4.女子高生と大学生
クラッカーを持っていた女の子――その後の会話から美玖という名前らしい――に腕を引っ張られ、強引に畳の上に座らされる。俺が真ん中で、彼女たちが左右に二人ずつという座り順から、まるでどこかのキャバクラみたいだと思った。緊張感はマックスまで跳ね上がる。
「とりあえず、自己紹介しましょう。睦月から順で」
俺の右隣、ホールのショートケーキを切り分けている女の子が場を仕切り始めた。女子にしては身長が高くすらりとしいて、聡明そうな顔立ちをしている。肩甲骨の下まである髪は艶やかで、右目の下のなきぼくろがとても印象的だ。
「私からかよ。ま、いいけど」
俺から見て左の端に座っている子がけだるそうに言う。女の子にしては低い声だった。とろんとした目を手で何度か擦りながら、「座ったままでいっか」とぼやく。栗色がかったショートボブの髪の毛先があちらこちらに跳ねているが、これは俺がファッションに無頓着なだけで、パーマか何かをかけているのだろうか? それとも元からそういう感じなのだろうか。
「えっと……ってか自己紹介って何言えばいいの?」
「名前とか、バスケ歴とか? 簡単でいいよ」
なきぼくろが印象的な彼女が、切り分けたケーキを俺の前に置きながら答える。
「そんな適当な感じでいいんだ。えっと、じゃあまあ、私の名前は氷川睦月です。一応中学校の時もバスケやってました。よろしくお願いします」
氷川さんは俺と一度も目を合わせてくれなかった。
「あ、どうも」
とりあえず会釈程度に返す。よく言えばマイペース、悪く言えば不愛想な子だなという印象だ。猫っぽい目元から愛嬌をかろうじて感じることができるのがせめてもの救いだろう。
「じゃあ次私ね」
俺と氷川さんの間に座っている美玖という名前の女の子がびしっと手を上げる。
「私の名前は春瓦美玖って言います。バスケ歴は、えっと……五年くらい? かな」
首を傾げながらにたっと笑顔を浮かべる春瓦さん。無駄に手や足、体を動かすため、肩のあたりで切り揃えられた髪が絶えず揺れている。その大きな瞳と、笑った時にできるえくぼに吸い込まれてしまいそうなんだけど何を言っているんだ俺は。
「そしてバスケは結構うまい自信があります。って……」
春瓦さんは急に言葉を止め、こめかみを人差し指で押さえて何かを考えているようなポーズをとる。
「そういえば監督の名前まだ訊いてなかったですよね?」
「あ、まあ……そうだな」
唐突にやってきた春瓦さんの純情な視線に耐えきれず目を逸らしてしまう。首筋から背中へと、冷や汗が流れ落ちていく。
「あ、俺は渡邊雄大と言います」
いきなり注目を浴びたせいで普通に自己紹介をするだけに終わってしまった。せっかく何か気の利いたことでも言ってやろうと、彼女たちの自己紹介を聞きながら考えていたのに。いや、名前を訊かれたのだからこれだけでいいはずだとポジティブに考えることにする。
「渡邊監督っていうんですね。何か渡邊っぽい顔してますもんね」
渡邊監督。
そうか。彼女たちからしたら俺は監督なんだ。
意識してしまうと、何だかとても気恥ずかしい。渡邊監督。美しい言葉の響きに心がしびれていく。
「実は私、渡邊監督が来るって聞いてすごい楽しみにしてたんですよ。ああ、別に監督が渡邊監督だって知ってたわけじゃないですよ。だからすごく不安でもあって。小太り中年のセクハラおじさん来たらどうしようとか、こういう目つきの口裂け女みたいな女軍曹が来たらやめちゃうかも……とか」
美玖は自分の両目を指で吊り上げる。すぐにその手を離して笑顔になり、白い歯を輝かせる。
「なので渡邊監督みたいに怖くなさそうっていうか、威厳がなさそうっていうか……そういう感じですごい安心しました」
「ははは、威厳がなさそう……ね」
「あっ! そういう意味じゃなくて、優しそうってことです」
慌てて自分で自分をフォローする美玖の背後には、あわわあわわという効果音が発生していた。
「だからその、何ていうか私はすごく安心したっていうか、嬉しいっていうか」
「ってか美玖喋りすぎ。私早くケーキ食べたいんだけど」
一向に話すのをやめない美玖を睦月が制する。少しきつい言い方だなと思ったが、別に美玖はショックを受ける様子もなく、
「あ、そうだよね。ありがと。じゃあ知佳、次お願い」
むしろ感謝してから、両手を俺の前を横断させるように突き出す。本当に体と言葉がリンクしすぎているなこの子は。ってか俺の番を華麗に飛ばされたけど、さっきので俺の自己紹介は終了ということか?
