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第106話 新たなる目覚め⑤「世界の敵」

 ガリオはあんぐりと口を開けて、上空のへんた……もとい、一人興奮している精霊を見ていた。


「あああ、始祖精霊様ッ! 私は貴方様(あなたさま)啓示(けいじ)のとおりに、新たなる6番目の属性を手に入れてご(らん)に入れましょう。そしてこの手で、この風の四大精霊(セラフィム)アネモネの手で、始祖精霊様の望む世界をッ!」


◇◆◇◆◇◆◇◆


 アネモネのほうを見ていたガリオは、助け起こそうとしていたティフォーネがもぞもぞと動き出すのを感じ、ハッと我に返って視線(しせん)を手元に戻した。

 彼女は胸の前で両手の指をこちょこちょ動かしていて、その(あか)い瞳もキョロキョロと彷徨(さまよ)っている。(ほほ)も少し赤くなっているようだった。


「ガリオ様……えっと……」


 ティフォーネの(ささや)くような小さな声に、ガリオはドキッと胸が高鳴(たかな)った。思わずその口元(くちもと)に目線が向いてしまう。

 彼女は口で呼吸しているのか、プルンとして柔らかそうな薄桃色(うすももいろ)(くちびる)が少し開いて、並びのいい小さくて白い歯がのぞいている。

 そして、腕に(いだ)くティフォーネから、女の子らしい(さわ)やかで甘い香りが立ち(のぼ)っており、ガリオは頭に血が上ってくらくらと少し眩暈(めまい)を感じていた。


「……ガリオ様?」

「あ、ああ。すまない」


 彼は何度か大きく深呼吸(しんこきゅう)をして、早く冷静さを取り戻そうと(こころ)みる。

 この屋敷(やしき)は王国軍の第1軍団に完全に包囲(ほうい)されていて、すぐ近くにはケイル王子と彼の契約精霊である風の四大精霊(セラフィム)アネモネがいるのだ。

 自分とティフォーネがこの危機(きき)から生きて(のが)れるには、ティフォーネに精霊としての力を取り戻すことに()けるしかない。しかし彼女は───


「ガリオ様、まるで百面相(ひゃくめんそう)ですね。さっきからボーッとしたり、顔を赤くしたり、難しい顔をしたりしてますよ」

「そ、そうかな」


 ティフォーネは口元に手を当てて、クスクスと笑っていた。

 そんな彼女の屈託(くったく)のない笑い声を聞いていると、ガリオの心は不思議とスーッと落ち着きを取り戻していく。

 そして、彼は静かに決断(けつだん)した。


「ティフォーネ」

「はい」

「俺はまだ君を失いたくない。俺にはティフォーネが必要なんだ」

「……はい」


 彼女は大きな(あか)い瞳をうるうると(うる)ませて、ガリオの顔をジッと見上げていた。

 そんな純粋(じゅんすい)な視線にガリオは()えられず、顔をスッと下に向ける。


「だけど……だけど、そのためには……ティフォーネに(いや)な思いをさせてしまう。さっき、アネモネが言っていた。ティフォーネは、ずっと人間たちに良いように利用されてきたのだと」

「ガリオ様、それはッ!」


 (くや)しさをにじませたガリオの声を聞いて、ティフォーネはハッとして思わず彼の顔に手を伸ばしかけた。しかし、その手はガリオに右手に(はば)まれる。


「いいんだ、ティフォーネ。無理はしなくても。君が人間のことを怖がっているのは、よく分かっているから」

「ガリオ様、確かに私は人間のことがちょっと怖いですけど、それは───」


 ティフォーネが少し(あわ)てた様子で何かを言いかけるが、ガリオは軽く首を()って、悲しい口調で続ける。


「本当はこんな俺に(さわ)られているのも嫌かもしれないが、もう少しだけ我慢(がまん)して俺の話を聞いてくれ」

「ガリオ様ぁぁぁ、聞いてぇぇぇ」


 すっかり自分に()ってしまって、人の話を聞こうともしないガリオに、ティフォーネは歯がゆく思っていた。

 彼女は、強引にでも立て上がって彼の肩を()さぶりたかったが、今は体内に魔力(まりょく)がほとんど残っておらず、体にあまり力が入らないのだ。

 そんなティフォーネの葛藤(かっとう)をよそに、ガリオは感極(かんきわ)まった様子で話を続ける。


「ティフォーネ……俺は……無理を承知(しょうち)で、お願いしたいんだ。もし、この場を生きて脱出できたとしたら、後で100回(なぐ)られたって構わない。口を聞いてもらえなくなっても構わない。行きたい場所があるというのなら、必ずそこへ連れていこう。だから俺と───」

