第三話-ヒイナ
両足の指先までをしっかりと温め、今度は太腿や脹脛を指の動きも使って揉み込んでの30分。
最後に足首から膝下までを何度も撫でて確認を取る。
あれほど硬かった身体も今は柔らかくなり体温もしっかりと上がっている。
その全く力が入っていないと言える身体を認めた後は顔へと視線を移す。
横に傾け枕に沈んだ顔。
その目は閉じられ、口からは規則正しい息が聞こえ、知らない内に寝入ってしまったようだ。
助手もそれには気づいたようで、二人でそっとベッドから離れる。
「いい顔してくれるね。こういう物が見られるだけで、こちらも満足というものよ」
今はもう素敵な夢の中といったもの。
とても凄腕の魔導士とは思えないが、そんな姿を引き出す事が出来た事への手応えを改めて抱く。
ワタシと同様の思いが浮かんでいるように伝わる助手を見ていると、その顔がこちらへと向けられた。
「今日はありがとな。マスターの身体がこんな事になってるとは俺も全く気付いてなくて」
「いいって事よ。後はこれからばんばん身体を鍛えるに付き合ってあげな」
「今思えば、もう少し前から身体を動かす時には誘えば良かったなあ」
「でも、こうして一度ゆっくり休んだからまた先に進める。これも必要な時間だったって分かってもいるんだろ?」
ワタシがそうビシリと言えば、助手は意表を突かれたとの表情となる。
「変わってると町で噂されてるのも聞いたし、そういう風に言われる面も分かるけど、付き合いが悪いわけじゃない。というか、何だかんだ難しい頼み事も引き受けてくれるいい奴だよね。それでさ、ワタシの後輩にもそういう娘達はいて、時々頑張り過ぎて疲れちゃう事も多々見るんだ。そうした時にワタシが話を聞く事も良くあってね」
雪女が里で育ち、やがて他の種族とも触れ合うために世界へと旅立っていく。
そこで上手く立ち回ろうと頑張り続け、自分に棘を作らないようにする娘が存在してもいた。
故郷で期待され元が実直であればあるほど、そうなり易くもあった。
世間に溶け込むという点で彼女らは早くて優秀と言えたけれど、そこに綻びが出るのも珍しくなかった。
何事も真面目にこなそうとして、やがては色んな物を抱え込み内側に丸まって身動きが取れなくなる。
そんな娘達に向けて言うのは、世界もそこに生きる者達にも出っ張った棘や凹みがあるという事だ。
何もかもが凸凹として、時に上手くかっちりと噛み合い、時に噛み合う意識を互いにしあって前に進む。
もちろん最初から噛み合うわけがないと傍に寄らない事もあれば、或いはやるだけやってみて合わない結論も出す事もある。
その中で平坦でいる事は難しい。
丸く滑々としている存在は誰を刺す事も無いけれど、誰とも繋がりを持てないままになってしまう。
だから、何もかもを上手くやろうとしなくてもいい。
自分だけで抱え込まずに丸まらずに偶には思いの丈をを吐くと良いと、その役を担うのも先輩雪女としての仕事だった。
「この主もさ、何か思う事あって休む事を決めて抱えていた荷物を下ろしたのかなって、後輩の娘とも雰囲気が重なったんだよね」
ワタシの言葉に何も言わなかった助手にとそこまで伝えると、その表情が変わる。
やっぱり声にはならなかったけれど、あぁ……と何かに思い当たり納得したようなものへとだ。
ワタシにはそれで十分だった。
何があったかは知らないが、後輩がワタシに伝えるように魔導士は助手にと何かを話して事が済んだのならば、それが幸いだ。
「鋭いっしょ」
「ああ、鋭い。……ヒイナがいてくれて良かったよ。本当、ありがとうな」
それ以上の説明は必要無いと二ッと笑って見せてみれば、助手にも考えは伝わったようで口元を緩める。
そこまでは想像通りだったけれど、その後には改めての心の籠った御礼までも加えてきた。
「そんなに褒めても何も出ないけどって、まだ出さないといけないものが残っていたな。身体を温めるなら食事も大事だからさ、台所を貸して欲しいんだ。材料は殆ど持って来たから」
「それなら俺も手伝うよ、何を作るつもりなんだ?」
「ワタシの故郷の郷土料理かな。そこにワタシ独自の特別な手を加えた一品さ」
「それ、辛さ三割増しとかだろ。お前の好きな料理となると全部辛さが上がるからなぁ……」
「そんな事ないって、三割増しだなんて」
「そうか、それは悪かったな」
「三倍だ」
勝手に決めつけて済まなかったとの姿を見せた助手だったが、ワタシのその宣言にすぐさまため息交じりに表情を変える。
「寝起きにそんな物を食わせる気かよ。故郷の味を楽しんでもらうなら、まずは普通の味を出せって」
「それだと刺激が足りなくて身体に効かないよ?」
「三倍は効きすぎてもっとやばいだろ。せめて三割までだ」
「分かったよ、ちょい辛で身体を温める方向な。さてと、仕込みの時間も居るから台所へと向かおうか」
ベッド横にてこれからの方針が決まる。
横でこれだけ騒いでも未だ心地良く眠るのはこの塔の主。
今日は最後の最後まで楽しませてやろうと、郷土料理の作り方を頭の中で反復しつつ助手を率いて台所へとワタシもまた元気よく向かって行った。




