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マスターと助手  作者: 佐久サク
燃え盛る想いの果て
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第十話

 すぐにワタシは前方に駆け出していた。

 リンゼには弾丸は一つたりとも当たっていないのは分かっていたが、それどころではなかった。

 今は何よりも早く助手を助けなければと傍に座り込む。

 その身体には氷の弾の痕、吹き出した血の痕がこれでもかとある。

 足も身体も顔も血濡れとなってそこにいる。


 どうして、ここに……。

 小屋に居たはずなのに……。

 

 その疑問は湧くが、まずはこの傷をどうにかしなければ。

 急いで助手の身体を上に向け回復術を練り上げる。

 他の術よりも繊細な力の加減が必要だ。

 少しでも間違えれば傷を悪化させてしまうかもしれない。

 術の練り上げに動かす手の震えを感じ、口で紡ぐ呪文も上擦りそうになりながら、それでも必死に自分を押さえつけて術を発動させる。


 助手の身体を淡く温かい光が包む。

 弾丸により深く抉られた傷口は埋められ、流れる血液は止まる。

 そこに「うぅ……」と助手の口が動き、その目が薄っすらと開く。

 その眼には今も光は無く、その視線はただ虚空を彷徨う。


「あら、身を挺して守ってくれるなんて良い騎士様ね。やっぱり彼に目を付けて正解だったわ」


 からからと愉快な事に出会ったようにリンゼは笑う。

 何がそんなに面白いのか。

 お前のせいでこんな事に。

 今すぐにあの笑顔を止めたい。

 ワタシの魔力はまだ尽きてはいない。

 お前を倒すだけの力はまだある。

 あの笑い声を一瞬でも早く終わらせるために立ち上がる。

 右手に再び氷の魔力を溜めて一歩踏み出す。


 しかし、それを止めるものがあった。

 振り返り下を見れば助手の右手がワタシのズボンの裾を掴んでいた。

 どこを見ているか分からない瞳を揺らしながら、その口は「駄目だ」と小さく動く。

 苛立ちと悔しさがワタシを染め上げていく。 

 あの女の牢獄の術から目覚めたその時は、奴を慕い上げる存在と化す。

 だから、こうしてここへと来たのか。

 その身を捨ててでもあいつを守るために。


「しっかりしろ!お前は魔導士の優秀な助手だろ!そんな術に負けているんじゃない!」


 怒鳴り声をあげるだけでこの声がその耳に届くなら楽なものだった。

 それに意味はない事は分かっていても止められはしなかった。

 捉まれた裾を勢いよく振り払い、その場に座り込み近くで大きな声を張り上げても、助手の様子がやはり変わる事はない。

 今度はワタシの上着の胸元を掴み、「駄目だ」と引き留めるように繰り返す。

 

 小屋で意思が感じられないその顔を見た時以上に心が震える。

 今にも崩れそうな気さえしてくる。

 こんな顔をさせたくないのに。

 もう身も心もあの女に捧げているというのか。 

 ワタシの声などもう届かないのか。

 嫌だ、そんな事はあってはならない。

 お願いだ、戻って来い。

 その身体へと手を触れて、その顔へとワタシも懇願するように顔を寄せる。


「お前はあいつのせいでこんな事になってるんだ。目を覚ましてくれ……」

「駄目だ、殺しては……。ヒイナに、して、欲しくない……」


 ワタシの口から出かかった言葉が止まる。

 正気に戻れと、どうにかその意識を戻そうと、思いつく何もかもをやろうとしていたワタシへの思いがけないものが訪れた。

 

「お前、ワタシを止めに来たのか……?」


 そう問いかけるが、助手はワタシの服を力なく掴み「駄目だ」「駄目だ」と譫言のように続けるだけだ。

 その様子は未だ術中の内にあるようにしか見えないものだ。

 それでも助手はここへとやってきたのか。

 ワタシの殺意を感じ取って。

 間違いなくワタシはそうするつもりだった。

 あの小屋を出た時点で腹に決めていた。

 刺し違えてでもあの女を殺すのだと、その結果に自分がどうなってもいいのだと、その一心で術を行使した。


 ワタシの服を掴む助手の力が弱まる。

 傷口は塞がれたけれども、これだけの傷を負った後だ。

 回復術により体力も奪われ、今は僅かにしか残ってはいないのだろう。

 服を掴む手からはワタシが簡単に振り払える程の力しか伝わってこないものだった。

 しかし、ワタシはそうせずにそっとその手を取る。


「そうだな、助手の言う通りだ。でも、心配するなって。このヒイナさんに任せれば、魔力の加減なんて簡単だからさ」

 

