第二話(青):☆
長い旅路の末に到着した整体施設は巨大な石切り場の跡に造られていた。
堀り進めた結果に地下水が染み出るようになり放棄された場所を、現在はリザード族の人達が使っている。
少し湿ったその空間こそが彼らにとっては過ごしやすいからだという。
敷地内は幾つかの区画に分けられていて、各整体宗派の施設やリザード族の居住地などが置かれている。
オレは自分の身体を治すのは勿論大事だけれど取材旅行の名目ではあるので、まずはその整体の技を見せてもらう事にした。
初めは助手さんがお気に入りの”青派”と呼ばれる宗派の施設へと赴く。
先生の方は先に待っている客が多くいるとの事で、この順番となった。
地上にある案内所で受付を済ませ石の階段を長く下りて地下へと辿り着くと、綺麗に四角に石が切り出された広く高い空間が存在していた。
足元の石は染み出る地下水のせいか湿り気味だ。
壁には魔力石を使った照明が等間隔に設置してあり、その青色の光が照らす地下に暗闇の恐怖は全く無く、むしろその幻想的な光景に感動すら覚える。
奥に進んだ通路には左右の壁に人が一人通れるくらいに四角く切られカーテンが取り付けられた入口が並んでいて、その中が整体施術部屋となっているようだ。
受付で言われた番号の部屋に入り助手さんは脱衣所で施術の準備を。
オレはその間も部屋を観察し、この自然に技術が加えられた姿はいつか物語で使おうとメモをし続ける。
「じゃあ、ユーリ君。行こうか」
石の壁の細かな部分までもしっかり書き残して置こうと至近距離で見つめていた所で、背後から助手さんの声。
振り向くと助手さんは上半身を裸にしてそこに居た。
今度はその姿にじっと視線を向けてもしまう。
「どうかした?」
助手さんは不思議そうに声を挙げてこちらへと近づいてくる。
「助手さんって鍛え抜かれた身体してるんですね……」
「ああ、そういう事か。いや、でも、全然そんな事ないよ」
助手さんは笑顔を見せてそう言うけれど、それに合わせて隆起する身体にまた注目してしまう。
腹筋は綺麗に割れているし、腕も服の外から見るよりも太かった。
その筋肉は大きく肥大化しているとまではならないが、確かな力強さを外見からでも伝えてくる。
コッドや他の戦闘技術に向いた同級生もよく鍛えられていて、その姿に(オレも最近ぷにっとしてきた身を引き締めなければ……)と思う事は夏休み前もあったけど、助手さんのそれには(これが大人の肉体か……)と、羨望を向けてもしまう。
「何もしなくて、そこまでの身体になれるんですか?」
「仕事先では大体荷物を持ってよく歩くからなあ。塔に居る時でも気分転換に身体を動かす事は多いから」
これだけの筋肉が付くという事は話で聞く以上に仕事現場では重労働をしているのかと、その仕事の大変さをまた知る。
そして、気分転換の面ではオレも良い運動方法を後で教えてもらおうと決めて、施術部屋に行く助手さんの姿、その背面の筋肉にも羨ましさを含んだ目を向けながら追って行った。
◇
施術部屋はオレの自室程度の広さだった。
淡い青色の光が照らす、やや薄暗さを思う四角形の空間。
施術を受ける相手が裸になるからか照明の他に暖房器具も置かれ寒さは抑えられていて、部屋内の水気も通路より減っている。
他に置いてあるのは部屋の真ん中に大きめのマット。
そこに助手さんが正座で座り込み、”青派”と呼ばれる宗派の技を持つ群青色の体色をした細身のリザード族の人がその後ろに。
オレは二人の邪魔はせず、その姿がしっかりとは見えるようにして、斜め後ろ側へと位置を取る。
薄暗い部屋の中、パシッという高い音が響いた。
リザード族の彼の尾が助手さんの背中を叩いたものだ。
尾は先に行くほどかなり細くなっていて、それが鞭のようにしなっていった。
打たれた助手さんの皮膚は赤くなり、その光景に息を呑む。
パシッ、ピシッと鞭打ちはまだ続く。
斜めに大きく、八の字に素早く、尾は動き続ける。
その度に鞭の跡を強く残す背が痛々しく、「うっ……」と、思わず目を逸らしたくもなるが、結局は視線を向けてしまう。
それは取材のために来たのだからと、目的への使命感からだけのものではなく、他の理由もあった。
屈強な大人がひたすらに痛めつけられる、それ自体に興味を消せなかった。
誰かが傷つく姿なんて好きではないのに、どうしてか目が離せない。
最初は冷や汗をかくようなものがあったのに、今は身体の熱が上がっているのが分かる。
それを自覚しながら背中側から前方へと移動すると、目をきつく閉じ痛みに耐えた顔から元に戻した助手さんと目が合った。
「そんな心配そうにしなくてもいいよ。見ての印象程は痛くないから」
「……そうなんですか?」
「痛いには痛いけれど、これがまた効くというかさ」
オレの中にある興味と不安、その後者に気づかれたようだ。
しかし、本人がそうは言っても信じ難いものがあった。
そうしている間にも尾の鞭は唸り続け、時に助手さんが背中を弓なりに逸らし顔をしかめる姿には、オレにまで痛みが届くかのようで……。
