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song7〜noomが生まれた日

「天川さんですね、朝倉です。どうぞ、こちらに」

 私は小さな打ち合わせ室に案内された。

 地域雑誌を発行している、豊霧市の出版社。そこで、ある記事を書いた人と話をする約束になっていた。


 私がnoomのライブを視察してから1ヶ月半が過ぎていた。会社にはメジャーデビューさせる器ではない、という適当な報告書で済ませていたが、ライブを撮影した映像がどうしても気になっていた。

 そのうち、noomのことを教えてくれた豊霧市の友達から、また情報が入った。noomのことを特集した雑誌があること、ラジオでnoomのことを紹介している人がいた、というものだった。

 そしてまずは、noomの特集を書いた雑誌の担当者に会いに行くことにした。


「天川さんはレコード会社の方ですよね。プロの目から見て、noomはどうでしたか?」

 朝倉はプライベートでバンドもやっているという。単純に、他のバンドの評価が知りたいのだろう。

「素晴らしかったです。ただそれをメディアで流すと逆に伝わらない、とも感じました。なのでスカウトは諦めました。惜しい逸材です」

「なるほど。では諦めたのに、どうして僕のところに?」

 私はバッグから雑誌を取り出し、付箋が貼ってあるページを開いた。noomを特集した記事だ。

「これは朝倉さんが書かれたものですよね」

「ええ、そうです」

「こういうものって、本人たちに原稿を見せるものなんですか?」

「ああ、今回はライブハウスのオーナーの有明さんという方に確認してもらいました」

 有明……私のときも対応してくれた人か。なら、話が早いかもしれない。

「そのときに変更が入ったりしませんでしたか?」

 朝倉の顔つきが変わった。ヒットしたかもしれない。

「変更……といいますと?」

「もともと朝倉さんの書いた原稿を書き換えるように言われたとか。特にnoomの素顔の部分について」

 朝倉は一息ついた。そして逆に聞き返してきた。

「一つお聞かせください。このことは天川さん、いや、レコード会社として何か考えがあってのことですか?」

「いえ、あくまで一個人の興味であって、仕事ではありません。今日は有給もらってますから」

 仕事で出張となると報告書を書かないといけない。それは面倒だ。

「なるほど。天川さんもnoomの魅力に惹かれたということなんですね」

 魅力というよりも、あの映像に写っていた秘密に、だが。

「いいでしょう。カットされたところはありました。実は僕、noomが一度だけ路上ライブをやったときに偶然聴いたことがあるんです。そこの部分です」

「路上ライブ?」

「ええ、一度だけですけど。そのときに、ライブハウスのオーナーの有明さんが見つけてスカウトしたらしいです」

「どうしてそこがカットになったんですか?」

「正直僕にもわかりません。ただ路上ライブのときの音楽性や声は、今と違ってもっとアップテンポで、開放感のある曲でした。路上ライブからライブハウスデビューまでは約二週間あったんですけど、その間に何かあったのではないか、と僕は思っています」

「何か……と言いますと?」

「これもわかりません。ただ音楽やってる人間にはわかるんですけど、あれほど音楽性を変化させたとなると、何か大きなきっかけがあるはずなんです。それを……有明さんは多分、隠してるんです」

 やっぱり、有明は全て知っている、ということか。

「路上ライブのときの音源はあったりしませんか?」

「いや、あのときは本当にたまたま通りががっただけなので……」

 音楽性の違い、というのを確認してみたかったが、それは無理だった。ところが朝倉は思いがけない言葉を言った。

「noomの音源は全くないんですよね。この前の取材でもこっそり録音したんですけど失敗しましてね」

「え!?」

「あ、いや、オーナーからは禁止されてたんですけど、やっぱり仕事上必要だと思いまして。単純なミスをしてしまいましてね」

「どういうミスですか」

 どうしてこんなことにつっこむんだろう、朝倉は不思議に思っているに違いない。だけどこれは重要なことだ。

「録音レベルが小さかったんですよ。そのせいで観客の声は録れてるのに、肝心のnoomの音が録れなかったっていう……」

 そうか……やっぱりそうか。

 一つ確信を持ったところで帰ろうとしたところ、朝倉から一声かけられた。

「そういえばご存知ですか、noomは次の新月でラストライブらしいんですよ」

「え、どうしてですか?」

 それもわかりません、と朝倉は答えた。



 次は「FMみすと」で番組を持っている東野 咲という女子大生に会う約束になっている。

 少し時間があったため、ライブハウスのオーナーである有明に電話した。やはり、少しけだるそうな口調だった。

「noomが次で最後のライブにするとお聞きしましたが、どうしてでしょうか」

「本人たちの希望ですよ、私も驚きましたがね」

 私は思い切って質問してみた。

「失礼を承知でお聞きします。noomについて隠してることがありますよね。教えていただけませんか?」

 しばらくの沈黙の後、耳に入ったきたのは、明らかに苛立った声だった。

「それを言う必要はない。どうせ最後になるんだ。どうでもいいのではないですか」

 はやり隠し通すつもりらしい。

 ……仕方ない、切り札を出すか。

「実は……先月のライブ視察の際、申し訳ないと思いましたが映像を撮らせていただきました。そうしたら……」

 ブツッという音が耳に響いた。電話は切れてしまった。



 「FMみすと」は小規模FM局とあって、スタジオ3つと事務所、そして会議室が数える程度の大きさだった。その小さな会議室で待たされていると、しばらくして東野が入ってきた。私も豊霧市出身だと聞くと親しみを持ったのだろうか、地元の話でしばし盛り上がってしまった。