 ワタシへと向いてはいてもワタシを見ているようではない顔へと告げる。

 この目にし続けるにはあまりにも辛く哀しくもなるその表情。

 わなわなとどうしようもない怒りが止めどなく湧いてくる。

 それを必死に押さえつけて、ぽっかりと空いただけのような目に笑いかけながら伝える。

 それに対してその瞳は動かず口から声が漏れる事もなかった。

 ただ服を掴む力は弱まり、ぱたりと地面へと落ちた。

 ワタシの言葉に納得してくれたのか、それをする力も残っていなかったのか。

 そのどちらかは分からないまま、「後少し待っていてくれ」とその身体を一度撫でてワタシは再び立ち上がる。

 その先で相も変わらずリンゼは笑っていた。


「凄いわね。これだけ離れていても貴女の怒りが届くよう。それだけの氷の力、その様子、貴女は雪女なのかしら。実際にお目にかかるのは初めてだけど、その種族の事は聞いた事があるわ。冷たい氷の力を持つけれど、好いた相手には一途で熱い気持ちを持つのだと。その様子からすると、彼からは振り向いてもらえないけれど、貴女から一方的に想いを寄せていたのかしらね」  

「お前は物事をそんな風にしか考えられないのか」

 

 ああ、やっぱり、こいつに喋らせるだけ無駄だ。

 的外れな言葉を並べ、こちらの苛立ちを増してくる。

 そうして前方を睨みつけるようにすれば、奴の周りに小さな炎が揺らめき始める。

 一つ、二つと増え続け、紫色の炎の球が辺りを照らす。


「私も何もしないままとはいかないから御相手するわ。一度あれ程の氷の力を放ち、彼を回復させた今、貴女がどれだけ戦えるか分からないけれど、私も全力でね」


 奴には自信があるのだろう。

 向こうがワタシを雪女だと看破したように、ワタシもあいつの事がわかってきた。

 火の魔力に長け、放つ炎は紫色。

 故郷にいる頃には聴いた事がある。

 あれは狐火と名付けられたもの。

 妖狐と呼ばれる種族の得意技。

 人間にしてはどこか違うものを感じ取っていたが、そういう事か。


 正体を知った後は奴の作戦を推察する。

 あいつはワタシを雪女だと断定し、先程の攻撃を見てももう一度氷を放ってくると思っているのだろう。

 それを今はその身と取り巻く炎で掻き消そうともいうのだろう。


 だが、甘い。

 あいつはワタシの力を見誤っている。

 ワタシの力は削られているが、後一撃放つだけのものは残っている。

 あの炎の先に氷の弾丸を届かせる事は出来る。

 炎と氷の全力のぶつかり合い、ワタシはそこで上回る事ができる。


 氷の力でなくともいい、あの余裕に満ちた顔を崩すには別の方法もある。

 あの狐火すら覆うような炎。

 雪女としては珍しく火の力を持つワタシにはそれは容易だ。

 奴の得意技が火だとしても、それに負けるワタシの力ではない。


 けれども、その二つの方法をワタシは選ぶ事は出来ない。

 それは必ず奴を仕留める結果になる。

 氷の力は奴を貫き全てを凍てつかせる。

 火の力は奴を焼き全てを燃やし尽くす。


 行使するべきは別の方法だ。

 奴の命を終わらせる事なく、それでいてあのどうしようもない言葉を紡ぐ口を閉じらせるもの。

 更にはそれを一度きりで終わらせなければならない。

 これから選ぶのがどの方法であったにせよ、判断を誤った時に第三の策を行える程の魔力は残ってはいない。


 それを考え続ける間もリンゼが動く事は無い。

 炎をユラユラと揺らめかせて、こちらの動きを窺っている。

 きっとワタシのどんな攻撃もその炎で対処してやると笑っているかのようだった。

 ならば御望み通りにしてやろう。

 ワタシは一歩だけ後ろに下がり戦闘態勢を取る。

 掌へと魔力を溜めて、その右手を腰元へと持って行く。

 そして、握り閉めた拳を開きながら前方へと振り下ろした。


 手元から放たれた氷の弾丸が前方へと向かう。

 最初の一撃より弾の数は少なく速度も無い。

 それを見てリンゼが高らかに笑う。

 

