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3.バスケをやりたい人は

「ふー、何か久しぶりに練習っぽい練習したら疲れたよー」


 隣にいる美玖が背伸びをしながら腑抜けた声を出す。夜の六時を過ぎて、空もうっすらと黒く染まり始めている。体育館から校門に向かう道には教職員用の駐車場があって、そこにはまだびっしりと車が止まってある。ああ、教師になるのだけはやめよう。職員室だけ煌々と明かりが灯っているし、頑張れ先生!


「でもなべっちもやっぱ監督なんだねー、意外としっかり練習メニュー考えられててびっくりしたよ」


 頭の後ろで腕を組みながらにたっと笑う美玖。少しほっとした。やはり褒められると監督として達成感を覚えずにはいられない。


「意外とってどういうことだ。まあ今日はみんなの実力を測る意味もかねてのメニューだから、明日からはガラッと変わるぞ」


 言った通り、今日はそれぞれの個性を見るための練習メニューをこなしてもらった。


 睦月は視野が広くてパスがうまく、自分でもパスにこだわりがあるように見えた。


 知佳はシュートの精度が部の中で一番高く、行動に無駄が少ない。オフザボールの動きもきちんとこなしてくれる。


 美玖は典型的なオールラウンダーで、特に得点能力に長けていた。このチームの核となるプレイヤーになるだろう。


 柚香は、バスケを初めたばかりとは思えないほど、すべてのプレーをそつなくこなしていた。マネージャー時代に観察したみんなの動きを真似しているという感じなのだろうか。もちろん、はるちゃんに指導を乞いながら毎日のように必死で練習しているという、本人の絶えざる自己研鑽も理由の一つだろう。


「え? じゃあ基礎練なくなるの?」


 美玖の表情が一段と明るくなる。


「そんなわけあるか」


 笑いながら一喝して、頭をどつくそぶりを見せる。


「えー」


 美玖は両手を頭上に乗せて少しかがみ、不満げに頬をぷくっと膨らませた。


「お前はまた失礼なことを……」


 それを見ていた知佳が美玖を叱る。それにしても、練習後だというのに彼女たちからは汗臭さなど微塵も漂ってこない。それどころかほのかに甘い、女子が近くを通りましたよーっていう香りを漂わせてくる。男子は言葉にならないほど酷かったぞ。彼女たちの部室にシャワーなんてないはずなのに。さすが女子高生。絶妙な塩梅のダサさでおなじみ、学校指定のジャージすらもかっこ可愛く着こなしている。肩から掛けているエナメルバックも、男子が身に着けているそれよりも一際輝いて見える。


「失礼じゃないよ。私は石橋を一気に駆け抜けるタイプだから」


「言ってることの意味が私には理解できないんだが」


「それは理解しようとするからだよ。感じて、私のこの伝われーって思いを感じて」


「だったらまず適切な言葉で伝えようとする努力をしろ」


「私の溢れんばかりの思いは、言葉にできないことの方が多いんだよ」


「もういい。私が悪かった」


 知佳の方が根負けしてしまった。肩を竦めながら、俺にそのきりっとした目を向けてくる。ちょうど校門をくぐったところで、俺と睦月がそろって足を止めたことに気がついたからだろう。


「そういえば監督は睦月と残るんですよね。頑張ってください」


 知佳のこういう律儀なところが俺は好きだったりする。知佳がこの先の人生で、我が道を突き進むような瞳を失わないで欲しいと切に願う。


 それはさておき、なぜ俺と睦月が残るのかというと、夏希楓さん――昨日部室で睦月が言っていた入部してくれそうな生徒――の勧誘のためだ。最初はみんなで夏希さんの下校時間を待って勧誘しようとしていたのだが、美玖が、


