第十四話
外から想像した通り内部は謁見の間のようだった。
広間の奥には煌びやかな玉座。
だが、そこに主の姿は無い。
玉座の他には石膏の像が幾つか置かれているが、その影に隠れている様子も見当たらない。
これより下の階は隅々まで歩き、この階の扉はここに繋がる一つしか無かった。
だから、ここが終点であり、何かがあるはずだ。
そう警戒心を抱きながら前へと歩く。
そうして入口から十歩程進んだ先で背後に閃光が走った。
攻撃されたわけではなく、明るい光だけが後ろから襲った。
目が眩むような事もなく何が起こったのかと身を翻すと、オレは一目で認識する事となった。
外に出る事が不可能と化していた事を。
扉が固く閉められたわけじゃない。
その姿が跡形もなく無くなり、深い青色の壁が出来ているだけになっていた。
先生がその壁際へと走る。
オレも続いてみるが、やはり最初から扉など無かったかのような壁があるだけだった。
オレの傍で先生がその壁に掌を這わし、何度か叩くようにもした後の手には小さく光が灯る。
扉が消えたのは何かしら魔術の仕業だろうと探っているのだろう。
掌は扉があったはずの壁へと何度も触れられていくが、他の動きは何一つ変化が無い。
先生の表情には僅かな動揺が浮かんでいるのが分かり、この状況の解決の糸口は見つからないようだった。
「せっかくここまで辿り着いたのに、逃げ出そうとするのはいただけないね」
その時、背後からこれまで何度となくこの奇妙な世界で聞いてきたものが、遂に肉声としてオレの耳へと届いた。
追い求めていた者がそこにいると、ゆっくりと振り向いた先の玉座に今は一人の男が座っていた。
オレと同じ学校の制服ではなく、胸に紋章が付けられ細かな刺繍があしらわれた上着を身に着け、そいつは自分こそがこの世界の主であると誇示しているようだった。
マディンやグレム達からその人相は聞いていた。
自信たっぷりといった笑みを見せるこの男が、イディル=ハザンドだ。
気配も何も感じなかったのにどこから現れたのか。
この空間が自身が作り出したものなのならば思いのままなのか。
何にせよ退路が断たれたのならば進むしかない。
撤退がお望みでないのならば望むようにしてやろう。
弱気を見せてはならないと玉座へと近づく。
だからと、すぐに攻撃を仕掛けるわけではない。
どこかでその無敵の壁を破壊する策を見つけなければならない。
そのためには隙を見つけ、そのステータスを表示するのが先だ。
下手な動きでそれを止められないように、まずは探らなければならない。
「おや、これほどの好機はもう無いのかもしれないのに、先制攻撃とはいかないのかな」
「まだ分からない事ばかりだ。まずはそれを聞かせろ」
攻撃してくる様子ではないが、その内に秘める強大な魔力というものが肌に伝わるようだった。
それに圧されぬように自分を奮い立たせるようにして返す。
「ふむ、ここまで見事にやってきた者への褒美は必要だ。会話をする機会は与えてあげよう。私に対してのその非礼も、招かれざる客も今はここに居る事を許そう」
「それは僕の事でしょうか」
「そうだ。全く困った事をしてくれた。奥に進むに連れて相応しい苦難を用意したというのに、あんな結界まで作り出されてしまうとは私の失敗だと認めざるを得ない。生徒達がしのぎを削り辿り着く様を楽しみにしていたというのに、まさか最初にここに来てもしまうとは」
「他の先生方はどうしたんですか。校舎にはまだ大勢いたはずです」
「そう睨みつけないでいただきたい。先生方にもまた楽しい催しに参加してもらっている。この空間の外側で今も必死に生徒達を救おうと涙ぐましい努力が続けられ、その美しい精神には後で報いようと心に誓うほどだ」
褒め称えるようでありながら苛立ちを覚えてもいるような表情。
その光景が自分がかつて居た場所では見られないと思ったからだろうか。
やはりこの学校を足掛かりにして他の場所を毒牙に掛けるつもりだろうか。
「なぜこんな真似をする!前の学校への復讐のためか!?」
思わず何歩も足を進ませ、並ぶ先生よりも前に出て大声で問う。
ハザンドのこちらを見下すような笑顔が消える。
スッと感情が無い表情をした後に、今度は鼻で笑うように息を吐いた。
「どこかで以前の私の事を聞いてきたのか。確かにそんな事を考えた事もある。だが、今ではもう過ぎた話だ。この学校の次には有効利用をしようと思ったが、それは復讐などという愚かな考えからではない。その先の大いなる使命のためにだ」
芝居がかったような仰々しい振舞い。
絶対防御壁の内側で絶対の自信を伝えてくるかのようだ。
「使命だと?」
「私は自分がこの世界にいる事の意味をようやく知った。この世界をより良くするために導かれた。私の働きで恒久の平和をもたらそう、君達もその礎になれる事を光栄に思うといい」
導かれた。
その言葉にオレがかつて訪れた場所とふざけた女神の姿が浮かぶ。
この際だ、一気に勝負をかけるか。
今はそれを口にする迷いは無かった。
「別世界の知識を持って、自分に相応しい能力を与えられてか」
オレの言葉だけが静寂の広間に響いた。
ハザンドはすぐには口を開かなかったが、その手に力が入り眉間に皺が寄る。
「……もしやお前も転生者だという事か。そういえば以前学校に無詠唱で魔術を操る者がいたと聞いた。それがお前だったという事か」
先程までの語り様が崩れて行く。
予想もしてなかった事実を突きつけられた事が分かる。
心が揺れ動いた姿がそこにある。
今ならステータス表示も出来そうだったが、このまま後一歩追い詰めたい。
「お前も門に導かれたわけか」
「お前も女神に選ばれたんだな」
オレ達の声が重なる。
だが、その言葉は重ならなかった。
門?