「手短にお願いね」
睦月が短めにと念を押す。どんだけケーキ食べたいんだよ。
「言われなくてもそうする予定だから」
知佳と呼ばれた女の子の威厳と可憐さを同時に感じさせる声は、聞いているだけで気持ちが引き締まる。
「初めまして渡邊監督。山井知佳です。この部のキャプテンをしています。バスケ歴は中学校から始めたので四年目になります。その時もバスケ部のキャプテンをしていました。今後はご指導の程、宜しくお願い致します」
山井さんはすっと立ち上がって、深々と礼をする。ここまで礼儀正しくやられてしまうと、こちらも同等の礼節を持たないと、という感情が湧き上がってくる。反射的に彼女の方を向いて、「こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げていた。
「じゃあ、最後は柚香だね」
座り直した山井さんが、隣の子の肩に手を優しくのせる。
「うん」
小さな声で返事をした彼女からは緊張しか伝わってこない。このまま行進したら手と足が一緒に出てしまうだろう。それに座っていても分かるくらい背が小さかった。小動物のような可愛さを帯びた妖精のような子だなと思う。
「初めまして。増永柚香です。みんなとは違って、その、バスケは高校から始めたのでまだまだ初心者ですけど、中学校ではバスケ部のマネージャーをしてました。だから遊びでドリブルの練習とかしたことあります。よろしくお願いします」
遠慮がちな声とは対照的に、そのキラキラと輝く瞳が、私、バスケが大好きなんですと強く訴えている。
「えっと、氷川さんに春瓦さんに山井さんに増永さんね」
覚え間違いがないか確かめる意味も込めて、順番に彼女たちの苗字を呼んでいく。彼女たちは頷いてはくれなかったが、否定も訂正もなかったので、正確に覚えられていたと判断していいだろう。ミッションコンプリート。しかし、どうして彼女たちは揃いもそろって俺の方をじっと見ているのだろうか。
「あれ? 名前間違えて覚えてた?」
「ううん。全員あってたよ?」
首を傾げた春瓦さんはなおも俺の方を見続ける。
「え? じゃあ何でみんな黙るの?」
「だって次は監督の番でしょ? 自己紹介」
「ああ、そういうことか」
なるほど。監督がおおとりを飾れってことか。まあ、俺だけきちんとした自己紹介してないもんね。姿勢を正し、咳払いで喉の調子を整えてから、
「えっと、みなさん初めまして。渡邊雄大です。狭川第二高校出身で今年の春から大学生になったばっかりの」
「ええー!」
早速美玖の驚嘆の声に遮られてしまった。
「渡邊監督大学生なんですか? 私たちとほぼ同世代なんですか?」
美玖はその驚き顔をグイと俺の顔に近づけてきた。やはり大学生が監督を務めるのが嫌なのだろうか。それよりも近い。顔が近い。美玖は距離感のつめ方バグってる系女子なんだな。
「ま、まあ確かに俺は大学生で不安かもしれないけど、一生懸命みんながうまくなれるよう、バスケをもっと好きになれるように指導していくから」
「私が言ってるのはそういうことじゃなくて」
またまた話をぶった切られる。美玖の真意が分からない。
「じゃあどういう……」
困り果てて他の三人に視線を移すが、彼女たちも美玖の方をきょとんとした目で見つめている。美玖が本当は何を言いたいのか、ここにいる全員がその真意を測りかねているのだと知って少しだけ安心した。
「どういうって、そんなの決まってるじゃないですか」
美玖は胸を張り、口元を緩めてその白い歯をきらりと光らせながら、
「三歳しか離れてないなら渡邊監督なんて偉そうな呼び方で呼ぶ必要ないじゃんってことですよ。あーあ、無駄に畏まって損した」
意味不明な理屈が美玖の口から飛び出してきた。言い返す言葉すら浮かんでこない。
「でもだったら何て呼べばいいだろう? ……なべっち? なべっちとかどう?」
「なべ……っち?」
「そう、なべっち。呼びやすくて可愛いしいいあだ名だと思うんだよね」
満足げに笑う美玖を見ていると、訂正することが悪のように思えてきた。
「はぁ……」
変な言葉が口から漏れていた。どういうことだろう。三歳しか違わなくても監督と生徒の関係に変わりはないのでは? そもそも美玖さんは畏まってましたかね。
「ちょっと美玖。監督が困ってるじゃない」
「え? 嘘? 何で?」
純真無垢な瞳を美玖から向けられ、知佳はやれやれという感じで額に指を置く。
「すみません監督。こいつは色々と常識が足りてないもので」
「そうだよ。流石になべっちって呼ぶのは……だって監督なんだから」
柚香もやんわりと注意してくれる。
「えー、でもなべっちって可愛いと思うんだけどなぁ」
「ってかさ、そんな呼び方よりケーキ! 早くしないとケーキ冷めちゃうじゃん!」
三人のやり取りにしびれを切らしたのか、睦月が会話を一刀両断する。も、彼女の意思に反して、感嘆符と疑問符が混じった空気が部室に充満してしまった。
「え? 何でみんなぽかんとして……」
睦月も、さすがに空気の変化は感じとったらしい。驚いたような表情を見せているが、発した言葉から察するに、その理由までは分かっていないようだ。つまり自分がこの微妙な空気を作り出したとは微塵も思っていないということになる。
「ねぇ? 睦月?」
恐るおそるといった感じで、美玖が睦月の肩に手を置く。それを俺と知佳と柚香が固唾をのんで見守る。
「だから何? 急に深刻な顔して」
「いや……だってさ、ケーキは冷めないよ?」
そう冷静に美玖が指摘すると、睦月は顔を真っ赤にしながら、
「うるさい! 言葉の勢い! ああもうお腹すいた!」
みんなの爆笑を気にもとめず、睦月はそのまま一人で勝手にケーキを食べ始めるのだった。