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3.私の才能、おにいの才能

 それからはるちゃんは、シュートタッチの感覚を微調整するかのように、少しずつゴールから離れながら一本一本丁寧にシュートを放っていく。はるちゃんのシュートがワンハンドであることにまず驚いた。通常、女子はツーハンドと言って両手でシュートを打つことが多い。また、あそこまで洗練されたシュートフォームに出会ったのも初めてだった。理想的なシュートフォームだからこそ、力を一切無駄にすることがない。そのため、力の劣る女子であってもワンハンドでシュートを放てるのだろう。


 まだ五分も見ていないのに、分かる。


 彼女にはとんでもないバスケの才能がある。


「もう大丈夫だよ。って。おにい?」


 いつのまにか目の前に立っていたはるちゃんが、俺の顔前で掌をひらひらさせている。


「あ、ああ。もういいのか?」


「うん。おにいは?」


「俺も、やっぱりちょっとウォーミングアップしとこうかな」


 はるちゃんからボールを受け取り、とりあえずフリースローライン辺りからシュートを放つ。膝を曲げて、ジャンプのエネルギーを体の筋肉に乗せて、ふくらはぎ、腹筋、上腕三頭筋、そして指先まで持ってくる。スナップを利かせてボールをリリースする。綺麗な弧を描いたボールはリング手前に当たって、俺のところに戻ってきた。現役時代に理屈ではなく体で覚えていたシュートの感覚は想像以上にずれていた。ちょっと練習しなかっただけでこれだよ。バスケのシュートが水物だと言われるゆえんだ。他人の体を使っているみたいに、筋肉が制御下から外れている。はるちゃんの理想的なシュートフォームを見ているから余計に自分のふがいなさが身に染みる。


「おにい。昔と何かシュートフォーム変わった?」


「そんなわけあるか。そんなことよりシュート勝負するぞ」


 図星を指摘されて、思わず勝負を急いでしまった。が、この判断は正解だろう。勝ち筋を残すためには、これ以上はるちゃんにボールを触らせてしまってはダメだ。さすがに数本打った程度では、はるちゃんも完璧な状態にはなっていないだろう。


 奇跡を信じるしかない。


「じゃあ私から打つね」


 はるちゃんがシュートを打つところから勝負が始まる。


 結果は、まあ想像通り。


 惨敗だった。


 俺は一本も決めることができなかった。


 けれどどこか清々しいような気分も感じていた。


 はるちゃんの揺るぎないない特別な才能を見て、この子を指導したい、はるちゃんと一緒にバスケがしたいと強く思ったからだ。


 でもそのためには、何とかしてはるちゃんをバスケ部に入れなければいけない。怪我が治っているのならなおさら、バスケをしないなんてもったいない。才能があるものが好きなのだから、自分に正直になるべきだ。


「はるちゃんめっちゃうまいじゃん。中学校の時エース張ってたんじゃないの?」


 ベンチにぐてと倒れこむようにして座り、鞄の中からタオルを取り出して顔を拭きながら尋ねる。


 はるちゃんは俺の隣にちょこんと座って、バスケットボールを横に置く。鞄の中から小さめのハンドタオルを取り出して汗を拭いながら、


「……まあ、一応は」


「だったらバスケやりなよ。部活来なよ」


 ここだと思った。シュートを打っているはるちゃんの楽しそうな顔を見て、本当にバスケが好きなんだと確信していた。


「怪我してるから無理だって」


 はるちゃんは首を縦に振らない。


「そっか。怪我…………でも」


 タオルを首にかけて、紺碧色の空を見つめながら大きく息をはく。その清々しいほど晴れ渡った空に向かって声を飛ばす。


「それさ、嘘だよね?」


 視界の端に映っているはるちゃんはぽかんと口を開け、唖然とした表情で俺を見つめていた。しばらくの空白が生まれ、それが当たり前のように続いていく。風が木々をざわめかせ、一定時間たつと、また無音になる。遠くから子供の黄色い声が聞こえてくる。噴水が盛大に吹き上がったようだ。


