17
ポポンの長靴の下から、パキッ!と乾いた音がした。
「ひゃっ!?」
やけに甲高く響いたその音に、ポポンは身をこわばらせる。
恐々と足元を覗きこみ、それから照れ隠しに笑った。
「えへへ。何かの骨、踏んづけちゃった。びっくり――」
「しっ!静かに」
リィンが口元に人差し指を当て、黙るよう促す。その真剣な表情に、ポポンは石のようにその場に固まった。
遠くで聞こえるけたたましい鳥の鳴き声。
騒々しいくらいに枝葉を打つ雨の音。
だがポポンには、自分の高鳴る鼓動の音が何よりうるさく感じられた。
「リィン?」
か細い声でポポンが問う。
リィンは眼球だけをしきりに動かしていたが、やがてふうっと息を吐いた。
「鳴子だ。音で侵入者を報せる罠だな」
リィンはあちらこちらの地面を次々に指差した。
「あそこも。あそこにも。上手く隠してあるが、良い場所にだけ骨が落ちてる」
「たまたま動物の骨が転がってただけじゃ……」
「この湿気の中であんな音が出るほど乾いた骨が落ちてて、それをお前が都合よく踏んだって?……それはないな」
ポポンは小さく頷き、そのまま項垂れた。
「ごめん、リィン。私ドジっちゃったんだね」
「謝らなくていい。俺だって気づかなかったし、それに……鳴子があるってことは、聞こえる範囲に仕掛けた奴の寝床があるってことだ」
「あっ、そっか!」
「さて、問題だ。この鳴子を仕掛けた奴は誰かな?」
「スミロドンハンター!」
リィンは満足げに頷いた。
「ここからは、俺の後ろをぴったりついて歩け。鳴子地帯を抜けたら次は罠地帯ってのが相場だからな」
ポポンがぶるっと武者震いする。
「う~、なんかダンジョン攻略みたいになってきたね」
リィンはニヤッと笑った。
「だったら俺達の得意分野だ」
◇ ◇ ◇
二人は初めて訪れるダンジョンを探索するように、一列になって慎重に動いた。
草陰に隠れた罠も、見えにくい糸を使った罠も、集中力を高めたリィンの前には意味をなさなかった。
やがて、少しだけ開けた場所に出た。
ここだけ落ち葉がたまり、地面全体を覆っている。
頭上では木々の枝が重なり合い、天然の屋根を形成していた。
リィンは立ち止まり、ぐるりと辺りを見回した。
「雨がしのげて鳴子の音も聞こえる距離だ。風だまりになってるから周囲の臭いも集まってくる。……ここだな」
「ここに、いるの?」
ポポンがごくりと唾を飲む。
リィンはそれに答えず、ゆっくりと歩き出した。
そして再び足を止めたのは、高さ三メートルほどの岩の陰。
「寝床はここだ。足跡もある。……やはり人間か」
「えっ?どこどこ!?」
ポポンはリィンの元へ駆け寄り、地面に目を凝らす。
「それだ」
リィンが落ち葉の上を指差す。
「……どれ?」
「だから、それだって」
「これ?」
「どこ見てんだよ。そ、れ!落ち葉が潰れてるだろう?」
「あ、わかった!これだ!」
「それはお前の足跡だ」
「あう」
リィンは呆れたようにため息をついた。
「もういい。……足跡はまだ新しい。ついさっきまでいたようだ」
「ひょっとして、私の鳴らした音で逃げられちゃった?」
「いや。慌てて逃げたような足跡じゃない。あの頃には留守だったんだろう」
それを聞いて、ポポンはホッと胸を撫で下ろした。
「俺はもう少しここを調べる」
「ん、わかった」
安堵したポポンは寝床の調査をリィンに任せ、自分なりに辺りを調べ始めた。
落ちた枝を持ち上げたり、石をひっくり返したり。
大きな木をゆさゆさと揺らしてみたり。
そうして寝床からずいぶん離れたとき、地面に異変を見つけた。
「リィン!」
「なんだ?」
岩陰から顔を出すリィン。
「ここ、地面が黒い!」
リィンはすぐさま立ち上がり、ポポンの元へ急いだ。
「ここっ!ここだよ、リィン!」
「ああ、見てる」
ポポンの指差す地面だけ落ち葉がなく、また土の色が不自然に黒かった。
