37
赤い屋根。
黄色い壁。
青い、色つきの窓ガラス。
灰色一色のこの街にあって、この建物だけが異常に派手派手しい姿をしている。
建物の入り口は厚い木の扉が開けっ放しになっていて、扉の上には『ウーゴファイナンス』と書かれた看板が掲げられている。
「おい、押すなよ!」
リィンは、真後ろにいるポポンに抗議の声を上げた。
だが、ポポンは無言でリィンの背中をグリグリと押し続ける。
彼女の怪力に抗えず、少しずつ少しずつ、入り口に近づいていくリィン。
「やめろって!当事者はお前だろう!?違うかポポ之助!」
「某は無理でござる!リィン殿、頼みまする〜!」
「頼むか押すかどっちかにしろっ!」
「頼みまする〜!」
「ぐうっ。こんの、馬鹿力め……」
抵抗虚しく、リィンは入り口に押し入れられてしまった。
受付らしき女性が、笑顔で応対する。
「いらっしゃいませ〜。融資のご相談ですか?」
「いや、あー」
リィンが振り返るが、ポポンは小さな体を更に小さく丸め、隠れて出てこない。
リィンは頭をボリボリと掻きむしり、それから言った。
「返済だ。ここで一番偉いのを出してくれ」
◇ ◇ ◇
「社長はすぐ参りますので」
テーブルにコップを三つ置いた受付嬢は、頭を下げて応接間から出ていった。
「……おい、座らないのか?」
「某、ここでいいでござる」
リィンの座るソファの後ろに隠れたポポンが、声だけで返答する。
「いや、出てこいって言ってんだよ」
「某は隠密ソルジャーでござるから、常に隠れていなければならないのでござる」
「まだその設定続ける気かよ。ったく……」
応接間の外からドスドスと乱暴な足音が聞こえてきて、リィンは扉に目を向ける。
扉を開き入ってきたのはスキンヘッドに眼帯をした、いかにも乱暴そうな大男だった。
「待たせたな。社長のウーゴだ」
「リィンだ」
リィンは腰を浮かせ、自分から手を差し出した。二人は握手を交わし、同時にソファに腰を下ろす。
まず、リィンが切り出した。
「いい会社だな、ウーゴさん」
「だろう?だがちっとも儲からなくてな。慈善事業みたいなもんさ」
ソファの裏からポポンが囁く。
(ウソよ。大ウソ!)
「そりゃ大変だ」
「おうよ。社員を食わせるだけで精一杯さ」
(ぜーったいそんなことない!)
「わかるぜ、俺も小さな会社をやってるから」
「へえ、そうかい!」
「上に立つとわかるが、思ったほど儲からないもんだ」
「まったく、ほんとその通りだよ!あんたとは気が合いそうだ」
ウーゴはにこやかに笑ってコップをあおり、そして真顔でリィンを見た。
「で。リィンさん、要件は?初対面の相手と無駄話してるほど暇な身ではないんだが」
「ああ、そうだな」
リィンはチラリと後ろを見、ウーゴに視線を戻した。
「以前あんたから金を借りた奴を覚えているかい?ポポン、って女だ」
(本題きたぁー!)
リィンは口を動かさず、ソファ裏に小声で話しかける。
(後ろでブツブツ言われるとやりにくいんだが)
(あう、ごめん)
ウーゴはソファに背をもたれ、忙しく瞳を動かした。
「……ポポン。赤毛の癖っ毛の小娘。この俺から大金を借り逃げしてくれた、忌々しいドワーフ。ああ、覚えている。覚えているとも」
恐ろしい形相で吐き捨てるように言う、ウーゴ。
(あわわ……)
「へえ、すごいな。その頭には金を貸した奴らのデータが全部入っているのかい?」
「俺から踏み倒そうとした奴だけさ」
「ポポンのことも捜していたのか?」
「当然だ。回収専門の社員が世界中を探しているし、近隣の町には手配書も回している」
(私って、ほんとにお尋ね者になってる!?)
「そこまで人と金をかけても大損じゃないか?捕まえても金なんて持ってないだろう?だから逃げたわけだし」
ウーゴはわずかに口角を上げた。
「そこは期待していない。筋を通してもらうだけさ」
「……そうか」
リィンはふうっと息をつき、それから言った。
「そいつの借金を返済したい」
「……あんたが立て替えるってことか?」
「そうだ」
ウーゴは表情を緩め、リィンを観察するようにしげしげと見つめる。
「安くねえぞ?」
「わかってる。借りた金には利子がつくことも理解している」
「ふむ、それなら話が早い。まあ、こっちは払うもん払ってくれれば文句はないんだ。……で、いくら出せる?」
ウーゴの問いに、リィンは語気を強めた。
「おいおい!そんなストレートに交渉相手の懐具合を聞くか?まずは値を言え、話はそれからだ!」
ウーゴはバツが悪そうにスキンヘッドを掻いた。
「そうは言ってもなあ……嬢ちゃんに貸したプランは利子が高いんだよ。あんたにだって、払いきれるかどうか」
だが、リィンは譲らない。
「とりあえず、言ってみろ」
「うむ……おい!誰かいねえか!」
ウーゴが扉の外に向かって叫ぶと、社員らしき男がすっ飛んできた。ウーゴは彼に耳打ちすると、彼はまた応接間の外へ飛び出していく。
「正確な数字を出す。少し待ってくれ」
「ああ、わかった」
「ところで――一応尋ねておくが、後ろのは何だ?」
「薄々勘づいているだろうが、気にしないでくれ」
ソファ裏のポポンが、自分の後ろを振り返る。
(ねえ、リィン。後ろって何のこと?窓しかないけど)
(……ほんと幸せな奴だよ、お前は)
(何が?)
