第八話
目の前の者が顔を片方に寄せた反対側、その左肩に支えてもらうようにして暗闇へ向けて引き金を引いた。
「ぎゃっ!」
程なくして声がした。
音ではなく声。
それが途切れた後にはバタンッと強く床を叩く音も届いた。
「よしっ!」
俺が動きを付ける前に壁になっていた者が立ち上がる。
先程までの気怠い様子は微塵も纏わない姿で、人間のそれとは違う速度で暗闇へ行き、遅れてはならぬと外された銃のベルトを拾い上げながら俺も続いた。
やがて立ち止まったヴェルフさんが近くの壁を掌で叩き、それがスイッチになったかのように天井の照明が辺りを強く照らす。
彼のその足元には目を瞑り横たわる人の姿があり、彼はそれを見下ろした後に手で空を切る。
すると床に在る彼の影から黒い縄が這い出て、その横たわる者を縛り付ける。
そうして縛られ床に転がる者の姿に俺は見覚えがあった。
「この人……」
「知ってんの?」
「事務室で会ったんですよ。俺に「待っていてくれ」と言ったまま帰って来なくて……」
「なるほどね……」
何かを察した顔をしてヴェルフさんは横たわる彼女の肩を軽く叩く。
「寝たふりは止めような。衝撃を受けて都合よく気を失ったなんて事にはならないはずだ」
冷淡ともとれる指摘に彼女が薄っすら目を開ける。
そこから一度俺とヴェルフさんとを見ると、視線を床に逸らした。
「それで、なんでこんな事したんだ?ハーカスさん」
その言葉に驚きはなかった。
空間が捻じれるだとかの理屈は分からない。
だが、そうはならないように細心の注意を払っているものだと思う。
単なる事故ではなく、誰かの手が加えられた結果だとの想像はし易い。
”ハーカス”、そういえば事務室でそんな名称を聞いたと思い出しながら、俺は二人のやりとりを見守る。
「だんまりを受け入れるわけにはいかない。こちらには口を開かせる方法だってあるんだ」
「貴方がこちらを見ようともしないからっ!」
彼女は縛られた状態でも何とか身体をあげるようにしてヴェルフさんを見上げる。
その顔は恨めしそうにも悔しそうにも見える。
「それで?偶然を装って二人きりになろうとでも?そうは上手くいかずに、この後はどう考えていたんだ?」
ヴェルフさんの追及に再び彼女は目を逸らす。
唇を噛み、そこから再び何か聞ける様子は無い。
他に分かる事は彼の指摘は図星だったというものか。
「まあ、いいさ。言い訳と弁明は他でやる事だ。今は黙っていてもらおうか」
ヴェルフさんの視線は冷たく言葉も冷え切っていた。
その顔を彼女に近付けて、その顎を片手で掴んで無理矢理に自分へと向かせた。
彼女の表情もまた凍り付いたかのように固まる。
それから彼の眼がキラリと光り、彼女の眼は濁り表情はぼんやりと変化したかと思うと、糸が切れたかのように全身から力が抜けて、彼はその身体を上手く受け止め床に静かに置いた。
気絶して転がる彼女を彼は暫く見下ろし、一度だけ「結局どこに行っても……」と吐き捨てるような呟きを付ける姿までを、俺はただ近くで見ているだけだった。
「時間かけて悪かったな。それじゃ、行こうか」
振り向いたヴェルフさんの瞳はまた蒼く落ち着いたものに戻っていた。
その笑みも穏やかにして彼は細い腕で軽々と彼女を持ち上げると先の道へと進み、俺はその後ろを少し距離を取って付いて行く。
それは彼の諸々が人間のそれとは違うと知らされたせいではなかった。
彼の言葉から感じたやるせなさのようなものに、自分には何も言える事が無いとの思いからだった。




