6.一番の友達だったのに
監督の仕事も板についてきたと思う。練習メニューを考えるのは大変だけど、とても楽しい。その悩ましさが逆に癖になる。彼女たちが俺の考えを汲んで練習に臨んでくれるから、やりがいも常に感じられる。短い間ではあったのだが、本当にいい経験だった。彼女たちの監督になれてよかったと、心から思っている。
今日俺は、夏希楓と決着をつけようと覚悟を決めていた。火、水、木曜日にスパ特クラスの課外があるので、その三日間は課外を受講している夏希さんと部活を終えた俺たちの帰りが同じ時間になる。火曜日は体育館の使用割り振り上、バスケ部は休みにせざるを得ないし、とある布石を打つ必要もあったため、決行の日を水曜日に設定した。
死を自覚した人間ほど強いものはないというけれど、捨て身の精神を身につければ、こんなにも躊躇なく行動が起こせるものなのか。自己犠牲の精神って案外中毒性があるんだな。
「よし、じゃあ次フリースローな」
彼女たちを走りに走らせたところで、すぐにフリースローを打たせる。実戦を意識した練習だ。試合中は走り回って疲労がたまった状態でフリースローを打たなければならない。練習中から試合中と同じ状況をいかに作り出せるかで、効率は格段に変わってくる。
彼女たちは肩で息をしているものの、わいわいと談笑しながらフリースローを打ち始める。その姿は、はたから見ていてとても楽しそうに見える。
ちなみに、知佳はいつもと変わらない様子でフリースローを打てている。四本打って、まだ一本も外していない。その姿を見て安心した。嬉しかった。知佳の中にあった不安がなくなったのだから、イップスは解消するに決まっている。
ネットに吸い込まれていくボールを見つめる知佳の清々しい表情と煌めく汗は、とても眩しくて美しかった。
「十本決めたら休憩だからな」
彼女たちに指示を出してから瞑目し、眉間を親指と人差し指で軽く摘まむ。部活中は彼女たちの動きをくまなく注視しなければいけないため、現役時代よりも圧倒的に目ばかりが疲れるようになった。監督ってこんなにも目を光らせていないと駄目だったんだな。一人を追いかけ過ぎれば全体が見えてこないし、コートを俯瞰しすぎても個人の動きを把握できなくなる。爽やかな疲れだ。あーあ、続けたいなぁ。
背伸びをしながら、横目でちらとフロアの入口に目を向け、さっきから練習を盗み見ている夏希さんの様子をうかがう。よしよし。夏希さんはわざと開けておいた扉の隙間からわずかに顔を出して、バスケ部の練習風景を食い入るように見つめている。
夏希さんからしたら、楽しそうなバスケ部員たちの姿は、これ以上ないほどきらきらと輝いて見えることだろう。その証拠に、さっきから夏希さんは、羨ましそうにバスケをしている彼女たちを見つめ、そんな自分にはっと気がついて扉の陰に隠れる、を繰り返している。
ここまでは想定通りに事が進んでいる。夏希さんに嘘をついたのは申しわけなかったが、睦月のために、自分の意志で体育館までやってきたという事実も重要だと考えたのだ。
実は、練習がなかった火曜日にも俺は桜ヶ丘学園にやってきて、課外を終えた夏希さんと話をしていた。昇降口から出てきた夏希さんは俺を見つけると、口をわずかに開けて立ち止まった。リュックの肩ひもをきゅっと握りしめて俺の横を素通りしようとしたので、彼女がちょうど横に来た瞬間にとある嘘をついた。
「睦月が他のバスケ部のメンバーとなじめてなくてさ、どうしたらいいと思う?」
夏希さんは足を止めて、唇をじっと噛みしめた。
「そんなの私には関係ないから」
そう吐き捨てて足早に去って行ったが、彼女の睦月を思う気持ちを考慮すると、こうやって隠れてバスケ部の様子をうかがいに来るという推測は容易に立てられる。
バスケ部員たちの楽しげな笑顔を見せることにより、分厚い殻の中に閉じ込められている彼女の本当の気持ちを、一ミリでもいいので呼び起こさせることが、本当の狙いだ。
