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3.一緒にバスケしようよ

 体育館と校門を結ぶコンクリートの上を黒いリュックが歩きながら遠ざかっていく。からからとした日差しを背にしながら、俺と柚香ははるちゃんを追いかける。


「ちょっと待ってよはるちゃん」


 はるちゃんの右隣に俺、左隣に柚香と、挟むようにして一緒に並んで歩く。


「待たない」


 ずんずんと歩幅を広げながら歩くはるちゃんから、ちらりとねめつけられる。その厳しい顔つきに一瞬たじろいでしまったが、このまま黙って帰すわけにもいかない。


「バスケやるって言ってくれたじゃん」


「別に。やっぱりやめただけ」


「やめたって……」


 その理由を知っているが故に、言葉が止まってしまう。美玖に利用されただけとはいっても、俺にもはるちゃんが帰ってしまう原因を作った責任の一端はある。


「落ち着いて話そう? ね?」


 今度は柚香が、優しく寄り添うように語り掛ける。


「私はいたって落ち着いてる。それにまだ五人いないかと思ったの」


 はるちゃんはぶっきらぼうに吐き捨てて、歩くスピードをさらに速めた。もうついてこないで。その言葉を無視して、俺も柚香も歩くスピードを上げてはるちゃんの横をキープする。


「それってどういうこと?」


 俺が尋ねると、はるちゃんは大きなため息をついてから面倒くさそうに立ち止まった。俺たちも慌てて足を止める。ちょうどそこは昇降口の前だった。はるちゃんは相変わらずの鋭い目つきで俺を一瞥して、


「だから、五人いたら私いなくてもバスケできるじゃん。いらないじゃん私」


 強い口調なのに、儚さしか感じない。分厚い雲が太陽を覆い隠したせいで、空気がうっすらと黒く染まる。昇降口から出てくる女子高生たちは、 俺たちのことを避けつつ、仲間内でヒソヒソと会話しながら通り過ぎていく。


「そんなことないよ」


 柚香が、はるちゃんの右手を両手で包み込むように握る。


「確かに私が誘った時は五人いなかったし、私はそれを口実に来て欲しいと言った」


 はるちゃんの体に緊張が走ったことが、びくりと上がった両肩から伝わってきた。


「でもそうじゃなくても私は遥とバスケがしたい」


 信念のこもった言葉に心を動かされたのか、はるちゃんがゆっくりと柚香の方に顔を動かし、ようやく二人が目と目を合わせる。


「一緒にバスケ、しようよ」


 柚香の穏やかな笑顔に込められているのは、はるちゃんを思う暖かな感情。


 はるちゃんの頬が淡い朱色に染まっていく。しかし、胸の中に湧き上がってきた感情を押し込めるかのように「……ごめん」と力なく呟いて、柚香の手を振り払う。


「やっぱりできないよ」


「どうして?」


 覗き込むようにして柚香が訊く。手を振り払われてしまったことがショックだったのか、笑顔が少し引きつっている。


「それは、だって……」


 はるちゃんは薄く笑いながら、空に視線を向け、眩しそうに目を細める。切なさを感じさせる口元と、絶対に手の届かない何かに想いを馳せているかのような諦観の瞳が、不謹慎だけれどひどく美しいと思った。病的なまでの儚さを感じさせる佇まいが俺の心をざわつかせる。


「だって……だって私がまた奪うから」


 はるちゃんの足元のアスファルトにだけ、黒い水玉模様が浮かび上がる。


「どうして泣くの?」


 胸に押し当てられているはるちゃんの拳を、柚香がまた包み込むようにして両手で握った。その行動は称賛に値する。俺だってはるちゃんに寄り添おうとしたけれど、なぜか足は動かない。感情的になろうとしているのに、何かが強烈にその衝動を抑え込んでいる。杭で足を地面に打ちつけられているかのように、足先から痛みが全身に広がっていく。


「遥はいっぱい与えてるんだよ」


「もういいの!」


 はるちゃんはまた手を振り払う。柚香のことを睨みつけているのに、はるちゃんの鋭い目からは怒りや恨みといった相手を威圧するような激情を感じない。次第にその目から力が抜けていき、涙がぽろぽろと頬を流れ落ちていく。手で顔を覆う。


「だって私がまた、バスケを好きな人から、柚香からバスケを奪うから」


 はるちゃんは言葉を詰まらせながら、かすれた声で伝えてくる。


 俺たちのそばを通り過ぎていく生徒たちは、泣いているはるちゃんが心配、という感じではなく、単純な興味の視線を向けながら通り過ぎている。いわゆる好奇の目になってしまっている。


「とりあえず、こっちきて」


 柚香もこのままではよくないと察したのか、はるちゃんの手を引いて駆け出す。俺もそれについていく。グラウンドの端を通って、用具倉庫の裏にある雑草の生い茂った涼しげな場所までやってきた。ここなら人目を気にすることもないし、たとえ大声で泣いたとしても、グラウンドで練習しているソフトボール部の声が、その音をかき消してくれるだろう。


