28
ユグドラシル樹海。
「紹介する。新しい相棒のポポンだ」
リィンがポポンを手で指し示すと、彼女は両手の人差し指を突き合わせて相手を見上げた。
「えと、えと……」
見上げた相手は、筋骨隆々の半裸の戦士。
大振りな曲刀を両腰にそれぞれ差していて、背丈は二メートルをゆうに超えている。
小柄なポポンと並ぶと、もはや大人と子供というより大人と赤子である。
しかしその体格より特徴的なのは、その頭部だった。人間の戦士の体の上に、黒豹の頭が乗っていたのだ。
「念のため言うが、被り物じゃないからな?」
「わ、わかってるよ、リィン」
ポポンは口をキュッと真一文字に結び、それから黒豹の瞳を正面から見た。
「ポポンです!よろしくね!」
黒豹の獣人もまた、その太い腕を組みポポンを見下ろした。
「……」
「……」
しばし見つめ合う二人だったが、沈黙に耐えかねたポポンがリィンに助けを求めた。
「ねえ、リィン。私、何か失礼なこと言った?」
「いや?なぜそんな事を聞く?」
「なぜって……黒豹さんが返事してくれないから」
「したじゃないか」
「えっ?」
「なあ?」
リィンが黒豹の戦士に話を振ると、彼はわずかに頷いた。
「もしかして。森の戦士の秘密の合図とか、そういうのがあるわけ?」
「何を言って……ああ、聞き取れなかったのか。彼は図体のわりに声が小さいからな」
「そうなの?」
すると黒豹の戦士は、
「ぉぅ」
と、答えた。
(声、ちっちゃ!)
ポポンが呆気にとられていると、また黒豹の戦士が口をモゴモゴと動かした。
「はい?」
ポポンが聞き返すと、また口がモゴモゴと動く。だがポポンがどんなに耳を傾けても、聞き取ることができない。
だか、リィンは。
「そうか、わかった」
「えっ?なんて言ったかわかったの!?」
「巡回の途中だから、もう行くとさ。会えて良かった、とも言ってる」
「……そっか」
黒豹の戦士は踵を返し、森の中へと歩いて行った。
はじめこそ彼の姿に恐怖を感じていたポポンだったが、今はその背中が優しい男の頼もしいそれに見えた。
「黒豹さん!またね!」
ポポンが大声で叫ぶと、黒豹の戦士は振り返らず手だけ挙げて応えた。
彼の姿が森に消えると、ポポンは懐からメモ帳を取り出した。
「聞き取れなかったんだけど、黒豹さんって名前言ってた?」
「彼の名はェッグォシ。豹の獣人の戦士だ。彼は変異種で黒豹だが」
「エッグヲシ?」
「違う、ェッグォシ。他種族の名前は発音しにくい物も多いが、間違えると失礼にあたるぞ」
「モッカピさんとかも変わった名前だもんね。気をつけるよ」
「その、運営者の名前を略す癖も程々にしてくれよ?」
「はいはーい」
ポポンは適当に返事しながら、メモ帳にェッグォシの名前と特徴を書き加えた。
「マメだなあ」
リィンが覗き込むと、ポポンは胸に押し当ててメモ帳を隠した。
「しょうがないでしょ!覚える名前が多すぎるんだもん!」
「お前が言い出したんだぞ?『そろそろ森の仲間を紹介しろ』ってさ」
「そうだけど!……こんなに多いとは思わなかったんだもん。今覚えてるのは、牢獄柳のジェ爺でしょ」
「ジェイル爺さんな。ほんとすぐ略すよな、お前」
「泉の五つ子ニンフちゃんなんて、最後まで判別できなかった」
「ミリ、サリ、シロル、ケナ、ビジーナケルトラルな。ま、あの辺の判別は雰囲気だ」
ポポンは赤毛を掻きむしった。
「あー、もう!この愚かな頭が恨めしい!いつか、皆の名前を覚えられるのかなあ」
「……皆は無理だと思うぞ?」
「そんな悲しいこと言わないでよ!」
「いや、俺だって覚えていないから」
「そうなの?」
「この森に無数にいる木人なんて、数千体はいるからな」
「はあっ?数千!?」
「今回は紹介する奴を厳選したんだ。だから、このくらいは覚えてくれ」
「うう、わかった」
ポポンがメモ帳を抱いてうなだれたとき。
「リィーン!」「リィンリィーン!」
中空から甲高い声がした。
ポポンが見上げると、二体の妖精がこちらへ向かって飛んできた。
手のひらにすっぽり収まってしまうほど小さな羽根妖精で、頭のてっぺんから羽根の先まで半透明でキラキラと光っている。
「わあっ!かわいい!」
ポポンが目を輝かせると、リィンが紹介した。
「スプライト。こいつらもここの住人だ」
「よろしくね!えーと……」
「ミララだよ」「プルルだよー」
「よろしく!ミララ、プルル!」
「こいつらはこれで優秀な連絡係でな。ほら、工務店のチラシあるだろ?あれを配ってるのはこいつらだ」
「へー、そうなんだ!」
「そんなことよりリィン!ほーしゅー!」「ほーしゅー!ほーしゅー!」
「わかった、わかった」
リィンが腰のポケットから淡いピンク色の小粒を一つ取り出すと、ミララとプルルはそれを引ったくるように奪い取った。
