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1.たった1日で生徒に惚れられるわけがない?

 深夜に雨が降ったせいか、鼻の内側に纏わりつくような湿っぽくひんやりとした空気が、校内にひっそりと漂っていた。朝七時だというのに、グラウンドはとても騒がしい。ソフトボール部員たちの声が、鈍色の空へまっすぐに吸い込まれていく。


 落ち着け、俺。

 きっと練習を見てもらいたいとか、そんなのだから。


 校門をくぐって体育館に向かっている間、そんなことばかり考えていた。昨日の夜は一睡もできなかった。傷つけずに、角を立てずにどうやって断るか。いや、だから昨日会ったばっかりなのに告白なんてありえないから。柚香はバスケの初心者だって言ってたし、ただ純粋にバスケがうまくなりたくて、俺にアドバイスを求めてきただけだから。


 けれど昨日の柚香からの個人ラインは、色恋沙汰をにおわせるような内容だったと思う。



 明日の朝七時に体育館まで来て欲しいです。伝えたいことがあるので。

 みんなには内緒でお願いします。



 昨日は、バスケ部員たちと初対面ということで緊張していたのか、家に帰りついてすぐにベッドに倒れこんでしまった。深く沈み込むような心地に、寝具にお金をかけたのは正解だったと至福の吐息が漏れた。そのままうとうとと眠りにつこうとした時、ラインの素っ頓狂な通知音がズボンのポケットから聞こえてきた。


 誰だよ、とメッセージの送り主を疎ましく思いながらも、体を仰向けに反転させて、スマホを顔の前に持ってくる。煌々と光っている画面が眩しくて目を細める。


「そっか、グループ作ってたな」


 帰り際、美玖が言い出して作ったんだった。グループ名はなべっち軍団。そのグループラインに知佳がご丁寧に、俺へのねぎらいの言葉と美玖の無礼をお許しくださいというメッセージを送っていたのだ。



 言いがかり。

 美玖からの無礼なんてなかったし。

 なべっちのこと最大限敬ってたよ。



 それに対する美玖の返事がこれである。きっと美玖は色んな意味で大物になると思う。美玖のそのメッセージを皮切りに、睦月や柚香も交えて会話が始まった。


 俺は既読をつけるだけマシーンになってしまった。もちろん会話に入り込もうと文字は打ち込んでいるのだが、打っている間に会話はもう三つも四つも先に進んでしまう。結局消去せざるをえない。スタンプですら押す隙を与えてくれない。


 仕方がない。諦めよう。一通り会話が終わったころに、改めてメッセージを送ろう。鳴りやまない通知音を消すためにマナーモードにして枕の横に置く。テーブルへ腕を伸ばしてリモコンを取り、テレビの電源を入れる。ちょうどやっていたスポーツニュースを見始めた。


 十五分ほど経ち、もうそろそろかなとスマホを手に取ってラインを開くと、



 明日の朝七時に体育館まで来て欲しいです。伝えたいことがあるので。

 みんなには内緒でお願いします。



 柚香から五分前に個人ラインが来ていた。ちなみになべっち軍団の会話は四人でまだまだ続行中だった。


 これは、えっと、つまり、どういう。


 瞬きを繰り返し、何度も送られてきた文章を読み返す。すぐそこまで来ていた眠気はどこかへ行ってしまった。


 伝えたいこと。

 来て欲しい。

 体育館。


 特殊な感情や熱量が集まっている文章だ。そう思えて仕方がない。スマホから文字が浮き出して空中でハートを形作りそう……妄想が過ぎるな。女子高生の空気に毒されてしまったか。


 気がつけば、ベッドの上で正座をしていた。


 もう一度メッセージを読み直す。


 みんなには内緒で。


 唇に人差し指を押し当てて恥ずかしそうに顔を赤らめる柚香の姿が浮かんでしまった。頭を振って脳内から追い出す。朝練につき合って欲しいだけだから。でももしそれだけなら、どうしてこんな回りくどい言い方をするのか。朝練につき合って欲しいですと、単刀直入に伝えられるはずだ。



 分かった。必ず行く。



 返信は、それだけにした。


 柚香が何を伝えたかったのか。それを突っ込んで訊く勇気は持てなかった。


 会話が完結しているので、当然柚香から返事はこない。翌朝、どこかふわふわとしたような、どんよりとしたような心模様のままで、とうとう体育館に到着してしまった。中からボールがバウンドする音が聞こえてくる。よかった。柚香は練習している。つまり告白ではない。告白の緊張を紛らわすために体を動かしている可能性もあるか。


 俺は今、完全に浮足立っている。女の子から告白されるのはこれが二度目だが、ありったけの感情をぶつけられる告白という行為に慣れるということはないのだろう。一度目の時は、好きです、の言葉が持つ重さと熱さに驚くばかりで真剣に向き合えず、茶化すようにして断ってしまった。数日は放心状態が続いた。


 練習をしている柚香にばれないように、抜き足差し足で体育館の中に入る。エントランスとフロアの境界にある扉は半分だけ開いているが、柚香の姿はその隙間からは見えなかった。コートの右側ではなく左側で練習しているのだろう。ボールの跳ねる音、バスケットゴールのリングにボールが当たる音、キュッキュッというシューズの底と床が擦れる音が断続的に聞こえてくる。


 脱いだ靴を揃えようとかがんだ時、三和土に黒のローファーが二セット置かれていることに気がついた。一つは柚香ので、もう一つは誰のだろう。


 自分の靴を二組のローファーから少し離れた場所に置いて、弾む心を落ち着かせようと大きく息をはいた時に、体育館の中から女の子の声が聞こえてきた。何と言っているかまでは分からないが、どうやら体育館のフロアに二人の女の子がいるみたいだ。中にいる柚香ともう一人の女の子の死角になるような位置をキープしながら扉のすぐ横まで移動し、聞き耳を立てる。


「今のシュートすごくよかった。その感覚忘れないで」


「ほんとに?」


「始めてまだ二週間なのにスリーポイントが届くようになるなんて、センスあるよ」


「教え方がうまいんだよ」


 誰かと柚香が会話をしている。その誰かの声は、知佳でも睦月でも美玖でもない。けれどどこかで聞いたことがある。脳の記憶の古い部分に突き刺さり、懐かしさを呼び起こすような甘い声だった。


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