そして、頃合いを見て後ろから近づき、背中を押してフロア内に入れる。逃げ場を強引に奪った上で、隠れて練習を見に来ているという事実と、俺が思う夏希さんがバスケをしない本当の理由の二つを説得の材料にして、夏希さんの理屈を切り崩す。
まあ、いわゆる出たとこ勝負と呼ばれる戦法だ。
成功する確証はどこにもない。
だからこそ、楽しそうなバスケ部員たちの姿を十分に見せておくことが大事になのだ。少なからず感化される部分が絶対にあるはず。心の中で順調と呟いた――がしかし、想定外の出来事が起こってしまった。
夏希さんがつと俺の方を向き、目と目が合ってしまったのだ。小さく口を開いた彼女は、すぐに一目散に逃げていく。
「悪い。シュート練習しといてくれ」
パイプ椅子から立ち上がって、咄嗟にそう指示を出していた。
「えー、いきなりどうしたの?」
不思議がる美玖の言葉を無視して夏希さんを追いかけていく。あと少しかな? と余裕をかいていたことが仇になった。が、バスケは楽しいものだという気持ちは確実に思い出してくれただろう。見つめていた時の表情がそれを物語っている。
外に出た直後に一瞬だけ見失ったが、体育館の裏手に回り込む彼女の背中を見つけ、すぐに後を追った。今日は練習が休みなのか、静けさの立ち込めた無人のテニスコートの横を通り過ぎ、自転車置き場の横にある細い通路を走っていくと、桜ヶ丘学園の裏門が見えてきた。校舎の陰になっているため日が当たらず、いつもじめじめとしている人通りの全くない場所だ。
そして、彼女にとっては運が悪く、俺にとっては運がよく、その門は閉じられ鍵がかかっていた。
彼女は門の前で立ち止まり、開かないことを確認するとその門を蹴飛ばした。ガン、という鈍い音が俺の脚を止めさせる。
ゆっくりと振り返った彼女は、門に背中を預けて立つ。
「楽しそうにやってるじゃないですか」
嫌味っぽく棘のある言葉で言われる。
「まあな。俺が見る限りは、楽しそうにみんなとやってる」
「嘘、だったんですね」
「確かに嘘だったかもしれないけど、夏希さんがこうして自分の意志で、睦月のことを思ってバスケ部の練習を見に来てくれた事実は本物だよ」
「だから何ですか?」
「睦月のこと、やっぱり心配だったんだろ?」
「別に……」
夏希さんは難しく眉を顰めて、明確な答えを示さなかった。その代わりに苦微笑を浮かべながら俯き、懸命にといった感じで言葉を絞り出す。
「じゃあ私、まだ授業がありますから」
俺と目線すら合わさずに、こちらに向かって歩いてくる。このまま何事もなかったかのように帰るつもりだろうか。
そんなことは、絶対にさせない。
「君がバスケをやめた理由ってさ」
言い終えると同時に、彼女が俺の横を通過する。彼女は口元を引きつらせて一瞬足を止めたが、また歩き出す。
「睦月に気をつかっているから、だよね」
後方で、彼女の足音が止まった。
どうやら俺の予想は的中していたようだ。
「だから今みたいに、睦月のことを気にしているんだよね?」
振り返りながら、努めて優しく問いかける。
彼女はびくりと肩を上下させた。
「違います。言ったじゃないですか。私には勉強しかないからって」
「じゃあどうして中学の時はバスケ部に入ったの?」
「それは……」
「夏希さんがやりたかったから、じゃない?」
彼女は背を向けたまま、押し黙っている。体の横で拳がわなわなと震えている。
きっと図星なんだろう。
それでも、夏希さんが本心を吐き出すその時まで、追撃の手を緩めるつもりはない。
「もう答えが出てるじゃん。君のやりたいこと、君が一番知ってるってことじゃん」
「私は……だって」
「嫌がらせ、してたことを気に病んでるの?」
「え?」
こちらに振り返った彼女は、虚を突かれたかのように目を丸くしていた。
「それ……は」
所在なさげに腕を抱いて、気まずそうに目を伏せる。色濃く翳のできた彼女の表情から、これも図星なのだと察する。
やはりそうだった。
睦月が言いかけた言葉は、嫌がらせ。
