20
三人はエペ=リロのいる丘を目指した。
木々が減り、視界が広がっていく。
「こんなとこ、見たことねえぞ……」
マルスが呻くように言う。
「エペさ――運営者の仕掛けた仕掛けだ。特殊な花の香りで、知らず知らずのうちに足を背けてしまう。お前はジャングルをくまなく探したつもりでも、中心部には踏み入っていないんだ」
「かあ~、なるほどなあ。奥が深えぜ、ダンジョン!」
「でもでも――」
ポポンがリィンに尋ねる。
「私達はまーっすぐ歩くだけだったよね?」
「そりゃエペさんに招かれたからな」
「あ、そういうものなのね」
「仕事でダンジョンを訪れるとき、いつ行くか運営者に伝えておくのがミソだ。じゃないと仕掛けに手間取って依頼者に会えず仕舞いなんてことになる」
「そっかあ。覚えとくよ」
やがて三人はエペ=リロの座す小さな丘へと辿り着いた。丘に乱れ咲く毒々しい花の香りが、うっすらと漂う。
「お帰り、リィン」
美しい少女の、甘ったるい声が響く。
「ただいま戻りました、エペ=リロさん」
リィンが頭を下げ、ポポンも慌ててそれに倣う。
「それで……首尾はどう?」
「そのことですが……マルス」
リィンが呼ぶと、マルスはリィンの前に歩み出た。不敵な笑みを浮かべる口元からは、鋭い牙がギラリと光る。
「こいつがスミロドン減少の原因、人狼のマルスです」
「まあ、あなたが。……こっちへいらっしゃいな?」
エペ=リロがマルスに手招きする。
マルスは笑いを噛み殺しながら、リィンとポポンにだけ聞こえるよう漏らした。
「どんな化け物が出てくるかと思えば。嬢ちゃんに負けず劣らずの女の子じゃねえか」
そうして、のっしのっしと丘を上る。
いつでも跳びかかれるよう腰を屈めつつ、獰猛な瞳はエペ=リロを捉えて離さない。
ポポンがリィンのレインコートを引っ張った。
「ねえ、リィン。どういうつもりなの?」
「どうもこうも。見ての通りさ」
「クリーチャー大乱闘が始まっちゃうよ?ちょっと見たい気もするけど」
「そうはならんさ。確かにマルスは強い。だが、だからこそ感じ取るはずだ」
「なにを?」
「迷宮運営者の化け物具合を、さ」
ポポンが再びマルスに目を向けると、先程とは明らかに様子が変わっていた。
虎視眈々とエペ=リロの首を狙っていたはずのマルスは、視線を伏せどこか自信なさげに丘を上っている。
その足取りは上るほどに重くなり、頂上付近に着くころには老いぼれ馬のようにおぼつかないものになっていた。
そして、やっとのことでエペ=リロの前に辿り着くと。
「頭が高い」
圧力を具現化したような言の葉に、マルスは為す術もなく膝を屈した。
その垂れた頭に、エペ=リロがゆっくりと顔を寄せる。
「人狼風情が、妾を食らおうてか」
マルスは牙をガチガチと鳴らし、ただ許しを請うた。
「すぐ、今すぐに出ていきます……どうか、お目こぼしを……」
「ふうん。……リィン、妾はどうしたらいいのかしら?」
話を振られたリィンは、姿勢を正して答える。
「マルスの目的は迷宮運営者となることです。エペ=リロさん個人を狙うものではありません。力の差はわかったようですし、見逃してよいと考えます」
「そう。……行きなさい、マルス」
「はひっ!」
マルスは尻尾を丸めて股に挟み、慌てふためきながら丘を駆け下りた。
「リィン、こちらへ。対価を支払うわ」
「はい」
リィンはマルスと入れ代わりに丘を登り、刺しゅう入りの飾り袋をエペ=リロの前に掲げた。
エペ=リロは体をもたげ、飾り袋の口の上で指を擦り合わせる。
――チャポン。
飾り袋から水音がした。
同時に、リィンが目を見開いてエペ=リロを見る。
