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マスターと助手  作者: 佐久サク
幾つにも伸び行く線上で
127/268

その二:☆

 二人でやってきた自室のベッド横を片付けて、落ちた毛を後で片付けやすいように薄いシートを敷く。

 そこに上半身は裸になった俺が胡坐で座り、マスターは後ろに回る。


「それでは、やっていくよ」


 との言葉を合図に片刃の剃刀が背中を這い始めた。

 

 シャッシャッシャッ

 ゾリッゾリッ

 ザッザザッ


 太い毛に細い毛、刃の動かし方、その違いによる耳にも心地よい音が奏でられる。

 やはり何をしても器用で手際が良く、視界の外で刃が動くという状況にも不安の欠片は無く過ごせている。

 

 シュッシュッと刃が背中を擦って、毛がパラパラと落ちて行くのが分かる。

 背中に乗った毛はすぐに布巾で拭かれて、気分の悪さは無く事は進む。

 首の辺りから腰までのザリイィとの長い音。

 脇腹の柔らかい所をチリッチリッと細かく擦る音。

 そこから起こる快感、訪れるスッキリとした感覚。

 そのどれもこれもが良い……と浸っていた時にマスターの手が止まった。 


「助手君、ちょっといいかな?」

「何でしょう」

「左の肩口に小さなデキモノがあるから潰していいかい?」

「あ、いいですよ」

「痕はどうしようか」

「悪化しないようにするだけで良いですよ」

「では、そうするよ」


 プチリと音がして、そこを拭き取られる。

 それから少し熱を感じて、傷口を軽く膜で覆う術を施したのだと分かる。

 マスターの手にかかれば回復術で肉を埋めすっかり治しきるのは容易だろう。

 だが、そうしてもらおうとは思わない。

 そこに手間を掛けさせてしまうのは気が引けるという面もあったが、まず回復術で治された時の痒いような違和感があるような、身体の収まりの悪さが好きではなかった。

 大怪我をした時はそうも言っていられないが、小さな傷では自分の気分の問題が勝つ。


「こっちにもあった」

「どうぞ、やっちゃってください」


 俺が考えているところでもう一度。

 背中の右側、ブチッと今度は音も大きく破裂したような様子だった。


「あ~……」

「あれ?何か不味い事でも……」

「いや、違うんだ。膿んでいたのは、中で毛が育ってしまっていたようでね」

「埋没毛ってやつですか」

「このままにしておくとまた膿んでしまうだろうから、取ろうか」

「お願いします」

「ついでに君も見てみる?」


 見るとは……と思う俺に横から差し出される小さなモニター。

 両脇に持ち手があって後は画面だけと余計な物はついていない物だった。


「このカメラで撮ると、そのモニターに映るようになっているから」


 そう説明するマスターのもう片方の手には太目のペンのような物があった。

 耳の中を撮影して映す装置は既にあるが、それと理屈は同じなのだろう。


「いつの間にかそんな物が増えていたんですね」

「うん、新作なんだ。今度の仕事で使うはずだったんだけど、使う前に解散になってしまってね。鞄に入ったままだったから丁度良いなと」

「せっかくなので使いましょうかね」

「まだ耳用の装置よりも映像が届く距離は短いんだけどね、映像はもっと綺麗に映るから」

  

 その説明を最後にマスターは再び背中を見る形になり、俺はモニターを両手でしっかりと持つ。

 俺も埋没毛がスルッと抜ける図は嫌いではないと、その時を楽しみにするように。


 モニターに俺の背中が映る。

 映像は鮮明で肌の様子がくっきりと、既に潰されたデキモノの痕はぽっかりと。

 その真ん中に見えた小さな薄茶色の点が埋没毛の頭だろう。


 長い針を持ったマスターの右手が近付き、チクッチクッと針の先端が俺の傷に触れる。

 極小さな痛み、この程度は毛を取り出すにはどうしても起こるもの。

 俺の意識も身体も拒否反応を示すでもなく、モニターを穏やかな気持ちで眺める。


 チクッ

 チクッ

 スルッ


 何度目かの挑戦で毛が少し飛び出てくる。

 針に代わって近づくのは細長い毛抜きで、その先端がそれをしっかり挟みゆっくりと抜いていく。

 薄茶色の毛がスルスルと伸びて行き、体内でしっかりと育っていたらしいそれは体液で濡れてツヤツヤと光り、過去に見てきた埋没毛と比べても非常に長い物だった。


 俺が注目するモニターの中でその毛はスル~~と抜け出て行き、毛抜きの先に垂れ下がっていたのは3cmにはなる長さの代物。

 元から違和感はなく、身体から何か抜かれたとの感覚は強くは存在しなかった。

 だが、視覚で確認したそれに身体が喜びを覚え、不思議と抜かれた部分を中心に気持ち良さが広がるようだった。

 

「これはまた長いのが取れましたね」 

「本当だねえ。外側から見たら、これほどの物があるようには思えなかったよ」


 と、大物が取れてマスターの声も弾む。


「これは改めて映像を残しておければ最高だと思うものだねえ、また研究対象にしてみようかな」

「ああ、実際に映像で見れば分かり易いと、学校の医術の授業で役立つとか…」

「あ、それはいい考えだねえ」

「考えに無かったんですか。というより、どう考えていたんですか」

「そ、それはベッドの中で録画映像を見て、すっきりとした気分で眠りにつこうとか……」


 また偉大な技術の多大な無駄遣いの発想。

 自分でも思う事があったのか、言い辛そうな口ぶりのマスター。

 そして、俺は顔に気持ちを出しつつ振り向く。


「あの、それは流石に俺も引きますからね……」

「残しておくのは駄目?」

「夜ごと楽しむためというのは……」


 取られても見られても良い、記録も医療の役に立つなら良い。

 けれど、趣味のために残され使われるのは、どう頑張っても許可を出せない俺がいる。

 

「君がそう言うのなら、そこは引っ込めるしかないか……。よし、では、今後も一期一会を大切にしよう、そうしよう」


 マスターからは掃除に対する改めての意志の宣言がされ、互いに納得して話は収まる。

 その後は回復術で傷口に膜を張り、残った毛をソリソリ、チョリチョリと。 

 温かな日の時間に追われる事もない部屋の中、マスターは余った元気の消費が出来て満たされたようで、俺も穏やかな気分に包まれていく。


 平和な昼時の出来事、互いの間にあるどうしても越えられない壁を知りつつも、その時々の出会いを楽しんでもらえるならいいかと、俺もまたその時間を望もうと思うのだった。





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