オレはそんな場所は通っていない。
女神にぐだぐだと話された上に胸の辺りに杖を押さえつけられて……。
「お前は門の前に立ったわけではないのか。私と同じフェールオスタリアの民ではないのか」
どこだ、それは……。
ハザンドは不可解であるとの様子で話し掛けてくるが、それを聞くオレは更に意味が分からないでいた。
ついさっきまでハザンドに事実を突きつけ優位に立っていたはずなのに。
オレとハザンドでは元の世界が違う?
ハザンドが口にした場所にオレは聞き覚えは無い。
オレがいたかつての世界は何という名前だったか。
途端に世界が歪む。
こんな時に眩暈が襲い、心臓が激しく鳴り出す。
隙を見つけるどころか、これでは自分に隙が出来てしまう。
それを理解しながらも、オレはそこで目を瞑り俯くしかなくなっていた。
「……どうやら違うのか。しかし、虚言を並べたというわけでもないようだな。もしそうならばいくら寛大な私も許しはしなかった。だが、私と同じ能力を持つ様子。無詠唱の魔術もステータス表示も可能というのなら、どうやらこの世界には様々な別世界から選ばれた者が集結しているという事か」
再びこの世界の王か皇帝かのような自信に満ちた言葉が吐かれる。
オレが冷や汗をかくようになりながら見上げた先でハザンドは笑っていた。
「しかし、使えるのはその程度のものか。こんな初歩の些細な技を知っただけで優越感に浸っていたのか?そこから何一つ積み上げる事無く何も果たさず下らない学校生活を貪っていたのか?」
「オレのステータスを見たのか」
どうやらオレよりも与えられた能力を上手く扱っているようだ。
口ぶりからすると、女神も門とやらも授けた能力に大して違いがなかったのかもしれない。
オレとは違いその能力を使い続け、こうして身体の素振り一つ見せずにオレのステータスまで暴いてきたのか。
「ああ、よくこんな力でここまでやってきたかと思うね。勝手に見た事に憤慨するのなら、私にも同じ事をするがいい。私は君とは違う。選ばれた者として相応しく生きてきた。君の力で見られた所で鍛え上げた術を破る事はできない」
こいつは勘づいたのか。
オレがステータス表示でその弱点を見破ろうとしていた事を。
オレの目の前で両腕を開き無防備に立つ。
はったりを利かせているわけじゃない。
何を行おうと見通せるわけがないと示している。
ステータス表示をしたところでオレ達の間にある障壁の綻びは見つからない。
行動に起こさなくとも、それがオレにも分かってしまっていた。
「門は何も教えてくれなかったが、これは転生者同士で競い争う事で真の覇者を決めようと、そんな所だったのか。本来はここまでやってきた生徒には褒美を与え解放するつもりだったが、そうはいかなくなったな。今は小さな力でも放って置けば面倒になる。私のような高みにまで上り詰められるとは思わないが、ここで排除しておく事にしよう」
一歩一歩ハザンドが近づいて来る。
凄まじい魔力を感じる。
けれど、そこに激しい殺意は無い。
結果として殺しはするのであっても、その意識は薄いとしか思えなかった。
そこに在るのは身の周りを飛ぶ小虫を手で掃う時のような敵意。
オレをその程度の者だとしか考えていない事が、これでもかと伝わるようだった。
オレ達は導いた相手は違えど、この世界に降り立って争う事を望まれていたのか。
オレもハザンドのように技術を伸ばしていれば違ったのか。
対等に戦えたかもしれないものを、オレは知らない内に投げ出してしまっていたのか……。
ハザンドの右手が挙がる。
その掌の上にバチバチと光を放つ球体が現れる。
逃げなければならないはずなのに、オレは一歩も動けなかった。
逃げ場が存在しない事への理解と、未だ存在する眩暈や頭痛に身体が反応しない。
ただ息を大きくついてどうにか目を開いて、近づくハザンドの姿を捉える事しか出来なかった。




