第74話 呪いの精霊⑪「レオンと精霊との邂逅」
「アルちゃん、来てぇー」
彼女のよく響く高い声が、ダンジョンの奥まで届いた。
しばらくすると、パタパタと尾羽の長い白い小鳥が飛来する。
「アルちゃん。ちょっとの間、私たちのことをよろしくね」
そう言い残したティフォーネは、黒い獣と自分の額同士を合わせると、すぐにパタリと倒れて動かなくなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
レオンはまるで温かい水の中に沈んでいるような、母親と一緒に寝ていたころの子どもに戻ったかのような感覚に包まれて、安心して眠っていた。
『───レオ───レオン───』
『……』
レオンは自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、少しだけ目を開けた。
『───レオン』
『……誰?』
すると、今度は自分の名前がはっきりと聞こえた。
だが、あまりに居心地の良い空間に、彼女の瞼はだんだん下がってくる。
『───レオン───帰ってきて』
『……え?』
その声は、レオンに帰ってくるように呼びかけていた。
しかし、彼女の頭の脳天部分が、突然ズキズキと痛み出す。
『……嫌だよ。また石をぶつけられる。もうあそこには戻りたくない』
ギュッと膝を抱えて、丸くなるレオン。
自分を指差して笑う、村の子どもたちの光景が彼女の脳裏をよぎる。
『……止めて。痛いよ』
『───レオン───帰ってきて』
何度も何度もレオンを呼びかけるその声は、どうやら女性のようだった。
そして次第に、彼女にはその声が母親の声に似ているように思えてくる。
『……お母様なの?』
大好きなお母様。
レオンが泣いて帰った時、いつも優しく抱きしめて一緒に寝てくれたお母様。
冒険者になると告げた時には、目に大きな涙を浮かべつつも、「頑張って」と笑顔で励ましてくれたお母様。
『───早く帰ってきて───このままじゃ───』
レオンはグッと歯を食いしばり、恐怖に震える足を両手で押さえながら、ゆっくり立ち上がった。
『……待ってて、お母様。今帰るからね』
暗闇の中に、白い小さな光が見える。
その光はすごく遠くにあるような、でもすぐ目の前にあるような───
勇気を振り絞って足を一歩踏み出したレオンは、白い光に向かって右手を伸ばす。
すると、その光は急に爆発したように周囲に広がり、彼女の全身を包み込んだ。
思わずギュッと両目を閉じるレオン。そして───
ザアザアザアザア───
水を浴びているような、全身が濡れる感覚に驚いてレオンが目を開けると、そこは大雨が降る森の中だった。
お気に入りの緑色のワンピースがたちまち濡れてしまい、レオンはとっさに周りをぐるっと見回して、雨が当たらない場所を探す。
「君ッ! 早く逃げろッ!」
「えッ?」
突然の男性の怒号に、レオンはビクッと体を震わせて、声がしたほうに顔を向けた。
そこには、槍や弓を構えた大勢の兵士たちが驚いた顔をして、彼女のことを見ている。
彼らの後ろには、大きな馬車が横倒しになっていた。
「あッ!」
そして、その兵士たちの集団を見て、レオンのほうも短く驚きの声を上げる。
兵士たちの中に、見覚えのある男女の顔を見つけたからだ。
その男女は兵士たちに守られており、男性のほうは豪華な衣装を身に纏って、厳つい顔をしている。
一方の女性のほうは、綺麗な顔立ちがどこかレオンに似ており、その胸に抱く小さな赤ん坊を庇っているようだった。
「お、お父様、お母様?」
しかしその男女の顔は、レオンの記憶にあるものよりも、幾分若かった。
戸惑うレオンの声に気付くことなく、兵士たちはしきりに彼女の背後を指差して叫んでいる。
「後ろ、後ろッ!」
「ちッ! あの子はどこから現れたんだッ。早く逃げろッ!」
「……え?」
グルルルルルル
すぐ背後から獣の唸り声が聞こえて、レオンは恐る恐る振り返る。
そこには、彼女の背丈を超える真っ黒な毛をした大きな熊が立っていた。
その熊は、目の前に立つレオンのことを、ジッと見下ろしている。
「あああ……」
あまりの恐怖に、レオンは腰を抜かしてペタリとその場に座り込んでしまった。
それを見た熊は、足元にいる彼女のほうへ太い腕を伸ばす。
「危ないッ!」
兵士たちの方向から1本の矢が飛んできて、大きな熊の肩に深々と刺さった。
ギャウッ!
大きな熊は痛そうな声を上げると、そのままレオンの上に覆いかぶさった。
殺されると思った彼女は、目をギュッとつぶって体を硬直させる。
「女の子がッ!」
「早くあの子を助けるんだッ!」
次々に放たれた矢が、大きな熊の背中の至る所に刺さっていく。
一方のレオンは、熊に噛みつかれたりするのではないかと覚悟して、体を小さくしていた。
だが、一向に痛みは襲ってこない。それどころか、彼女はどこか懐かしい温もりを感じていた。
グルルルルルル
すぐ耳元で、恐怖を感じさせない穏やかな熊の声が聞こえた。
それは、まるで彼女を安心させるような、優しい声で───
「───えッ?」
大きな熊は、身を縮めるレオンをギュッと抱きしめていた。
そして、兵士たちの弓矢や精霊魔法による攻撃を、その大きな体を使って受け止めている。
自分を包み込んでいる大きな熊が、逆に兵士たちの攻撃から守ってくれていることに気付いたレオンは、慌てて大声を出した。
「止めてッ! 止めてッ! 私は大丈夫だからッ!」
だが、その声は大きな熊の体に遮られ、兵士たちに届かない。
しばらくの間、レオンの耳に熊の体が傷つく痛々しい音が響いていた。
「止めてッ! 止めてッ! もう止めてよおおおおおおッ!」
「待ってろッ! 今助けるッ!」
すると突然、レオンの感じていた温もりが急に消える。
彼女の上から、大きな熊の体が横にどかされたのだった。
レオンは急いで立ち上がると、兵士たちの止める声をよそに、雨に打たれている大きな熊の頭を両手で抱えた。
グルルル……ルルル
大きな熊はまだ息があった。そして、優しい目でレオンの顔を見つめている。
だが、その目に宿る光は、もう消えそうになっていた。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう───」
レオンは自分を守ってくれた大きな熊に、何度も何度もお礼を言い続けた。
彼女の目からこぼれ落ちた温かい涙が、大きな熊の顔にポタポタと当たっている。
……グル……ルル
大きな熊の唸り声を聞いて、レオンはその熊の目をジッと見つめた。
そして、ハッと何かに気付く。
「あなただったんだね。私の中にいたのは……」
すると、レオンは自分がそうされていたように、大きな熊の頭をギュッと抱きしめた。
「ありがとう。ありがとう……私は大丈夫……もう大丈夫だよッ!」
大きな熊の温もりを感じながら、レオンは力強く言い切った。
「優しい熊さん。今まで見守っていてくれて、本当にありがとう。私は大丈夫だから、もう休んでいいからね」
……グルル……ル……
次第に大きな熊の声が小さくなって、やがて聞こえなくなる。
その間、レオンは目を閉じて、優しい温かさの残る大きな熊の頭をずっと抱きしめていた。
しばらくすると、レオンと大きな熊の体が、鮮やかな緑色の光に包まれる。
そして、スーッと頬を撫でる涼やかな風を感じ、レオンはゆっくりと目を開けた。
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