「そうなんでしょ? はるちゃん」


 呆然としているはるちゃんをまっすぐ見つめ、さらに問いただす。


 ようやくはるちゃんは我に返ったようで、手をわちゃくちゃと動かしながら弁明を始めた。


「だから私は中学の時に怪我して」


「それもう治ってるよね。シュート打ってるところ見たら誰にだって分かるよ。怪我が治ってることくらい」


 意地を張って勝利を目指してしまったが、今回の俺の目的はシュート勝負をすることではなく、シュートを打たせることにあった。


 こうすれば、はるちゃんは実際にシュートを打っているので言い逃れはできないし、俺がバスケ経験者ということも話の信憑性に貢献してくれると思ったのだ。


「…………」


 はるちゃんは無言のまま俯き続けている。


 その無言は、どう解釈しても肯定だった。


「やっぱり怪我、治ってるんだね」


「……うん」


 観念したのか、はるちゃんは小さく頷いた。


「どうしてそんな嘘ついてるの?」


「だって、私には才能がないから」


 何を言っているのか分からなかった。あれだけの身のこなしができていて、才能がない? その表情の暗さがなければ、冗談で言っているのかと解釈してしまうような言葉だ。


「はるちゃんはバスケの才能あるよ。今日だけでそれが分かるくらい、すごいやつ」


 小学生のころに分からなかったのが不思議なくらいだ。いや、あのころは俺がボール拾いしかやらせていなかったので当然か。


「おにいもそう言うんだ」


 薄い笑みを浮かべるはるちゃん。それから太ももの上に置いていたタオルを両手でぎゅっと握りしめて口元を少しだけ歪める。かと思えば、諦めたような笑みを見せる。


「でもそんなことはないよ。私には最も必要な才能が欠けてるから」


「最も必要な才能?」


 意味が分からなかったので、おうむ返しで訊き返す。だってはるちゃんには間違いなくバスケの才能があるのだ。自分でエースを張っていたことを認めてもいるのだから、その主張には無理がある。


 背伸びをしながらはるちゃんは疑問に答える。


「そう、私には、それがない」


 頭上に突き上げられていた手が、ふわりと太腿の上に舞い戻ってくる。


「おにいの持ってるみたいな、バスケが大好きだって才能が、一番大切なやつが、ないから」


 どこか悔しそうに、今にも泣きだしそうなほどの切なさが、その物憂げな表情から伝わってくる。


「はるちゃんは、バスケ好きじゃないの?」


「私は、バスケを好きじゃないよ」


「シュート打ってる時すごく楽しそうな顔してたよ、はるちゃん。キラキラ輝いて見えた。俺、はるちゃんのあんな顔見たの初めてだった」


 思った通りのことを伝えると、はるちゃんは首をぶんぶんと左右に振りながら、「そんなこと、あるわけないよ。だって私はおにいがバスケやってたからバスケに興味を持っただけだし、中学の時だって友達に誘われたからバスケ部に入っただけだし」


「それはバスケを好きじゃない理由にはならないよね?」


「でも自発的にバスケをやり始めた人よりは好きじゃないから」


 もうこれ以上追及するなと言わんばかりに、凄みのある声で威圧される。ここまで拒絶されてしまってはどうしようもない。


「そっか。ごめんね。色々聞いちゃって」


 謝るとはるちゃんは、顔を引きつらせて当惑の色を見せる。手を胸の前でぶるぶると横に振って、


「別におにいは悪くないから。悪いのは…………」


 しばらく待っても、はるちゃんはその先を言わなかった。唇をキュッと結んで遠くの空に浮かんでいる雲を虚ろな瞳で眺めている。


「まあでも、俺ははるちゃんがバスケ部に来てくれたらなぁって思うよ。一緒にバスケやりたいし」


 努めて明るく、はるちゃんの心に届いてくれと願いを込めながら言った。


 はるちゃんはバスケを好きだという才能を間違いなく持っている。そうでなければあんな朝早くから柚香と一緒に練習しないし、今日だってあんなにも素敵な笑顔はできないはずだ。


