1 入学、そして遭遇
____フィリス王国。
この世界に4つ存在する大陸のうち最も大きな面積を持つ大陸『ソルランド』。
その大陸に複数点在する国の中でも最大の版図を誇る王国の名。
近隣諸国とは一線を画す軍事力を保有していることで有名である。
その軍事力とは、即ち魔術。
魔導大国としてその名を馳せるフィリス王国には、魔術学院が散見され、毎年多くの優秀な魔術師を輩出している。
また王国には、王室に仕える宮廷魔導師団と呼ばれる強大な軍事力がある。
その存在は国外から恐れられ、フィリス王国を強国たらしめている要因の一つであり、宮廷魔導師団の一個小隊で、他国騎士団の一個師団と渡り合える実力があるとされている。
当然、この宮廷魔導師団に入団するということはこの国での確たる地位を築き上げたということと同義であり、国内の魔術師たち……特に、未来ある若者たちの、共通の目標・夢とされている。
その宮廷魔導師団の中でも特に王室に近しい集団……俗に『執行者』と呼ばれる特殊部隊がある。
民間の間ではその存在自体、噂の域を出ないのだが、確かにその部隊は存在するのだ。
宮廷魔導師団きっての精鋭ぞろい。それぞれのメンバーが他の部隊の魔術師と隔絶した実力を保有する王国きっての戦力。メンバーには異名が与えられており、その素性を部隊外の人間で知っている者はほんの一握りである。
しかし人格に一癖も二癖もある厄介者だらけで……唯一の共通点と言えば、全員が王国への忠誠を誓っていることくらいだ。
その『執行者』の一人。
人格は常識人よりではあるが……少々性格に癖のある男。
男はこの度、一つの任務を課せられていた。
それはとある魔術学院への潜入。
調査ということではないが……重大な任務である。
その男のコードネームは_______≪異端者≫
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フェリス王国の都市、オルクス。
白の建材をふんだんに使用した街並みが特徴の、歴史ある都市だ。
その古き良き雰囲気漂う大通りを、ある一人の少女が軽い足取りで進んでいた。
「今日から私も、魔術学院で勉強できるんだ……!!」
そう独り言を漏らす少女の名は、ルルシア=フォール。流れるような銀髪が美しい、いわゆる美少女。
歴史の長い魔術の大家フォール家の娘であり、今期よりマギス魔術学院に入学することが決定している15歳の少女である。
マギス魔術学院とは、フェリス王国でも最高峰の魔術学院であり、魔術を志す少年少女にとっては憧れの的。毎年有能な魔術師が数多く卒業しており、魔術で名を馳せる者の二人に一人はこの学院の卒業者とも言われているほどだ。
その分、言うまでもないが、入学試験は非常に難易度が高く、その試験に見事合格したルルシアは、この時点で既に非常に優秀なのである。
「マギス魔術学院……えへへ、楽しみだな……」
魔術学院への入学がそれほどまでに嬉しかったのだろう。周囲への注意が散漫になっていたようだ。
「きゃっ」
「……おっと」
ルルシアは黒のローブに身を包んだ男性__真っ白な髪がその黒づくめの服装に対比して映える__傍から見ても一目で魔術師とわかる出で立ちの男性とぶつかってしまった。
「大丈夫か? ……っと、その制服、マギス魔術学院の生徒なのか?」
「あ、はい。今日から、ですけど」
「ということは、新規入学生か。おめでとう……お前は優秀みたいだな」
「あ、ありがとうございます……?」
随分と気軽に話しかけて来るなぁ、と思いつつも、ルルシアはこの男に悪い印象は感じなかった。その優し気な表情からかもしれない。
「しかしマギスか……じゃあ、あの事は知ってるのか?」
「え? あの事って?」
「ここフェリス王国の第二王女……コルデー様の入学。今年だろ?」
「えっ、本当ですか!?」
コルデー=ル=フェリス。フェリス王家の第二王女の名である。
国の創設から連綿と続く由緒正しき王家であり、その権力、求心力は偉大。
そんなやんごとない身分の者が同輩というのは、やはり相当に__少し失礼かもしれないが__気が気でない事なのだ。
「そ、そんな……知らなかった……」
「……まあ、気負うことはない。コルデー……様はお優しい方だし、誰とでも仲良くしたがるさ、きっと」
思いっきり動揺するルルシアに、男は苦笑交じりに返す。
「……おっと、悪い、時間を取らせてしまった。入学の式典に遅れるといけない。まだ時間はあるが……早めに行動しておいて損はない。……じゃあ、また」
そう言うと、男は手をひらひらと振って去っていった。
ポカンとしてしまい、何も言えずに見送ってから、ようやくルルシアは我に返る。
「い、言うだけ言って行っちゃった……まあいいや。……ん?『また』?」