そして二人で大事そうに抱え、両脇から嘗め始めた。
「あま~い」「あまいね~」
だらしなく頬を弛ませるスプライトを見て、ポポンが尋ねる。
「あれ、なあに?」
「世界樹の花の蜜から作った花蜜糖。マナをたっぷり含んでて、妖精達はこれに目がない」
「へえ~」
「私も嘗めたいとか言うなよ?」
「嘗めたい!」
「ダメだ」
「けちー!」
「妖精はともかく、人間はマナ当たりするんだよ。……で、ミララ、プルル。例の件はどうだった?」
「あつかったー」
「あつかったねー」
それだけ答えて、また花蜜糖を嘗めるスプライト達。
「そういうこと聞いてるんじゃなくてだな。首尾はどうだったかと――」
「あ、リィン。これ、返すー」「返す返すー」
ミララがリィンの前に突き出したのは、鮮やかな刺繍入りの飾り袋だった。
「それは……マナを入れるやつだよね?」
ポポンが尋ねると、リィンが頷く。
「ああ。報酬を支払ってくれない運営者がいてな。こいつらに回収を頼んでたんだ」
リィンは飾り袋を丁寧に受け取り、それから重さを確かめるように左右に揺すった。
「……ん?あんまり増えていない気がするが」
「あのね、だめだったのー」「だめだめだったー」
「またか?また、不在とかふざけたことをぬかしやがったのか?」
そう言って、リィンが眉を寄せる。
ポポンが取り成すように言った。
「不在なら仕方ないでしょ?また回収にいけばいいんだから、そんな言い方しなくても」
「最初は俺もそう思っていたさ。だがこれで三度目だ。それに……迷宮運営者がダンジョンに不在なんて言い訳、通用すると思うか?」
「あ……」
ポポンはダンジョンから出られないエリシャのことを思い出した。
「でもね、こんかいは会えたの」「会えた会えた」
「そうなのか?それで?」
「ミララね、マナはらって?って言ったの」「プルルもそう言ったー」
「そしたらね、はらえないって」「そう、はらえないって」
「かつかつ?なんだってー」「うん、かつかつー」
「……チッ。ずっとそんなこといってんな。で、どのくらい回収した?姿を現したってことは、少しは払ったんだろう?」
「ううん、ぜーんぜん!」「ちーっとも!」
リィンは目を見開いて固まった。
そして、肩を震わせながら問う。
「……ひと雫もか?」
「うん!」「ひとしずくも!」
「でね、じゃあ、いつはらえますか?ってきいたの」「そしたらね、さあ?って」
「いつかはわからないって」「はらう気になったときかなー、だって」
「むしろはらう必要あるのか、って!」「いだいな運営者のもとではたらけてよかったな、だって!」
そこまで聞いたリィンは、そばに転がっていた朽ちて倒れた木の元へ歩いていった。そして、
「もう勘弁ならねえ!」
と、朽ち木の幹に思い切り蹴りを入れた。
朽ち木は砕け、破片が飛び散る。
「リ、リィン!落ち着いてよう」
「これが落ち着いていられるか!野郎、散々こき使っておいて代金踏み倒す気だ!」
「マナがないなら仕方ないんじゃないの?」
「あの規模のダンジョンの運営者が、少しも払えないわけがないんだよ!」
そして朽ち木の破片を蹴飛ばして、言った。
「なんのことはねえ!ただ、ケチってやがるんだよ!」
リィンの荒れように、ミララとプルルが顔を見合わせる。
「リィンたら怒りっぽいねー」「ねー」
ポポンの頭にふと、疑問が浮かんだ。
「なんでリィンが自分で行かないの?代金の回収とか、真っ先に行きそうなのに」
「火山にあるダンジョンでな。俺は暑いの苦手だから、仕事したとき以来行ってない」
火山の暑さを思い出したのか、リィンの顔が苦痛に満ちる。だがすぐに、怒りの表情がそれを上書きする。
「だが、もう限界だ。ただじゃすまさねえ」
「まさか……迷宮運営者に喧嘩を売る気?」
「売るんじゃねえ、売られてんだ。俺を火に弱い森エルフだと侮ってやがる」
ポポンはオロオロとうろたえた。
「お、穏便にいこうよ。迷宮運営者だよ?返り討ちにされちゃうよ!」
「向こうもそう思ってんだろうな。だが、やりようはある」
「どうするの?」
「乗り込むのさ。片っ端から罠を解除してやる。向かってくるクリーチャーも容赦しねえ。ポポン、宝箱好きだったな?全部開けていいぞ」
「あ、ありがと。でもそれって……冒険者みたいにダンジョンを攻略するってこと!?」
リィンはゆっくりとポポンを指差した。
「その通り。ダンジョン専門業者による、完璧なるダンジョン攻略だ。ついでに中心部までのルートに『ダンマスはこちら→』とか立て看板立ててやる」
そしてリィンは怒りを決意に変え、低い声色で呟いた。
「専門職をなめた報い、受けてもらうぞ」