「なんだ、もうそれしか力が残っていなかったの、残念ね」

 

 落胆に笑顔を混ぜたその言葉の後、リンゼを取り巻く火の玉が強く燃え上がり合流しやがて炎の渦となった。

 小さな火の玉と氷の弾とのぶつかり合いならば、簡単には負ける事はない。

 けれども、あんな炎で捕らえられたら氷の弾などあっという間に水となる。

 考え通りにワタシの氷の弾はゴオオッと強い音をも放つ炎の中にかき消えた。

 全ての氷の弾が飲み込まれ、炎の渦がワタシへと向かって来る。

 いくらワタシが火の力を持つとはいっても、今から同じ力をぶつけて相殺する事は出来ない程の業火。

 炎の渦の向こう側でリンゼの勝ち誇るような影が見えた気がした。


 あいつはそこで高らかに笑っているのだろう。

 だが、それ以上にワタシは高揚していた。

 「これでいい」とワタシが口角を上げたその先で炎の渦はバシュリとはじけ飛んだ。

 炎の中で弾け飛ぶ物によって形を維持できなくなった炎が散っていく。

 元の炎の玉に戻るわけでもない。

 それはただの小さな火の粉となって辺りへとまき散らされた。

 

 リンゼが初めて笑顔を失い動きを止めている姿が目に映る。

 これこそがワタシが待っていた瞬間だ。

 それを見逃さず、今度は左手に長らく溜めていた氷の魔力を放つ。

 前方に差し出した五本の指から氷の鎖が素早く伸びて行く。

 それは何が起きたか理解を出来ていないリンゼの周辺をぐるぐると上へと巻いて行く。

 あいつがそれに気づいた時には逃亡は既に不可能だった。

 氷の鎖は驚愕する奴の身体を広く囲むようにして円錐の形を取りながらやがて空高い天辺まで辿り着き、奴を完全に閉じ込めた。

 氷の牢獄、誰かの精神を捕らえて檻へと閉じ込めるような奴には相応しい場所だろう。

 更に闇が辺りを包んでいく中、静かにそこへと近づく。

 強固な氷の壁の向こう側で何故こうなったのかを何も理解できていないリンゼの驚愕した表情が存在していた。


「お前を倒しきるのは簡単だ。けれど、捕らえるにはお前の力を貸してもらうのが一番だと思ったからね」


 腰に巻いた助手の鞄、そこから小袋を取り出して奴の目に入るようにしてから軽く振る。


「ここに魔力を断ち切る丸薬が入っていてね。それは火で炙ると効果が上がるんだ、抜群にね。更に高熱を加えれば綺麗に弾け飛ぶ」


 その言葉にリンゼの顔色が変わる。

 ここまで言えば理解も出来たのだろう。

 今の状況は己の行動が生んだ結果なのだと。 


「そう、あの氷弾の中にはこれが入っていたんだ。お前が炎で氷を溶かすのではなく、あれらを叩き落としでもしたらワタシがやられていたけれどね。お前はわざわざ炎を見せつけるようにして、氷を溶かして力を誇示してくるのはこれでもかと伝わったからね。ワタシもそれに乗せてもらったよ」


 檻の中でリンゼの表情が歪む。

 自分の失敗を思い知り、悔しそうに地に手を付けるその姿。

 顔にはこれまでには無かった皺が刻まれ何歳も一気に歳を取ったかのようになり、頭には獣の耳が出て、下半身からは狐の尾が生えていた。

 人の形を維持する力を炎を操る力へと持って行き、氷の檻内で凍えないようにするのが背一杯のようだった。

 もう奴は無力だろう。

 これ以上こうして地面に膝をつく者を見下ろす趣味も無い。

 ワタシとしては奴の言葉が自分に届きさえしなければいい。

 お前にもう興味はないのだと身を翻した。


「何故止めを刺さない!憎んでいるのだろう!」


 厚い氷の内からの絶叫のような言葉が聞こえた。

 それにもワタシは振り返りはしない。


「「ワタシにはそうさせたくない」と言われたんだ。命があって良かったと思うなら、あいつに心から感謝しな」


 後ろを一目見る素振りすらせずにそう伝えると、もう氷壁の檻の内から声が聞こえる事は無く、ワタシは前に向かって歩き出した。





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