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5.ぐちゃぐちゃぐちゅぐちょ

《私が誘ったんです。遥にバスケしようって》


 はるちゃんをバスケ部に誘ってくれたのは、やはり美玖だったのか。


《私はミニバスやってたのもあって、入部当初は一年の中で一番うまかった。上級生とも張れるくらいだった》


 自慢げな声が、次第に沈んでいく。


《その時なんですかね。みんなからうまいねとか、将来のエースとか言われて、いらないプライドができあがったのは》


 自虐的な笑い声が聞こえてくる。背中を寒気が襲った。誰かいるのかと振り返ったが、誰もいない。その間に乾いた笑い声はやんでいた。


《遥は中学から始めたのにものすごくうまかった。何ていうか……センス? みたいなものがあった。シュートもワンハンドだし、プレーも何でもさらりとできた。私はそれを見ていて少しずつ羨ましいと思うようになった》


 才能を羨む。それは普通の行動だ。子供のころは、よし僕も! と努力の糧にできたが、いつのころからかそれは活動をやめる理由になってしまう。諦める絶好の言いわけになってしまう。


《それでも最初のころは私の方がうまかった。ミニバス貯金があったんです。そして、私は遥とよく一対一をしていました。遥はきっと私とプレーするのが楽しくて、バスケが楽しくてやっていたんでしょうけど、私は違った。もちろん楽しかったけど……そう、最初は勝てていたから楽しかった》


 徐々に声のトーンが下がっていく。やや間があって、少しだけ涙交じりの明るい声が聞こえてくる。


《きっと私は勝ちを誇示したかっただけ。こんなに才能がある遥に私は勝てる、すごいでしょって。そういう、今もずっと虚栄心なんです》


 周囲の無責任な言葉によって形成されてしまったプライドが、本人の気づかぬうちに大きくなっていた、ということか。


《でも、二年に上がったころから、次やったら負けるよって感覚が私にささやいてきた。だから負けたくなくて遥と一対一をやらなくなった。だって遥の方がどう見てもうまくなってて、私は、美玖もうまいになった》


 ふいに夏希さんのことが脳内に浮かんできた。彼女は勉強の才能があることに苦しんでいる。それは勉強が横一線でスタートするものだから、他人との差、才能に強制的に気づかされるが故の苦しみだった。


 それと引き換え美玖の苦しみは、スタートの位置が違うからこその苦しみだ。自分の走るスピードと誰かの走るスピードの圧倒的な差に驚愕し、焦り、追い抜かされたあとは相手のスピードを恨み、自分のスピードを妬んでしまう。埋まらない、むしろ広がっていく差に直面して、もがいてあがいて、才能だから仕方がない、私とあの人じゃ違いすぎるからと、諦めてしまう。


 猛スピードで走り去っていく誰かを見てしまうと、その走りゆく背中に必死で手を伸ばす自分になってしまうと、あたかも自分が走っていないかのように、後退しているかのように思ってしまう。


《その時に認められればよかった。一番じゃない私に残ったものは、見栄とか意地とか、そういう無様なプライドだけだった》


 俗に言う僻みややっかみのようなもの。かつては私の方がうまかったという記憶があるから、余計にたちが悪い。


《でも私、ある日の練習で紅白戦をするってなった時、美玖と敵のチームになったからここだと思って、自分自身の感情と決着をつけようって、覚悟を決めたんです》


 美玖が決めた覚悟は、絶対勝ってやろうという覚悟ではない気がした。


 負けを認める、弱さを認める覚悟。


 そういう覚悟だったのだと思う。


《けどそこで鬱憤とか惨めさとか、今まで感じてきた全部が重なって、プッツンってなって真っ白になって、気がついたら苦悶の表情をした遥が床の上に倒れてました》


 ただプライドが敗北を許さなかった。


《故意じゃなかったとは言い切れない。怪我のせいで遥はその日からずっと休み。間に合うって言われてた最後の大会にも出られなくなったし、チームは負けちゃうし。あ、これでも私、遥の次にうまかった。毎試合遥の次に点取ってたんです》


 それを美玖は必死な声で伝えてきた。遥の才能を羨んでいなかったとでも言わんばかりに、私もうまかったよと言わんばかりに。


 こういうところに、美玖のプライドが表れているのだと思う。


《でもそれは、結局は遥がいたからできたこと》


 美玖は惨めさ晒してしまった自分を戒めるように言葉を続けた。


《相手チームの一番うまいディフェンダーを遥が引きつけてくれて、何なら二人も三人もディフェンスを引きつけてくれたからこそ、私が点を取れた。それでも二番。私には遥の役割を果たせなかった。一人になった途端、私はチームを勝たせてあげられなかった》


 溢れ出てしまったプライドを鎮めるように並べられた自虐の言葉たち。美玖は遥を褒めているつもりなのだろうが、自分で自分を傷つけているだけだ。


《チームメイトにも、あの時遥がいてくれたらって、卒業まで当てつけのように言われた。悔しかった。遥はそれに対してただ申しわけなさそうに笑うだけで……そう。あれは私がお見舞いに行った時も……》


