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「ふあ〜……」
小屋から出たポポンは、大きく伸びをした。
天気は快晴。
朝の冷えた空気がポポンの眠気を吹き飛ばしてゆく。
「あ、リィン。おはよー」
リィンはバルコニーにいた。
大きな木箱が三つ並んでいて、その中身をチェックしている。
「おせーよ」
「ごめん、ごめん。それなぁに?」
「商品だ」
「見せて見せて!」
「大市場でな。それよりこっちが先だ」
リィンはおもむろに指を咥え、ピィーッと指笛を吹いた。
すぐに大きな羽ばたき音が聞こえてくる。
だが、いつもと少し違う。
「……あれ?羽ばたく音が二つ?」
世界樹の枝葉の陰から現れたのは、二頭のヒッポグリフだった。
「おおー!……でもなんで二頭?」
「いつまでも二人乗りってのも不便だし、今回は大市場の荷があるからな。二頭いたほうがいい」
「えっ?ってことは……」
「一頭はポポンのだ」
「ほんと!?やたっ!」
ポポンは跳び上がって喜び、ヒッポグリフの元へ駆け寄った。
すると二頭もポポンに近づき、鼻をこすりつけてくる。
「かわいーね、お前達!」
ポポンも二頭に頬を寄せ、ヒッポグリフを迎える。
二頭と戯れ合うポポンに、リィンが問う。
「で、どっちにする?」
「選んでいいの?」
「ああ」
ポポンは二頭から顔を離し、それぞれを観察した。
片方はいつも見るヒッポグリフ。
もう一方はそれよりもひと回り小さく、毛並みが美しい。
「大きいほうはいつも乗ってる子だよね?」
「そうだ」
「じゃあこの子にする!ロランワースで初めて一人乗りしたときのことが忘れられないもん!」
「そうか。……木箱はそっちに乗せるぞ?俺が乗る方はまだ子供だからな」
「あ、やっぱりそうなんだ。……で、なんて名前なの?」
「名前?」
リィンが首を傾げる。
「この子達の名前だよ」
そう言われてリィンは「ああ」と手を打ち、ボソリと答えた。
「……ヒッポ」
「それ、種族名じゃん!私をドワーフとは呼ばないでしょ!」
「んー。考えたことがなかった」
「えー。酷くない?」
「そう言われてもな」
「ないなら、私が決めるね」
ポポンは自分のヒッポグリフから一歩離れ、彼の体を回し見た。
「決めた!君の名前はロランだ!」
ヒッポグリフは満足したのか、高く鳴いた。
「ちっと単純じゃないか?」
「このくらいがちょうどいいの!リィンのほうはどうする?」
「そうだな……」
リィンは小さい方のヒッポグリフをしばし眺め、ポンと手を打った。
「よし!お前の名はチビだ!」
「……ネーミングセンスぅ」
「なんだ、ダメか?」
小さいヒッポグリフは、ガクリと項垂れた。
――ニーザシャカヴ。
乾燥した大平原が広がる中に突如現れる、台形状の山の名である。
その名は“地母神の寝台”を意味し、大昔から周辺部族にとって聖地と言うべき特別な場所であった。
特別な場所であるがゆえに支配権を巡る争いが絶えず、数十もの部族によって血で血を洗う戦いが繰り返されていた。
だが、百年ほど前。
長い争いに疲れ果てた周辺部族は、ニーザシャカヴの上に集まり、禍根を忘れ今後永遠に争わぬことを誓い合った。
この“約定の日”を期に、この山は奪い合うものから友好のシンボルへと生まれ変わった。
それから百年、月に一度の大市場は欠かすことなく開かれている。
「すっごい!ほんとに台形なんだね!」
「あの上が全部大市場会場だ」
「人がたくさん!アリみたい!」
「端のほうに下りるぞ。――ビロード!」
リィンが跨がるヒッポグリフの名を叫ぶ。
一人と二頭の反対により、このヒッポグリフの名は“ビロード”に改名されていた。
由来は美しい毛並みから。
名付け親はポポンだ。
「ロラン、続けー!」
二頭のヒッポグリフはゆっくりと山の端のほうへと下りていった。
「わお!」
大市場に下り立ったポポンが、感嘆の声を上げる。
そこは人、人、人。
ごった返す人の海であった。
人の外見は様々で、肌や髪や瞳の色の違いなどかわいいもの。
多種多様な姿の獣人や、エルフやドワーフのような亜人間が当たり前のように行き交っている。
「ねえねえ!あれってライカンスロープ?」
