第36話 ウート村⑤「決死の鬼ごっこ」
「数百年ぶり、いや、もう1000年くらいになるかのう。とにかく久方ぶりの人間なのでな。ゆっくり味わおうと思っていたところじゃ」
「味わう……」
アスタロスが湿った舌を出して、その小さな唇をペロリと舐める姿を見て、ガリオは自分の唇を悔しそうに噛みしめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ウート村の若者二人がアスタロスの手に落ちているとなれば、彼女との交渉無しに、二人をこの城から脱出させることは不可能だからだ。
ガリオは人間の敵対者であるアスタロスが目の前にいるにも関わらず、両目を閉じてどうすべきか考え始めた。
そして彼は、ウート村の村長が言っていた話、そしてダンジョンの入口で待つティフォーネの姿を思い出し、アスタロスと命を懸けた交渉をすることを決意した。
「アースちゃん……」
「ん? なんじゃ?」
「どうかあの二人を、返してもらえませんか?」
村長は、城塞都市オルソの冒険者協会に遣いを出したと言っていた。
そしてダンジョンの入口には、ティフォーネが待機している。
『人間の敵対者』とされる闇の精霊の居城が、多くの人間が住む街のこんな近くにあったのだ。
ガリオは自分が死ぬのを覚悟して、ここで時間を稼ぐつもりだった。
アスタロスは一度驚いた表情を見せたが、それから口を大きく歪めて、ニヤリと笑った。
不気味な笑みを浮かべるアスタロスを見たガリオは、あることに気付いた。彼女の八重歯が、異様に長く伸びていることに。
「面白いことを言うのう。私の1000年ぶりの楽しみを奪うというのか、お前は」
「……はい」
楽しそうな表情をするアスタロスとは対照的に、ガリオは今にも死にそうなほど苦しそうな顔をしていた。
その顔を下から覗き込むアスタロスが、息がかかるほど近くに顔を寄せてくる。
「嫌だと言ったら、お前はどうする気じゃ」
「俺は───」
ガリオはギシッと一層顔を歪めて、ゆっくりと『虹切』の柄に右手を乗せる。彼はアスタロスに───初めて真っ直ぐな殺気を向けた。
「───貴女と戦います」
「お前は、自分が死ぬと分かっておるのじゃろ」
「それでも戦います。俺は……人間ですから」
ガリオの決死の覚悟を聞いたアスタロスは、唐突に下を向いた。彼女が今どんな顔をしているのか、ガリオには分からない。
「くっくっく……」
「?」
「キャハハハハハハハハハ!」
突然、アスタロスが大きな声で笑いだした。
彼女は床に座り込み、左手でお腹を抱え、右手で床をバンバン叩いている。
その両目には、大粒の涙も浮かんでいた。
「お前ッ! お前ッ! 面白いッ! 面白いなあッ! 1000年ぶりに会った人間がこれかッ! 四大精霊も連れず、たった一人で、このアスタロスに戦いを挑もうというのかッ!」
小さな女の子にしか見えないアスタロスに大爆笑されて、ガリオの顔は真っ赤に染まった。
しかし、それでも彼の両目はしっかりと見据えていた。
目の前で無防備な姿を晒しているアスタロスの、黒髪の隙間から覗く真っ白なうなじを。
「ぬんッ!」
ガリオは自分の持つ最大限の力を振り絞り、一瞬で『虹切』を抜き放つと、その無防備なうなじ目掛けて一気に振り下ろした。
(俺は「戦う」と告げたッ! すでに勝負は始まっているんだッ!)
「キャハハハハハハハハハ!」
甲高い笑い声とともに、ガリオの目の前が一瞬暗くなった。それと同時に、顔の周りでバサバサバサッと何かが羽ばたく音が聞こえた。
(くッ……)
手ごたえが全く感じられない『虹切』。その切っ先は、床に当たるスレスレの所で止められていた。
ガリオが顔を上げると、石棺の前で相変わらず笑い転げるアスタロスの姿があった。
数匹の真っ黒なコウモリが、彼女の体に吸い込まれるように消えていく。
「はあ、はあ、こんなに笑ったのは、いつ以来じゃろ。本当に面白い奴じゃのお、お前は」
しばらくして、アスタロスの笑いが止んだ。
そして、彼女はゆっくり立ち上がると、ハンカチで目元を拭いている。ガリオに攻撃されたことは、全く気にしていない様子だった。
「そんななまくら刀で殺せると思ったか? 普通の武器では、私を傷付けることすらできんのじゃぞ」
アスタロスの声が突然背後から聞こえたことに驚いたガリオは、刀を構えたまま後ろを振り返った。
そこには、先ほどと同じように移動した瞬間が見えなかったアスタロスが、ニヤニヤした表情で腕組みをしてガリオを見ていた。
目の前でガリオが刀を突き付けていても、彼女はまるでそれが見えていないかのような態度だ。
(やはり駄目か……)
このまま斬り付けても、アスタロスを倒すどころか傷付けることもできないことを悟ったガリオは、小さくため息をついて刀を鞘に納めた。
そして、アスタロスは何か思い付いたのか、両手をポンと叩いた。
「のう。人間界には鬼ごっこという遊びがあるじゃろ」
「はい」
「鬼になったお前が、私に触ることが出来れば、お前の勝ちじゃ。あの人間たちを返してやろう」
てっきりアスタロスと殺し合いになることを予想していたガリオは、少し拍子抜けした。
だが、闇の三大公であるアスタロスが、ただの鬼ごっこをやるとは到底思えなかった。
「……勝ちの条件は分かりました。ではどうすれば、俺のほうが負けになるんですか?」
「私が鬼ごっこに飽きたら、お前を殺す」
次話は、明日の夕方5時に投稿します。
第37話 ウート村⑥「ガリオの祈り」
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