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song4〜満月と新月の間に

「今日は出版社の人間として来ましたよ」僕がそう答えると、有明さんは面倒そうな顔つきをしていた。

 有明さんから見て、僕は二つの顔を持っている。一つは、ここのライブハウスでよくライブをさせてもらっているバンドメンバーの一人。もう一つは、地元のバンドを紹介する月刊誌の記者として、だ。

 その月刊誌は豊霧市周辺で売っている地域雑誌だ。地元のことに徹底した内容ゆえ、親近感が湧くせいか売れ行きはいい。僕はそのなかのコーナーのいくつかを持っているのだが、その一つが、地元で活動しているアーティストの特集だ。プロアマは問わない。自分が音楽をやっているということもあり、応援する立場で何か出来ないか、と考えて思いついたものだった。そのため、取材として「deep mist」に行くことも多い。

「次回の原稿書いてきたんで、軽く目を通してもらえますか」僕は次回掲載分の原稿を有明さんに渡した。

「なぁ朝倉、前にも言ったけどねぇ……今回ばかりはあんまり気乗りしてないんだよ」

「どうしてなんですか。いつもはヨイショヨイショ持ち上げて書いてくれっておっしゃるのに」

「あの二人には勝手に手を出してもらいたくはないんだよ。まぁ地域雑誌くらいならギリギリいいと思ったから許可したんだけどよ」

「たしかに秘蔵っ子って感じはしますよ。でもだからこそ、下手に大々的に宣伝するより、こうして口コミで広げる方がいいと思うんですよ、noomの場合は」

 次回の特集アーティストは、ここ豊霧市でカリスマ的人気をもつnoomだ。満を持して送る、といってもいいくらい、自分では気合い入れて書いたものだ。


 有明さんが一通り読み終わったあと、首をひねりながら言った。

「だいたいはいいんだけど……」

「けど……なんですか」

 うーん、と有明さんはうなりながら言った。

「冒頭の路上ライブのやりとり、削除してくれんか」

「は?」

「個人的なつながりを活かすのは悪くないが……今回だけはカットしてくれ」

「どうして、ですか?」

「カットだ、でなきゃ載せん」

 有明さんが問題にしたのは、noomの二人が初めての路上ライブをしたときのことだった。このとき、僕は偶然だが二人の演奏を聴いていた。そのときのやりとり、そしてライブハウスデビューのときの様子を、こう書いていた。



 満月が昇る夜、僕はその二人に出会った。豊霧駅前の通り。見慣れない二人がライブを披露していた。男のギターに合わせて、女の子が歌っている。後に、男はKIRITO、女の子はSAYOと名乗り、二人はnoomとして豊霧市にその音を響かせることになる。

 だがこのとき、今のnoomの面影はなかったと言ってもいい。非常にアップテンポな曲をやっており、今のバラード重視とは全く違う雰囲気だった。オリジナル曲で「new moon」というものだったが、これはこれでなかなかいいセンスを持っていると感じた。今では全く演奏しない曲だが、印象的なサビは今でも覚えている。


  "new moon いそうでいない 新月の夜 

   new moon いないようでいる 昼の新月

   恥ずかしがり屋な お月様 まるで私みたい

   でもこれから変わっていくんだから!

   I can do anything!"


 しっかりと練習して経験を重ねれば、いつか化けるかもしれない……そう感じさせるものがあった。

 そして二週間後、彼らは化けた。初めて会ったときとは全く違う、洗練され、触れると割れてしまいそうなほど繊細な、しかし聴衆の心にダイレクトに突き刺さるその音は、僕の目指す遥か上の世界にあった。二人の演奏したあと、実は僕のバンドも演奏したのだが、聴衆にはnoomの音しか残っていなかったはずだ。それほど衝撃的だった。

 その日にnoomが歌ったのは「七等星」という曲だった。人間の目では見ることができる最も暗い星「六等星」よりもさらに暗い星。決して目には見えないけれど、心の中で光っている、だから目を閉じてみて……そういう曲だ。


  "どうせ私は どこを探しても 見つからない存在だから

   あなたの視界に 入ることはできないけれど

   それでも私は 時間を飛び越えて 空間を走り抜けて

   あなたの中で 光り続けるようにしよう

   あなたの心の中で"