そしてその嫌がらせをしていたのが、夏希楓。
だから夏希さんは、自身がやめた後もずっと睦月のことを気にかけていたし、睦月と一緒にバスケをすることを避けていたのだ。
「中学の時、睦月がバスケに対する情熱を失ったことが分かったから、君はバスケ部をやめたんだね。それが本当の理由だね」
夏希さんは目尻に何本ものしわができるくらい強く瞑目していた。びくりと顔が右に揺れ、左にも同じように動く。その動作を繰り返して否定してくるかと思ったが、彼女はそうしなかった。震えていた拳をほどいて、自嘲しながら小さく頷いた。
「睦月から聞いていたんですね」
苦悶の表情を浮かべながら、けれどはっきりと嫌がらせをしていた事実を認めた。
「睦月からじゃないよ。全部俺の推測だ」
「え?」
夏希さんは口をぽかんと開けて、こちらをぼうっと俯瞰するように見つめている。
「君は、本当はこうなって欲しかったんじゃないの?」
「どういうことですか?」
俺の真意はどうやら彼女に伝わらなかったらしい。それとも気づいていないふりをしているのか。
「君は嫌がらせをしていたことを、犯人は自分だと、本当は気づいて欲しかったんじゃない?」
「そんなわけ!」
ムキになって言い返してきた。しかしその荒らいだ声も長くは続かない。酷く青ざめた顔で、虚ろな目をして、ぽろぽろと零すように言葉を紡ぐ。
「だって私は、それだけのことを睦月に……したから」
「睦月は気づいてないと思うよ」
そう言ってから、いや違った、そうじゃないはずだと考え直す。睦月はそんなに鈍感じゃない。他人を思いやり、人の心に深く寄り添おうとする、優しい女の子だ。
「いや、もしかしたら本当は犯人が君だと気がついていて、それでも君のことをそういう人だって印象づけたくなかったから、俺に対して知らないふりをしたのかもしれない」
睦月はわざわざ言葉を止めて、言いかけた言葉をのみ込んだのだ。
こっちの方が割と理由だと言って、姉妹の問題のことを話し始めたのだ。
「嘘よ。だって私は睦月に酷いことした。嫌われてるから」
この前の睦月の表情、声、言葉は夏希さんに伝わっていないのか。睦月からは夏希楓のことを思う感情が溢れ出ていた。嫌いな人に向ける態度ではなかったはずだ。
ああ、そういうことか。
その思いが存分に伝わっているからこそ、夏希さんは反発しているのかもしれない。
「睦月は夏希さんのこと嫌ってなんかないんじゃない?」
「嘘! 絶対思ってる! 私なんか、絶対にそうなの!」
必死に叫ぶ彼女。やっぱり。認められないんだ。夏希さんは睦月から嫌われていなければならないという願望を抱いているのだ。それに縋りたいのだ。
睦月が自分のことを糾弾し、嫌悪している。そんな暗示を自己にかけることで、彼女の中にある罪悪感の行き場を強制的に作り出し、ある種の慰めを得ようとしている。
「だってそのせいで睦月はバスケを本気でやらなくなった。私だって睦月が頑張ってたの知ってた」
悲痛な思いを吐露する彼女は、酷く疲れ切っているように見えた。
「一番の友達だったのに私は、彼女を裏切った」
顔から完全に血色が失われている。彼女は元来、とても心優しい人間なのだ。だからこんなにも不必要に自分を責めるし、傷つけるし、制限する。
「でも――」
言おうとしていた言葉が喉の奥に引っ込んでしまった。夏希さんの後ろに立つ女の子の存在に驚いて、声帯が動かなくなった。夏希さんは自分の足元をただじっと見つめているから、全く気がついていない。
「でも私はどうしようもなくて、悔しくて、それで保ってたのにレギュラーじゃなくなったから、私は……」
「やっぱりそうだったんだ」
涙を浮かべている夏希さんが驚いたように目を見開く。露わになった大きな瞳は酷く震えている。
「本当に、よかった」
夏希さんの表情とは対照的に、睦月は穏やかな笑みを浮かべている。大粒の涙を流しながら優しさで溢れた声を飛ばす。
「楓が何でバスケしないのか、やっと分かったよ」




