私は何のために───
『ジャンナ。よく見るんだ。僕に抱かれない君の身代わりになった子たちの、なれの果てだよ』
私は何のために───
『ジャンナ。くそッ! くそッ! どうして俺の命令に従わないんだッ! そんな目で見るなッ! ジャンナァァァァァァァァァッ!』
私は何のために───生まれてきたんでしょうか。
ずっとずっと考えているのに、まだ答えが見つかりません。
始祖精霊様、始祖精霊様。
あなたは、どこにおられるのですか。
どうかこの私に、私が生まれた理由を教えてください。
四大精霊に昇格した時、私は確かに聞きました。
「人間界を精霊界の魔力で満たせ」という声を。
あれは、始祖精霊様の啓示ではなかったのですか。
私はその言葉に従い、契約精霊としての役割をずっと果たして参りました。
けれど……けれど、人間はいつも、いつも無茶な要求ばかり。
私はただ、始祖精霊様の啓示に従っていたいだけなのに、彼らは私の身体を、純潔を、想いを、誇りを、忠誠を汚そうとする。
私にはそれらの行いが、どうしても始祖精霊様の教えに沿っているとは思えないのです。
今の人間界は、常に闇の精霊の脅威にさらされています。
私は始祖精霊様の作られた人間界を、お守りしたいのです。
そして、先代の風の四大精霊オンウィーア様のかすかな面影が残る、ナイステイトの者たちを。
すべては───始祖精霊様の啓示にあった世界を実現するために。
私はこの想いを胸に、ナイステイトの者たちの呼びかけに応じて、ずっと人間界を見守って参りました。
見守って……きたんですよ。
それなのに……それなのに、何故私はこんな目に遭わなければならないのでしょうか。
私は人間になることを望んでいません。
だって、人間は同族同士で殺し合い、平気であんな酷いことをするのですよ。
精霊でいれば、嫌なことから逃げることも出来ます。
だけど、人間になったらどこにも逃げられません。
人間のあの嫌らしい顔、あの嫌らしい視線、あの嫌らしい声、あの嫌らしい笑い、あの嫌らしい手から逃れることが出来ないのです。
始祖精霊様、始祖精霊様。
私は何のために───生まれてきたんでしょうか。
「……始祖精霊様」
寝言をぽつりとつぶやいたティフォーネは、ゆっくりと瞼を開けた。
すると一番初めに、豪華な装飾の施された見知らぬ天井が目に入ってくる。
彼女は体が沈みそうになるほどの、フカフカの枕とベッドの上で横になっていた。
首を窓のほうに向けると、もう夜になっているのか、真っ暗で外の風景が全く見えなかった。
部屋の中はランプに火が灯されており、柔らかな明かりで満たされている。
ティフォーネは体を動かそうとしたが、妙に体が重いことに気付いた。
首を下に向けると、彼女はたくさんの細かい刺繍が入った真っ白なウェディングドレスを着ていたのである。
ティフォーネは、遥か昔にこのドレスと同じものを見せられたことがあった。そして───静かに涙を流す。
「夢じゃ、無かったんだ……」
広い部屋の真ん中に置かれたベッドを取り囲むかのように、たくさん置いてある人形やぬいぐるみの数々。
壁に並んだ衣装ケースには、きっと色とりどりのドレスが並んでいることだろう。
そして、壁に掛けられた名画、名画、名画。
宝石箱の中には、あふれんばかりの様々な宝飾品や大きな魔石が、ごろごろ転がっている。
この部屋はナイステイト王国の王族たちが用意した、風の四大精霊ジャンナを寵愛するためのだけの部屋なのだ。
そして、この部屋がある屋敷は、王宮の裏手に広がる森の奥にひっそりと佇んでいる。
ティフォーネは両手で顔を覆い、静かに泣いていた。頬を伝う涙が、枕をしっとりと濡らしていく。
そして、体が小刻みに震えだす。
彼女は怖かった。これからこの部屋で行われるであろう、ケイル王子との営みが。
「うう……ううう」
ここから逃げ出そうにも、まだ魔力が十分に戻っておらず、走ることはおろか歩くことも満足に出来そうになかった。
今のティフォーネに出来るのは、泣いて震えていること。あとは、祈ることだけだ。
「始祖精霊様、始祖精霊様……」
両手を胸の前で組むと、彼女は鼻をすすりながら、ゆっくりと祈りをささげる。
その時、クーッと可愛くお腹が鳴った。
少しだけ顔を赤くしたティフォーネは、オルソの街で初めてテーブルの上一杯に並んだご馳走を食べたのを思い出して、クスッと笑みをこぼす。
「ジョンさん、マリアさん、カルマさん。あの時は楽しかったぁ。マリアさんの手料理、また食べたいな。あと、ガリオ様のメェーちゃんに怯えた顔」
ガリオが能水精カプリコーンを見て、冷や汗をかきながら立ちすくむ光景が記憶に蘇り、ティフォーネは小さな声でクスクスと笑っている。
いつしか、彼女は泣くのを忘れて、ブングラスの町からガリオと旅した思い出にふけっていた。
そして、最後に別れた場面───
彼女の両手に、グッと力がこもった。
ガリオとの間で、魔力回路がしっかり繋がってはいないものの、彼が確かに生きている証であるかすかな温もりだけは、自分の胸の中に今もちゃんと伝わって来ている。
そのことに少しだけホッと安堵したティフォーネだったが、彼女の紅い大きな瞳に、再び涙があふれようとしていた。
「……ガリオ様」
その時、サーっと部屋の中に柔らかい風が吹き込んできた。
びっくりしたティフォーネは、あふれる涙をそのままに窓のほうに顔を向けると、少しだけ開いた大きな窓のところに、ここにいるはずのない人影を見つけた。
「え……」
「───呼んだか?」
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