45
夜のユグドラシル。
昼間の森の賑わいはなりを潜め、それでも虫や鳥の鳴き声はそこかしこから聞こえてくる。
世界樹の枝の先にある、苔むした小屋。
小屋の主であるリィンは、ベッドに寝転び一枚の大きな紙に目を落としていた。
柔らかに光る夜光花の植木鉢をランプ代わりに、彼は紙にペンを走らせている。
そのとき。
小屋の扉が勢いよく開かれた。
ノックもせずに飛び込んできたのは、小柄な赤毛の少女。
「やっほー!来たよ、リィン!」
「遅いぞ、ポポン」
リィンはペンを置き、寝転んだままポポンを迎えた。
「これ、おみやげ!」
ポポンが大きなバスケットを頭上に掲げた。バスケットには布がかけられているが、瓶の頭がはみ出している。
「酒か?」
「葡萄酒とおつまみ!食堂から拝借してきたんだ!」
「またおばさんにどやされるぞ?」
「じゃあ、リィンは飲まない?」
「いや、飲む」
ポポンはニッと笑うと、リィンの寝そべるベッドの横までトトトッと走ってきた。
リィンがバスケットの中を覗く。
「葡萄酒と……フルーツケーキがつまみ?合わないだろ」
「合うのよ、これが」
ポポンは持参した二つのグラスに琥珀色の液体を注ぎ、一つをリィンに渡す。
「ふむ、試してみるか」
リィンはフルーツケーキを口に運び、それから葡萄酒を流し込む。
「……悪くない」
「でしょでしょ」
ポポンはリィンのグラスに葡萄酒を注ぎ足し、自分もフルーツケーキに手を伸ばした。
「んぐんぐ。……で、何してたの?」
ポポンがベッドの端に腰かけ、紙を覗き込む。
それは、地図だった。
もともと地図に記されている国名や街名の他に、様々な情報が几帳面な字でびっしりと書き加えられている。赤や青や緑で色付けされた文字もある。
「これって――世界地図?」
「そうだ」
「ふえぇ、世界地図なんて初めて見たよ」
「世界中を飛び回る人間でもないと必要ないからな。これ自体は別に特別なものじゃない。市販のものに俺があれこれ書き加えているだけだ」
「色がついてるのって……もしかしてダンジョンの名前?」
「ご明察」
「この、名前が×で消されているのは?」
「潰れたダンジョンだ」
「へぇ〜。この木のマークがユグドラシルよね。となると……あった!モッカピさんとこ!」
「だから、略すなって」
「いーじゃん。モッカピさんとこは青だね」
「ああ。青はお得意さんのダンジョンだ」
「じゃあ、緑は?」
「緑は、場所はわかってるがまだ仕事を受けたことがないダンジョンだな」
「ほとんどは青か緑だね……っと、赤があった」
「赤は危険なダンジョンだ」
「危険っていうと、ロビザ火山とか?……あれ、青だ」
「あそこはマナ払いが悪いだけ。かわいいもんさ」
「じゃあ、危険っていうのは……」
「人を誘い込み、襲うことに躊躇いのないダンジョンってことだ」
「げっ」
「俺も大別すれば人だしな。ちょっと危険すぎる」
「リィンがビビるなんて、よっぽどだね」
「相手は迷宮運営者だ、そりゃビビるさ」
「でも、ロビザ火山の迷宮運営者とは渡り合ってみせたじゃない」
「言ったろ、あの人はマナ払いが悪いだけだって。俺と本気で争って、マナの循環を司る大樹さまを敵に回したりはしない」
「でも、赤のダンジョンは違う?」
「違うな。赤の迷宮運営者は、基本的に“弱肉強食”を信条としている。俺が大樹さまの使いだと知っても、躊躇うことはない」
「……なんだか怖くなってきた。ダン工に就職してからダンジョンへの恐怖心が麻痺してたから、余計に怖く感じるよ」
「それは悪いことじゃない。恐怖心は本能がかけるブレーキだからな」
「そうだね……ん?」
ポポンは何かに気づき、地図に顔を近づけた。
「なんだ?」
「一個だけ、黄色がある。印だけ――名前もない」
リィンはふうっ、とため息をついた。
「……ああ。それなんだよ」
「どしたの?」
「今日呼んだのはその件だ。黄色は、ダンジョンがあるかどうかわからない場所なんだ」
「んん?どゆこと?」
「俺はこの地図にダンジョンの場所を書き加えているわけだが、その情報をどうやって知ってると思う?」
「どうやって、って……見つけたからでしょ?」
