第38話 ウート村⑦「アスタロスの学びと褒美」
これまでの2回の攻撃は、ガリオの狙いどおりにはならなかった。
彼は、自分の狙いが成功するように、心の中で20年ぶりに始祖精霊に祈ったのだった。
(始祖精霊様……始まりの精霊よ。どうか俺に力を貸してください)
◇◆◇◆◇◆◇◆
その時、先ほどアスタロスの言った言葉が、ガリオの脳裏をよぎった。
彼は少しだけ考えを整理し、再び『虹切』をスラリと抜き放った。
「まだ諦めんのか? そのなまくら刀が私の体に触れることは、絶対にあり得んぞ」
「……アースちゃんの言うとおりかもしれません。でも、人間界には『窮鼠猫を噛む』という諺があるんですよ」
ガリオは刀をまっすぐに構えたまま、腰をグッと落とした。
そして、フーッと息を整える。
「キャハハハッ! 私とお前の力量の差は、猫と鼠などよりも遥かに隔絶しておるじゃろ! 本当に面白い奴じゃのう!」
「……それもそうですね」
アスタロスの的を得た答えに、ガリオは思わず納得してしまう。
彼は真面目に思考を切り替えるべく、ブルブルッと軽く頭を振った。
両手を腰に当てて大笑いするアスタロスに、狙いを定める。
「うおおおおおおおおお!」
一瞬でアスタロスとの間合いを詰めると、ガリオは思い切り『虹切』を振り下ろした。
口元に笑みを浮かべたまま、スッと体ごと右に躱すアスタロス。
返す刀で横から迫ってきた『虹切』に、彼女は黒い霧となって距離を取った。
「キャハハハッ! 必死に喰らい付いてみよ、鼠ッ!」
「うおおおおおおおおお!」
ガリオは愚直なまでにアスタロスを追いかけ、そして上下左右から刀を繰り出した。
だが、彼の必死の猛攻に対し、アスタロスはそれを悠々と躱してみせる。
(何かッ! 何かないのかッ!)
いよいよガリオの魔力が底を尽こようとしていた、ちょうどその時───
「キャハ?」
この広間の中にたった1カ所だけあった絨毯の糸が絡んだ部分に、アスタロスのつま先が引っかかり、一瞬だけ彼女の体勢が崩れた。
ガリオに訪れた、刹那の光明───
「───出でよッ! 四大精霊ッ!」
「お、お前ッ! この私を騙したなッ! 契約精霊はいないと言ったはずじゃッ!」
初めてアスタロスの顔に、動揺の色が浮かんだ。
そしてガリオは、最後の力を振り絞って、刀を最速のスピードで横に薙いだ。
その瞬間、アスタロスの体が多くの黒いコウモリとなって、バラバラに散ったのだった。
(───今だッ!)
ガリオはすかさず背中のバッグからある物を取り出し、床に叩きつけた。
キィィィィィィィィィン
広間の中に、金属製の音叉の澄んだ音が響き渡る。
それは、ガリオがいつも持ち歩いている、コウモリ避けの音叉だった。
その音を聞いたコウモリたちの動きに、ほんの少しだけ乱れが生じた。
「せいッ!」
ガリオはコウモリたちの中の1匹に狙いを定め、冷静に『虹切』を斬り付けると、わずかに手ごたえを感じること出来た。
コウモリたちの乱れた動きはすぐに止まり、ガリオから離れた場所でアスタロスの姿を形作った。
「痛いッ痛いッ痛いッ痛いッ!」
幼い少女の姿に戻ったアスタロスは、左手首を右手で押さえて、床の上でのたうち回っていた。
体内の魔力がほぼ底を尽きたガリオは、フラフラになりながらも、彼女が少し心配になって声をかける。
「あ、アースちゃん。大丈夫ですか?」
すると、床の上でバタバタと暴れていたアスタロスが、急に立ち上がってガリオのほうに突進してきた。
彼女の真っ赤な両目からは、美しく輝く大粒の涙がぽろぽろとこぼれている。
「お、お前ッ! 大丈夫な訳あるかッ! 見るが良いッ!」
ガリオの目の前に、アスタロスが自分の左手の小指を突き出してきた。
一見何ともないように見えたアスタロスの小指だったが、ガリオがよく見ると、ほんのちょびっとだけ切れていた。
「お前の刀はなまくら刀ではなかったのかッ! どうして私を傷付けられたのじゃッ! 痛くて痛くて、かなわんッ! お前、どうにかするのじゃッ!」
「え、え、えッ!」
直前まで全力で刀を振るっていたガリオは、大声で泣き喚くアスタロスの勢いに押され、冷静に考えることが出来なくなっていた。
目の前にある小指の傷を見て、思わず彼は、アスタロスの予想外の行動に出た。
パクッ! ペロペロ───
「─────────ッ!」
アスタロスの小指を、口に含むガリオ。
小指から伝わるヌルヌルとした感触に、アスタロスは何の反応もできず、石像のようにピシリと固まってしまった。
「キャアアアアアアアアア!」
我に返ったアスタロスは、瞬間移動するのも忘れて、悲鳴を上げながらパタパタと走って石棺の後ろに逃げていった。
ガタガタガタガタ───
すると、アスタロスの本体が封印されている石棺が、音を立てて小刻みに震え始めた。
しかしフラフラのガリオは、その異変にも気付かず、呆然とその場に立ち尽くしている。
しばらくして、石棺の裏に隠れたアスタロスの声が聞こえてきた。
「お、お、お、お前ッ! 闇の三大公アスタロスの小指をな、な、舐めるなんて、破廉恥なのじゃッ! エッチなのはいかんのじゃッ!」
「……俺は、アースちゃんの傷を治そうと……」
「……人間は、傷を舐めて癒すのか?」
「小さな傷くらいは……」
「ま、まあ、私の傷を癒そうとした行いだと言うなら、仕方がないのじゃ」
少し落ち着いたのか、アスタロスが石棺の後ろから姿を現した。
先ほどまで震えていた石棺も、今は静かになっている。
アスタロスは消耗しきっているガリオの姿を、温かい目で見ている。
「お前は本当に面白い奴じゃ。たかが人間の風情で、この闇の三大公アスタロスに単身で挑んで来よった。まさか本当に鼠に噛まれるとはの……」
そしてアスタロスは、左手を前に掲げて小指を立てると、見た目どおりの少女のように、クスクスと小さく笑った。
その小指には、先ほどガリオが付けた傷がまだ残っている。
「残像とはいえ、お前は私の体に傷を付けた初めての人間じゃ。天晴れである。この傷も、私の身が滅ぶまで残しておくことにしよう。誇りに思うが良い」
「……はい。光栄です」
両手を腰に当てて、アスタロスは明るい笑顔で胸を張っていた。
ガリオは倒れそうになる体を必死に支えながら、彼女の話を聞いている。
「そして、私も学んだのじゃ。何を、とまでは言わんがの。そこで、闇の三大公に学びの機会を与えたお前に、一つ礼をしよう。この城の中にある物なら、金銀財宝、強力な武器や防具、何でもくれてやるぞ。遠慮なく申すのじゃ」
アスタロスの突然の提案に、ガリオは戸惑ってしまった。
ボーッとなる彼の視界の中に、彼女の足下から流れるように床を這っている、長く艶やかな黒髪が目に入った。
「……アースちゃんの、その美しい黒髪をください」
次話は、明日の夕方5時に投稿します。
第39話 ウート村⑧「ダンジョンからの脱出」
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