第一話
いつもの要素はないユーリ視点から始まる物語です。
「ご馳走様でした」と、テーブル上の空皿に向ける。
この町で最近大人気の濃厚チョコレートケーキ。
朝早くから列に並び、この昼前にようやく食べられる事になったが、それだけの価値はあったと思える美味しさだった。
これ程の元気を取り戻せたのならば、使った時間は無駄ではないと言い切れた。
料金を支払い店の外に出た途端に冬の風が身を襲う。
しかし、オレの身体は温かくやる気も満杯で、近づいている受験の日に向けて頑張っていくぞと、その歩を強く進めていった。
そうして店から駅の入り口前へと来た時に見覚えのある顔が視界へと入って来た。
背中には大きな荷物を背負い両手にも鞄を提げて、道行く人達の中で立ち止まるその人は非常に目立っていた。
「助手さん」
近付きながら声を掛けると、助手さんもオレへと気が付いて荷物を手にしたままの片手を軽く挙げてくれた。
「ユーリ君、久しぶり。こんな所で偶然だなあ」
助手さんの言う通り、久々の顔合わせだった。
進路を決めた事を伝えた後はオレも受験勉強で忙しく連絡を取る事が無かった。
腹も気分も満たされた上に起きた偶然の出会い、休息日を今日にしたのは実に良かった。
「そんな荷物でどこへ行ってきたんですか?」
「実家から帰って来た所なんだ。長い帰省になったから荷物もこれだけ一杯でさ」
「今から塔に帰るんですよね、それなら運ぶのを手伝いますよ」
「それは嬉しいけど、他に用事は大丈夫?」
「今日は夕方までは勉強も休もうと決めていたんで良いですよ」
「じゃあ、頼むよ。正直、うんざりするほどの荷物だったから助かるよ」
「任せてください」
と、オレは助手さんが両手に持っていた鞄を受け取り、二人で塔へと向かって行った。
◇
塔に続く林の間の道まで来るとなぜか木と木がロープで結ばれ通せんぼするようになっていて、ロープにぶら下がった木板には『遺物研究中のため立入禁止』と書かれてあった。
「ああ、それ、気にしなくていいよ。俺もマスターも休暇中なんだけど、マスターはその時に誰も来て欲しくないのか、こういう看板を提げるんだよ」
助手さんはそう俺に伝えてロープを跨いで行く。
そういう事ならばとオレも続いて、再び二人で塔まで後少しの道を進む。
「マスター、ただいま帰りましたよー」
助手さんが玄関のドアを開ける。
ここまでの帰り道で聞いた話によると、先生と助手さんとが単独で過ごす長期休暇を不定期で取っているそうだった。
助手さんは今回のように実家に帰ったり遠出の買物などで過ごし、先生は塔の中で休む事が殆どらしい。
今回は先生が長い療養から仕事へと復帰した中でどうも本調子にならないという事で作られた休暇だそうだった。
助手さんが帰還の合図をして先生がやってきて休暇は終わる。
そのはずだったのだが、開かれたドアの先はいつまで経っても静かなものだった。
先生が時間の感覚に多少抜けてる所があるとはいえ、鍵も掛けずに外出するような人ではないだろう。
オレは手にしていた荷物を置いて外を見回してみるが、野外で何か作業をしているような姿は無い。
「ユーリ君、ちょっと待ってて」
助手さんはオレに伝えるが早く靴を脱いで食堂の方に向かって行った。
言いつけ通りに待っていると、助手さんはすぐに戻って来たが後に続く人はいなかった。
そこに誰もいなかっただろう事は助手さんの少し沈んだ顔からも伝わる。
「また具合を悪くしていたら……」
「前にも何かあったんですか?」
辺りを見回しながら助手さんが不安げに漏らした言葉。
それには間髪入れずに反応してしまった。
「それも休暇後の帰宅の時だったんだけど、激しい眩暈で俺の声にも反応が出来なかったと謝られた事があったんだ。その時は冷蔵庫の近くで見つけられたんだけど……」
「それなら手分けして探しましょう」
「ああ、そうしよう。俺はマスターの自室に行って来るから、ユーリ君は他の場所を頼むよ」
「はい」
二人でまずは上り階段の傍へ。
先生の自室に向かうために助手さんはそこを進み、オレはこの階の他の部屋を探すために一歩踏み出した。
その瞬間だった。
床へと下ろした足の裏から全身に向けて、ぞわりと寒気が走って行った。
それは一瞬で走り抜けて行き二度目は続かなかったが、それが何であるかは分かった。
魔力のうねり。
目に見えぬ力が身体に訴えかけてくるものだ。
オレも魔術学校での日常だけでなく異質な空間に閉じ込められた非日常においてもその経験をした。
そして、今オレにと伝わって来た力は過去のどれにも当てはまらないものだった。
質が違うと言い切れる強烈なものが地下から上って来たんだ。
今は既に地下に何の動きも感じられていないけれど、その残り香がこの身体を未だに寒気から解放してくれない。
あれだけのものが何の原因で……とは当然に気になる。
だが、もう一度それに当てられたらオレは果たして立っていられるだろうか。
そんな恐怖すら湧かせる程のものをそれは感じさせた。
「助手さん、待ってください。今、何か地下から感じたんです……」
鳥肌が激しく立っている身体に気付きながら小さく言葉を発する。
助手さんが階段を上って離れていってしまうのが怖かった、独りにされるのが怖かった。
助手さんを呼び止める恰好も取れないままの発言だったが、助手さんは数歩上りかけた階段を急いで下りてきてくれた。
「感じたって何を?」
「魔力の動きと言いますか、今はもう感じないんですけど……」
寒気が完全には収まらないオレと違って、助手さんはあのうねりには何も気づかなかったようか。
「なるほど。だとすると、マスターが特別研究室で何かやっているのかも。それなら一緒に地下に行ってみよう。ありがとう、俺にはそういうの分からないから助かったよ」
安心したような助手さんの言葉に、そういう事かとオレにも安堵の息が出る。
あれ程の魔力の動きが感じられる研究内容の想像はつかないが、先生が行っている事ならば危険は無いだろう。
今も皆無とはならなかった先程の寒気も地下に近付く怖さも、オレもまた先生がいる場所ならばと思いさえすればすうっと収まっていく。
そして、ここで一人で待つわけにもと、オレも助手さんについて地下へ下りる事にした。




