第一話
スライム娘とのマッサージ話。
遥か高く在る岩の天井から落ちる水粒の音を聞きながら、ヌチャリと湿った地面を踏み締め歩く。
暗い場所で発光し周囲を照らす苔が生息していたおかげで困らない程度の視界はあったが、それ以外にはほとほと困っていた。
出掛けた先で何日も滞在しての仕事。
マスターから御使いを頼まれ隣町までいった帰り際、整備された道は今からお偉方が通るとの事で迂回を命じられた。
まだ日は高く遠回りを苦には思っていなかったが、山道で斜面が崩れ物凄い勢いで滑り落ちる羽目になった。
不幸の中にも幸運はあり、怪我は無く服が一部擦り切れた程度で済んでいた。
だが、落ちた先から斜面を見上げてみても、とても登り返す事は不可能だった。
他の場所を探そうにも知らない土地の山道を勘で進むのは危険。
それは守るべき第一の事だとして、その場に留まる事を選ぶ。
そうして上から誰かが気づいてくれればと思ったが、暫く経てども誰も通らなかった。
そうこうしている内に大雨にまで降られて、身体を冷やすのはもっと不味いと近くにあった洞窟へと避難し、入口近くの壁際で手頃な平べったい岩を見つけて座ると、背負った荷物を岩の横へと置く。
「どうすりゃいいんだかなぁ……」
そこからサラサラと細かく振り続ける雨を恨めしくも見る。
雨が降る中で地滑りを見つける者が出て、「誰か落ちたんじゃないか」とこの洞窟にまで捜索隊が来る。
────というのはあまりにも都合が良い。
自分から何かをしなければ……とは思うが、身動きの取り方は浮かばない。
そこに上方からバサリと羽ばたきの音が届いた。
聞こえた瞬間に岩から地面へと前転して、そのまま腰を下げた姿勢で辺りを見回す。
咄嗟に下げた頭の上を羽根を持つ大きな何かが通って行ったのは分かった。
あのまま座っていたら思いっきりやられていただろう。
又もやバサバサと同じ音が届く。
しかし、どれだけ見上げようと、発光苔は天井までは生息しておらず闇が広がるだけで、何が居るのか分からない。
だが、何にせよ狙われているからには迎撃しなければならない。
腰のベルトの左脇に右手を伸ばして武器を取り出す。
剣術も魔術も持たない俺の武器、片手に乗る大きさの銃だ。
かつて存在した文明では、こんな小さな物から大きな物まで特に珍しい物ではなかったという。
弾丸を込めて撃ち出して、非力な者が身を守るに役立っていたと話が伝わる。
しかし、それらを造る技術は残っておらず、弾丸についてはほぼ謎のまま、銃身も残骸は見つかっても保存状態の良い物は僅かで研究は進んでいない。
その中でまだ綺麗に残されていた銃身からマスターが再現した物がこれだった。
弾丸についてはどうにもならず、周辺の空気を取り込み圧縮して衝撃波を発生させる武器として生まれ、それが護身用武器として俺に渡された。
空気さえあれば何度でも使える。
それだけならば素晴らしい武器だったが、空気を取り込む時間に難がある。
一度打ち損じたら、次に撃てるようになるまで逃げ惑いながら時を待たなければならない。
撃つなら一発で決めなければと、今は静かに準備が整うのを待つ。
バサッバサッと羽音は続くが、上で旋回しているだけのようだ。
相手もまたこちらを警戒しているのか。
それならそれでいい、後少しそのままでいて欲しい……。
なんて当然ながらそんな願いなどお構い無しだった。
バササッと大きな羽ばたきの音が近づいたのに気づき、背後へと跳び離れる。
視界に映ったのは巨大な蝙蝠で、羽を広げたら俺の身長を明らかに超えそうなほどだった。
そいつは俺を狙ってきたわけではなく、その大きな羽根で器用に両側の壁を擦って飛んでいったかと思うと、辺りの光がフッと落ちた。
完全な暗闇に包まれたわけではないが、視界の明度は何段階も落とされた。
慎重な相手だとは思っていたが、まずは苔を剥ぎ取り光を奪い迂闊には動けないようにするとは。
余程長く生きている奴なのか、身体が大きいだけでなく知恵も回るらしい。
蝙蝠はまた暗闇へと消えて羽音だけが続く。
向こうからは俺の場所は分かっているのだろう。
それなのに攻撃するわけでもないのは何故か。
警戒心が強いのか、獲物を弄んでいるだけか。