「小柄だからコボルトだろう。連中の中には狼に似てるのも多いから」
「あの人、角すっご!」
「鹿の部族だな。角の枝が多いほど尊敬される」
「わ!あっちの鹿の人も角すっごい!」
「シッ!あれは山羊の部族だ。間違えるとブチ切れられるぞ?」
リィンは周囲への興味が絶えないポポンを引っ張り、大市場の外れへとやってきた。
この辺りになると店は疎らで、行き交う人も少ない。
「この辺でいいだろう」
「こんな端っこ?」
「雑然と見えるかもしれないが、店を開いていい場所が細かく決まっているんだ。中央付近は周辺部族。外の人間は外周だ」
「なるほど」
リィンはヒッポグリフから三つの木箱を下ろし、二つを地面に並べた。その上に長板を載せ、あっという間に簡単なカウンターが出来上がる。
そして残りの木箱を開け、中身をカウンターに並べ始めた。
「なにこれ……瓶?」
「商品だよ」
「これ、が?」
ポポンは瓶の一本をしげしげと観察した。
酒瓶よりもずっと小さな小瓶。
材質はよく透き通っており、瓶の内容物がよく見える。
問題はその内容物だ。
黒みがかった灰色で、何やらドロドロとしている。
「……汚水?」
「ポーションだ」
「ぽ……ポーション!?これが!?」
「ダンジョン工務店謹製、スペシャルポーションだ」
「こんな禍々しい液体がポーション?ポーションってもっとクリアで綺麗な色してると思うんだけど?」
「色はともかく、効果は絶大だ。切り傷に火傷、疲労回復、たいていの病気に老化防止……」
「それ、ポーションの範囲超えてるんじゃ……」
「それに、色はこうだが匂いは悪くない」
「そうなの?」
「論より証拠。ほれ」
リィンは小瓶のフタを回し開け、ポポンの鼻先に突き出した。
ポポンはおっかなびっくりといった様子で、小瓶に鼻を近づける。
「すん、すん。……アウッ!?ヴォェッ!ゲホッ、ゲホッ、オゲェェ!」
それはあらゆる汚物を鍋に投げ込み、三日三晩煮詰めたかのような、恐ろしい悪臭だった。
「クク」
口元を押さえて笑うリィンと、そんな彼を涙目で見上げるポポン。
「リ゛ィ゛ン゛ッ゛!」
「悪い悪い。これの臭い嗅いだ奴が、一瞬白目剥くのがおかしくってな」
「ひどい!」
「悪かった」
「……私も白目剝いてた?」
リィンはグッ!と親指を立てた。
「ああ!バッチリ!」
「ムカつく……これ、何が入ってんのよ」
「ユグドラシル産の薬草だ」
「それだけ?そんなはずない!」
「本当だぞ?……隠し味も入れてるが、微量だしな」
「……隠し味について詳しく聞かせて?」
「そんな特別なもんじゃないぞ?魔女の爪とか、巨大芋虫の体液とか。あ、ヘドロスライムの断片も少し――」
「それそれー!!」
ポポンがリィンの顔をビシッ!と指差した。
「絶対それのせい!」
「いや、ほんとに微量だぞ?だからこその隠し味だし」
「ぜーんぜん隠れてない!裸で踊り狂ってる!」
「そうか?……うーむ」
腕組みするリィンに、ポポンがすがりついた。
「リィン、変なもの入れるのやめよ?こんな激臭ポーション売ったらクレームが山盛り来ちゃうよ」
「いや、隠し味をやめると効能が極端に低下する」
「む……一応、入れる意味はあるのね」
「ま、細かいことは気にするな。売っちまえばこっちのもんだから」
「悪徳業者……」
「じゃ、ここは任せるぞ」
そう言って、リィンは空になった木箱を肩に担ぎ上げた。
「任せたって……どこに行くの?」
「買い物だ」
「えっ、お店は?」
「だから、ポポンに任せた」
「えー!私、店番とかしたことないよう!」
「一瓶一万シェル。それだけわかってりゃいい」
「た、高……」
「価格交渉には応じるな。なんなら釣り上げてやれ」
「リィン、商売やる気ある?」
「人気商品だから問題ない。頼んだぞ」
買い物へ繰り出すべく背を向けたリィン。
その袖をポポンが掴む。
「リィン!」
「なんだよ」
「ん!」
ポポンは小瓶を掴み、リィンに突き出した。
「あん?」
「リィンも臭い嗅いでよ。それでおあいこ!」
するとリィンは掴まれた袖を、凄まじい勢いで振り払った。
「ふざけるな!誰がそんなくっせえの嗅ぐかっ!ふざけるなよ!」
「……えええ」