 涙を拭うはるちゃんの真正面に立っている柚香が柔らかな声で語り掛ける。


「ねぇ、遥」


「な…………に?」


 はるちゃんは時間をたっぷりとかけて、たった二文字を口にした。


「さっきの言葉、どうしてそう思うの?」


 いたわりの気持ちが溢れてくるような、丁寧な問いかけだった。こんな声掛けを毎日されていたら、日当たりの悪いこの場所にだって色とりどり花が咲き乱れることだろう。


「だって、私が入ると、六人目……だから」


 はるちゃんが消え入りそうな声で、ようやくその理由を打ち明けてくれた。けれど俺も柚香もはるちゃんが言ったことがよく分からず、顔を見合わせる。


「いいじゃん。六人目で。私は人数多い方がいいと思うよ。賑やかだし」


「でも……」


「遥は私と一緒にバスケがしたくないの?」


「そんなことない!」


 喚くように言ったためか、語尾がわずかに裏返る。はるちゃんは繰り返し小さく首を振る。


「私だって柚香と一緒にプレーがしたい」


「じゃあ」


「でも無理なの。私にはできないの。無理なの」


 苦しそうに首を左右に揺らしながら、ぽつりぽつりと呟くはるちゃん。無理。できない。否定の言葉を繰り返すだけで、はるちゃんはその理由を話してくれない。


 風が吹くと、日の当たらないこの場所は少しだけ肌寒く感じる。柚香もとうとう黙り込んでしまった。かける言葉が見つからなくて立ち尽くすしかなくなったのだろう。


 柚香の寂しげな顔を、俺はこれ以上見ていられなかった。


「できないって、はるちゃん。それだけじゃ何にも分からないよ」


「おにいには関係ないでしょ!」


「関係あるんだよ!」


 自分が出そうと思っていた声より三倍ほど大きな声が出てしまった。その事実に自分でも驚き、狼狽えてしまう。さっきから感情のコントロールができていない。心の揺れ方が極端だ。はるちゃんの悲しげな表情を見ていると心が暴れる。かと思ったら雪の中に一人で立ち尽くしているかのような寂しさと寒気が襲ってくる。ざらざらとした音が耳の中で反響して、その場にうずまりたくなる。


 はるちゃんは俺の怒鳴り声に慄いてしまったようで、腕を抱きながら怖々と俺を見つめている。


 こんなはずではない。


 もっと冷静に、理性を保って、大人として監督としての尊厳、仁愛の精神を見せなければ。深呼吸をしてから、聖母のような慈愛を心掛けて笑顔を作った。


「だってもうはるちゃんはバスケ部のメンバーだから」


 はるちゃんの顔に失望の色が浮かぶ。俺をあざ笑うかのように、冷たい視線を向けてくる。


「だから入らないって言ったじゃんさっき」


「でも昨日はバスケ部に入ると言ってくれたよ。だからはるちゃんは昨日からバスケ部員だ」


「そんな屁理屈」


「だから!」


 自分の荒らいだ声で、またヒートアップしてしまっている自分に気がつき、続けざまに言おうとしていた言葉を一度喉の奥に引っ込めた。落ち着け。ゆっくりと誠意をもって話すことを心掛けろ。


「部員がやめようとしている理由を知りたいと思うのは、バスケ部の監督として当然だから、教えてほしい」


「またそれ、その言葉。…………ずるいよ」


 はるちゃんは唇を薄く噛んで鼻水をすする。歯を食いしばって睨みつけてくる。


「ずるいからそういうの! 小手先だけの優しさはもううんざりなの!」


 心外だった。ショックだった。俺は本気だ。いつだって真剣にはるちゃんのことを心配しているのに、小手先だと言われてしまった。咄嗟に柚香に助けを求める視線を送っていた。


 しかし柚香も、震える瞳で俺を見つめ返してくるだけ。もしかすると、はるちゃんのさっきの言葉を、柚香は自分に言われたかのように捉えたのかもしれない。


 聞かれたくない声をかき消してくれると思ったソフトボール部の声が、そのかき消す対象を探すようにして響き渡っている。音があることで、かえって三人の間にある沈黙が強調される。


 このままではダメだ。


 俺は何としてもはるちゃんのためになりたいんだ。


 心の中で何度もそう呟き自分を鼓舞する。覚悟を決めてしっかりとはるちゃんのことを見据える。


 偽善者でもいい。


 はるちゃんのためになるのなら、どんな言葉も受け入れる。


「それでもいいから、聞かせてほしいな」


 はるちゃんの感情を逆撫でしないように、慎重に言葉を選んだ。柔らかな口調を過剰なまでに意識した。


「私も、遥がどうしてできないと思うのか、やっぱり知りたい」


 柚香も俺に続く。彼女の目に浮かんでいる涙に、はるちゃんも気がついたようだ。


「柚香……」


 苦しそうに名前を呼んで、はるちゃんは一歩だけ柚香の方に足を進める。見えない壁にぶつかったかのように体が元いた場所に跳ね返される。両手で首を抑えながら、悲愴に塗れた声を飛ばす。


「だって私が入ると、六人目だから。柚香がスタメンじゃなくなるから」


 時が止まったのかと思うくらいの驚きがあった。ん? という空白が蔓延っていく。絶望と違わぬほどの理由が放たれると思って身構えていたから、正直言って拍子抜けした。体の力がすっと抜け、緊張で吊り上がっていた両肩がストンと落ちる。

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