第五話
ここから助手視点になります。
「って、ワタシはお酒には自信があったの!なのに、なんでそんな元気なのっ!」
「やったー、勝ったって~」
下山した先の町の夜。
居酒屋の座敷テーブルにおいて完全に出来上がり、涙を流して机をバンバンと叩いて悔しがった後はそのまま突っ伏す雪女と、テーブルを挟んだ反対側で果実酒のコップを片手に真っ赤な顔で「ふふふふ」と笑うマスター。こっちもこっちで酔いは回りきっていた。
雪女は温まりきったようで、共に山を下りていく時の歩みも元気なものだった。
そうして町まで着いた時に、御礼にと夜の食事に誘われて気軽に乗った。
そこでどうやら酒の飲み合い勝負で勝ちに来たようだったが、それは甘い話。
マスターは遺跡発掘で各地を回り、そこで発掘者達と酒を飲み交わす事も当たり前の光景だ。
弱い姿を見せるのは仕事にも響くと、最初は苦手でもあった中で鍛え続け今ではかなりの強さを誇る。
そして、こう見えて負けず嫌いな面を持つ。
勝負を仕掛けてきたのならと、今日はこのように通常よりも陽気になってしまうほどガブガブと飲み続けたわけだ。
「助手なんてさ~、顔色一つ変わらないし。なんで?なんでなの?も~」
「俺、特殊な技術は持ってないですけど、昔から酒だけには強いんですよね。気持ち良く酔えもしませんけど」
「そうなんだ~、それはつまらなくもあるな~。そんな寂しい助手にワタシが良い物をやろう」
隣の雪女は泣いていたかと思えば、今度はニヤニヤとしながら酒臭い顔を近づけてくる。
「よく見とけよ~」
手にしたのは使われていなかった空の細長いコップ。
それに酒と混ぜるために用意されていたオレンジのジュースを注ぐ。
そこにまた未使用の箸を差し込んで……。
「えいっ!」
雪女の一言でコップの周りがキラキラと輝いて、それが収まるとコップの中のジュースは表面が少しも波打つことなくピタリと止まった姿となっていた。
なんだ?と見ていると、雪女は刺していた箸を持ち上げて、ポコンとオレンジ色の塊がコップから外れた。
「どうよ、ワタシの特製のオレンジアイスキャンディー」
雪女は再びニヤニヤと得意げに手にした物を見せつけてきて、それには身を引くようにして離れる。
「何そんな嫌な顔するんだよ。美味いのに」
「こんなにも酒臭い雪女の冷気だと、それも酒臭そうかと思いまして」
「そんなわけないだろ~、いいから食べてみろって」
アイスキャンディ―を押し付けるように渡される。
実際に酒臭そうと思っていたわけでもなく、物からもそんな匂いがすることはない。
溶けてもなんだからと口にすると、どこにでもあるジュースを冷やして固めただけなのに濃厚で美味い。
歯ごたえもシャリシャリとして噛んで砕いていくのも楽しい。
「へへ~良いだろ~。冬は雪山で見回りの仕事してさ、暖かくなったらこういうの作って温泉巡りのついでに売ってるんだよ」
俺の表情を見て美味く感じている事が伝わったのか、雪女はまたも激しくニヤついた顔を見せてくる。
自慢するだけあるというか、こうも上手く出来る構造が気になるものではあった。
けれど、これで褒め讃えると碌な事にならないだろうと、雪女からは顔を背け前を真っ直ぐ見てシャクシャクと食べ進めるだけにする。
「で、お駄賃もあげたことだしさ、連れてってくれる?」
アイスキャンディ―を食べ終え軸だった箸をテーブルに置いたところで、視界に入ってきた雪女が首を傾げながらのおねだりを開始。
物を食べさせてからのそれはないだろう……。
「どこに連れてけって言うんですか」
「ん~、お部屋」
断る気満々に表情も嫌気を出して伝える。
しかし、雪女は何も堪えていないように、こちらに両手を伸ばして”連れていけ”の恰好を取る。
宿はこの居酒屋の近くの一か所しか無い。
どうせ自分も行く場所でもあり、この様子では放っておくわけにもいかないかと申し出は受ける事にした。
雪女から差し出された両手は取らずに後ろに回り、その力の入っていない身体を立ち上がらせ肩を組むように担ぐ。
「あ~……」
そこでテーブルの反対側にいるマスターからの声。
何かあったかと顔を向ければ、マスターもこちらに両手を伸ばしてきていた。
「助手君、僕も……」
半分以上寝入った顔と声のマスター。
これは「負けたくない」と配分を間違えて限界を超えたな。
「一度に二人は無理ですよ。まずはこの人を連れて行くんで……」
「うん……」
「そういうわけだ。あんたの大事な助手はワタシがいただいていくぜっ」
「いいな、いいな~」
この期に及んで煽りに行く雪女と、取り残される事となって項垂れるマスター。
そんな二名の酔っぱらいを相手に深く息もつきながら店の出入り口へと向かって行った。
◇
支払いを済ませた所で、少し後に手が空く店員がマスターを宿まで連れて行ってくれるという話になって、それは有難いと任せて俺は今担いでいる相手の話に注力することにした。
「ふへへへ……」
肩を組み宿までの坂道を進む。
雪女は俺の右肩に体重をかなり預けて、地面を靴先で擦るように力なく進む。
何がそんなに楽しいのかと延々と笑いながら。
やれやれと、しかし、こうなったからにはと、月明かりと周囲の家の照明に照らされた道を上っていく。
そうして宿まであと少しという所で、雪女がやけに静かになったことに気づく。
眠ってしまったのかと思い顔を見れば目はしっかりと開いていて、その視線は俺の左手に向かっていた。
「なあ、助手ぅ……」
「なんすか」
「散々これまで馴れ馴れしく呼ばれておいてなんだが、俺はあんたの助手ではねえよ」とも出かかるが、今は多くは突っ込まない。
「その手、どうした」
と、雪女が指差す俺の左手の先は赤く腫れ、かさかさと皮膚が傷んでいる箇所もあった。
「どうしたって、そりゃどこかの雪女を触っていたからでしょうに」
「え、あ、あ~……」
あの小屋で雪女の身体に触れる内に冷気に纏わりつかれてこのようになっていた。
耐えられないものではないと何も言わずに揉み続けていたが、その結果は今でもしっかりと身に残っていた。
雪女は雪女で全てを察した声を出して、その次には下を向き黙り込んでしまった。
それには責め立てる気は無かったと、その顔を覗き込む。
「ごめん、ごめんな~、ワタシのせいで~」
その先で見たものは、居酒屋で見た時よりも泣き濡れてえぐえぐと鼻を啜る者。
「いや、この程度は別に良いですよ。マスターも同じようなものでしたけど、気にしていないでしょうし……」
事実に触れはしたが責める気も泣かせるつもりも全く無く、顔をぐしゃぐしゃにする相手を宥めようとしたが、その言葉に更に涙を増やされる。
「あんたら良い奴らだな~。今、ワタシは猛烈に非常に感動しているっ!」
「はぁ、そうっすか……」
黙っていれば雪女らしく一見冷たくも見える整った顔立ち。
けれども中身は全くそうではない。
酒が入れば泣き上戸。更に付け加えると熱血。
今はもう完全にこちらに体重を圧し掛けてくる存在を引きずりながら、こんな出会いがあるのも旅というものかと自分を納得させながら、宿までの後一歩を力を込めて歩く綺麗な月の日の夜だった。
終