「でも、だって、バスケ部には……それにおにいが監督なんでしょ?」


「まだまだ駆け出しの若造だけどな」


 自虐ネタを言って場を和ませようとしたのだが、はるちゃんの表情は少しも和らがなかった。苦しそうに唇を噛んで、両肩をわなわなと震わせながら、ぼそりと呟く。


「じゃあ、一つだけ、訊きたいこと、ある」


 決意と、それと同じ分だけの躊躇いがその声に混ざっているように聞こえた。これからはるちゃんが告げる内容が、重く深刻なものだと悟ったので、タオルを首から外して横に置き、姿勢を正す。


「何? 訊きたいことって?」


 はるちゃんはゆっくりと顔を上げる。濡れた瞳で俺を見つめて離さない。


「私は、わたし、は……」


 はるちゃんの呼吸の速度が上昇していく。肩を何度も小さく上下させて、頬が真っ赤に染まっていく。


「あの時から気持ち、変わってない。おにいのことが、ずっと好き」


 二度目の、はるちゃんからの告白だった。告白をされるんじゃないかなと思っていた。だからあの時よりも心構えができている。茶化そうなどとは微塵も思っていない。冷静かどうかと言われれば違うけど、体が熱くなっているけれど、頭の中でひたすらに考え、今の俺が言うべき言葉を絞り出す。


「俺はバスケ部の監督で、はるちゃんはその部員になる予定だから」


 この世の全てを攫いそうなほどの強い風が、俺たちに襲い掛かってくる。感傷的になっているから、ただの風を突風と勘違いしたのかもしれない。


 俺は、はるちゃんの恋心をその風が吹き飛ばしてくれることを願った。


 俺の心をどこか遠くまで連れ去ってくれることを祈った。


 涙が、はるちゃんの瞳を覆っていく。顔色は真っ青、けれど口角は震えている。


「何それ。別に昔のことだし。冗談で言っただけだし」


 厳しい口調で糾弾される。冗談って、今さら無理があるだろう。はるちゃんは太ももの上のタオルを掴んで勢いよく立ち上がる。鋭利な瞳で睨みつけられる。その目尻から涙が一粒零れ落ちた。


「ってか絶対やらない。私やっぱりバスケ好きじゃないし。小さいころはおにいに誘われて無理やり手伝ってただけだし、中学で部活に入ったのも誘われたからだし」


 誰が聞いてもそれが嘘だと分かるくらいに、感情的に否定的な言葉を並べるはるちゃん。


「私がバスケやってもみんなが不幸になるだけだし、うんざりなんだよ。バスケを好きじゃない私が、バスケをやって、誘ってくれた友達を不幸にした。せっかくまた始めてくれたのに、また奪いたくないの」


 はるちゃんの足元にできあがった水玉模様が重なり合って、大きな黒いまとまりになる。


「しかも何なの予定って。私バスケやらないって言ってるじゃん。おにいがそんなこと言うなら、おにいが監督やってる部活になんて絶対入らないから!」


 勢いを緩めることなく怒鳴り散らしたはるちゃんに圧倒されてしまった。真っ白になっている頭の中に、昔告白してきた小学生のはるちゃんがいる。茶化してしまった俺の姿もある。


「何とか言ってよ! バカ! 帰る!」


 はるちゃんは自分の鞄を掴んで走り去っていく。バスケットボールに手が当たっていたらしく、ボールはベンチの上から落ちて、コートの中へ転がっていく。


 座ったまま動けなかった。またはるちゃんを傷つけてしまったんだなと、どこか達観したような気持ちを抱きながら、そこに座り続けた。

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