 不意に言葉が止まった。この先は本当に言いたくないことなんだなと確信した。


「お見舞いに行った時も?」


 それでも続きを促す。何があったのか、すべてのことを詳しく知りたい。


 美玖は咳き込んで一度は、誤魔化そうとした。


 けれどゆっくりとその先を話してくれた。


《遥にバスケやめろって、言ってしまったです。あんたともう一緒にやりたくないって、いわゆる逆切れですよ。格好悪い、最低の人間がすること》


「何でそんなこと」


《だって見舞いに行った時、私がごめんねって謝ったら、遥は私の方こそごめんねって言いやがって。だから、あんたなんか誘わなきゃよかったって、バスケ好きじゃないくせに、まじめに向き合ってないくせになあなあで続けてんじゃねぇぞって、難癖つけた。その時も遥は、ただ申しわけなさそうに苦しそうに笑うだけで》


 声に怒りが混じっていく。


 心苦しいけれど、止めない。


 聞き続ける。


《私は! 私はずっと、その笑顔はいったい誰に対して向けていたのか、考えなきゃいけなくなった。きっとどこかで私のこと恨んでるんだ遥は。だから私はバスケをやめた。バスケには、嫌で嫌で嫌な思い出しかないから》


「じゃあどうして今は続けてるの?」


 少し喰い気味で尋ねてみた。嫌な思い出しかないバスケを、しかもはるちゃんと同じ高校に進学してしまったにも関わらず、また始めている。


《それはだってほら。なべっちも分かるでしょ》


 美玖は呆れたように呟いて、


《ヘドロなんだよ》


 まっすぐ透き通るような声が鼓膜を優しく揺さぶっていく。


《心にべちゃべちゃぐちゅぐちょと、どれだけ理由をつけて丁寧に取り除いても絶対そこにへばりついている》


 気持ちいいほどに理由になっていない、素晴らしい理由だった。


「そっか。それは、正直でよろしい」


《何その言い方。どうしようかなって、今も本当に悩んでるんですよ。私だけやってていいのかなって。あーあ、過去最高に今の私って自分勝手すぎ。悪人だ。ってかほんとにのぼせてきちゃったかなぁ》


 美玖の声の背後で、水が跳ねるような音が聞こえてきた。おそらく美玖が立ち上がったのだろう。裸のまま浴槽のふちにでも座ったのだろうか。


「大丈夫か?」


《大丈夫、じゃないですよ。なべっちのいじわる。エッチ。想像してるんでしょ? 私の裸》


「そんなわけあるか!」


《認めましたね、あるって》


「国語の勉強しなおした方がいいぞ」


《私、足組んでますよ、今。胸は丸見えですモロです》


「そういう風情の無い直接的な言葉使うと途端にエロくなくなるんだよなぁ」


《それは今まで私をエロの対象として見てたってことですね。やっぱり最低ですねなべっちは》


 俺のことをからかう余裕は残っているみたいだ。


《でもなべっち。今日はありがとうございました。何だか色々と話せて少しはすっきりしたかもしれません。いや、半身浴でデトックスできたせいだきっと》


「そっか。だったら今の感情を正直にはるちゃんに伝えて謝れば」


《なべっちと遥ってどういう関係なんですか?》


 俺の言葉を遮って、美玖は唐突に話題を変えてきた。可愛げのある声で誤魔化していたが、美玖の真意は分かっている。自分の話を終わらせたかったのだ。


「何だよ突然」


《だって、はるちゃん、なんて特別な呼び方してるから》


 はるちゃんの後にハートやら音符やらをはじけ飛ばしたのは美玖のアレンジだろ。


「特別って、そんなたいそうなもんじゃ」


《あ、もしかしてつき合ってるとか? きゃー、禁断の恋?》


「なわけねーだろ。ただ昔近所に住んでてバスケを教えてただけだって」


 即座に否定する。


「それに俺はバスケ部の監督だぞ。生徒と恋愛感情なんてあるか! ちゃんとそこら辺の線引きはしてるから」


《へぇー》


 美玖は意味ありげに語尾を伸ばす。


《でも遥が中学校の時に言ってましたよ。好きな人がバスケやってたから私もバスケに興味があったって》


「それは……すぐに新しく好きな人もできるよ」


 煙に巻くと、美玖は不満げに、


《そうですか。ま、私には関係ないですけど》


 と話を終わらせてきた。やはり、この話がしたかったわけではないのだ。俺がはるちゃんに謝ろうと促したから、美玖はそれを拒否するように話題を変えたのだ。


「ま、あれだ。美玖も早く彼氏くらい作れよ。女子高生なんだし」


《ひどい! また彼氏いないこといじってきた。最低ですねなべっち》


 そこから三分程話を続けたところで電話を終えた。


 美玖に嫌われるのを覚悟で訊いてみたが、結果として仲が深まったように感じていた。そして美玖ははるちゃんのことを嫌っているというより、自分のことを嫌っていて、その現状をどうにかしたいと思っているように感じた。


 だったら、強制的に二人を会わせてしまえばいいのではないか。てっとり早く解決しそうな気がする。


 それに今日美玖と話していて、あの日、睦月が言いかけた言葉も判明した。


 スマホをベッドの上に置いて、目を強く閉じる。今日ははるちゃんからも美玖からも、全力の感情をぶつけられた。めまぐるしい変化と様々な感情が乗せられた言葉に耐え続けた体を慰めるかのように、ぐっすりと眠りについた。

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