「俺が出先で見つけることもある。ジャンのダンジョンのようにな」
そう言ってリィンは『ガレンティン第三坑道跡』と書かれた青い文字に指を落とした。
「だがほとんどの場合、見つけるのは大樹さまだ」
「そうなの?」
「大樹さまはマナラインを管理しているから、流れが悪い場所を見つけては調査班を送り、確認させているんだ」
「ほえ〜、なるほど」
「ところが、この黄色の場所はあるのかどうか判然としないらしい」
「よくわかんないな」
リィンは枕元から分厚い封筒を取り出した。
「これを読んでくれ。大樹さまからの手紙だ」
「ん、わかった」
ポポンは封筒を開いた。
十枚以上の便箋が折り畳まれて入っている。
――拝啓 親愛なるリィンへ
例のダンジョン疑惑の場所のことなんだけど、またマナが滞ったの!絶対、あそこにダンジョンがあると私は確信してるわ!……だけど、いつものようにホークマン達に頼むことはできないわ。だって、もう同じ場所に何度も彼らを送っているもの。また調査を頼めば、私が彼らの仕事を信用していないってことになる。彼らは誇り高き種族。傷つけるようなことはしたくないの。でも、でもね!絶っっ対ダンジョンはあるの!リィンは信じてくれるわよね!?そこでなんだけど、リィンはもうすぐニーザシャカヴの大市場に行くわよね?そのとき少し調べてくきてれないかしら。リィンに普通に再調査を頼んだら、それこそホークマン達のプライドを傷つけてしまうから、買い物ついでにコッソリ、ね。あ、そうそう、大市場でミーパ族の魔除け人形を買ってきてくれないかな?……わかってる。何個目だ、って言うんでしょう?でもね、あの人形の顔をようく見て欲しいの。すっごくかわいいから!しかも、どれもお顔が違うの!同じ顔が二つとないのよ!だから――
「――人形の話になったら読むのやめていいぞ」
「っ!ぷはっ!!」
手紙を離したポポンはベッドに倒れ込み、ゼェゼェと息を乱した。
「……お前、手紙読むとき息止めてんのかよ」
「文字の海で溺れるとこだった……」
「ま、気持ちはわかる。大樹さまって、とにかく便箋を文字で埋めたがるんだよ」
リィンは便箋を封筒にしまい、枕元に置いた。
「手紙にホークマンが出てきたけど……あの、有翼人種のホークマン?」
「そうだ。彼らは年中渡りを繰り返しながら暮らすんだが、ユグドラシルを越冬地にしてる。大樹さまにそれを許してもらう代わりに、調査班として働いているんだ」
「なるほど……自力で飛べるんだから、調査班としては優秀だよね」
「で、だ。ニーザシャカヴには明日向かう。仕方ないから調査もやる。ダンジョンに潜入することになるかもしれないから、ついて来てくれ」
「わかった。その、にーざしゃかゔ?には買い物に行くの?」
「買い物っつーか、売買だ」
「バイバイ?」
「売ったり買ったりだ」
「ああ、売買ね」
「ニーザシャカヴは普段は何もない場所なんだが、月に一度周辺に住む部族が大勢集まって市が開かれる。それが大市場だ」
「へえ、楽しそう」
「楽しいぞ。で、うちも出品して、その上がりで生活必需品なんかを買い込むわけだ」
「ふむ、ふむ」
「工務店の仕事の報酬はマナだから、金を得ることはできないだろ?」
「だね」
「そこで大樹さまを手伝う対価として、森の恵みを持ち出すことを許していただいているんだ」
「うん」
「例えばこれ、夜光花。火を灯す手間がないし、火事の心配もない」
「ほうほう」
「あとは世界樹の折れた小枝なんかもいい金になる。枯れてはいてもマナの吸収・浄化作用は残っているからな。マジックキャスターが装備すれば……おい、どうした?」
「眠くなった」
そう言って、ポポンはベッドに倒れ込んだ。
「おいおい。ドワーフがグラス一杯で酔ったのか?」
「大樹さまの手紙に酔ったの。あと、リィンの説明も長いし」
そうしてポポンはそのまま目を擦り、
「ちょっとだけ、ここで眠ってく」
と、リィンの毛布にくるまった。
「おい!ここは俺の――」
「すぴぴ」
ポポンはもう、寝息を立てていた。
「ったく……木の上じゃ寝つけないんじゃなかったのかよ」
リィンはポポンのおでこをペチンと叩き、夜光花の植木鉢に布をかけた。




