18
リィンとポポンは茂みに身を潜めていた。
目の前には大きな池。
そしてその手前に枯れ果てた黒い木。
「……いよいよだね」
ポポンがハンマーの柄をギュッと握り締める。
「お前はここに隠れてろ。俺が一人で行く」
リィンの言葉に、ポポンは目を剥いて反論した。
「どうして!?私も行くよ!」
「しっ!……こっちの手札を見せる必要はない。いざとなったら出てきてくれ。いいな?」
ポポンは渋々ながらも頷く。
「リィンはどうするつもりなの?やりようはある、なんて言ってたけど」
「ダンジョンから出て行ってくれと交渉するだけだ。流れによっては商談になったり、脅迫になったりするかもしれないが」
「戦闘はナシ?」
「基本的にナシだ。襲われた場合はその限りじゃないがな」
「……そっか。ちょっと安心したよ」
「ま、油断せず見ていてくれ」
リィンは立ち上がり、
「行ってくる」
と言い残して歩き出した。
リィンはぬかるんだ足場を、わざと音を立てながら歩いていく。
すると虚に潜むハンターもすぐに気づいたようで、木の陰から半身を覗かせた。
二十代前半の男性。
格好は猟師のそれで、腰の剣鉈に手をかけている。
(思ってたより若いな。……弓はなし、か)
リィンは明るい調子で話しかけた。
「よう!あんたがスミロドンを狩ってる猟師だな?」
ハンターがリィンを鋭く睨む。
「誰だ、お前?」
「俺かい?俺は絶滅危惧クリーチャー保存会のリィンってもんだ。あんたは?」
「……マルスだ」
「マルス!良い名だ。実はな、マルスさん。あんたの狩ってるスミロドンは年々数が少なくなっていてな。うちで保護対象になっているんだ」
「こちらには関係のない話だ」
「そう言わんでくれ、マルスさん。うちはそれなりに大きな組織でな、有力なパトロンも多い」
「何が言いたい」
脅されたと感じたマルスが目を細める。
「おっと、誤解しないでくれ。タダで止めろなんて言わねえ、って意味だ」
リィンは両手を広げ、更に近寄った。
「迷惑料を払おう。しばらく生活に困らないくらいは払ってやれる。どうだ?狩りを止めて、このジャングルから出て行ってくれないか?」
すると、マルスは突然明るく話し出した。
「本当か?それはいい話だ!」
マルスは木の陰から全身を現し、リィンに歩み寄った。
「だがな、出れねえんだ。恥ずかしい話なんだが……迷っちまって」
そう言って、マルスは頭を掻く。
「何!?それでスミロドンを狩って飢えをしのいでいたわけか!……わかった、この俺がジャングルの外まで案内しよう!」
「いいのか!?そいつは助かる!」
「お安い御用さ。さあ、ついてきてくれ!」
そう言ってリィンは背中を向け、心の中で悪態をついた。
(迷って出られない?この大ウソつきめ!腕の良い猟師がこの程度の森で迷うかよ!)
そのまま数歩あるいたとき。
目の前の茂みからポポンが立ち上がった。
「リィン!危ないっ!」
「わーかってるって」
リィンは余裕たっぷりに振り向き、そして驚愕した。
予想をはるかに上回る速度で迫ってきたのは、人間の腕ではなく毛むくじゃらの獣の腕。
刃物のように鋭い爪がリィンを襲う。
「チッ!」
リィンがバックステップでかわすと、続いてもう片方の腕がかち上げるように下から迫る。
それも持ち前の反射神経で、紙一重で避ける。
だが、次の瞬間。
「グハッ!」
獣らしからぬ蹴り技がリィンの胴を捉えた。
リィンは自ら後ろに跳んだがその勢いは殺しきれず、ぬかるみを無様に滑る。
「リィン!」
泥に塗れたリィンに、ポポンが駆け寄る。
「大丈夫!?」
「ゼハッ、ゼハッ……息が詰まる……が、大丈夫だ」
「あいつ、何なの?」
「人狼だ。人に化けて……ゼハッ、村に入り込み、人を食らう」
見事な毛並みの人狼と化したマルス。
彼は両手をだらりと下げ、天に向かって吼えた。
「アオォーーーー!!」
「なんであんなのがジャングルにいるの!?」
「知るかよ!……ゼハッ。あー、クソッ!人にしてはよく食うな、って思ったんだよ!」
「もう!なら、そのときに気づいてよ!」
「お前の食いっぷり見てるから、そういうもんかと思ったんだよ!」
マルスはブルリと震えて毛についた水を飛ばした。そして前傾姿勢をとってリィンとポポンを睨む。
「……来るぞ。俺の息が戻るまで一人でやれるか?」
「よーし……まっかせといて!」
ポポンはレインコートを脱ぎ捨てるや否や、ハンマーを担ぎ上げマルスに突貫した。
「どりゃー!リィンの仇ー!」
「まだ死んでねえぞ」