「六人もいたら圧迫感というか、ちょっと怖くない? ほとんどが知らない人たちなんだよ、夏希さんからしたら」


 という圧倒的な真実に気がついてくれて、だったら知り合いの睦月と監督である俺の二人で行こう、と決まったのだ。


「まあやるだけね。結局は本人次第なんだし」


 けだるげに言って、睦月は校門の横の壁に背中を押しつけた。そのままタバコでもふかしそうな雰囲気の彼女は、謎めいた雰囲気を醸し出している。その緊張感のなさというか、適度な余裕があるところは俺も見習いたい。


「睦月っぽい意気込みだねぇ。なべっちは? どうなの?」


「どうなのって?」


「睦月みたいに意気込みはないの?」


 問われ少し考える。素直に思ったことを口にする。


「意気込みってほどでもないけど、とりあえず夏希さんの話を聞くところから始めようかなとは思ってる。もちろん初対面の俺に心を開いてくれるかなんて分からないし、睦月も言った通りバスケ部に入るか入らないかは、極論を言うと本人次第だとも思う」


「おー。それでそれで?」


「でも本人次第だからこそ、意思決定に親が介入してるなら、やっぱり全力で何とかしたいと思う。バスケが好きならその好きだという気持ちにまっすぐであって欲しいし、絶対にそうあるべきだから」


「なべっち。あんたはいい男だよぉまったく。あたしゃ感動で言葉もでないよ」


 急に江戸っ子のような言葉遣いになった美玖が、俺の正面に立って右手を俺の肩に乗せてくる。空いた左腕で涙をぬぐうように両目をごしごしとして、感極まった様子を演出している。涙を流していないのはばればれなのだが、正直、今の言葉はかなり嬉しい。


「それにさ。監督の言葉に心を打たれて涙を流すような春瓦美玖っていう子が近くにいるなべっちは本当に幸せものだよ」


 俺の嬉しさを返してくれ。


「はいはい。戯言はいいから、後は二人に任せてさっさと帰る」


 俺がツッコもうとする前に、知佳が睦月の頬をつまんで俺から強引に引き剥がした。そのまま痛がる美玖の声を無視して校門前の道路にまたがる横断歩道を渡っていく。


「ひ、ひはひ、ひはひっへひかぁ」


「ちゃんとした言葉で言わないと伝わらないってさっきも言っただろ」


「ひ、ひかがひゃべらへてくへなひんじゃー」


「え? 何て?」


「もう、ゆふひてー ひはさまー」


 涙を浮かべる美玖を見て、俺は不謹慎にももっとやれと思ってしまった。反省反省。


「それじゃあ私もこれで」


 ぺこりと頭を下げた柚香は、じゃれ合いながら去っていく二人の背中を小走りで追いかけていく。横断歩道の中央辺りでわざわざ俺たちの方を振り返って、


「頑張ってくださいなべっち監督。睦月もファイトだよ」


 可愛いらしい声援に心が和んだ。柚香は踵を軸にくるっとターンして二人の後をとたとたと追いかけていく。横断歩道を渡り切って少し道路沿いに歩いたところで柚香が二人と合流すると、ようやく知佳が美玖の頬から手を離した。


「何やってんだかあいつらは」


「気にした方が負けでしょ」


 睦月は去っていく三人の背中を見ながら呆れたように笑っていた。きっと俺も同じように笑っていると思う。心がいくらか楽になった。


「そういえばさ、夏希さんが受けてる夕方課外っていつまであるの」


「あ! なべっちー!」


 美玖の呼ぶ声が聞こえたので、仕方なく声の主の元へ顔を向け直す。街灯の淡いオレンジ色の光の下で両手をメガホンのように口にあてがった美玖が、胸を沿わせてこれから大声を出しますポーズをしていた。