それには身体が震えそうでもなりながら、新たな興奮が湧き上がってもいた。
助手さんの悲痛な表情にも、自分がそれを受けたのならば……という想像にも、身体の熱は更に上昇する。
これが倒錯的な世界というものかとも気づきながら、それに踏み込むにはまだ早い気がして、助手さんの表情に注目するのは止めてまた背後へと回る。
ビシッ
パシュッ
オレの感情も、助手さんがどう反応しようとも関係なく、尾は肉体を打ち続けていた。
助手さんの背は腫れてなどはいないが、その赤さは薄暗い部屋の中でも良く分かる。
「あれ……?」
そこで気付いた事に声まで出してしまい、施術者の彼がその動きを止めこちらを向いた。
「どうした、何か気になる事でもあったかい?」
「打たれたのに皮膚の色が変わってない所があるなと……」
打撃によって全体的に赤みを帯びていた助手さんの背。
けれども、左肩の下と右脇腹の辺りだけは変化が無いように見えた。
「よく見てんな、流石わざわざここまで勉強しに来ただけあるか。確かにその通りだ。この色が変わらない部分、要はここが今も身体の悪さが残っている部分って事だな。あんたも分かってるんだろう」
「ええ、そこだけもどかしさというか、物足りなさがありますね」
「よし、次はここの重点的にやるからな。弾き飛ばされないように足には力を入れておいてくれよ」
「はい」
二人は分かり合っている会話を終えると、助手さんは正座した身体に力を入れて、施術者の彼は一度深呼吸をして、こちらも気合と力を入れ直す。
そして、尾がこれまで以上の速度で振られた。
ヒュッ
バシッ
力強く俊敏に尾が背中を打つ。
色を変えなかった場所を目掛けて激しく。
青い光が静かに照らす小さな部屋の中、尾が空を切る音、肉体を叩く音が反響する。
変わらずにあった背中の一部が段々と色を変える。
尾が通り過ぎた事がはっきりと分かる赤い色に。
それでも尾の鞭は止まらずに打ち続ける。
バシュッ、ビシュッと、音だけでも痛さが強く伝わるようにもなりながら。
オレはそれを怖さと興奮を持って見つめていた。
全身の力を目だけに集中させるかのようにして。
一言も発する事なく、この光景を止める事はできやしないとの思いを持って。
助手さんはそれを耐えきっていた。
拳に力を入れ肩を震わせ、顔を俯かせる事もあれば、顎を上げて歯を食いしばりもする。
それは痛みによるものだと思うべきだろう。
けれども、それだけではない。
その表情、ふるりとした震え、熱の籠った息、そのどれもに別種の物が存在している。
それは恍惚。
そこには快感が生まれているのだと、オレは疑いなく思えていた。
気持ちいい。
あれが気持ちいいのか。
信じられない……と、この様子を話に聞くだけならば、そう受け取っていただろう。
しかし、その全てをこの目にしたオレがそうなる事はなかった。
助手さんの姿にも引っ張られ、今はもう完全に違う世界に踏み込んだ、引き擦り込まれてしまった……。
今も身体に滾る熱さを感じながら、そう確信するのだった。
◇
「これで残りは身体を嵌めるだけだな」
リザード族の彼の両手が助手さんの脇の下へと入り肩を開くように動かされる。
続けて座ったまま上半身を伸ばすように持ち上げられたり、最後はマットにうつ伏せになって両足を上に曲げられたりと、二人でのストレッチが行われ、その度にパキッ、ペキッと骨が正しい場所に戻る小さな音がオレにも届いた。
そうして全てを終えて立ち上がった助手さんと共に脱衣所に戻る。
その時にはこれまでと違う事実に気付いていた。
明らかに助手さんの背が高い。
元々オレよりも背が高い、オレの周辺の人達の中でも体格は良い助手さんだけど、その顔がいつも見ていた場所より上に見える。
「背が伸びたみたいですね」
「日々過ごす内に少しずつ骨がずれて、随分と縮んでいたんだろうなあ。俺もここまで違いが出るとは思ってなかったよ」
つまりは今の背丈が助手さんの元々のもの。
来た時の姿を思い起こして比べてみると、3cmは違いそうだった。
そして、その実際の数値以上に違いも出ているようで、そう話す助手さんはもっと大きくも爽やかにも見えた。
先程まで酷く鞭に打たれていたような人物とは全く思えない。
「もう全身がスッキリって感じにも見えますよ」
「そこなんだよ、施術後は生まれ変わったような気分になるというかさ。今となっては身体が重いのも痛いのも全然なくて。尾で打たれる事で身体も精神も完全に入れ替わるこの感覚が楽しみで、ここに通うのを止められない理由の一つなんだ」
本人が述べる通り、その顔、身体は色艶までもが良くなっているようだった。
尾で打たれてスイッチが切り替わる、電源が入れ直される、まさにそう表現するのが相応しい。
その姿には、オレの収まりかかっていた興奮が勢いを取り戻し、鞭打ちか……と、自分が打たれる想像もしながら身体を擦ってもしまうのだった。