「えいッ!」

「───あイタッ!」


 突然(あご)(なぐ)られたような痛みに、ガリオは目を丸くする。

 彼が(あわ)てて下を見ると、そこにはギュッと握った(こぶし)を振り抜いた、(おこ)った表情のティフォーネがいた。


「え、え?」

「ガリオ様、ちゃんと私の話も聞いてください。いいですね?」

「……はい」


 ジロリと彼女に(にら)まれて、ガリオはシュンと肩を落として大人しくなった。

 ティフォーネはフーッと息を一つ吐くと、口の()を少し上げて挑発的(ちょうはつてき)な笑みを浮かべる。


「ガリオ様。ガリオ様は、本当に分かっているんですか?」

「な、何がだ?」


 今にも精霊界に()されていくのではないかと思うほど(はかな)い様子だった彼女が、一転(いってん)して急に()き活きと(あか)い瞳が(かがや)き出したのを見て、ガリオはギョッとして思わず身を引いた。

 彼は、ティフォーネが何を言わんとしているのか、全く想像(そうぞう)できないでいる。


「アネモネが言うことが本当なら、この私の契約者(けいやくしゃ)になるということは、世界中の……いいえ、人間界と精霊界にいる全ての者たちの(てき)になるということなんですよ?」

「───ッ!」


 ガリオは(かみなり)に打たれたかのように、一瞬で全身が硬直(こうちょく)した。そんな彼を見て、ティフォーネの瞳の奥に、悲しみの色が浮かぶ。


「……全ての者たちの敵?」

「そうです。もし私の本体が、新たなる6番目の属性(ぞくせい)の精霊となっていたら、すぐさま他の5つの属性との食うか食われるかの闘争状態(とうそうじょうたい)突入(とつにゅう)します。人間界でも、恐らく精霊教会(せいれいきょうかい)(だま)っていないでしょう」

「……」

「もしかしたら、私の本体もすぐに他の属性の精霊に飲み込まれしまうかもれない。そうしたら、この身もどうなるか分かりません。ガリオ様も、今ここで死んだほうがマシだったと後悔(こうかい)するかもしれません」

「……」

「私はもう、普通の精霊ではないのです。ガリオ様は本当に分かっているんですか?」


 ティフォーネは内心(ないしん)とても(こわ)かった。目を大きく見開(みひら)いて驚いた表情で自分の話を聞いているガリオが、次にどんな顔をするのか。


「ティフォーネ───」


 ガリオの声が聞こえた時、彼女は思わず目をつむった。

 そして、頭の上にゴツゴツと石のように固い、しかし優しい温かさの伝わってくる何かが乗せられる。

 ティフォーネが(おそ)る恐る目を開けると、ガリオは───笑っていた。


「───俺の契約精霊は、本当に優しいな」

「ガリオ様ッ!」


 彼女の顔がクシャっと(ゆが)み、大きくて(あか)い瞳から涙がぽろぽろとあふれてくる。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ティフォーネは、泣きながら何度も何度も(あやま)っていた。

 そんな彼女の頭をゆっくり()でながら、ガリオは苦笑(くしょう)している。


「世界の敵か、そうか。それは大変だな。だけど……だけど、俺の契約精霊は……ティフォーネは、ずっと俺のそばにいてくれるんだろう?」

「───ッ!」


 ティフォーネはガリオの右手を(ふる)える両手で(つか)み、ゆっくりと自分の(ほほ)に当てた。

 彼女の両目からは美しい涙が流れているが、その表情には優しい笑みが浮かんでいる。


「はい……はい、ガリオ様。例えこの身が(ほろ)ぶとも、私はずっとガリオ様のおそばにおります」

「ああ、それなら……安心だ。ああ。俺にそんな契約精霊がいてくれるなら、俺は始祖精霊様(しそせいれいさま)とだって戦える」


 二人はギュッとお互いの手を(にぎ)り合う。


「ティフォーネ」

「はい、ガリオ様」


 そして二人は───キスをした。

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