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 夜のユグドラシル。

 昼間の森の賑わいはなりを潜め、それでも虫や鳥の鳴き声はそこかしこから聞こえてくる。

 世界樹の枝の先にある、苔むした小屋。

 小屋の主であるリィンは、ベッドに寝転び一枚の大きな紙に目を落としていた。

 柔らかに光る夜光花(ルミナスフラワー)の植木鉢をランプ代わりに、彼は紙にペンを走らせている。

 そのとき。

 小屋の扉が勢いよく開かれた。

 ノックもせずに飛び込んできたのは、小柄な赤毛の少女。


「やっほー!来たよ、リィン!」

「遅いぞ、ポポン」


 リィンはペンを置き、寝転んだままポポンを迎えた。


「これ、おみやげ!」


 ポポンが大きなバスケットを頭上に掲げた。バスケットには布がかけられているが、瓶の頭がはみ出している。


「酒か?」

「葡萄酒とおつまみ!食堂から拝借してきたんだ!」

「またおばさんにどやされるぞ?」

「じゃあ、リィンは飲まない?」

「いや、飲む」


 ポポンはニッと笑うと、リィンの寝そべるベッドの横までトトトッと走ってきた。

 リィンがバスケットの中を覗く。


「葡萄酒と……フルーツケーキがつまみ?合わないだろ」

「合うのよ、これが」


 ポポンは持参した二つのグラスに琥珀色の液体を注ぎ、一つをリィンに渡す。


「ふむ、試してみるか」


 リィンはフルーツケーキを口に運び、それから葡萄酒を流し込む。


「……悪くない」

「でしょでしょ」


 ポポンはリィンのグラスに葡萄酒を注ぎ足し、自分もフルーツケーキに手を伸ばした。


「んぐんぐ。……で、何してたの?」


 ポポンがベッドの端に腰かけ、紙を覗き込む。

 それは、地図だった。

 もともと地図に記されている国名や街名の他に、様々な情報が几帳面な字でびっしりと書き加えられている。赤や青や緑で色付けされた文字もある。


「これって――世界地図?」

「そうだ」

「ふえぇ、世界地図なんて初めて見たよ」

「世界中を飛び回る人間でもないと必要ないからな。これ自体は別に特別なものじゃない。市販のものに俺があれこれ書き加えているだけだ」

「色がついてるのって……もしかしてダンジョンの名前?」

「ご明察」

「この、名前が×で消されているのは?」

「潰れたダンジョンだ」

「へぇ〜。この木のマークがユグドラシルよね。となると……あった!モッカピさんとこ!」

「だから、略すなって」

「いーじゃん。モッカピさんとこは青だね」

「ああ。青はお得意さんのダンジョンだ」

「じゃあ、緑は?」

「緑は、場所はわかってるがまだ仕事を受けたことがないダンジョンだな」

「ほとんどは青か緑だね……っと、赤があった」

「赤は危険なダンジョンだ」

「危険っていうと、ロビザ火山とか?……あれ、青だ」

「あそこはマナ払いが悪いだけ。かわいいもんさ」

「じゃあ、危険っていうのは……」

「人を誘い込み、襲うことに躊躇いのないダンジョンってことだ」

「げっ」

「俺も大別すれば人だしな。ちょっと危険すぎる」

「リィンがビビるなんて、よっぽどだね」

「相手は迷宮運営者(ダンジョンマスター)だ、そりゃビビるさ」

「でも、ロビザ火山の迷宮運営者(ダンジョンマスター)とは渡り合ってみせたじゃない」

「言ったろ、あの人はマナ払いが悪いだけだって。俺と本気で争って、マナの循環を司る大樹さまを敵に回したりはしない」

「でも、赤のダンジョンは違う?」

「違うな。赤の迷宮運営者(ダンジョンマスター)は、基本的に“弱肉強食”を信条としている。俺が大樹さまの使いだと知っても、躊躇うことはない」

「……なんだか怖くなってきた。ダン工に就職してからダンジョンへの恐怖心が麻痺してたから、余計に怖く感じるよ」

「それは悪いことじゃない。恐怖心は本能がかけるブレーキだからな」

「そうだね……ん?」


 ポポンは何かに気づき、地図に顔を近づけた。


「なんだ?」

「一個だけ、黄色がある。印だけ――名前もない」


 リィンはふうっ、とため息をついた。


「……ああ。それなんだよ」

「どしたの?」

「今日呼んだのはその件だ。黄色は、ダンジョンがあるかどうかわからない場所なんだ」

「んん?どゆこと?」

「俺はこの地図にダンジョンの場所を書き加えているわけだが、その情報をどうやって知ってると思う?」

「どうやって、って……見つけたからでしょ?」