呆れたリィンが深いため息をついたとき、社員が大きな封筒を抱えて戻ってきた。
息を切らしながら、ウーゴにその封筒を手渡す。
「ご苦労。……借金の総額はこれだな」
ウーゴは封筒から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に置いた。ソファの裏からポポンが、こっそり紙を覗きこむ。
(ウソでしょ!?借りたときの百倍以上なんだけど!?)
「ずいぶんな額だな」
「これが契約書だ」
ウーゴが封筒からもう一枚取り出し、リィンに渡す。
「ふむ、確かにポポンのサインだ。……こんな契約交わす奴の神経を疑うよ」
「確かに。同情するぜ」
(あれ?なんだか針のむしろ!?)
「だがな、社長。こんな雪だるま式に増える契約だと、全額回収は諦めていたはずだ。逃げられてから、日にちが経ちすぎてる」
ウーゴは答えず、ただ薄ら笑いを浮かべている。
「利子は払う。だが、もう少し負けろ」
「金貸しが言われるがままに負けると思うか?」
リィンはフン!と鼻を鳴らした。
「借金回収できない金貸しが、金貸しの道理を語るかね」
「……何だと?」
「だいたい、なんでこんな額をポポンに貸しつけた?一冒険者に貸す金額だとは思えないが?」
ウーゴはイライラした様子で言い訳した。
「赤毛は――ポポンは、それなりに名の通った冒険者だったんだよ。『火の玉ポポン』って言やぁ、この街で知らない者はいない」
「へえ、そうなのか」
リィンは意外そうな表情を浮かべ、またソファ裏をチラリと見た。
それから姿勢を正し、ウーゴを見下ろす。
「なあウーゴさんよ。俺はな、道徳心はあるほうだ」
(えっ)
「仲間たちには“慈悲深きリィン”なんて呼ばれてる」
(ええっ!?)
「そんな俺でもな。あまりに欲深い人間を見ると、もうどうでもよくなってしまうことがある。ああ、こいつは俺の慈悲で救える範疇を越えてるな、って」
「……」
「どうだい、ウーゴさん。あんたは俺の範疇に収まる人間かい?」
ウーゴがドンッ!とテーブルに拳を落とした。そしてリィンの顔を下から覗き込む。
「おい、てめえ!誰を脅してるかわかってるのか!?」
「わかってるさ。地の果てまで追ってくる借金取りだろ?」
「おうよ!どこへ逃げても捜し出す!貸したもんは家族を質に入れてでも返してもらう!」
「俺はあんたに追われた借金ドワーフを隠し通せる人間だ。今の今まで見つけられなかったのが、その証明だ」
「ッ……!」
「負けろ。でなければ、お前さんが死ぬまでポポンを隠し通す」
リィンを下から睨むウーゴと、それを冷たく見下ろすリィン。
両者の睨み合いは長い間続き、先にウーゴが視線を逸らした。
「……はあ、負けたよ。これでどうだ」
ウーゴは四本指を立てた。
「まだ高い。これだ」
リィンは親指を立てる。
「はあぁ?お前、マジか。マジで言ってるのか」
「ああ、大真面目だ」
「それじゃ回収費用にも足りねえ!これで最大限だ!」
ウーゴが三本指を立てる。
「回収は筋を通してもらうためだから、採算度外視。そういう話だったな?」
「……チッ」
「欲張るな、ウーゴ。ポポンの借りた額に真っ当な利子。それに借り逃げしたペナルティを加えても、これが正当な金額だ。これ以上はビタ一文負けられない」
「……」
ウーゴはソファに深く身を埋め、それからハッと気づいた。
「ふざけんな!なんでそっちが負けてる雰囲気出してやがる!負けてやってるのはこっちだろ!?」
「おっと、そうだったな。……で、いくら負けてやってくれるんだ?」
「いちいち言葉尻を……」
ウーゴは言葉に詰まり、それからテーブルをバンッと叩いた。
「負けた!チクショウ、負けたよ!それでいい!赤毛は持ってけ!」
「ありがとよ。ところで今、手持ちがないんだが」
「なにっ!?てめぇふざけ――」
「これでいいな?」
リィンは腰の革袋から何かを取り出し、テーブルの上にゴトリと置いた。
「……こ、れ、は」
それは金色に輝く宝石だった。
ウーゴだけでなく、ポポンまでもがその宝石を凝視する。
「……〈マナ琥珀〉、か」
ウーゴの言葉に、リィンが一つ頷く。
「足りるか?」
「十分だ。何なら釣りが出るぜ。……この感じなら初っぱなの金額でも払えたんじゃないか?」
「どうだかな」
「はは!本当に気に入ったぜ、エルフの旦那!どうだ、うちで働かねえか?」
「小さな会社やってるって言ったろ?放り出すわけにはいかない」
「そうか。ま、気が向いたら来てくれや。ナンバー2のポスト開けて待ってるぜ」
「それは嬉しいね」
(借金取り同士、友情が芽生えてる……)
ポポンの見つめる前でリィンとウーゴは熱い握手を交わし、互いの肩を叩きあって別れを惜しんだ。
別れが済むと、リィンはソファの後ろに叫ぶ。
「行くぞ、ポポ之助!」
「――はいっ!」
リィンに続き、ポポンはそそくさと応接間を出ていくのだった。