助走から放たれた、ポポンの大振りの一撃。
だがマルスは迫り来るハンマーを事も無げにかわす。
「ヒュウ!おっかねえな、お嬢ちゃん!」
「むむっ。おらー!」
ポポンはそのまま体ごと回転し、更にもう一撃。しかしマルスはこれもかわし、ポポンの胴を蹴り上げた。
「きゃん!」
先ほどのリィンと同様に、ぬかるみに転がるポポン。むくりと起き上がったポポンを、マルスが嘲笑する。
「クハハッ!まるで泥男だな!」
「うるさいっ!行くぞー!」
それからポポンは突撃しては転がされ、またむくりと起き上がっては突撃する。
何度も。
何度も、何度も。
転がしては立ち上がってくるポポンに、マルスは苛立ちを募らせた。
「まだまだー!てぇぇい!」
「かーっ、しつけえ!嬢ちゃん頑丈すぎんだろ!」
「きゃん!」
吹っ飛ばされたポポンが、またむくりと起き上がる。
「むー!こんちくしょー!」
「だから当たらねえって!おらっ!」
渾身の横蹴りを放ったマルスだったが、またしても起き上がるポポンを見て天を仰いだ。
「きりがねえな。……ここらでお暇させてもらうぜ」
マルスはググッと身を屈め両脚に力を蓄積すると、空高く跳び上がった。
「待てー!逃げるなー!戻ってこーい!」
高い木の枝に着地したマルスは、ぬかるみでハンマーを振り回して怒鳴るポポンを見下ろした。
「……戻るわけねーだろ」
そう言って再び両脚に力を溜め、次の跳躍に備えるマルス。
だが。
「冷たいこと言うなよ。仮にも女性が『待って』と言ってるんだから」
「ッ!?」
マルスが頭上を見上げる間もなく、リィンが上からマルスの両耳をむんずと掴む。
そして掴んだ両耳を軸にして半回転し、マルスの顔面に膝を見舞った。
「グアアッ!」
マルスは枝から墜落し、ぬかるみの上を転げまわった。
「痛え!くそっ、痛えー!」
絶叫しながら、耳と鼻を代わる代わる触って確認するマルス。
「糞エルフが!鼻が利かなくなったらどうしてくれるッ!」
樹上のリィンが笑う。
「また上がお留守になってるぞ?」
「上?」
マルスの上に、ハンマーの丸い影が射す。
「確!殺!ポポンストラーイク!!」
「うおぉっ!?」
マルスは間一髪、体を転がしてハンマーから逃れた。
ポポン渾身の一撃が地面をとらえた。
地響きと共に泥が爆ぜる。
泥飛沫が治まると、地面には大穴が空いていた。
マルスは口元を引きつらせてハンマーの跡を見ている。その顔は泥に塗れ、灰色だった毛並みは見る影もない。
「もう!リィンってば、なんで教えちゃうの!」
「悪い悪い。だが、技名を叫ぶのもどうかと思うが」
「えっ、普通言うよ。言う言う」
「そう、か?……まあ、いい。奴はもう満足に動けない。あとは時間の問題だ」
マルスは泥を振り払い、大声で笑った。
「クハハハッ!何言ってんだ、糞エルフ!俺が満足に動けないって?むしろ絶好調さ!」
そうしてピョンピョンと、その場で野生の跳躍力を披露する。
しかし、リィンは余裕たっぷりに語りだした。
「ライカンとわかったとき、不思議だったんだよ。なんで人目もないジャングルの中で人の姿でうろついてんのか、ってな。身体能力の高い人狼の姿のほうが狩りもしやすいはずなのに。……だが考えてみりゃ簡単な話だった」
リィンはマルスを見つめ、ニヤッと笑った。
「毛が濡れるのを嫌ったんだろ?水を吸って重くなるもんな。ジャングル由来のクリーチャーと違って、狼の毛がこの気候に合ってないわけだ」
それを聞いたポポンが両手を打つ。
「そういえば、犬みたいにブルルッて何度もやってた!」
リィンはポポンに満足げに頷く。
一方のマルスは、黙ってリィンを睨みつけるだけだった。
リィンはその様子に自らの仮説の正しさを確信し、ポポンに指示を出した。
「奴は雨でずぶ濡れな上に泥塗れだ。確実に動きは鈍ってる」
「うん」
「お前はとにかくハンマーをぶん回せ。逃げようとしたら俺が叩き落とす」
「うん!」
「お前のハンマーなら一発当たれば十分だ!さあ、仕留めるぞ!」
「うんっ!」
油断なくハンマーを構え、にじり寄るポポン。
樹上から一挙手一投足も見逃すまいと、鋭い視線を向けるリィン。
そしてマルスはぐっしょりと濡れた己の毛を見つめ、頭をガリガリと掻いた。
「あー、くそっ!やめだ、やめ!」
そうしてドカッ、とぬかるみに腰を下ろす。
「煮るなり焼くなり好きにしやがれ!」
技解説
【確殺!ポポンストライク!】
重量級ハンマーによる無慈悲な一撃。
(ただの上段振り下ろし)




