第五話
「ちょっと座ろうか」
「はい」
ヴェルフさんの誘いに乗って椅子に座り、背負っていた荷物を床に下ろしてやや暗めの広間をぐるりと見渡す。
と、顔を一周させた所で目に入ってきたのは、身体を丸めて目線を床に落とすヴェルフさんの姿だった。
俺の視線に気付いてか彼はすぐに顔を上げたが、その顔色はこれまで以上に白くもなっていた。
「どこか具合が悪いんですか?」
「それが、その、お腹が減ってしまって……」
「それならここにあるのでどうですか?焼き菓子が幾つかという程度ですが……」
迷いなく鞄を探りながら言うと、ヴェルフさんは「それはいい」と、こちらを止めるような手の動きを付ける。
「そう飢えではないというか、それだと解決できないんだ」
その言葉に何となくの想像は付いた。
俺がマスターの所に来てからの数々の出会いによって知った事だ。
「俺がどういう種族だとかは聞いてる……?」
「いえ、知りませんけど」
「俺は夜魔とか言われる部類でさ。君らと同じ食物も食べるけど、別の物も欲するもので……」
ヴェルフさんは言い辛そうにも続ける。
夜魔と括られる種族は幾つもあり、俺が接した中では歴代でも酷い目にあった相手だと言える”夢魔”だとかがやはり浮かぶ。
この人もそうなのか。
どう見ても男性だけれど、相手は女性でなくとも良いのか。
だが、向こうがそれで良くても、俺は流石に差し出す気にはなれない。
「大変なのは分かりますけど、それは俺では力になれませんよ……」
「俺も分かってる。こういう時のために部屋で何か飼っていれば良かったんだけどな……」
飛び出した単語には戸惑いが生まれてしまう。
まさか人を飼うというわけではなかろうし、他の家畜でもいけるという事だろうか。
「血さえあれば足しになるから、部屋に水槽でも置いて非常食用に魚を買おうかと、以前から考えてもいたんだけどな。実行する前にこんな事になってしまうなんて……」
「欲しいのって、”血”なんですか?」
「そ、そうだけど?あ、何か違う物を想像していた?」
「ええ、まあ……」
考えてもいなかった言葉に驚いて声を挙げてしまった俺にヴェルフさんもまた驚き反応し、その指摘には誤魔化しはせずに肯定した。
「曖昧にして悪かった。つまり、俺は”吸血鬼”といわれる種族なんだよ」
吸血鬼。
生き物から血を吸い、己の動力にするもの。
彼の口元を見ても特別に牙が出ているわけでもなく、全く気付きもしなかった。
「すみません、種族の事について聞いていいですか」
「いいよ?」
「血を吸われた相手ってどうなってしまうんですか。知ってる話だと、同族になるとか眷属にするとか聞きますけど……」
「あ~、それはよく言われるけど、誰でも何でも同族にするわけじゃない。相性とか色々あって、同族にするなら第一条件として……その、大人の経験が無い相手でないと駄目なんだ」
なるほど、俺はその条件には当てはまらないらしい。
出来ることを望んでいるわけではないけども。
「眷属にするのも簡単な話じゃないな。昔はそうして一大勢力を作った同族も居たけれど、今となってはそれが容易に出来る程の力の持ち主自体が居ないし、そんな事をしたら気楽に生きられなくなるからと、そんな野望を抱く仲間も聞かないものだな」
空いた腹を抱えながらヴェルフさんは説明してくれた。
つまり彼の腹が満たされた時に俺に大きな変化が訪れるわけではない。
今の状況を突破するに彼の腹を満たすべきである。
そうなれば導き出される答えは一つ。
この際はぐだぐだと並べ立てずに簡潔に考えるのが一番だ。
と、俺は左手の袖を捲り彼の前に差し出した。
「そういう事でしたら、どうぞ俺の身体を使ってください」
吸血との言葉から想像するのは首筋を噛むというもの。
それは流石に図として行われたくない気持ちが勝る。
それでもこの場所なら我慢できる、犬やら他の動物にやられた事があると覚悟を決めて選んだ。
そんな俺に対してヴェルフさんは両手を壁にして拒否を大きく示した。
「せっかくだけど、それはいいって……」
「でも、お腹が空いて不味いんでしょう?」
「そうだけど、直飲みはちょっと都合が……」
お互い背に腹は代えられない状況だと思うが、彼は全く乗り気を見せない。
俺だってその状況になったら目は逸らしておこうかと、全部を見届けるほどの覚悟は持っていないが。
「衛生面の問題ですか?」
「それは大丈夫。けれど、なんというか、”直”は眷属にする力はないんだが、それでもそういう効力はあるというか、君の精神に影響を与えてしまうから……」
「どういう影響が」
「まあ、強力ではないものの俺の事を好意的に思ってしまう効果が」
「どのくらい」
「最長で三か月くらいは?」
左腕にそっと右手を伸ばしながら聞いて、会話の終わりにはスッと捲った袖口を戻して腕を引く。
命の危険がないなら血くらいはと思ったが、精神に作用されるのはお断りだ。
現状は彼を好ましい方向で見ているが、これ以上に作り替えられてしまうのは肯定的には見られない。
「じゃあ、”直”じゃなければ良いんですよね。それなら指先でも切るか……」
自分が出来る我慢として浮かぶ提案をすれば、ヴェルフさんは拒否の表情を強くして顔をぶんぶんと横に振った。
「君にそんな事させるわけにはいかないって。それは俺としても避けたい、君には傷一つなく無事に外に行ってもらわないと」
「とはいっても、このままというわけにはいかないでしょう」
「それでだけど、君の荷物の中から良い匂いがしていて、代わりになる物があるかもしれない。中身を出してもらっていいかな?」
そう言われて鞄の中に手を入れる。
血の足しになるような生モノは買っていないような……と中の物を床に出していくと、「あ、それ」とヴェルフさんが指差した。
その先にあったのは中央街の製菓材料店の紙袋で、何が代わりになるのか見当も付かないまま袋ごと手渡す。




