8.大学時代は人生の夏休みじゃないの?
家に帰ってくるなり疲れがどっと押し寄せてきて、電気もつけずにベッドの上に仰向けに倒れこんだ。そのまま目を閉じた。
今日は夏希さんや睦月のこともあって知らぬ間に気を張っていたらしい。けれどその疲れた分の二倍三倍の収穫もあった。
睦月と夏希さんの関係性を知ることができた。
睦月が過去のことを話してくれた。
これはバスケ部の存続という明るい未来に向かうための大きな一歩になった。同時に監督として信頼関係を順調に築けていることの証明にもなっている。もちろんまだ隠していることもあるだろうが、信用されていなければ、睦月の根っこの部分にある姉妹問題なんて話してはくれないだろう。最後に見せてくれた適度ないじりも、信頼の裏返しと思いたい。よくよく考えてみると、睦月の過去は辛いものであると思う。
できる妹と比べられ、疲弊していく中でバスケだけはと努力を続けた睦月。その努力の先に待っていた残酷な仕打ちが、いったいどれだけ彼女の心を傷つけたのかは想像に難くない。睦月の中学時代の顧問も、別に傷つけようとして言ったわけではないのだろうが、もう少し配慮があってもよかったのではないかと思う。
「でも、こっちの方が割と理由……」
不意に、心の中にあるしこりが口から零れていた。彼女が言った、こっち、という言葉が意味するのは、姉妹問題の他にもう一つ、バスケからやる気をなくした理由があるということ。それを言ってもらえるほどの信頼はまだないらしい。そして、その後に睦月が見せた悲哀の表情も脳裏に張りついている。
でも、そっか。そういうことなら、そういうこと、だったのかも……なんだ。
短く切られた言葉たちはどこか寂しそうにしていた。
それにあの時、睦月は何を言いかけたのだろう。
明らかに、いや……の後には何か続きの言葉があった。相槌として何かを否定する言葉には聞こえなかったし、口が動くのを慌てて止めたような感じだった。
いや。
いやあ、いやい。
いやう、いやえ、いやお。
イヤリング。
「あー違う。わからん。いや、いや……医薬品? 違う違う」
全く分からない。
「卑しい、俺が?」
自分で言ってみて、虚しくなった。結局何も分からない。睦月が言ってくれるまで待つしかない。俺は俺のできることをしながら、夏希さんの勧誘方法を考えるしかないのだ。
「……ん? 誰だよ」
ポケットのスマホが震え、ラインの通知音が室内にこだました。一度は面倒で、そのまま無視して寝てしまおうとも思ったが、
「そっか! 柚香だ!」
柚香が今日頼んだことを早速実行してくれたんだ。その報告のラインに違いない。
叫びながら飛び起きてしまったので、両隣の住人に向けて両手を合わせて謝ってから画面をタップする。
お疲れ様です。
山井です。
夜分遅くに申しわけありません。
突然なのですが、キャプテンを辞退したいと思っています。
私はキャプテンに向いてないです。
みんなをまとめる力も、その背中も見せることもできません。
監督が向いていると思う人に、キャプテンを交代して欲しいです。
お願い致します。
女子高生が作成した文章とは思えないほどに丁寧だった。知佳らしい。それを読んでいる間に柚香から、
日曜日。オッケーです。
午後一時に、素城野駅のA3出口で待っていてください。
というメッセージが送られてきたが、今はそっちを気にしている余裕はない。
キャプテンを辞退したいと思っています。
驚きで何も考えられなくなるとはこのことだ。
時間が止まったように感じた。知佳がキャプテンに向いていないと考えているなんて思いもしなかった。
どうしてか詳しい話を訊かせて欲しい。
明日、練習が終わった後二人で話せないか?
とりあえず、そう返信した。
ラインでやり取りすることも考えたが、直接話し合った方がどちらにとってもいい結果になると思った。時間を置けば冷静にもなれるし、そもそもキャプテンを辞退したいという考えを改めてくれる可能性だってある。
分かりました。
明日は練習の後、残って自主練しようと思っていましたので。
ありがとう。
それより残って自主練だなんて、すごいな。
そんなことありません。
当然です。
そっか。
ま、とりあえず明日な。
はい。
ご検討いただきありがとうございました。
やり取りを終え、スマホをベッドの上に放り投げる。慌てて拾い上げ、柚香宛に敬礼しているペンギンのスタンプを送る。
明日は知佳とキャプテンの件での話し合い。夏希さんとも近いうちにもう一度話さなければいけないし、日曜日は日曜日で大変な一日になることが確定している。大学の履修登録もそういえばあったなぁ。
大学生ってこんなに忙しいの? 大学時代は人生の夏休みじゃないの!?
けれど、改めて考えてみると悪くはない。
大好きなバスケのために悩んでいるこの瞬間が、俺は嫌いではない。