「ここで火を焚き、食事してるようだな」
「寝床から離れてるよね。なんでだろ?」
「用心したんじゃないか?食事の匂いがクリーチャーを呼ぶことがあるから」
「あー……思い出した。冒険者のとき、口うるさいリーダーによく言われたなあ。食べ残しをテントの横に捨てるな!って。ほんと口うるさいリーダーだった!」
「俺はそのリーダーに同情するよ。……食べ残し、か。ふむ」
リィンは焚火跡を離れ、近くの茂みをかき分けた。
「あった」
「なになに?」
ポポンが茂みを覗くと、そこには動物の骨が山と積まれていた。
「げげっ。すごい量だね」
「頭蓋骨をよく見ろ」
「ずがい――ああっ!」
動物の骨はすべて大型の獣のもので、上あごから特徴的な長い牙が飛び出していた。
「これ、全部スミロドンの骨!?」
リィンは頷く。
「こんなに発達した犬歯を持つのはスミロドンしかいない。……決まりだな、ハンターがスミロドン減少の原因だ」
「そのハンターはどこに行ったのかな?」
「そりゃあ狩りだろう。ハンターだし」
「ということは、今も近くでスミロドンを狩ってる……?」
「近くで、かはわからないな。勘だが、寝床の近くで狩りをしないタイプな気がする」
「でもでも、あんまり遠いと寝床に帰るの大変だよね?」
「だな。遠すぎず、近すぎず……」
そこまで言って、リィンは頭上を指差した。
「ちょっと上から見てくる」
「うえ?」
首を傾げるポポンをよそに、リィンは周辺の木を物色し始めた。
そして最も高そうな木を選び、重力に逆らうようにスルスルと上っていく。
幹を伝い、枝を渡り、空を隠す枝葉をかき分け、あっという間に木の最上部まで上ってきた。
だがここからでも、鬱蒼と茂る木々に邪魔され遠くまで見通せない。
リィンは木の最上部からひょろりと伸びる、か細い枝に目を向けた。
他の枝と同調するのを嫌ったかのようなその枝は、たった一本で雨雲に向かって伸び、頼りなく風に揺れていた。
リィンはこの枝に上ることにした。
体重をかければ一瞬で折れるであろうその枝を、赤子に触れるように優しくゆっくりと上る。
やがて枝のてっぺんまで達すると、その突端に足裏を乗せる。
そしてそのまま体をぐうん、と持ち上げた。
大木のてっぺんに突き出た枝先に、直立している格好だ。
リィンは揺れる枝に合わせて体を揺らしながら、再度辺りを見渡した。
先程よりもずっと遠くまで見通すことができる。
(さて、どこだ……?)
リィンが自慢の視力を働かせる。
しかし、木々に遮られて地表の様子はあまりわからない。
(想像しろ。俺がハンターならどうする?)
(……鳴子圏の内側では狩りをしない。他のスミロドンが拠点周辺に寄りつかなくなったら、拠点を移さなきゃならなくなる)
(だから、鳴子圏の外で場所を変えながら狩る)
リィンは更に自問する。
(では鳴子圏の外で、具体的にどう狩りをする?)
リィンはポポンが泥塗れになった辺りに視線を移す。
(まず、狩猟用の罠のチェックだな。それが空振りだったら……)
(水場で張る。スミロドンだってそこらの泥水啜るより、きれいな水を飲みたいはずだ)
水場を探すのは容易だった。
池や沼の中は木が生えていないので、上から見るとぽっかりと穴が空いたように森が途切れていた。
(大きい水場のほうが泥が沈殿しやすいか)
水場から水場へと目を移し、リィンはとりわけ大きな池を見つけた。
雨水がたまりにたまったその池は、今まで見たジャングルの水たまりと違って澄んだ水を湛えている。
リィンは池の縁をなぞるように瞳を動かす。
草むら、岩陰、枝の上……そして枯れ果てた大木に目が留まる。
黒ずんだ大木は幹の真ん中からぽっきりと折れていて、幹と根っこだけになっていた。
幹は空洞化が進んでいるようで、暗い虚が覗いている。
そして……虚の中に浮かぶ、二つの眼光。
リィンは思わず呟いた。
「見ーつけた」