「俺が出先で見つけることもある。ジャンのダンジョンのようにな」


 そう言ってリィンは『ガレンティン第三坑道跡』と書かれた青い文字に指を落とした。


「だがほとんどの場合、見つけるのは大樹さまだ」

「そうなの?」

「大樹さまはマナラインを管理しているから、流れが悪い場所を見つけては調査班を送り、確認させているんだ」

「ほえ〜、なるほど」

「ところが、この黄色の場所はあるのかどうか判然としないらしい」

「よくわかんないな」


 リィンは枕元から分厚い封筒を取り出した。


「これを読んでくれ。大樹さまからの手紙だ」

「ん、わかった」


 ポポンは封筒を開いた。

 十枚以上の便箋が折り畳まれて入っている。


 ――拝啓 親愛なるリィンへ

 例のダンジョン疑惑の場所のことなんだけど、またマナが滞ったの!絶対、あそこにダンジョンがあると私は確信してるわ!……だけど、いつものようにホークマン達に頼むことはできないわ。だって、もう同じ場所に何度も彼らを送っているもの。また調査を頼めば、私が彼らの仕事を信用していないってことになる。彼らは誇り高き種族。傷つけるようなことはしたくないの。でも、でもね!絶っっ対ダンジョンはあるの!リィンは信じてくれるわよね!?そこでなんだけど、リィンはもうすぐニーザシャカヴの大市場(バザール)に行くわよね?そのとき少し調べてくきてれないかしら。リィンに普通に再調査を頼んだら、それこそホークマン達のプライドを傷つけてしまうから、買い物ついでにコッソリ、ね。あ、そうそう、大市場(バザール)でミーパ族の魔除け人形を買ってきてくれないかな?……わかってる。何個目だ、って言うんでしょう?でもね、あの人形の顔をようく見て欲しいの。すっごくかわいいから!しかも、どれもお顔が違うの!同じ顔が二つとないのよ!だから――


「――人形の話になったら読むのやめていいぞ」

「っ!ぷはっ!!」


 手紙を離したポポンはベッドに倒れ込み、ゼェゼェと息を乱した。


「……お前、手紙読むとき息止めてんのかよ」

「文字の海で溺れるとこだった……」

「ま、気持ちはわかる。大樹さまって、とにかく便箋を文字で埋めたがるんだよ」


 リィンは便箋を封筒にしまい、枕元に置いた。


「手紙にホークマンが出てきたけど……あの、有翼人種のホークマン?」

「そうだ。彼らは年中渡り(・・)を繰り返しながら暮らすんだが、ユグドラシルを越冬地にしてる。大樹さまにそれを許してもらう代わりに、調査班として働いているんだ」

「なるほど……自力で飛べるんだから、調査班としては優秀だよね」

「で、だ。ニーザシャカヴには明日向かう。仕方ないから調査もやる。ダンジョンに潜入することになるかもしれないから、ついて来てくれ」

「わかった。その、にーざしゃかゔ?には買い物に行くの?」

「買い物っつーか、売買だ」

「バイバイ?」

「売ったり買ったりだ」

「ああ、売買ね」

「ニーザシャカヴは普段は何もない場所なんだが、月に一度周辺に住む部族が大勢集まって市が開かれる。それが大市場(バザール)だ」

「へえ、楽しそう」

「楽しいぞ。で、うちも出品して、その上がりで生活必需品なんかを買い込むわけだ」

「ふむ、ふむ」

「工務店の仕事の報酬はマナだから、金を得ることはできないだろ?」

「だね」

「そこで大樹さまを手伝う対価として、森の恵みを持ち出すことを許していただいているんだ」

「うん」

「例えばこれ、夜光花(ルミナスフラワー)。火を灯す手間がないし、火事の心配もない」

「ほうほう」

「あとは世界樹の折れた小枝なんかもいい金になる。枯れてはいてもマナの吸収・浄化作用は残っているからな。マジックキャスターが装備すれば……おい、どうした?」

「眠くなった」


そう言って、ポポンはベッドに倒れ込んだ。


「おいおい。ドワーフがグラス一杯で酔ったのか?」

「大樹さまの手紙に酔ったの。あと、リィンの説明も長いし」


 そうしてポポンはそのまま目を擦り、


「ちょっとだけ、ここで眠ってく」


 と、リィンの毛布にくるまった。


「おい!ここは俺の――」

「すぴぴ」


 ポポンはもう、寝息を立てていた。


「ったく……木の上じゃ寝つけないんじゃなかったのかよ」


 リィンはポポンのおでこをペチンと叩き、夜光花(ルミナスフラワー)の植木鉢に布をかけた。


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