第三話:☆
数時間の後、俺は別の部屋の寝台へと移動していた。
それは塔にもある背もたれが動かせる物と同型の作りで、背もたれをあまり寝かせずに固定し身体が少し後ろに下がる形で座る。
そこで顔にある不快感に意識を向けつつ、前方でのマスターと二名の研究員の準備が整うのを待つ。
彼らが手にしているのは穴の開いた管。
その管が繋がる先には四角い金属の装置が台に置かれてある。
吸い取るとはそういう事なのだろうと、説明は無くとも察する。
「先ずは麻酔を塗るね」
と、マスターに麻酔の染み込んだガーゼを鼻の中に塗られる。
ピンセットで鼻へ入られグリグリともされ、痛みは無いが耳掃除と違って気持ち良さはない。
次には先程の管を左の鼻に入れられてのズゴゴゴとの音が届く。
吸われているなぁと、その音と鼻への感触から知りながら五秒程経った後に管を取り出される。
その先端には黄色っぽいトロリとした物が付いていて、風邪気味の鼻水のようだと眺める。
管は一度磨かれて、その間に俺は頭に固い帽子のような物を被らされ寝台に固定される。
動くと危険だとの理由は分かるが、この恰好には別の物を想像してしまい、今まで抑えられていた恐怖心が煽られもする。
身体を固定されて逃げ場がない所で悪魔の生贄にされるとか、破戒者に禁忌の術を施されるとか。
そんないつか本で読んだ物語の光景を浮かべる自分に、「バカだな」と指摘する自分もきちんと存在していて、それらを振り切って時を待つと準備が整った器具が再度左の鼻の中へ。
ズズッ……
一撃目で先程よりも明らかに奥へ。
やはり痛くはないが圧迫感を感じていると、更に中へ管をグッと押し込まれる。
腕を信頼していないわけではない、管でこのまま刺されてしまうとは思わない。
しかし、こんなにも奥まで進めるものなのかと、身体の横に置かれていた手にも力が入る。
ズズズズ……
更に中へと進まれて、鼻の中がムズムズともする。
塗られた麻酔は痛みを抑える事よりも、こうして刺激されてクシャミが出ないようにするための意味合いが強そうに思えてきた。
ズゴゴゴ
始まる吸引。
その様子を無理して見ようとはせずに、天井を見るようにして視線を外す。
吸われている感覚はあるが、これがなかなか終わらない。
ベリ……
その時、鼻の奥の方で過去にない感覚が起こった。
ベリベリ……
そちらに意識を強くすると、続け様に再びそれはやってきた。
明らかに何かが身体の内から剥がれている。
ベリベリベリ……ペリリ……
小さな音を最後に剥がれる音は鳴り止み、最後の瞬間には鼻の奥底に僅かな快感を残していた。
それが何かは分からないまま、止まった事への安心感もあってか身体に入った力は抜けて、訪れた気持ち良さの余韻に意識を向ける。
けれど、それもすぐに終わりが来た
次に起こったのは鼻の中の圧迫感の増幅。
鼻を一杯に何かが埋めているようで、それがどうにも気持ちが悪い。
それが段々と下へと落ちてくる。
ズッ……ズル……ズズッ……
その姿は見えはしない。
鼻腔の狭い道を大きな物が無理矢理通る感覚だけが来る。
強引な行進に思えるが痛みはない。
それは固くはなく突起があるわけでもなく鼻の中を傷つけているようでもない。
ただただ狭い道を押し広げるようにして、ぬるぬるとした感触を残しながら出口へと進んでいく。
何が自分の中で起きているのか。
その頃には目線は鼻へと向かっていた。
その物体を自分の目で確かめるために。
ズルリ
最後は滑るようにしてそれは穴から出て行った。
真っ黒な色をした何かが鼻の下で用意された容器に落ちていった。
そして、その容器を興味津々といったように見つめるマスター達と、頭を固定されたままで放っておかれる俺。
三名は容器に顔を向けて語らっているのは見えたが、出てくる単語からして聞き慣れないもので会話の内容は分からない。
何かが消え去り片側の鼻が通った事で、部屋の薬品臭さをこの時に初めて知りながら待つ。
それでもなかなか彼らの語りは終わらず、もういいだろうと声を掛けた。
「すみません。この恰好を続けてるの辛いんですけど」
「それは申し訳ないけど、まだ反対側もあるから取れないよ」
「その反対側も早めにやっていただけませんか。あ、いや、その前にそれが何なのか俺も気になるんですけど」
「反対側に対してはそれは失礼。これも見たいなら一度見ておく?」
そうして差し出された灰色の薄い金属製の容器に入っていた物。
それは先程一瞬だけ見たように真っ黒く、掌にちょこんと乗りそうなくらいの大きさで、柔らかくプルプルとしていた。
表現するならスライム。
丸く柔らかく揺れて移動する小さな形の者。
しかし、大体そういうのは緑色や赤色や青色で、こんな黒い者にはお目にかかったことがない。
……どう見てもヤバい成分を含んでいるように見える。
「プルプル、ボク、悪いスライムだよ」と、その全身が訴えているかのよう。
「なんですか、これ……」
「それは今から細かく調べて貰うけど。まあ、キノコの胞子と君の粘膜が合わさって出来たもの。大きく括れば鼻水なんかと同じじゃないかな。と、説明は終わり。それでは分析よろしくお願いします。反対側は僕だけでやりますから」
容器は研究員へと手渡され、彼らはマスターだけでなく俺にも一礼して去って行った。
その出入口のドアを閉める姿をこちらもしっかりと見送ってから視線を前方へと戻す。
そこにはマスターが吸引装置と新たな容器を用意し椅子に座っていた。
それはもう待ちきれないといった様子。
研究員達がこの場を離れて、もう何の気兼ねも無いとの姿。
本人は出来る限り表情は抑えようとしているが、付き合い慣れた俺には手に取るようにその内の興奮が伝わった。
脳裏にまた浮かび上がるもの。
生贄に這い寄る悪魔、実験台に近付く道を外した博士、そんな者達が次々と。
そして、見えない所から見た事の無い物が取り出されるとか、この人が楽しまないわけないんだよな……と、身体が固定されどうする事もできない場で全ての抵抗を諦めながら思うのだった。