「さっきの冗談っぽく言ったけど! 私本当にそう思ってるから! なべっちの考え方私大好き! 尊敬してる! じゃあまた明日!」


 そう叫んだ美玖に向けて控えめに手を上げた。不覚にも感動してしまった。柚香はこちらに向かって手を振っている。知佳は申しわけなさそうに頭を下げていた。


「ほんと、美玖ってバカをもっと隠せばいいのに」


「あのバカ丸出しが、美玖のいいところだろ?」


「それはそうなんですけど」


 睦月はどこか満足げに苦笑していた。意外と表情豊かなんだな、と思う。最初の気だるげな印象ばかりが先行して不愛想だと思い込んでしまったが、睦月だって年相応にはしゃいだりするし、恥ずかしくて顔を真っ赤にするし、こうやって控えめながらも笑顔になったりする。


「なぁ、睦月」


「何ですか?」


 ただ俺が話しかけると、睦月はいつものダルそうな表情に戻ってしまう。その変わりように、まだ受け入れられていないのかなと不安になる。しかしこれが彼女の普通なのだ。美玖のいつも通りが笑顔であるように、睦月のいつも通りはこの気だるげな表情なのだ。


「夕方課外のこと。いつ終わるのかなぁって」


「ああ、確か」


 睦月はポケットからスマホを取り出して画面に視線を落とす。


「六時半に終わるらしいです」


「そっか、ありがと」


「いえ、別に」


 ぶっきらぼうに言ってから、睦月はスマホをいじり始めた。


 会話が途切れてしまう。


 あれっ? やっぱり嫌われているのか?


 実際こうして二人きりになってみると、何をしゃべっていいのか分からない。美玖がいたら、その美玖の言動を通して会話できるのに。俺と睦月が残ろうという話になった時に、睦月が反対の声を上げることはなかったので嫌われてはいないと思うが、好かれてもいないのかもしれない。


「あの、さ」


 勇気をもって、面白くなさそうにスマホの画面を見つめる睦月に話しかけた。


 睦月はスマホを操作する手を止め、少し首を傾げながらこちらに顔を向ける。


「何ですか?」


「ほら、睦月が昨日言ってたこと。本当にバスケがやりたいなら桜ヶ丘学園にはこない、っていう話」


「ああ、そういえば……」


 ひどく弱々しい声だった。睦月は自虐的な笑みを見せながらスマホをポケットにしまう。


「あれは……まあその通りの意味ですけど」


 その虚しさが滲んだ表情に面食らって、言葉が喉元で止まりそうになった。


 でも、俺は睦月のことが知りたい。悩みがあるなら聞いてあげたい。


 だって俺はバスケ部の監督で、睦月はその部員なのだから。


「そっか。でも、そう考えるとさ、睦月は……もちろん美玖も知佳もそうなんだけど、どうして最初からバスケ部のある高校に行かなかったのかなぁって思って」


「普通はそういう疑問にたどり着きますよね」


 うん、そりゃそうだ。ははは。


 乾いた笑いが夜道にすとんと落ちていく。だからなのか、反射的に夜空に視線を向けてしまった。


 空の高いところは風が強いらしく、綿あめのような雲が止まることなく流れ続けている。それを眺めつつ、ただただ睦月の笑い声が止むのを待った。


「あー、ほんと笑える」


 しばらく笑い続けていた睦月だったが、ふとその声を最後に押し黙る。苦しそうに息をはいて、苦笑いを浮かべてから、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「少なくとも私は……ってか美玖と知佳が何を思ってこの高校に来たのかは知らないですけど、私は中学校で一度バスケをやめようって思っただけです」


「そう、なんだ」


 ゆっくりと丁寧に相槌を打つ。


 だけです。


 その最後の言葉に、これ以上踏み込んで欲しくないという気持ちが表れているような気がした。睦月のことを詳しく知るために鈍感を装うことにした。


「理由は、訊いてもいいかな?」


 睦月は少しだけ眉間にしわを寄せて、呆れたように肩を竦めてみせた。


「まあ、何ていうか、やめようと思ってたのは別に誰かのせいってわけじゃな――」


 急に睦月の言葉が止まる。俺の少し後ろを見つめている瞳がわずかに震えている。


「……久しぶり、楓」


 軽く手を上げた睦月。


 俺も睦月の視線を追うようにして振り返った。


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