「ところで、本日お伺いしたのは、noomのことについてです。以前東野さんが番組でご紹介したそうですね」

「ええ、私もファンなんですよ」

「noomの素顔について何かご存知なことはありませんか」

「……天川さんは、noomのことはどう感じましたか」

「非常に繊細だと思いました。声とメロディーの相性がこの上ないです。ただ、メディアで流すと返って印象が薄らいでしまう、とも感じました。それほど、ライブで際立つ声でした」

「そうですか……2年前よりも成長していたんですね」

「2年前?」

「覚えていらっしゃいませんか。SAYOは2年前オーディションを受けて、天川さんからアドバイスを受けたって言ってましたよ」

「わたし、から?」

「これがSAYOです。見覚えありませんか?」

 東野はバッグの中から写真を1枚取り出した。そこにはショートヘアの、はじけた笑顔が印象的な女の子が写っていた。いや、私にとってもっと印象的だったのは、その歌声だった。

 思い出した。2年前、レコード会社主催のオーディションで、私は最終選考の1つ前に審査員として参加していた。彼女は高校3年生だったはずだ。今すぐのデビューは無理だが、しっかりとした練習を積み重ねれば存在感のある逸材になる、確かそうアドバイスした。

 彼女の名前は覚えている。いつかまた、オーディションで出会えたときのために。彼女の名前は。

「川瀬……沙夜。彼女が、noomのSAYO?」

「そうです。沙夜から天川さんの名前を聞いてました。すごいいい人だったって」

「そうだったんですか……あの後、彼女は練習を?」

「ええ、大学行くのをやめて、バイトしながらボーカルスクールに通ってました。それから、私がKIRITO先輩を紹介しました」

「え?」

「これが先輩の写真です。サークルの集合写真ですけど」

 そういって彼女は2枚目の写真を見せてくれた。15人くらいの人たちの中に、あの日ライブで見たギタリストは確かにいた。彼は青木霧人というらしい。さわやかな笑顔をしていた。

「アメリカへ留学してるときにバンドをやってて、日本に戻ってから女性ボーカルといっしょに音楽やりたいと言っていたので、それで私が沙夜を紹介しました」

 もう一度1枚目の写真を見る。川瀬沙夜の無邪気な姿。そして、青木霧人のすっきりとした笑顔。

 これが、あのnoomの二人。

「私が引き合わせた二人が、こうしてレコード会社の人の目に留まるのは本当にうれしいです。特に沙夜は本気でアーティストを目指していたので、約束を果たすことができたようで」

「約束?」

「あ、これは個人的な話なんですけどね。私はラジオで番組を持つ、そして沙夜は歌手になって、私の番組に出るっていう、高校生の他愛もない口約束でしたけどね」

 東野は昔を思い出しているかのように、少し上を見つめながら話した。

「沙夜さんは、今後東野さんの番組に出るつもりはないのですか?」

「……一つ、お聞きしてもいいですか?」

 突然、東野は口調を変えた。これまでの自慢げに話す様子から、一転して慎重な面持ちになった。

「天川さんはレコード会社の方ですよね。noomのライブでは、録音とかしたのですか?」

「ええ、ライブハウスのオーナーからは禁止されてたんですけど、仕事のこともあるので。ビデオカメラで撮影しました」

「映っていましたか?」

「え……」

 不意を突かれた。彼女はそこまで、全て知っているのか。

「映っていましたか?」

「それは……」

「映ってなかったんですね」


「noomの二人は、映ってなかったんですね」


 そう、あの映像に、noomの姿はどこにもなかった。

 ライブから帰ったあの日、家でライブの様子をもう一度見ようとビデオカメラの映像を見たところ、信じられない光景が記録されていた。

 noomの声や音が一切入っていなかった。観客の声や他の音は入っていたのに、だ。

 それだけではない。二人がいるはずのステージには誰も立っていなかった。さながら、観客がリアクションのリハーサルをしているかの光景だった。

 まるで、noomという存在は最初からなかったかのように。


「どうして……それを知ってるんですか?」

「天川さんは、noomの素顔を知りたいということで、私に連絡を下さったんですよね」

「……はい」

「天川さんは沙夜の才能を見抜いて、沙夜の人生を大きく変えた方ですから、沙夜のことを知ってもらう必要があると思っています」

「沙夜さんの、こと……?」

「それに、noomのライブは次で最後です。沙夜も霧人先輩も覚悟を決めたんだと私は思っています」

「覚悟って…」

「これが、noomの素顔です」

 東野はバッグの中から、今度は切り抜いた新聞のコピーを見せた。

 それは交通事故の記事だった。日付は一年ほど前のものだった。見出しには「タクシー事故 運転手と乗客3名死亡」。亡くなったのは、タクシー運転手、そして、


 青木霧人


 川瀬沙夜


「事故は、二人がライブハウスへ行く途中のことでした。初めてステージに立つ、新月の夜のことでした」

 東野はうつむいて、喉の奥から振り絞るような声で言った。

 それは二人が死んだ日であり、noomが生まれた日でもあった。

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