「エペ=リロさん!これでは半分しかいただいておりません!」
「そうかしら?」
エペ=リロはわざとらしくあごに指を乗せた。
「今回の依頼はスミロドン減少の原因となる外来種を調べて、それを駆除すること。リィンが達成したのは、前段だけよね?」
「ぐっ。それは」
「そのライカンを追い払ってから来ればいいのに。リィンったら、連れてきちゃうんだもの」
そう言って花のように笑った。
「報酬は半分。いいわね?」
「……わかりました。今回はこれで」
「またよろしくねぇ」
リィンは一礼し、丘を下りた。
ポポンの横でボヤく。
「くそ、マルスを連れてきたことで値切られるとは……考えもしなかったぜ」
「まあまあ、仕方ないよ。エペさんの言う通りだし」
リィンとポポンは尻尾を股に挟んだままのマルスを連れ、ヒッポグリフに乗ってきた場所まで移動を始めた。
マルスを避けているのかクリーチャーに出くわすこともなく、無事にジャングルの端へ到達した。
ダンジョンの外に出ると、マルスはようやく元の精神状態を取り戻した。
「なんか、世話になっちまったな」
人の姿に変化したマルスが二人に言う。
「まったくだ。お前のせいで報酬半額だぞ?」
「もう、それはリィンのせいでしょ?……マルス、これに懲りたら運営者を狙うなんて無茶はしちゃダメだよ?」
だが、マルスは首を横に振った。
「いやいや、むしろやる気出たぜ!あの運営者、アルラウネだろ?クリーチャーとしてはそう強くはねえ種族だ。それがあの圧倒的な威圧感――ライカンの俺が運営者になったら、いったいどれだけ強くなっちまうんだ!?」
そう言って、目を閉じてニヤつくマルス。
リィンとポポンは顔を見合わせる。
「呆れるほど前向き思考な奴だな」
「リィンは見習うべきかもね」
「うるせえ。……マルス、これからどうするつもりだ?」
「さあな。どっかでダンジョン見つけて、また運営者を狙うさ」
「懲りねえな」「懲りないねえ」
二人の重なった言葉に、マルスは「クハハッ」と笑った。
「じゃあな!」
背中を向けて手を振り、歩き出したマルス。
「あんまり偏った食事するなよ」
「まったね~!」
遠ざかるマルスの背中を見つめながら、リィンが言った。
「教えなくてよかったのか?迷宮運営者になる方法」
「……うん。応援したい気持ちはほんとだけど。ダンジョン工務店従業員として、それはダメなのかなって」
「なにがダメなんだ?」
「私達の仕事って、ダンジョンによってせき止められたマナを回収するのが目的でしょう?マルスに新しいダンジョンを作らせたら、またせき止められる場所ができちゃう。それって本末転倒だよ」
「……なるほど、そうか。お前なりに考えてんだな」
そう言って、リィンはポポンの頭を乱暴に撫でた。
「これ、誉めてんの?こんな誉め方、嬉しくないから!」
「偉いぞ、偉い偉い」
「やめてよ、もう!」
リィンはポポンの頭から手を離し、遠ざかるマルスの背中を見つめた。
「しかし、変わったライカンだったな」
「うん、良いライカンだった!」
「……良いってのはどうだ?奴は人は襲わないかもしれないが、ライカンの帝国を作る気だぞ?」
「そうだけど。でもきっと、マルスの作る国のライカンは人を襲わないと思う」
ポポンは小さくなったマルスに向かい、「おーい!」と大きく手を振る。
気づいたマルスもまた、大きく手を振り返した。
「やっぱりマルスは良いライカンだよ!」
そう言って、ポポンは満足げに頷いた。
二人は何度も振り返り手を振る人狼を、姿が消えるまで見送るのだった。
これにて『妖花の密林』終幕です。
次章は週明けより開始します。