いずれにせよ今は気持ちを乱すわけにはいかないと、ゆっくりと呼吸をする。
◇
その時、音が止まった。
頭上の暗闇に目を凝らすが何も見えはしない。
急に聞こえなくなったのならば、上方の岩にでも止まっているのか。
じりじりと時間だけが過ぎる。
武器の準備が整った中で緊張感は増し鼓動が速まる。
その静寂を切り裂いたのはヒュッと風を切る音だった。
先程までの羽音ではない、これは一体どんな真似を…………。
「左!後ろ!」
突然の声にあった方向へと振り返り引き金を引く。
左側、後方、やや上。
そこへと羽を閉じて急降下してきていた大蝙蝠に衝撃波が決まった。
後一瞬でも遅れていれば体当たりを食らっていただろうギリギリの距離。
蝙蝠は弾き飛ばされ、何も見えない闇の先からバシンッと大きな音がした。
衝撃によってどこかの壁に叩きつけられたのだろう。
音の方へと目を向けながら、再び撃てるように準備をする。
しかし、第二撃は必要はなかった。
反撃を喰らい分が悪いと判断したのか、バサッ……バサッ……と羽音が遠く小さく去っていく。
助かった、この暗闇の中で攻撃を避け続ける自信はなかった。
賢く警戒心が強いからこそ、一度の反撃で諦めるという方法を採ってくれたようで本当に良かった。
ホッと息を吐きながら立ち上がる。
他に何か来るかもしれないと銃は手にしながら、この暗さでは困ると座っていた岩の傍まで慎重に行く。
荷物をどうこうされた形跡はなく、まずはその中から手持ち照明を取り出した。
小さな出っ張りを切り替えれば光を点けて消してが自在で、わざわざ火を起こさずに済み火事の心配もない優れ物だ。
辺りを照らしながら、先程の声を思い出す。
あれはどう考えても甲高い女の子の声だった。
それが聞こえた洞窟の奥側へ歩くと、横壁傍に在った岩の奥に一つの存在を見つけた。
岩陰に隠れているつもりのようであるが見えている。
その岩を掴む両手の先と頭がばっちり見えている。
青く透き通ってプルプルとした身体を持つスライム族がそこにいた。
人型の種族も存在するとは知っていたが、実際に見るのは初めてだ。
「さっき声を掛けてくれたのは、君?」
俺の声に対し、相手は岩陰から出ている頭と手をプルンと動かして岩に隠れようとする。
が、それでもしっかりその姿は確認できてしまう。
「おかげで助かったし、顔を見せて欲しいと思うんだけど……」
通じる言葉で蝙蝠の場所を伝えてくれたわけで、会話には問題ないだろうしと続ける。
しかし、相手はプルプルと更に隠れるように。
背伸びして覗き込めば向こう側が見える高さの岩だったが、無理矢理にそうするのも悪い気がする。
困ったな……と頭を掻いていると、トプンッと水音がした。
何の音かと思っている内に向こうからこちらへとやってきた。
身体の大部分をゲル状に変えて地面に広げ、顎から上は人と同じような作りのままにして。
その顔の形からするとスライム娘というところか。
彼女はズルズルと這って来ると俺を見上げてから口を開いた。
「こ、こんにちは~」
「あ、はい、こんにちは」
間延びした挨拶にこちらも会釈をつけての挨拶。
「他にも来るな~、どこか行くと良いな~」
「どこか……」
内容が少々分かり辛かったが、要は「他の危ない生物も生息しているから、この場所にはいない方が良い」という事だろう。
しかし、振り向いて入口の方を照らしてみても、雨は未だ止む様子はなかった。
「お天気までお家に来ると良いな~」
「お家って、君の?」
ほぼ地面から出るような顔を見下ろしながら聞けば、彼女はコクコクと頷く。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「おことばに~?」
繰り返された後にぽかんと開けられる口。
言葉は通じるが伝わらない言い回しがあったようだ。
「つまり、「君の家に連れていってください、お願いします」ということで……」
その言い方には問題が無かったようで、彼女は「分かった!良かった!」とのように顔を明るくして、スルリと俺の脇を抜けてずーるずる……と移動する。
俺もそのゆっくりな動きの後ろを付いていくことにした。