 まさに新月の夜だからこそ、響く歌であった……



「僕が初めて路上で聴いたときと、ライブハウスで聴いたものとは別人と言っていいほどの違いがありました。音楽性も、声も。あの二週間の間に何があったんですか。有明さんは知ってるんですよね?」

 有明さんは腕を組んだ。この人が拒否反応を示すときの癖だ。

「そんなことは教える必要もないし、書く必要もない。今のnoomのことを書けば十分なはずだ」

「しかし、そのバンドの方向性が決まる出来事があったのなら、書くべきだと思います。それとも……」

 僕は思い切って、核心を突く質問をした。

「……noomの過去に、何か知られてはいけないことでもあるのですか?」

 有明さんの左の眉が動いた。逆鱗に触れられたときの癖だ。

「明日までに書き直した原稿を送ってこい。メールでいい。話は終わりだ」



 十日後の夜、僕は出版社の自分のデスクで、写真も入った完成原稿を眺めていた。

 結局、有明さんの言われた通りに、路上ライブでのやりとりはすべて削除し、初めてのライブハウス演奏からの入りにした。

 noomの過去ってなんだ?その過去と、新月の夜にしかライブをやらないことと、何か関係があるのか。

 原稿をぼんやり見ていると、後ろから女性の声がかけられた。

「朝倉さん、おつかれさまです!」

「ああ、咲ちゃん、連載の打ち合わせ?」

「そうです、さっき終わったところで」

 彼女は豊霧市のラジオ局でパーソナリティーをしている女子大生だ。メジャーな流行曲にこだわらない独自の選曲が、意外と中高生リスナーから評判がいい。うちの雑誌でも連載でエッセイを書いてくれている。

「それ次の特集のやつですか?」

「そう、次はnoomをやるんだ」

「noom知ってますよ。私の番組でもけっこうメールに書いてあったりしますよ」

「そうなんだ……ねえ咲ちゃん、noomがライブハウスで活動する前って何か知ってる?」

「え?」

 咲は不意を突かれたかのような表情をした。

「いや、知らなかったら別にいいんだ。僕もいろいろ調べてみたりはしたんだけど、何も分からなくてね」

「そうなんですか……あれ、今回の写真は『deep mist』の入り口なんですね」

 そう、普段ならだいたいはメンバー写真か、CD出してるならそのジャケット写真だ。ただ今回はどうしても有明さんの許可が下りなかった。あの人はもともとライブ中の撮影は禁止させているのがポリシーで、ライブ前後でnoomに直接会うこともできなかった。

 だから今回の記事ではインタビューという形式がない。仕方なく、ライブで誰かが質問していたことの回答をnoomの発言として載せることにした。その中でも、SAYOの言葉がnoomのことを的確に表現しているように見えた。


「真っ暗な夜だからこそ見えるものがあるし、光り輝くものがあるし、響くものがあると思う。新月だからこそ、私たちの音楽が一番響く」


 新月の夜だからこそ響く……か。

「咲ちゃんは、どうしてnoomは新月の夜にしかライブをやらないと思う」

 咲は窓の外を見ながら答えた。

「本人たちが好きだからじゃないですか。普通に考えるんでしたら」

「普通に考えなかったとしたら?」

「さぁ……私は普通の女子大生ですから」

 アハハ、と咲は無邪気に笑った。

「あ、すいません、そろそろ私帰りますね」

「ああ、引き止めて悪かったね、おつかれさま」


 咲が帰った後、僕も一仕事して帰ることにした。机の上を整理していると、ICレコーダーが見つかった。

 実は、前回のnoomのライブ音声をこっそり録音しておいたものだ。有明さんに見つかったら怒られる覚悟だったが、運良く見つからずに済んだ。原稿を書くときには、その人たちの曲を聴きながら書くとインスピレーションが湧きやすい。noomはCDを含めた音源が一切ないから独自に録音しておいた。noomの発言も一字一句残せるように、という意味も込めてだ。

 だがこれを聴きながら原稿を書くことはなかった。録音に失敗していたからだ。なんてつまらないミスをしたんだろう…次からはちゃんと確かめてから録ることにしよう。

 そう決めてふと窓の外を見てみると、初めてnoomと出会ったときのような、美しい満月が浮かんでいた。

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