男の残した言葉に何か引っかかりを覚えながらも、気を改めて学院への道を歩いていくルルシアであった__
『え、えー……この度の諸君らの入学は、誠にめでたいことで……』
マギス魔術学院、その大講堂。
ここで、今期の入学生を激励する記念式典が今行われている……のだが。
『で、あるからして……えー、と』
拡声の魔術道具を用いて壇上で現在スピーチを行っているのは、この学院の学院長、キケーロ=セルマン。白髪交じりの初老の男性で、中々強面な人物なのだが……今は額に脂汗を垂らしながら、チラチラと一点を見つめるような仕草をずっと繰り返している。
とはいえ、それはキケーロに限ったことではなく、会場の端に控える学院の教師や入学生、在校生も同様である。
無理もない。皆が見つめる先に居るのは……
「……どうしたのかしら、学院長様……顔色が悪くないですか?」
「十中八九……いや、確実に我々のせいだ。君のその天然気質はどうにかならんのか?」
……フェリス王国の国王夫妻であった。
国王・シグルズ=ル=フェリスと女王・ミアナ=ル=フェリス。
齢30にも満たない若き王であるに拘わらず、その優れた政治手腕で権謀術数渦巻く政界を華麗に取り仕切る賢王と、その王を支える女王。
女王ミアナは元々平民出身であり、当初は周囲からの反発__より悪く言えばバッシング__を受けたものの、民のことを一番に考える彼女の紛れもない善性が、より国民から王室への信頼を築くのにそう時間はかからなかった。
この、魔術学院の入学式典なぞに国王夫妻が出席するなどという珍事も珍事な事態を引き起こした張本人はもちろん、第二王女コルデーなのだが……
「……うぅ……」
当の本人は、気まずさの極みであった。
近くの席に座ることになった人間の顔色の悪さと言ったら、それはもう酷いものだ。
「…………」
そしてコルデーの右隣には、全身ガチガチのルルシアの姿も見えた。
(ちょぉぉぉ……!? 何でよりにもよって王女様の隣なの!? 入学生300人近く居るのに、どんな確率よ!?)
ルルシアも普段は気丈な少女なのだが……この時ばかりは、せめて王女の御前で全身の震えを何とかして抑えようと努力するしかなかった。
(……うわぁ、国王夫妻の両隣の人たち、今にも泡吹いて気絶しそうな顔してるよ……
というか、御二方の後ろに控えてる人たちの圧が凄いんですけど……顔はフードで見えないけど、何あの真っ黒なローブ……宮廷魔導師団の隊服じゃないし……特別な近衛、とか?)
おおむね、この会場の全員の心中の代弁として機能するであろう思考が、ルルシアの脳内を支配していた。確かに、国王夫妻が視界に居るというのも相当に心臓に悪いことなのであるが……その後ろに控える魔術師達の気配が、ただ事ではないのだ。
(……でもあのローブ……どこかで見覚えが……?)
その違和感の正体に、その長いようで短い式典の最後まで、ついぞ気づくことはなかった。
「うぅ……すっごい緊張した……」
式典の後、会場を後にし、事前に通知されていた教室へ向かうルルシア。
その胸中は未だ、穏やかとは言えない状態であったが、幾分かマシになっていた。
「えっと……一年次の、一……組……」
「……あっ、先程の……」
ルルシアの目の前には、同じ教室の扉に手をかける、コルデーがいた。
「「「「…………」」」」
教室内は、もはやお通夜状態だった。
いや、悲壮な空気は一切ない。だが、その気まずい沈黙は、もはやお通夜だ。
……ちなみに、コルデーとルルシアは、またしても隣同士であった。
(な、なんでこうなるの……!? いや、悪い事じゃないし、むしろ誉れと言っても良いんだけど、こんなの私の心臓がもたないって……!!)
そんな思考の渦に囚われる中、ルルシアはふと、道中で出会った男の言葉を思い出していた。
『コルデー……様はお優しい方だし、誰とでも仲良くしたがるさ、きっと』
……と、男は言っていたはず。
(どうしよう……こっちから話しかけるべき!? いやでも、それ不敬にならない!? あーもう!)
散々迷った挙句、口を開こうとした……その瞬間、ガラガラと音を立て、扉を開け教室に入る人物があった。
(も、もう……! 間が悪……い……えっ!?)
教室に入ってきた、その人物は。
先天性異常でないにも拘らず真っ白の髪。
切れるように鋭い、しかしどこか優しさを感じられる、その蒼い瞳。
黒いローブ……ではないが、黒の講師服を身にまとい、黒板に背を向けて教卓の前に立つその男。
「……今日からお前たちを担当することになった、アルト……アルト=エリュシオナだ。
これから四年間、よろしくな」
……この日。
この日から、マギス魔術学院の運命は、少しずつ動き出していったのだった__